斯くの如き標準によつて選挙せよ   『中央公論』一九一七年三月


◎予は前回の総選挙の時友人の問に答へて、選挙道徳の三大綱領を説いた事がある。試みに之を挙ぐれば、第一は投票の神聖なる事である。我々の投ずる一票は一見甚だ無力のやうなれども、而かも之は実に国家の運命を動かし、我々六千万同胞の利害禍福を左右する所の深い意味を有するものなれば、我々は此偉大なる力の幾分を分担するものであるといふ高尚なる責任を感じて、極めて謹直敬虔なる態度を以て投票を実行せねばならない。第二は投票は国家の為めにすると云ふ事である。地方的利害などゝいふ事を余り眼中に置いてはならない。地方の利害を計るのなら郡会議会か県会議員で沢山である。国会議員は国全体の利益を計るものであるから、従つて余り地方には通用しなくても、国家全体に通用する優秀なる人物を挙げなければならない。第三は投票は一票にても之を忽諸に附すべからざる事である。我一票が直ちに選挙の結果に影響しないからとて之を棄権するのは甚だしき誤りである。
◎次に如何なる人物を挙ぐべきかと云ふ標準に関して又三大目標があると云ふ事を説いた。第一は候補者選択の標準としては、其人の人格に重きを置くべしと云ふ事である。人によつては人格よりも政治的経綸給並びに其抱負を第一に見よと云ふ人がある。西洋諸国の通例に見るが如く、政治は最も高尚なる仕事なるが故に、最も高尚なる人物が之に当らざるべからずとしてをる国に於ては、下等な人格なものはテンデ候補者として飛び出して来ない。人格の高下は初めから問題とならないのである。けれども我国に於てはさうは行かぬ。従つて政治的経綸の外に其人格を論ずるの必要がある。然らば二者の中何れを第一に重んずるかと云へば、予は政見よりも人格を見よと云ふ。蓋し政見は時によつて異り得る。全然政見を度外視せよとは云はぬが、併しながら変遷極りなき事のあり得る政見に標準を置くより、其渝らざる人格を頼んだ方が間違がない。人格に於て第一着に淘汰した上で、次に来る第二の標準は即ちいふまでもなく其政治的経綸である。同じくは卓抜な政治的経綸を有するもの、若くは自己と政見を等しうするものを挙ぐべきはいふまでもない。第三には以上の二条件に合格したものが二人以上ある場合には、出来る丈け既成大政党に関係ある人を挙げよと云ふ事である。予輩は政党政治を理想とするものであるから、小党の分立は憲政の健全なる発達を阻害するものとして之を避けたいと思ふ。此点よりして同じ事ならば大政党に属する方の人を選挙したいと云ふのである。
◎以上の見解は大体に於て今日と雖も変らない。けれども現下の時局は二年前の時局と大いに其趣を異にする丈け、特に今度の総選挙に対する吾人の選挙意見を求めらる、と云ふ事であれば、又自ら前記の根本意見に対して多少の条件を附加するの必要を見る。此点に於て予輩が特に今日の選挙民に対して述べたい点は、第いちに予輩は現内閣の存続を希望せずといふ根本的立脚地から選挙に対する態度を定めたい。何故なれば現内閣は明白に非政党主義を標榜して起つたものであるからである。従つて予輩は中立を標榜して動もすれば後日御用党となるが如き卑屈なる人物を選挙する事を恥とする。さらでも無色無味の中立議員の多数輩出するは、憲政発達の上に断じて宜しくない。第二に予輩は現内閣の存続を願はないからといふて其当面の敵たる憲政会に無条件に投票せよと云ふのでもない。予は主義として超然内閣の存続に反対なると共に、政党内部の状態にも多大の不満を感ずるものである。政党自身も今や革命を要するの時であらう。而して政党廓清の前提は人物の選択である。斯くして予輩は第二に前に述べたる条件と同じく、再び茲に人格的標準といふ事を説きたい。斯くの如くにして中立の御用候補を処し人格の下劣なるものを排した上に、扨て第三に何を標準としていよ/\清き一票を捧ぐべきかと云ふ時に至つて、予輩は其人の政治的経綸を尋ね、出来る丈け既成大政党に属する人物を挙げたい。

              〔『中央公論』一九一七年三月〕