露国の満洲占領の真相
◎露国が満洲を占領せんとするに至りし理由は一にして足らざるべし。政治家の功名心に熾(さかん)なるよりして徒らに領土の拡張を図るも其一ならん。併し尤も合理的なる理由二あり。一は海港を得んとする年来の宿望、二は経済上の必要にして、満洲は即ち尤も此目的に適するの土地として其爪牙(そうが)にかゝりしもの也。
◎露国があれ程の大国を以てして未だ大洋に雄飛するに足るべき一の海港をも有せざるは、真に気の毒といはざるべからず。バルチック海、黒海、または日本海に面すとはいへ、何れも其出口が他強国に扼せられて有事の日に出入自在なるを得ず。斯くの如くしては仮令彼れ数百万噸の艨艟を備ふとも到底海上の一勢力たるを得じ。去れば一度土耳古に出でんとして破れ、二度波斯に出でんとしてまた破れ、遂に尤も抵抗力薄き極東に手を伸ばすに至りしなり。
◎露国の極東経営は固より一朝一夕の事にあらず。この四十年来北亜細亜に於ける彼の経営は恰かも無人の野を走るが如く膨脹の勢力滔々として窮る所を知らざるの概ありき。この時固より眼中日本なく支那なかりし也。然るに図らざりき小なる日本は突如として敢て露国の南下に対抗するに至らんとは。
◎露国もし極東に於て復た土耳古波斯に於けると同一の失敗を繰り返すときは彼は将た更に何処にか行くべき、満洲問題は日本に取りて存亡の機なるが如く、露国にとりても亦盛衰の岐るゝ一大危機なるに似たり。
◎更に経済上の理由を見ん。露国は貧弱の国にてありながら莫大なる負債を諸国に負ふ。近くは西比利亜鉄道布設のため或は又諸種の政府事業を興すために少からぬ借金をなせり。其ために年々外国に向つて其借金の利子として払ふべき金額頗る大なり。然るに元来貧弱の国なるが故に財政固より裕ならずして此利子支払には年々困却しつゝあり。政府は正金を以て此利子を払ひ得ざるがために遂に農産物を輸出して以て之に充てんと計画したり。同国は農業国とは云へ土地頗る豊沃といふに非ず且人民無学にして農耕の法も極めて開けざるが故に外国に輸出する程の多額を産するに非ず。僅かに年々の収穫が年々の需用に供ふるに過ぎざる也。然るに政府は利子支払の難局に処するため、人民を駆りて僅かに一年の生命を支ふるに足るべき米穀の大半を割き、強て人民をして之を外国に輸出せしむるが故に、人民は翌年の収穫期まで支ふるに足らざるを知りて、米穀を売却せざるべからず。其上に穀価騰貴するは当然の理、ために人民は二重に苦みつゝあり。斯くて漸次農民の生産力も減少し、現今一般下民の疲弊其極に達せりといふ。
◎政府は近年盛に工業を公営し、又食塩砂糖等の日用品を専売し、歳入の増加を図りつゝあり。各種の工業を政府にて経営することの近年の進歩著しきものありて其製する所の貨物亦頗る巨額に達す。然るに一般国民の疲弊や前述の如く甚しきを以て全体として消費力極めて薄弱なれば、折角政府にて製造せし物も人民に於て之を購求使用するの力なき有様なり。為めに政府の第一の目的たる歳入増加は達せられざるのみならず却て反対の結果を示さんとするに至れり。
◎是に於て此過剰貨物を有利に売捌くべき外国市場を求むるの必要を生ぜり。
◎然るに此意味にての生産過剰は独り露国のみの現象に非ず。近年各国に於ける工業の長足の進歩は期せずして外国にまでの販路拡張を必要とせしめ、英米独仏の諸国皆露国と同様の目的を以て外国市場をあさりつゝあるなり。
◎去れば露国は今頃後ればせに外国に市場を求めんとせば勢ひ英米独仏の工業と競争して之に勝たざるべからず。露国は果して英米独仏の工業を圧倒することを得べきか。
◎曰く否。露国の工業は未だ英米独仏に及ばざること遠し。一言にして云へば露国品は物が悪くて価が高き也。故に平等の地盤に於て英米独仏と競争すれば忽ちにして圧倒し去らるゝの運命を有する也。
◎露国の工業は歳入増加を目的として起りしも人民の消費力至りて少きため却て多少の損耗を為しつゝあり。去つて外国に有利の市場を求めんとすれば到底英米独仏の競争に勝つの見込なし。是に於て露国の取るべき策は只二つあるのみ。
◎一は露国自ら関税の重課によりて外国品の輸入を防ぎ国民をして出来るだけ自国産を用ゐしむること也。之より来る当然の結果は物価の騰貴にして人民をして益々疲弊せしめずんば止まず。
◎二は外国に市場を求め而かも此中に外国品を入り来らしめざること也、即ち外国に於ける独占市場の設定也。而してかの満洲占領は一には此目的に出づるもの也。(翔天生)
〔『新人』一九〇四年三月〕
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