新設さるべき思想課の使命

 

 新聞の伝ふる所に依れば、司法省では来年度に於て思想課なるものを新設し、専ら次の三項目を取扱はしむべしとのことである。
 一、共産主義思想の取締に関する件
 二、無政府主義思想の取締に関する件
 三、階級思想から発したる一部の社会運動に関する取締に関する件
 新に思想課を設くるに至つたのは、従来の儘では十分適切なる取締を為し得ないと認めたからであらう。思想課の新設必ずしもわるくはない。が、併し従来「十分適切なるを得ざりし」とせらるる「取締」の意味の取りやう如何に依つては、その利害得失、俄に断じ得ざるものあるが如くにも思はれる。而して「従来の儘では十分適切なる取締を為し得ない」と云ふことの意味に付ては、次の二様の解釈があり得る、又現に這(こ)の二種の見解が存するとも云ひ得る。
 (一) 取締るべき思想行動が沢山あるのだけれども、普通裁判所ではなか/\手が届かない、従つて許す可からざる多くのものを不問に附するといふことも往々ある。取締を一層適切ならしむる為には之を専門の任務とする特別の一部局を新設するの必要があるとする考。
 (二) 真に取締るを要する思想行動の何たるやに就き、普通の裁判官には之を正しく判断すべき十分の素養がない、従て往々外形の類似にあやまられて、取締る可らざるものまでを取締ることもある。取締を一層適切ならしむる為には、特に近代の思想問題に精通する者を挙げ、此種の取締は一切その尊属的任務とするの必要があるとする考。
 更に別の言葉を以て云へば、前者は思想問題に関する従来有来りの俗説を金科玉条とし、之を楯として社会の実状に臨み、その論理的結論をビシ/\励行せんとするもので、又之を謬つた一種の規範に随て無理に社会の自然的実状を矯め直さんとするものと謂てもいゝ。之に反して後者は、取締の基本となる見解そのものに批判を加へ、その謬を正し、少くとも其態度に於ては、正当なる論拠に基いて玉石を分ち、社会をその当然の途に指導せんとするものである。此二つの考の何れを執るかで其結論は丸で違ふ。吾々は先づ此事を念頭におく必要がある。
 斯くいへば、新設さるべき思想課の本来の使命の何であるべきやは、多言を待たずして明であらう。

  
      *

 私共が始めて法律を学んだ頃の経験を回想すると、当時は所謂分析法律学全盛の時代とて、一にも二にも成文の法規が金科玉条であり、この法規の趣旨を演繹しその論理的結論を求むることが、最も主要な仕事とされて居たようである。それが社会の実状や生活の便宜に合するか否かは固より問ふ所ではない。否、法律学の結論に合する様に無理に社会を導き、又無理に生活を律するのが、道徳的だとさへ考へられたのであつたと思ふ。加之、時として我々は云々の条文の当然の帰結が、我々の常識の到底想像だもなし得ぬ様の奇怪な議論に落ちつくを発見すると、其条文の不当を鳴らすよりも、寧ろ一大新発見をなしたかの如く却て得意に之を吹聴するといふ風であつた。従て又時には、論理を悪用して強て偏奇な結論を出し、以て世間を驚かすを喜ぶといふ人もあつた。而して之等の人々に対して我々は、丁度明治の初年我々の祖先が幼稚な理化学の実験に驚嘆の目を見張つたと同じ様な態度で、之を喜び迎へたものであつた。要するに此時代は、与へられたる条文をば犯す可からざる不動の典拠と妄信し、その結論として命ぜらるゝ所には一も二もなく従ふべきものと一般に考へてゐたのであつた。
 然るに近頃は如何。既成の法条に対しては与へられたる社会的規則として固より之に服従はする。併し之が真に我々の生活を正当に指導する善良適切なる規則なりやは別問題だと考ふる様になつて来た。我々は先づその根拠に就て自由の批判を加へる。之に依て根本の見解が定まると、其根本の見解に合する限りに於て、それぞれの法条に我々は始めて心服するといふことになる。心服を捧げ得ないものに付ては、則ち改善の要求をする。少くとも法文の解釈上這般(しやはん)の正しい見解は須(すべか)らく大に参酌せらるべさことを要求する。所謂自由法学の主張の如き一つにはこゝからも起る。孰れにしても今日に在ては、我々の生活が基本で、法文の如きは之に適合するものでなければならぬとされて居る。故に法文をひねくり、之から意外な結論を導き出すことに依て頭の冴えを誇示した昔流の秀才は、今日となつては最早、井底の蛙同様、偏狭固陋な学界のひねくれ者とされてしまふの外はない。
 今日の法律学は最早形式論理の遊戯ではない。人生に関する広き理解と厚き同情とを背景とする思想的活動の一部門だ。而して今日の法学教育が法律学に関する這般の見解と正に相応ずるものなりやは、亦大なる疑問である。


