昨今の世相
選挙法の改正につき政府与党間に略ぼ纏つた成案が出来たらしい。政府案にしても三派案にしても大体のところは同一であつたから、吾々に取つては何れに落ち付いても大差はないのだが、実際問題としては各方面の行掛りだの面目だのといふことがあつて事実上の協定がついたと聞くまでは安心が出来ない。昨今協定成立の報を耳にして実は始めて愈(いよいよ)近き将来に於ける改正の実現を期待し得ることゝなつたのである。
選挙法改正の眼目は三つある。一は権利の拡張である。選挙権のみならず被選挙権まで拡げられたことは至当の処置である。只官吏被選挙権に就ては、之に関する根本の論点が選挙競争ならびに議員兼任が官吏としての職務と両立するや否やに在るを忘れて、或は絶対に之を許さずとか或は当選の上辞職すればいゝではないかとか、ぎこちなき決定を見んとするのは聊か物足らぬ感がする。二は選挙区及之に関連する比例代表採否の問題である。比例代表はもう少し研究して見るといふことになつたらしく、選挙区は所謂中選挙区に改めるといふに略ぼ一致したやうだ。之等は理論上の判断に倚るよりも寧ろ実際上の便否を大に斟酌すべき問題で、従ていろいろの方法を実験して見る必要がある。此意味に於て右の決定は蓋し機宜を得たるものと謂(いっ)てよからう。三は方法に関する諸問題である。期日短縮の要求、之もいゝ。従来のは余り長かつた。官庁側の準備とか民間に於ける候補者の物色決定とかに必要な日数以上に間隔を置くは寧ろ弊害の因を為す。戸別訪問の禁はいゝが保証金は高きに失すると思ふ。選挙費用の最高限の高過ぎることも論はないが其の細目の公表を強制せざるに至ては竜を画いて晴を点ぜざるの嫌がある。要するに之等の条項の目指す所は、選挙競争をして黄金や情実やの跋扈する所たらしめず、一に才徳の活躍する所たらしめんとするに在る。隣りの人が風引いて襟巻をしたからとて自分も熱さを怺(こら)えて襟巻をする必要はない。英国辺でうるはしい効果ををさめた規則に倣ふは結構だが、只之と共に其の根本の趣旨をも併せ取るを忘れざらんことを望まざるを得ない。
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満鉄総裁の機密費が創立以来三十万円であつたのを川村前社長が急に之を八十万円に増加したことが問題となつて居る。八月半ばの新聞に依ると、満洲視察に往つた政友会所属代議士坂井大輔氏は、之を「選挙の費用に使つたといふは動かし難い事実だ」と云つて居るし、前関東庁の警務局長であつた中山佐之助氏も、「機密費を何に使用しようとそれは川村社長の勝手で法律的に責任を問はれることはない。選挙費用に使つたとしてもそれは徳義上の問題で、そのために川村社長は辞任をしたのだから少しも問題ぢやない」と云ひ、暗に選挙の為に支出したことを肯定して居る。機密費の増額に付てはそれ/"\法規上の手続を経て居るから之には問題がないとしても、之を何に使つたとて構はないといふは驚くべき暴論だ。法律上第三者から責めることは出来ぬとしても、其事実の一端が暴露した以上、之は慥に政治道徳上の一醜聞たるに間違はない。之に依て私達は、従来の多数党が政権を濫用して腹心の者を特殊会社の首脳部に据ゑ、選挙の際などあんな風にして不正を働いたのだらうとの一つの活きた実例を見せ付けられる。其後の報道に依れば朝鮮の方にも同じ様な醜怪な事実があるとやら。浜田拓殖局長官の樺太視察談も之と併せて考ふるの必要がある様に思ふ。斯かる例が現内閣の下にボツ/\あばかるゝなら、夫れだけでも現内閣に存在の理由はある。若し夫れ中山前警務局長とやらが、法規上の無責任と併せて川村社長の辞任と共に徳義上の責任も亦完全に解除されたと説けるに至ては、法規の禁令にさへ抵触せずば何をしても構はないとする最も低劣軽薄な明治官僚型の好代表の言として、永く之を記録に留むるの価値がある。
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此春頃堺利彦君を捉へて「あなたもいゝ年をして社会運動でもあるまい、風月を楽んで余生を送られては!」と忠告して物笑の種を蒔いた検事があつたといふ。此のことは当時新聞か雑誌かで読んだ記憶がある。堺君に思ひ止らせることは成程六かしからうが、併し同じ様な忠告を冷水連中に向ける国家的必要は大にあるといふので、昨今官界の一部に新に風月運動なるものが起つて居ると云ふ投書が来た。発企人の前掲検事かどうかは残念ながら不明だが、運動の鋒先を向けらるる老人の中に、元老の西園寺公、重臣として伊東巳代治、江本千之、在野政客として大石正巳、軍人として上原元帥、降つて山脇玄なんどが並べられてある所は些か痛快である。但し之等の人々をして風月を楽ましむるは実は、堺君を引退せしむるより猶ほ難い。成功の見込はないが、しかし本当に真剣にやるのなら、其の意気だけでも大に買てやるの値がある。
『中央公論』 一九二四年一〇月