蘇峰先生の『大正の青年と帝国の前途』を読む  


 所謂文壇に復活したる蘇峰先生は『時務一家言』に引続いて『世界の変局』及び『大正政局史論』を出し、更に去年の夏より筆硯を新たにして『大正の青年と帝国の前途』なる一篇を公にした。始め新聞に掲載されて居つた節には、どれ丈け世間の耳目を若いたか知らないが、十一月の初め一部の纏まつた著書として公にさるゝや、非常の評判を以て全国の読書界に迎へられ、瞬く間に数十万部を売り尽したと『国民新聞』は云つて居る。蘇峰先生の盛名と『国民新開』の広告とを以て、驚くべき多数の読者を得たといふ事は固より怪しむに足らぬけれども、而かも旬日ならずして売行万を数ふるといふのは、兎にも角にも近来稀なるレコードである。是れ丈け沢山の人に読まれたといふ事、其事自身が既に吾人をして之を問題たらしめる値打がある。況んや蘇峰先生の名は反動思想の些か頭を擡げんとしつゝある今日に於て又少からず社会の注目を惹くべきに於てをや。
 斯くの如くして予も亦直ちに一本を求めて、閑を偸んで之を熟読せんとした。恰もよし『中央公論』社に於ても亦本事件を以て最近の思想界に於ける重大問題となし、本書を詳評せんとするの挙あるを聞き、乃ち敢て自ら其任に当るべきを求めたのであつた。然し此約束をした時にはまだ緒言を読んだ位で内容の調査にはかゝつてゐなかつた。而して緒言に於て述ぶる所の堂々たる宣言は、著者自ら本書を以て一生の大傑作否な大正年間に於ける不朽の名著と自認するの抱負ありありと見ゆるが故に、予も亦就いて学ぶべきもの頗る多かるべきを期待してをつた。而していよ/\閑を得て内容を読み進むに従つて、予は自ら予期の如き共鳴を感ぜず、予期の如き興味をすら感ぜざるに驚いた。固より必ずしも学ぶ所少しといふのではない。著者一流の名文には何時もながら敬服する許りである。内容にそれ程に興味を感ぜざる我輩をして、兎も角も一気読了、半ばにして巻を措かしめなかつたのは、第一には著者の文章の力である。議論の筋にも大体に於て同感である。殊に其今日の青年の遠大の志望なく、意気の振はざるを慨するの誠意に向つては、全然同感の意を表せざるを得ない。けれども全体を読んでどれ丈けの共鳴を感じたかを省る時に、予は不幸にして『国民新聞』の広告が期待して居るが如き感動を与へられない事を自白せざるを得ない。本書を読んで得たる予の感情を卒直に云ふ事を許すならば、面白いには面白いが、反対する程の事もなし、賛成する程の事もなし、殆んど我々の現在の思想には関係のない、丸で違つた社会の産物に接するが如き感がある。よかれあしかれ、折角批評しようとしても興が湧かないので、自ら読者に背いて当初の約束を撤回するの外はない。
 尤も此書を明治の初年より大正の初めに至る青年の思想の変遷史として見れば非常に面白い。第二章以下第八章に至る約四百頁、即ち本書の三分の二は、此史的記述に捧げられたものであつて、中に固より著者の考も多く説かれてあるけれども、大体に於て事実の記述である。第九章の英・独・米・露の説明も亦有益なる記述である。第一章と第十章とは相照応するもので、大正時代の記述であるが、著者の大正の青年に関する観察も大正時代に関する観察も大体に於て我々に教ゆる所少くない。斯う云つて見れば全部悉く我々の読んで益を得るもの多い訳であるが、然し著者の期するが如き、今日の青年を啓導して新日本の真個忠良なる臣民たらしむるの経典たるを得るや否やは大に疑なきを得ない。何故かの説明は予輩にも十分に分らない。唯何となく斯く感ずる。何故かく感ずるかを実はいろいろ自分で考へて見た。十分なる答案はまだ得てゐないが、事によつたら老年の人に多く見る、所謂現代の社会並びに現代の青年に関する適当なる理解の欠如といふ事が其主なる原因をなして居るのではあるまいか。