       *
  
 以上は単に一つの例に過ぎない。只之に依て現代の法律運用が如何の用意を以て為さるべきものかの一端を示し得れば足りる。而して這般の用意が、ことに思想問題に関する場合に於て、最も深く顧慮せられねばならぬことは、言ふまでもあるまい。
 これ丈のことを述べて、さて今度の思想課新設の問題を考へて見る。この思想課は一体如何なる使命を有つべきものであるか。形式的にいへば、従来の取締の欠陥に応ずるものでなくてはならぬといへる。然らば従来の欠陥は何かといふ段になつて、前述の二種の異つた見解が現れて来る。最近この種の問題が頻々として起るの実状に鑑み、一層厳しく之を取締るの必要あるは、私も之を認める。併し単に罪を犯して刑を免るる者なからしめんとの目的だけなら、実は今の儘でも沢山である。特別専門の部局を設くるまでもなく、現在の機関を振粛すればいい。現に相当洩れなく検挙拘置に努めても居るではないか。そこで新に思想課の新設を見る必要ありとせば、そはどうしても、問題となつた出来事の根本動機に遡り、基礎的思想の正邪を判ぜしめ、以て時代に適応する新活動を期するものと解せなければなるまい。換言すれば、思想課の新設は、斯う云ふ目的を有するものとしてのみ、始めてその存在の理由を有するものである。
 私は元来斯う云ふ考を有つて居る、一つは現今司法官の教養の概して極めて偏狭なるの事実と、又一つには昨今の世相の変遷窮りなく、而も其の由て来る所一朝一夕の事に非るの道理とに鑑み、所謂思想問題に関する判断は、特別専門家の鑑定を要する事柄だと。犯人の精神に異状ありと見れば、其の鑑定を専門の医者に頼む。理化学上の技術に関する事項の如きに至ては、常に一々専門家を煩して居る。然るに独り思想問題について、裁判官が自ら正邪を判別する能力を有すと考ふるのは、実は大なる錯覚であり又甚しき僭越であるまいか。尤も私はすべての裁判官にこの能力なしと云ふのではない。概して之を欠くは事実疑ひなく、又一般の道理から云ても、之が無いのが当然なのである。そこで私は従来屡々色々な機会に於て、思想問題の裁定に当ては、須らく専門家の鑑定に待つべしとの説を主張して来たのであつた。


       *


 裁判所が従来思想問題をも平気でどん/\片付けたに就ては、また由て来る所もあると思ふ。即ち彼等は従来法律学をば形式論理的遊戯として教へられて来たからである。物の判断は与へられた定義に合するか否かの外に出でないとする。共産主義といへば皆わるいときめてかゝる。無政府主義といへば一も二もなく怪しからぬとして一向差支ない。専門家の鑑定も何も入らぬのである。拠る所は昭々乎として法条に明だ。併し乍ら今や時勢は段々進んで来た。共産主義といふ中にも色々ある。無政府主義といつても下は昔露西亜にあつた虚無党から、上は所謂尭舜の治まで、其種類一にして足らぬ。例へばかの「階級思想に発源する社会運動」といふても、その内に盛らるべき内容に至ては千種万様である。而して之等を判別することは、近世の歴史に通じ、哲学宗教に関する深遠の思潮を解し、且相当に現実の社会生活上の体験を積む者でなければ、能くし得ぬ所、而して是豈(あに)よく現時の裁判官に期し得る所であらうか。私が多年此点に関し専門家の鑑定を必要なりと主張するは、実は之が為である。


     *

 そこで本問題にかへる。新設さるべき思想課は、何を措いても、この「専門家の鑑定を必要とする要求」に応ずるものでなくてはならぬ。この以外にこの新設を是認すべき理由は見出せないのである。私は従来専門家を外部に採るべきを主張したのだけれども、之を内部に養成する方が制度の上では都合がいゝのかも知れぬ。只内部に之を作ると、それが動(やや)もすれば内部通行の変な思想の影響を受くることなしとも限らない。故に内部に作る以上は、つとめて此点を警戒する必要があらう。それには(一)初めより思想課新設の意義如何を明確にしておくの必要がある。是れ思想課の「判断の自由」を保障するに欠くべからざる条件であらう。次には(二)思想課に職を執る人々に、一切先入の見に捉(とら)へられず、常に謙虚なる態度を以て思想問題を研究せられんことを望まざるを得ない。どんなに頭のいゝ人でも、ある種の思想関係問題を担当し、俄にその研究を始めたのでは、肝腎の所で大きな穴が出来るものだ。是れは私が此種の判決文などを読んで毎に感ずる所である。思想課専属ときまつた以上は、モ少し余裕のある真研究に従ふことも出来やう。之を期待しつゝ私は特に謙虚なる研究態度を切に彼等に希望するものである。
 要するに、思想問題は今後の日本に重大の関係がある。徒らに取締を苛察にするは却て弊害を滋(しげ)くするにとどまるだらう。此時に当て思想課の新設をきく。やり様に依ては、一層弊害を増すことにもなれば、又その反対に著しく之を少くすることにもならう。私は思想課の新設に対し、今日の社会が一体何を之に要求して居るかを考へ、予めこゝに政府当局並に新に其任に当る人々に一片の苦言を呈しておく。
                           

   『中央公論』一九二六年九月