対支出兵問題



 支那出兵問題に付て、現内閣の余りに民間の反対論を苦にするは姑く恕するとして、之に関する言論の弾圧の恐しく過酷なるは吾人の了解に苦む所である。出兵に対して支那側が無条件に反対なるは云ふまでもない。支那側の反対など顧慮するに足らぬと云はゞそれまでなれど、日支両国の将来の親善を思ふ者は、政略上から云つても、日本内部にも多少の出兵反対論者の存在することを示すことに依て幾分支那側の感情の融和をはかるに努むべき筈である。国内に反対論の横行を許すは出征軍の士気に関すと云ふ議論もあるが、政府の一旦犯した過誤を徹底的に押し通させる為に、強て沈黙を守らねばならぬ義務を我々国民は負ふ必要はない。
 いづれにしても政府の政策に反対する言論の強圧は立憲政の汚涜である。之は何時如何なる場合に付ても云へるが、殊に対支出兵問題に付ては他のいろ/\な理由に依て更に一層大なる失当の処置であることを断言するに憚らない。

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 青島に居つた兵隊の済南に進出した以上大連の兵を青島に移すは已むを得ない。青島に足らざる所を補充せざれば済南の安全が期せられないからである。故に第二次出兵は済南進出の当然の結果にしてそれ自身としてはいゝも悪いもない。是非得失は寧ろ済南進出に付て争はれる。そこで私共は思ふ、済南進出に一体何の必要あり又之を遂行するに抑も何の権利ありやと。


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 先づ実際の結果から観よう。我が軍隊の済南進出を機として北軍の旗色俄によくなり南軍の気勢頗る挫けたるの観がある。顧れば一二ケ月前は、北京は馮閻唐蒋の圧迫を受け張作霖の運命は風前の灯も啻(ただ)ならざる有様であつた。斯かる形勢の自然的推移に対し意外な障碍を与へたものは実に我が第一次の出兵であつた。我が日本は必しも南方の進出を邪魔しようと云ふのではない、日本には日本独自の当然の希望があるのだと云ふ。当然の権利の遂行に依て甲が利し乙の損するは致方がないと云ふわけだ。よしそれが日本の直接に期する所でなかつたにしろ、出兵の結果が事実上南軍の進撃に対して北軍を庇保するものであつたことは疑ない。斯くして南北対峙の形勢は姑くは停頓の姿となつたのだ。此間南北双方はいろ/\秘術をつくして裏面の暗闘に苦心したらしい。北方は南方の結束を破りその一角を懐柔して他の鋭鋒を抑へんとした。南方はまた北方をその内部から崩壊して一挙に天下を殉(したが)へんとした。而してその孰れかから日本の孰れかの方面へ或種の運動のあつたことも争はれない事実だと云はれる。併し日本の内部には出兵反対論がなか/\盛だ。既に決行せる第一次出兵に対してすら輿論は挙つて反対の声をあげ、中には速に撤兵すべきを要求する者も少くはない。斯んな風では第二次出兵などは思ひも寄らぬことだ。如何な政友会内閣でも此上の出兵だけは遠慮するだらうと我々自身も安心して居たのだから、支那の人達が之を予期しなかつたのに不思議はない。その為か南方派は六月の末頃からそろ/\北方進撃を開始した。張作霖派の旗色頗る面白くない。そこへ急に我が第二次の出兵が現はれ、強弱の勢俄に地を易(か)へんとするかに見へると云ふわけになつたのである。
 帝国の政府はいふ、我国は我が当然の権利を実行するまでで固より甲を助け乙を窘(くるし)めると云ふ意図はない、絶対に不偏不党であると。それに相違はあるまいが、事実上の結果が、勝つべきものに勝つ機会を失はしめ、負けそうになつた奴に安心して休息するを得しめたことは疑ない。之を支那が怨嗟するのは、その当否は別として、亦人情の自然と許さねばなるまいと思ふ。