 蘇峰先生に限つた事ではない、明治以前の教育に育つた多くの尊敬すべき我々の先輩は、動もすれば今日の青年に忠君愛国の念が薄らぎつゝあると云ふ。又国家について遠大なる志望が欠けて居ると云ふ。又は国家の強盛に直接の関係ある問題 ― 例へば軍備問題の如き ― に興味を感ずる事極めて薄いと云ふ。之は如何にも其通りで、此等の批難は今日の多数の青年に当嵌る。故に我々は今日の青年に忠君愛国の念を鼓吹し、其志望を遠大ならしむべきを勧め、殊に軍備上の義務の如きは之を光栄ある義務として尊重し、且つ進んで之に当らしめんとする先輩の苦衷を諒とする。此等の点を盛んに鼓吹し主張し論明するのは、今日の青年を啓導する一つの手段には相違ない。然しながら問題は然う云ふ事を説いて果して啓導の目的が達せらるゝか否かといふにある。少くとも弥次馬が運動会でチャンピオンを後援するが如く、無責任にヤレ/\と騒ぐといふ事が適当な方法かどうか。少くとも最良の方法かどうかと云ふ事は問題である。今日の時代は明治初年の時代ではない。況んや明治以前の時代では断じてない。遠大の志望を持ての、国家的理想を体認して志を立てろのと抽象的の議論を吹かけてそれで青年が振ひ起つた時代もあれば、そんな事を聞いて之を鼻であしらう時代もある。斯う云ふ重大な問題を鼻であしらふのが即ち今日の青年の堕落であるといへばそれ迄であるけれども、兎に角時代の相違は之を認めなければならない。此時代の相違を認識することなくして、昔流の嗾しかけ方針では今日の青年は恐らく断じて動くまい。
 今日の警察の規則では道路に放尿すべからずと戒めて居る。而して此広い東京の市中に便所らしい辻便所は殆んどないといつてもよい。而かも日進月歩の教育は、吾人に教ゆるに極端に我慢をすると膀胱が破裂する危険があることを以てする。而して先輩は偶々此警察禁令を犯すものあるを見て、今日の青年には忍耐力がない、我々の若い時は三日も四日も小便を堪へたやうな事を云ふ。彼等の青年時代には路傍の放尿は法の禁ずる所ではなかつた。今日衛生上の考から之を以て法禁とする以上、彼等先輩は先づ沢山の辻便所を作る事に骨を折らねばならない。時代の変遷に応ずる各般の施設を怠つて昔通りの激励鞭撻を加ふるのみでは、更に最新の教育によつて自我の意識の段々に発達して居る今日の青年は承知しない。先輩諸君の常に敬服して居る独逸などでは二三丁置きに、中で弁当を開いて喰べてもよい程の立派の辻便所を拵へ、而かも尚特に夜間に限り、車道に向つて放尿するものは之を大目に見るといふ習慣がある。之れ丈けの念の入つた手続を尽した上で、初めて放尿の禁を説くべきである。斯くても其禁を犯すものあれば、其自制力の乏しきを罵るべきである。我国に果して之れ丈けの設備があるか。設備なくして法の励行の苛察に亙るの甚だしきは、夜場末の暗がりで止むを得ず放尿しても厳しく法に問はるゝもの少からざるを見ても分る。
 遠大の志望を抱けとか、国家的奉公の念を熾んにせよとかいふ議論の一面は、兎も角も国民に向つて多大の犠牲を要求するの声である。今日の教育は殊に実用的科学を重んじて、先輩初め宗教道徳を蔑視する。今日の教育は、当さに其子弟をして個人的ならしめざるを得ざるが故に、先輩の要求と彼等青年に与ふる教育とは確かに其効果に於て一致しない。教育の結果東の方に奔らしめて置きながら、西の方に行かないのが悪いと力瘡を入れて説いても、それがどれ丈けの薬になるか、且又社会の制度の立て方によつては、人々をして甘んじて犠牲を払はしめ得る場合と、容易に犠牲を払はしめ得ざる場合とある。此二つの場合の分る、最も主要なるものは国民銘々の生活の保障の有無であらう。