世界の大主潮と其順応策及び対応策


     (一)

 此問題を考ふるに当り先づ念頭に置かねばならぬ事は、我日本は今や完全に世界の一国となつたといふ事である。今俄かに世界の一国となつたといふ訳では無いけれども、従来は世界一般が日本の行動に余り関心もなかつたし、又日本自身も世界の大勢に対しては専ら受け身の地位に立つて居つた。而して我から積極的に世界の経営に与らうと云ふやうな、所謂世界的意識が朧げ乍ら国民の心頭に浮び初めたのは、今度の戦争からの事と見なければならない。而して世界も亦戦争の遂行上の自然の必要から、西欧の問題に日本の力を籍りたのを手初めとして、段々世界の問題に日本の発言を認めるといふ端緒を開いた。して見れば日本は最近漸やく完全に世界の一国となつたといつて差支ない。而して此事の結果我々の是非共考へねばならぬ事は、今や日本は世界の大勢に孤立して進むことは到底許されないといふ事である。少くとも我々は将来の帝国経営に於て世界の大勢と没交渉に国運を指導すべからざるの明白なる覚悟を要するといふ事である。我々は我国の益々富強の域に進まんことを欲する。併し乍ら剛慾な守銭奴の富を増す事が一村一郷の繁栄と何等の関係なきが如く、帝国の富強が世界の大勢と没交渉たらしめたくない。世界の進歩が日本の進歩を促すと共に、日本の開発が又同時に世界の開発であり且つ世界の開発を促すものでなければならない。
 斯う云ふ見地から、世界の大勢に対する我国の立場を考へると、大勢の趨向に従つて国運を指導すべき方面と、大勢の進歩に関する我国の特別なる使命を主張すべき方面、換言すれば大勢に順応して行く方面と、大勢に対応して行く方面と二つあると云はねばならない。

      (二)

 帝国の将来に於ける健全なる発達を期するには、先づ第一に世界の大勢に順応して行くことを怠るべからざるは極めて明白の事理である。少くとも今日の時勢に於て、此事に一点の疑あるべきでない。昔は必ずしもさうではなかつた。何故なれば所謂世界の大勢なるものは、其頃強大なる二三国の協定によつて作らるゝを常としたからである。併し乍ら今日はさうではない。尤も大勢となつて居る主なる思潮の内容は、多くは英とか米とか仏とかの二三有力なる政治家の言説に淵源する。けれども此等の言説の国際間に重きをなして、忽ち大勢を作るに至るのは、必ずや世界各国一般の共鳴と後援とを得て居るからである。随つて此等政治家の言説は今や彼等一人の私論と見るべからず、又彼等の属する一国の偏私的国論を代表するものに非ずして、大体に於て世界全人類の代弁者たるの地位に立つ言論と見ていゝ。されば所謂今日の国際的輿論なるものは其外観は如何様にあれ、其根柢に於ては決して二三強国の私意に出づるものに非ざること、恰も国内の輿論が貴族階級より出づるに非ず、平民的泉源より出づると同様である。随つて今日大勢をなす所の世界的大主潮は、若し各自国家の利己的立場を離れて冷静に観察する時は案外に公平なものである。随つて我々は之に順応することを以て世界的立国の基礎を堅むる第一の方策でなければならぬと主張するものである。
 何が今日世界の大勢をなす所の大主潮であるか。姑く政治の方面について云ふならば、内政にあつては民本主義の徹底である。外政に在つては国際的平等主義の確立である。若し前者を社会的正義の徹底と云ふべくんば、後者は即ち国際的正義の確立に外ならない。共に正義公平を国の内外に布かんとするも一のであつて、之れ実に人類共通の大理想に基ゐするものたるや論を俟たない。之には何処までも順応して行かなければならない。日本には日本の特色があるとか、又は世界の進歩に対して特殊の使命があると云つても、先づ第一.に正義を内外に布くの国となつて居なければ、此等は初めから問題となり得ない。善良なる国民となるには、先づ善良なる人間となつてゐなければならない。尤も世間には善良なる国民たる事によつて初めて善良なる人となるを得べしと論ずるものもある。善良なる国民たる事が先か、善良なる人間たる事が先かの、時の先後は姑く先に問題としない。少くとも論理上普遍的基礎を堅むるといふ事が、特殊的方面を大いに発揮する先決問題ではあるまいか。此点に於て予は日本が世界の一国として共生存発達の特別なる権利を主張する前に、先づ民本主義の国となり、正義を以て国際交通の基本とするの国たらねばならぬ事を要求するものである。
 此意味に於て世界の大勢に順応すべきの必要は、独逸帝国崩壊以来益々明白になつた。正義を内外に布くを立国の理想とすべきの考は極めて陳腐な説にして、何時の世如何なる時代にも唱へられない事はない。而も実際に於て此の考の蹂躙せられた事、又此考の疑はれた事近世の如きは珍らしい。殊に陽に之を尊重しつゝ陰に之を蹂躙して兎も角も目前の成功を収めた独逸帝国最近の大発達は、世界の多くの後進国をして正義の権威に対し大いなる疑惑を抱かしめた。我国に於ても口に正義を唱へ乍ら、事実陰謀譎詐を事として巧に利己的目的を十分に達せんとするが内外政治の常則であると得意気に主張する者も少からずあつた。否、今日尚此謬妄より醒め切らないものがあるに相違ない。無論世界は黄金時代でないから、陰謀譎詐の行はれ得る余地はある。今後と雖もかゝる旧式の政治的活動は決して跡を絶たないだらう。併し乍ら結局に於てかゝるものゝ蒙る批判は如何、又かかるものゝ陥るべき運命如何を考ふる時、我々は殊に最近内外政治に於ける正義の権威著しく鮮明を加へつゝあることを思はざるを得ない。此時に方つて国家経営の方針を世界の大勢に順応せしむるを躊躇するが如きは、実に国を謬るの甚だしきものである。

