枢密院に対する期待と希望

 枢密院議長に穂積陳重男を持て来たことは馬鹿に評判がいゝ。是れ穂積男の人格と経歴とに十分の信頼の置ける為と又学界の長老として政派的臭味なき為とに因ること勿論であるが、単に之ばかりではあるまい。世間はモ少し同男に期待する所がないだらうか。
 世間が異口同音に穂積男を歓迎する所以は、一には確に前任者故浜尾子爵の議長振りの記憶にあると思ふ。故浜尾子が議長となつた時は、子が政界の長老ならざる点に於て又顧問官としての経歴が比較的長からざりし点に於て、いさゝか貫禄の足らざるかに観られた。然るに実際の議長振りは海千山千の幾多の先輩を前にしてどん/\所信に邁往し成績頗る敬服すべきものがあつた。浜尾議長以前の枢密院は時として過当の拘束を政府に加へ甚しきは群小政客の暗中飛躍に動されて政変の到来を策せしことさへあると云はれて居る。夫れかあらぬか枢府改革を叫ぶものも実は決して尠くなかつた。此時に当り浜尾子の如き恪勤(かくごん)忠誠の君子を議長に迎へたのは、誠に枢府の不評を雪(そそ)ぎ又政界全般の平安を資(たす)くるものであつた。而して世人は是れ実に浜尾子が学界の出身なるが為となせしも、必しもさうでない。寧ろ子の小策に動されざる鈍重と其の所信に邁往する勇気とに帰すべきであるまいか。学界の出身なることも、政界の情偽に超越し冷静公平理義に終始するの一因となすべきも、世人が浜尾子の後に穂積男を迎へて大によろこぶ所以のものは、寧ろ男も亦子の如く愚直と云はるゝまでに所信を執(とつ)て屈せず部内の統轄に於て其の宜しきを失はざるべきを期待するからであるまいか。吾人は切に穂積男の健在を祈るものである。
 世間にはまた穂積男の人と為り謙抑温厚なるに観て、男の起用は枢府権限の事実上の縮少を意味すと説くものがある。穂積男に無用の波瀾を政界に捲き起すの妄勇なきは断じて信ずるを得んも、特に政府の主張に対して弱かるべきを想像するは誤りであらう。吾人は穂積男の起用に於て毫も枢府権限の事実上の縮少を推定すべき理由を知らぬ。一体枢密院に限らず凡そ憲法上の機関は許されたる範囲に於てそれが十二分に権限を行使するのが制度本来の要求である。特に枢密院の場合に於て之を改むるの必要を見ない。斯く云ふと吾人を以て最近頻りに唱導さる、枢密院改革論に目を掩ふものなるかに観る人もあらんが、最近の改革論は実は枢府の過当なる権限行使に激せられて起つたもので、若し最高諮詢機関たるの使命を忘れず其の地位を利用して政界の波瀾を誘起する様のことがなかつたら恐らく改革論などは叫ばれなかつたらうと思ふ。改革論とはいふも洗錬すれば枢府と内閣との間に一新例を作れといふ問題にはなる、権限を縮少せよといふ問題にはならぬ。巡査は職権を濫用して無暗に人の頭を擲(なぐ)つてはいけない。けれども二三度この過誤を犯したからとて其職務執行上に制限を加へられても困る。濫用さへしなければ十分に職務に勉強して貰ひたいのである。枢密院に就ても同様だ。政府の秕政を糺すに於ては従来にもまして強くあつて欲しい。同時にまた枢府を政治的陰謀の具たらしめんとする運動に対しても思ひ切て強くあつて欲しい。吾人は茲に世上流布の俗説を排し、心ある者が決して枢府権限の縮少を念とするに非ず、其の濫用を憎むものなるを一言して置く。
 議長問題には関係ないが、吾人が平素枢密院に就て慊らず思ふ点が一つある。そは枢密院は君主の最高顧問府たること固より云ふまでもないが、君主の諮詢に奉答すべき最高学徳の団体としては、同時にまた国民のものでなければならぬことである。国民のものといふ意味は、国民のあらゆる方面より顧問官を奏薦すべく、之を一局部に取る可らざることである。固より任免は大権の行動である、けれども何人を奏薦するかは別に任に其人がある。吾人はその奏薦の任に当る人の猛省を乞はんとするのである。従来は顧問官は官吏に限り而も親任官たりしものに限られたのであつた。官吏と云つても大臣か大公使を勤めたものに限る有様であつた。最近貴族院から抜擢せらるゝ例あるも概(おおむ)ね皆前大臣といふ連中である。尤もこの数年政党内閣が屡出現した所から、大臣たりし人でも政党員は無論然らざるも政党と密接の関係ある人は其の選に入らぬことになつて居る。其の結果一方には学者間より公平無私の君子の挙げらるゝあると同時に、他方には思ひ切て政党と深く結び得ぬ中腰政治家の其地位を僥倖(ぎょうこう)する者もある。が、孰れにしても選択の範囲は官吏たりしもの以外に及ばない。曾て武富時敏氏が問題となつた時も、官歴がないといふが唯一の理由で議題にすら上らなかつたとやら。真偽は兎も角として、枢密院が真に君主の最高顧問府として国民中の最良の学徳を網羅すべきものならば、差当り法政の見識に富む者の中にも例へば渋沢子爵の如きがあり三宅雪嶺翁の如きがあるではないか。其外方面を異にして遺賢はなほ少らずあらう。必しも公選などとは云はぬ。モ少し選択の範囲を拡めないでは遂に其存在の理由を維持することすらがむづかしくならうと思ふのである。

                       〔『中央公論』一九二五年十一月「巻頭言」〕