例へば明治以前の封建時代に於ては、家に定れる封禄あり、自分一身を犠牲に供する事は概して妻子眷属の生活の道を絶つ所以にあらざるのみならず、場合によつては家門の誉、子孫繁栄の基となることもある。固より此考を意識して国家の為めに命を捨てるといふのではない。時代の背景が自ら当時の役者をして、一死を鴻毛の軽きに比せしめ得たのである。斯う云ふ時代には遠大の志望を持ての、国家の為めに奉公しろのと云へば、国民が直ぐ其声に感応して何等之を妨ぐる個人的社会的の煩累を感じない。我国の忠君愛国の念の強かつたのは単に之のみによるのではないけれども、確かに数百年来封建的太平の時代を経過したといふ事が時勢の一変した今日まで其余徳を流して、我々に犠牲奉公の念を伝へて居るのである。然しながら今日は時代が全く一変して居る。見よ我々に何の生活上の保障があるか。今日の時代は貧富の懸隔を甚しからしめて、中等階級の立脚地を段々に攪乱して居る。大多数の人は一定の家産をすら持つて居ない。妻子眷属の生活は繋つて家長一人の生命にある。それも昔のやうに数十百年来住み馴れた故郷に定住して居るのなら親族故旧の厄介になるといふ見込もあるけれども、北海道のものが九州のものを娶つて満洲で奉職をして居るといふやうな今日の時代では、親族といふも名ばかりで何等精神的の親みがないから、亭主が死んだからとて、妻君が其子供を引連れて亭主の親族故旧に頼りやうがない。斯う云ふ時代には如何に犠牲奉公の徳を高唱しても、顧みて妻子眷属の窮を思ふ時に、果して其決心が鈍る所なきを得やうか。否な今日の世の中は妻子眷属は扨ておき、自分一人の生活にすら追はれて居るものが多い。斯くて今日の青年が生命も惜しい、金も欲しいと云ふのを、無理と見る事が出来やうか。勿論時勢が時勢だから放任して可いと云ふのではない。一方に於て犠牲奉公の精神の我々の国家的生活の発展に欠くべからざる所以を力説すると共に、他方時代の変に応ずる独特の施設を講ずるの必要があらう。之れ西洋の先進国に社会政策的施設の最も盛んなる所以である。而して我国の先輩は或は国家的設備の形式的整頓完成に誇るものはあらう。然しながら社会政策的施設によつて国民の生活を幸福にならしめた点に誇り得るものは果して幾人あるか。滔々たる政治家皆之れ便所を造らずして西洋の真似をして放尿すべからずと云ふ衛生警察の規則を拵へたもの許りではないか。さればと言つて予輩は憂国の先輩が、今日の青年の志気の頽廃を慨嘆するのを不快に思ふといふのではない。只今日の青年は之れでは動かない。中には或点まで事実の真相を徹底的に見て居る者もあるから、もつと立入つた説明でなければ満足しないものもある。故に従来の先輩の慷慨諭は同じ時代の教育を受けた老人達や、又は新らしい教育の風に触るゝことの少き地方農家の若い衆には、多少の同感を得るかも知れないけれども、国家の最も有力なる多少の見識を有する青年には何等の反応を見ないのである。地方の青年でも此頃は段々に開けて居つて、よし彼等に独立の批評眠がないにしても彼等の境遇 ― 時代の圧迫に苦んで居る ― は自ら彼等をして物を正視するの傾向を持たしめねば已まない。一応先輩の説に感憤しても後から誰かが行つて事物の真に徹する説明をすれば、彼等の頭は直ぐ変化するに極つて居る。之れ我々が時々地方に遊説して著しく感ずるところの現象である。
