主観的真理の強説か客観的真理の尊重か

 独逸で、外相ラテナウの暗殺に刺撃されて共和制擁護法とやらを作ると、南の方巴威(バイエルン)政府 は、所謂聯邦法律の拘束に依て自家自主権の傷けらるゝを肯とせず其の形式的遵奉を拒んだと云ふ。中央と地方との権限範囲に関する憲法論上の問題として、係争両者の孰れの立場が正しいかは之を別個の研究に譲る。僕は戦争前より持ち越しの分離的傾向(Partikularismus)が彼国に於て今日猶強く主張さるゝのを観て、転(うた)た、長い歴史を背景とする伝来的思想の容易に抜き難きものあるの事実に驚かざるを得ないのである。
 戦前に於て、独逸は強烈な国家観念に依て統一された珍らしい程鞏い結束を有する民族だと一部の人々から讃美されて居つた。併し乍ら、普露西(プロシア)の武力に由つて無理に統一を早められた独逸帝国には、其実統制阻害の色々の因子が内部の素質として潜んで居つたのであつた。歴史家は前記の分離的傾向の外、天主教(Klerikalismus)、社会党(Sozialismus)、被圧迫諸民族(Regionalismus)を算ふるが、之等の一々の説明は茲に略する。只こゝには、過去に於て分離的傾向の最も有力なる支持者たりし巴威が、今日なほ動(やや)もすれば事毎にこの同じ態度を中央に対して繰り返したがるの事実に、読者の注意を促したい。而して僕が特に此の点に読者の注意を促さんと欲する所以は、或る民族の一度取つた態度は、其の必要が消滅しても容易に之を改め難いものだ、と云ふ事をよく納得して貰ひたいからである。
 巴威が何故に分離的傾向を執つたかの歴史的説明や、今日之を執るの必要は果して消滅したか否かの判断も、他日の考究に譲る。兎に角明白疑なき一事は、普露西の下風に立つを肯とせずして一度分離的傾向を取つた巴威は、やがて乗ずべき間隙ある限り中央政府に楯つくことを伝統的政策とするに至り、而して此の政策は遂に当初の必要乃至理由とは独立して特殊の地位を政界に占め、以て今日に至つた事である。独り巴威に限らず、政界に於ける所謂伝統的政策なるものには斯うした種類のものは何処の国にも可なりに多い。


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 眼を転じて各列強の所謂伝統的政策を見よ。米のモンロー主義は如何。英の自由貿易主義は如何。孰れか夫れ若干の程度に於て所謂告朔(こくさく)の羊(きよう)たらざるものがあるか。而して此種のもの、能く考へて見ると、我国に於て亦頗る多いやうだ。
 否、之ればかりではない。我国の政界につき各政治団体の所謂伝統的政策なるものを観ると、更に質の悪いのが尠くないのに驚く。告朔の羊でも、其の起源に於て何等かの合理的根拠あるものはまだ恕すべしだが、始めから醜悪な少くとも公正ならざる動機に基くものあるに至ては沙汰の限りである。例へば夫(か)の政友会の普選反対の党議の如き、憲政会が一時固執して譲らなかつた独立生計論の如き是である。
 何れにしても、政界に在ては、善意にしろ悪意にしろ、一旦言ひ出した事は容易に改めにくいもののやうだ。吾々は先づ此明白なる事実を看過してはいけない。其処からして政界には、普通の人間交際に於けるとは違つた一つの特別原則の行はるゝ必要が生ずる。何ぞや。曰く、主観的真理の強説よりも客観的真理の尊重を第一とせよと。云ふ言葉は固より生硬の議を免れぬが、伝へんとするこゝろは簡単だ。即ち次の通りである。


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 普通の人間の交際に於ては、自説の謬なるを覚れば何時でも之を悛(あらた)めて他の新しい立場に遷ることが出来る(夫れでも世間には飽くまで横車を押さんとする頑拗の人も多いが)。其間に本質的の障害といふものはない筈だ。所が政治上の問題になるとさうは往かぬ。一人の意思で左右し得ないといふ心理的理由の外に、一つの立場から他の立場に移るといふは、前の立場に基いて固定した外界の事情を破壊せずには出来ぬといふ社会的理由もあつて、一度宣明された立場は、之が宣明を促した内面的理由と離れてやがて独立の支持を受くる政治的運命に置かるゝものだ。故に之を個人の生活に対比して云ふなら、正確な言ひ方ではないが、政治上の意見といふものは過を識つても容易に悛め難いものだと謂つても可い。其処から自ら斯ういふ原則が生れざるを得ぬ。曰く、政界に於て所信を貫くといふは必しも推奨すべき事ではないと。
 尤も斯く云ふは、政治家は水上の浮草の様に風のまに/\動揺していゝと謂ふ意味ではない。政治家たる個人の道徳意識として又その責任念として、彼は飽くまで所信に忠実でなければならぬ。所信の貫徹に極度の勇気を伴はしめなければならぬは言ふまでもないことだ。此点に僕は一点の異議もない。只一の制度として、特定の政治家階級に供するに、所信貫徹の無条件的便宜を以てする様な仕組みは、政治的目的の達成の上に決して喜ぶべきではないと云ふのである。
 政治家はドン/\確信を断行していゝ。けれども前述の如く政治家の所信には謬りに陥り易い素因がある。そこで或る一方の意見に其実行の便宜を極度に提供するは大なる危険だといふ事になる。客観的の制度としては、一つの意見に対する反対的立場をも極度に跳梁せしめて其牽制作用を最も自由ならしむべきであらう。斯く各種の立場を自由に競争せしむることが、実に結局に於て本当の正しい意見を行はれしむる所以になる。故に客観的の制度としては、正しい意見を行はれしむるのが良いのではなくして最も正しかるべき意見が結局に於て行はれる様に仕組まるゝのが良いのである。主観的真理の強説よりも客観的真理の尊重と云つたは、つまり此の意味を現さんが為に使つたのである。而して此の意味に於て専制政治―所謂善政主義といふ形に於けるものでも―の排斥せられざる可らざるは亦明白であらう。


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 個人の道徳生活に於ても、一方には飽くまで所信に忠実なれとの保守的要求あると共に、他方には戦々兢々自ら反省し又他の批判に聴き常にヨリ正しからんと努めよとの進歩的要求があるが如く、政界に於ても、所信に猪突すべしとする対政治家の要求あると共に、各種の意見に生存競争を恣にせしむべしとする制度上の要求がある。而してこの制度上の要求が円満に行はるゝ為には、吾人は実際政治家に対して一方所信に忠実なると共に他方反対意見にも相当の敬意と雅量とを示すべきを求めなければならない。然らざれば各種意見の生存競争が公明正大に行はれないからである。
 斯んな理窟は僕の詳々しく説くまでもなく疾うの昔に分つて居る筈だ。然るにも拘らず今更之を智説する所以は、昨今社会の一部に一種の専制思想が装を変へて盛に頭を擡(もた)げ掛けて居るからである。政治上の専制思想はとうの昔に摧(くじ)かれた。之を摧くべしとする主たる理由は、蓋し固定した定型的意見の社会に強行せらるゝを避けたいからである。思想の進歩を信ずる者は、強い確信の裏に謙虚なる反省に敏(さと)くなければならぬ。而して這の謙抑の徳を欠き、反対意見に些(いささか)の雅量なく、従て真理に対する本当の情熱を示さゞるもの、特に世の為人の為に献身奉仕すると称する者の間に頗る多いのはどう云ふ訳だらう。正義が正義の名によつて傷はるゝは誠に痛ましき限りである。

                    『中央公論』一九二二年九月