支那の政治と日本の政治



 一、此間支那の視察を了へて帰つた人の話。「日本の対支政策は兎もすれば「人」に着眼し過ぎて困る。蒋介石がどうの馮玉祥がどうの、甚しきは王正廷を換えて貰へば外交談判は楽に運べるなどと云ふ。袁世凱から段祺瑞、降(くだ)つて張作霖などを相手に見ん事支那を料理し得たと自惚れてゐる人には尤もの考だが、何時までも時勢の変化に眼を閉ぢられては困る。個人の出来心で政治の行はれた時代はもう去つた。支那には今や何か知ら輿論といふ様なものが出来てゐる。茲に何か問題が起る。すると必ず之に就き新聞などにも現はれ官界の要人に採用され一般識者階級からも支持を受け、且又我々外国人が聞いても成程と首肯される様な意見が世上に浮み出る。而して色々な問題に付て現はれる斯うした種々の説明を比較綜合して観ると、其間に亦自ら一種の脈絡が貫かれて居る様に思はれる。私は学者でないから分り易い説明は出来ないが、斯んなのが所謂輿論と呼ばれるのではなからうか。果して然らば支那は昨今漸く輿論の支配する所となりつゝあると謂てよからう、従て支那が今後どう動くかは必ずしも私共に取て不可解の謎ではなくなつた。官界実業界の先輩などにも是非この新しい趨勢を見て貰ひたいものだ。孰れにしても対人方策は一刻も早く棄てて欲しい」と。
 二、右の説の当否は別として、更に支那の斯うした動きは彼国最近の特有の現象だらうと其人が主張されるので、之には簡単に異議を申立てて置いた。何となれば斯かる意味の輿論は無論夙くから我国にもあるからである。現に看よ、昨今の日支交渉按件に関しても国民大衆の態度には略々帰する所が在るではないか。唯彼と我と違ふ所は、この国民大衆の支持と承認とを受くる輿論が其儘実際の支配力を有たず、実際の支配力を認められるものは極めて少数なる特権階級の作る所たる方針であることである。支那に新に現はれたものは日本にもあるのだ。たゞ日本にはも一つ支那にないものがあつて、それが縦横無尽に跋扈して居るのだ。謂はば日本には二つの思想の対立がある、支那にはそれがない。
 三、個人の出来心で天下の支配された時代は日本にもあつた。而して之に対抗した民衆の進攻的勢力は自ら彼等相互間の結束を促し、甘じて之に迎合するを恥とせざるブルジョア階級の支援を得てやがて一種の特権閥を作るに成功した。是に於て出来心で天下の左右さるると云ふ現象は跡を絶つたが、而も之に代つて天下を支配する意見は固より民衆の意慾とは何の関係もない。民衆それ自身の開発の遅かつた支那では、之に反し、永く官僚の徒に惰眠を貪るを許し為に其専恣横暴に苦しむことも久しかつたが、一度天運の廻り来て民衆の覚醒の始まるや、官界の覇者は一卜溜りもなく崩壊し、一足飛びに輿論を以て天下を支配するの新境地がひらかれたのである。我が日本が第一の段階を経て今正に第二の段階に悪戦苦闘しつゝありと云ふを得ば、支那は第二の段階を飛び越えて急に第三段階に進んだものと云ふを妨げぬ。夫れ/"\の国情に基き必然の理法に遵ふものとは云へ、殊に支那との関係の益々密なるを加ふる際、此辺の事も少しは考へなくてはなるまい。

                          〔『中央公論』一九二八年一二月〕