     (三)

 吾人の生活に先づ一個の人間として努力完成すべき普遍的方面あると共に、特殊の一国の一員として又は其国民中の特殊の一個人としての特別なる能力品格を発揮すべき他の一面がある。之と同様に大勢に順応して普遍的基礎に於て面目を整へた国家は、更に其の国家の特別の存在の理由を世界に向つて発揮せねばならぬ方面がある。之れ実に各国家の世界の進歩に対する特別の使命であつて、之れ有るが故に彼等は他の国家と共に、又他の国家に対して生存発達を主張要求し得べき権利を有するのである。此方面に於て我々は更に世界の大勢に対応して特別の要請をなし、又此要請をなす事によつて更に世界の大勢を向上発展せしめ、其内容をなす思潮を醇化豊富ならしむることが出来る。其向上発展、醇化豊富を遂げ得る所に、各国家の世界の進歩に対する使命が存するのである。又向上発展せしむる程度又醇化豊富ならしむる所以の性質等によつて、各国家の道徳的品位も定まると云ひ得べきである。
 只此方面を主張して世界に対応するに方つては、我々は特に次の諸点に注意する事を必要とする。(一)各国家が各特殊の存在をなす以上、世界全体の進歩に対して各其分担講究すべき特殊の使命がある。各国家は此使命の何たるかを発見し、之によつて自ら向上し且つ世界を進歩発達せしめなければならない。(二)但し此特殊的方面を高調するの余り、世界の大勢に順応すべき方面を閑却してはならない。之れ動もすれば陥り易き弊害なるが故に特に注意することを要する。(三)さればと云つて大勢に順応する方面のみに熱中して自国特殊の使命を忘却し、甚だしきは大勢順応の意義を誤つて利弊共に先進国の為す所に模倣するが如き態度に出でてはいけない。

      (四)