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 昨今の支那電報を見ると、南方側の勢力が些しでも北方に伸びかけるとその地方の秩序が直に紊れるかの如くに報ずる。之に反して北方派の勢容が恢復したと云つては個々たる人心も頓(とん)と落ち付いたと云ふ。丸で北方が優勢であれば安全が保たれ南方の手が伸びれば何事が起るか分らぬと云つた風の報道ばかりだ。私は這の報道の私の平素の見解と著しく相違するを怪しみ、新聞関係の友人に就て疑を質したところ、官憲の指示する所に依るもので致方がないと云ふのであつた。して見れば、北方を是とし南方を否とするは或は我国の公権的解釈と観てもいいのであるまいか。誤解を防ぐ為に云つておくが、所謂南北の是否とは帝国政府が直接にも間接にも支那の内争に干入してその孰れかに加担すると言ふ意味ではない。秩序維持の誠意と手腕とに於て南方に信頼せず北方に信頼すべきものあるを認めると云ふ丈けのことである。北方に秩序維持の誠意と能力とあるから陰に陽に之を助けようと云ふことになればそは正しく内政干渉になる。斯の如きは固より我が政府の断じて手を触るる所ではない。只私の云はんと欲する所は、我が政府の対支政策は正しく如上の一種独特の見解に基いて樹てられて居ると云ふ事である。即ち北を是とし南を否とする前提に基いたと観なければ対支出兵と云ふ大変な冒険の根拠が解らないからである。


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 北方派が優勢である間はよし、之が南軍に取て代られると北方一帯の秩序がみだれる。尤も秩序がみだれるとする観測に対しては内外を通じ大に異議を唱ふるものがあらう。併しそれは事実の上に現はれない限り水掛論におはるから今は論ずまい。只少しく立ち入つて考へて見たいのは、北方一帯の秩序がみだれると何故に我国の出兵が必要になるかの点である。隣邦の紛乱が何種のものに拘らず我国の迷惑の種たるは言を待たない。併し単にそれ丈では出兵までして干渉するの理由とはならない。そこで我国では秩序の紛乱に依て居留民の安全が気遣はれると云ふことにその理由を求めた。と云ふよりも、北支那一帯の居留民からその生命財産の保安の為め是非出兵をとの熱烈なる要求に接し、深くその利害得失を考慮もせず、漫然之を相当理由あるものとして出兵を決行したと云つた方が適当であるのかも知れない。
 だが居留民保護を理由とする出兵の不条理なることは詳細に前号の本欄でも説いた〔「支那出兵に就て」〕。之に付ては北京に居る数名の知人からは抗議を申し込まれたが、支那に永く居る多数の友人からは続々賛成の手紙を貰つて居る。よその国に居て、而もその国の市民が血みどろになつて国運改新の悪戦苦闘を続けて居る真中に踏み留つて、己れの躯には一指をも触れさせまいとするのは余りに虫のよ過ぎる要求ではあるまいか。生命財産が惜くば速に一時引き揚げたがよい。現に北京天津方面では西洋人などは婦人小児を皆安全な地点に移したといふではないか。この方面で婦人や子供の呑気さうにブラ/\して居るのは日本人に限ると云ふ。そして彼等はその儘の生活を安楽に続け得る様に保護して貰ひたいと、頻りに本国に出兵を要求するのである。尤もこの要求の声に応じて出兵を決行した理由はまた外にもあらう。事に依つたら当局者は這の要求の為に出兵したのではないと云ふかも知れぬ。併し之れ丈は間違なく云へる、北支那の居留民があれ程利己的でなく又あれ程横着でなく、少しでも帝国全体の利害を打算する聡明を有つて居つたなら、而して又自力で自家の問題を適当に処置して居つたなら、如何に出兵好きな田中内閣も、その口実を見出すに苦んで今日の様に輿論の反対を受けずに済んだことであらう。


         〔『中央公論』一九二七年八月〕