小選挙区制の利害


 今度の選挙に関聯して小選挙区制の非を説くものがある。在野党殊に憲政会などには、それ見た事かと本制の弊害が已に早や証拠立てられて居るやうに云ふものもある。結論に到達するにはまだ早いが言論戦の萎靡振はない事、所謂人才の勝利の見込が遥かに少くなつた事、買収請托が前よりも一層濃厚になつた事などの事実は疑ないやうだ。併し之は一つには選挙権が今尚著しく制限されて居るが為め、又一つには現行法の選挙区の分け方が政友会の都合のいゝやうに変なものになつて居る結果であつて、小選挙区制其物は固有する弊害ではないと思ふ。一体選挙の本来の精神から云へば選挙民と候補者との人格的信頼の関係が極めて親密なる事が望ましい。此点に於て輸入候補の如きは特別な例外を除いては決て好ましいものではない。選挙民が此人をこそ是非共出したいと熱望し、其熱望が選挙の結果に具体的にあらはれてこそ選挙の趣意が通る。此点から云つて一区一人の所謂小選挙区制が最も理想的なものである。大選挙区でなければ大人物が出て来ないなどゝ云ふのは飛んでもない愚論で、選挙民と代議士との関係を真実の人格的のものたらしむるには小選挙区に限るのである。外国では他に特殊の理由があつて比例代表主義を採らねばならぬ所から大選挙区制を採つて居る所もあるけれども、同じ特殊の必要を有つてゐない我国では、必ずしも西洋昨今の例に拠るの必要はない。比例代表主義が選挙法上の一般的新傾向であると盲信して居るものもあるが、之は断じて誤りである。要するに今度の選挙戦に於て多少思はしくない現象を見るからと云つて、直ちに小選挙区制の弊害を断定してはいけない。寧ろ之によつて益々普通選挙実行の急務を悟るべきである。予輩の狭い経験によつても某区に若い者が寄り合つて今度は何某を挙げようと相当の人に白羽の箭を立てた。彼等は人物本位で誠実な人選をしたのに、後で聴いて見ると目星を附けられた本人は全然何等の具体的の交渉を受けなかつたと云ふ。之れ何人を挙ぐべきかの具体的の決定は区会議員とか町村会議員とか云つたやうな所謂中流階級の有志者の掌裡に在り、而して此等の連中は従来の関係から、夫れ/"\の党派と深い因縁を有つて居るし、彼等自身亦此等の党派と従来遣り来りの条件で、従来遣り来りの運動をすることによつてのみ目的を達し得るものと考へて居る。故に人物本位など、云ふ事は全然念頭に無い。だから表面に立てらるゝ候補者は何時も同じ顔の政治屋の外に出でない。此等の連中の掌裡より候補者選定の実権を奪ふでなければ我等の理想するやうな政戦は容易に見られない。而して此事をあらしむる為めには普通選挙の実行によつて、今まで政治屋から汚されなかつた純良無垢の人に発言権を有せしむるの外にないではないか。

                        〔『中央公論』一九二〇年五月〕