 先輩の所説が只現代青年の警告鞭撻に止つて居る間はまだいゝ。然しながら彼等は原因を究めずして青年の思想を変転するに焦るの余り、彼等の思想の宣伝に不便なる総てのものを排斥せんとするに至つては、却つて青年の反抗を挑発して意外の結果を生ずるに至るやうである。例へば今日の青年の志気の振はざるは、西洋思想若くは西洋文学の結果なりとして、はては西洋の文物に眼を蔽はんことを要求するが如き態度に出づる。西洋の文学の中には余りに個人的な、余りに非国家的な分子もあらう。然し適当に之れを理解して居るものから見れば、此等は恐らく大して青年を誤る種にはならぬだらう。若し斯くの如き文学の流行するが故に青年の志気頽廃するといふならば、火元の西洋では夙うの昔に亡国となつて居なければならぬ筈だ。青年の志気頽廃の原因は必ずや外にある。其本当の源を正さゞるが故に、此等の文学が特に青年を累するのであらう。若し源をさへ正せば思想の上に多少危険なものでも尚又文学として之を鑑賞するに何んの妨を見ないのである。然るに肝腎の源を抛擲して罪を文学に帰するが故に、文学の士などは却つて余計に反抗して益々非国家的態度に出づるの現象を呈する。又も一つ押し詰めて云へば、今日の青年は成程先輩の眠から見れば犠牲的奉公の念が薄らいで居るかも知れない。少くとも彼等と同じやうな意味、同じやうな形式に於て忠君愛国を唱へないかも知れない。然しながら真に国家社会の文運の進歩の為めに尽して居る努力其物の総量は、果して先輩諸公の青年たりし時に比して遜色あるか何うか。先輩諸公の青年たりし時が独り志気旺盛にして、今日の青年が全然言ふに足らざる頽廃の淵に沈んで居るものであるなら、日本が今の如き地位を維持して居らるゝ筈がない。我々は固より現状に満足するものではない。西洋諸国の進歩発展の莫大なるに比較し、我国の前途は尚容易に楽観すべからざるものあるを思ふけれども、又明治年間の発達の跡を見て、少くとも抽象的に現代の青年に失望悲観しない。時代の変に応じて各種の改良施設を社会的背景に加へ、其上に現代の青年を活動せしむるならば、必ずや先輩諸公の憂ふるところは大いに減ずるだらうと思ふ。現代の青年を鞭撻警告するは固より必要である。けれどもそれよりも必要なるは現代青年の活動を妨ぐる総ての社会的原因を除くことである。而して之れ実に先輩諸公の責任である。而して先輩は常に青年を責むるに酷にして、自家の保守的思想の満足の為めに社会的改革の断行を欲しない。少くとも之れを第二次に置くが故に、折角の親切な先輩の忠告にも、青年は動もすれば反感を感ずる。例へば学制問題に見よ。猫も杓子も帝国大学の門に集つて高等遊民が出て困ると言ふ。然しながら社会の制度並びに慣行は帝大出身者に多大の特権を与へ、私学を圧追して殆んど之れに帝大と同等の機会を与へず、帝大出身者にあらざれば青年の志を満足する地位にありつけないやうにして居るではないか。更に之を軍制に見よ。兵隊の義務は国民として苟も光栄ある義務なりと称へながら、上流社会は公然兵役を免れ(上流社会が兵役を免れ得るやうに制度が出来て居る)偶々止むを得ずして兵役につけらるれば為めに著しく学業が妨げられ、甚しければ職ある者も之を失ふといふことになつて居る。此等は先輩が二三決心をすれば一挙にして除去し得る事柄である。之を除去し各般の社会的制度慣行が、青年の活動を少くとも之に伴ふやうにすれば、初めて以て青年に犠牲奉公を説くことが出来るのである。今日の青年は今や正に時代の変と社会の欠陥を意識し、之を先輩に訴へ、或は自ら之が為めに努力し以て青年全体の活動を滑かならしめんと志しつゝある。斯くせざれば国家の前途亦甚だ危いと憂ひて居る。徒らに青年の志気の頽廃を説くの説に対しては、時代を解せざる老翁の繰言の如く、其誠意を諒として密かに其老を笑ふといふやうな風になつて居る。現代の青年は蘇峰先生の警告に接し或は此風の説明に多少の不足を感ずるのではあるまいか。

                              〔『中央公論』一九一七年一月〕