 何よりも大事なのは何が世界の大勢に対応すべき特徴であるかを発見することである。外国に無くして独り我国にあるものがすべて我国の特徴にして、以て世界に対応し得べしとするならば大いなる誤りである。所謂日本特有の文物にして、世界に持ち出すべからざるは無論の事、我々日本人の間に於てすら、今日三文の価値も無くなつたものが少からずある。所謂国粋保存論者の間に此種半文の価値なきものを担ぎ廻つて、以て世界に対応すべき我国の特色なりとするものがある。此等の行動に対して我々は単に憫笑に値するなどゝいふて他所事のやうに考へて居ることは出来ない。我々は此等日本特殊の文物に対し精細鋭利なる合理的批判を加へ、周到なる注意を以つて取捨選択するを怠つてはならない。
 然らば何が世界に対応すべき我国の特色であるかといふ問題になるが、之については今茲に一々挙げて論ずるの遑がない。只一つ最近日本の國體の万国に冠絶する所以を説いて世界に教ふべしとするの説に対して一言するに止めて置く。最近一部の国学者が日本の國體を世界に教ふるの目的を以て、代表的国学者を講和大使に附随せしむべしといふ説を発表したものあることは、読者の已に知らるゝ所であらう。当時論壇では之を一笑に附したやうだけれども、併し之は或意味に於て余程真面目に考ふべき問題であると思ふ。何となれば西洋には確かに近頃共和思想が横溢して居る。此事は十九世紀前半の歴史に比較して最も著しく感ぜらるゝ。十九世紀前半に於ては土耳古の羈絆を脱して巴爾幹半島にいろ/\の国が起つた。西欧諸国に於ても例へば白耳義の和蘭から独立する如きものもあつた。其外政変の結果所謂国名を革めるといふやうなものも少からずあつたが、其結果として現はれた新政治組織に於ては、立国の基礎は概して全然人民主権でありながら、殆んど例外なく中欧名門の王室から聡明なる王族を迎へて立憲君主の政体を定めた。中には斯くして暗に大国の後援を得やうとか、或は又名門の王族を擁立することによつて国の品位をつけやうとか、又は斯くして速かに諸外国の承認を得るの便宜に供しやうとか云ふ考もあつたらう。けれども兎も角国家には君主が必要だといふ考で一貫して居つたのであるが、最近は全然之に反し、何か一騒動あれば必ず国王を廃して共和にする。従来の行掛り上俄かに廃める訳に行かないから、国王を其儘置くが、何か事があつたら之を廃して共和国にするのがいゝといふのが現今の大勢のやうになつた。斯くして葡萄牙は共和国になつた、露西亜も共和国になつた、独逸までが今や将に共和国として堅まらんとしつつある。予輩の研究する所によれば、西洋に於て最近の政変を指導する思潮の本質は必ずしも共和思想ではないと思ふ。王政を廃しさへすればいゝといふのなら、英国・自耳義・伊太利王室の今日依然安泰なるを得るの道理なく、又初めから共和制たる瑞西に動揺を見るの謂れがない。彼等の求むる所は少くとも内政に於ける社会的正義の確立である。換言すれば民本主義の徹底を求むるに外ならない。而して露西亜・独逸に於ける王政の倒されたのは、王政が民本主義の徹底に障害を与へたからであらう。英吉利・自耳義等にあつては民本主義の徹底に何等障害となつてゐないから王室は安泰なるを得る。それでも此等の国はもと/\立国の基礎が民主国なるが故に、王政の存否については間々不当なる議論の横行するを避け難い。西洋の政治学でも共和国体よりも君主国体の方が吾人の国家的生活の鞏固を期する上に適当であるといふ議論があるに拘らず、万民の完全なる精神的尊崇の中心となる皇室が無い為めに、君主国に対する本当の諒解は西洋人には出来難い。独り此間にあつて本当の君主国体の味を体験し、而して之を世界に発揮し得べき地位にあるものは我日本のみである。此点に於て我々は此特殊の國體を以て世界の文明に貢献し得べき何物かを持つて居るに相違ないが、併し其前に我々は先づ以て民本主義に徹底した国となつて居なければならない。日本のやうな國體は何故いゝか。民本主義を徹底するに都合がいゝからである。さういふ理窟で貫いて居る今日の世界に向つて、如何に日本の君主国体が世界に誇るべしとは云へ、未だ民本主義に徹底しない形で出て行つたのでは、世界は成程と納得して呉れないだらう。否、西洋の学者の中には日本があれ丈け立派な國體を持つて居りながら、其れを実際の政治に十分活用し得ないとは何と云ふ先輩政治家の蒙昧ぞと酷評して居るものがある。して見れば我々は此立派なる特色を有つて世界に対応する前に、先づ以て世界の大勢に順応して民本主義に徹底するの必要があるやうにも考へらるる。

                                〔『中央公論』一九一九年一月〕