国民社会主義運動の史的検討



 去年の夏頃から思想界に又社会運動の実際界に国民社会主義なる者が叫ばれ又論ぜられて居る。河合教授は帝国大学新聞に於て之を一の思想として純理の方面から詳細に批判されて居られるが、私はまた之とは違つた立場から即ち最近史上に特異な一現象としてこの動きを考察して見ようと思ふ。推測臆断に属する部分もあるのは事柄の性質上已むを得ない、この点切に読者の諒恕を乞ふ。

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 国民社会主義新提唱の歴史的因縁は、第一に最近我国に於て共産主義に対する反感が著しく擡頭したといふ事実と聯関せずして考ふることが出来ない。共産主義に対する反感は固より今に始まつた事ではない、左右両翼の対立といふも我国では随分久しい話なのである。所謂日本共産党は共産党員に非る者は共産主義者に非ずと云つて居るけれど、客観的事実として共産党に属せざる多数の共産主義者あることを否み難い。之を概称するものとして左翼の名が与へられる。之に対する右翼がまた例へば社会民衆党系の人達に限らざることは云ふまでもない。外に中間派なるものがある。従来共同戦線党の異名を附せられた丈け戦線の急速なる統一を叫び指導精神の吟味の如きは第二第三の問題だとの立場を執つて居つたから、思想的には右翼の筈の人も又左翼に属すべき筈の人も雑然籍を同うして居つた(従来共同戦線党であつた労農大衆党は旧腹の大会でこの点を改めた)、それでも大体の傾向をいへば、淡泊に我々は社会民主主義を賛すとは言ひ切り難く寧ろ共産主義に同情を寄するが如き口吻を洩らすを常としてゐた。この事実は偶々我国の無産運動界に在て共産主義の名辞が如何に多くの無批判的讃美者を有つて居つたかを語るものである。而して私はいま改めて云ふ、斯の事実が昨今少し変つて来たのだと。どうして変つたかに付ては問題外だから先には述べぬが、兎に角斯うした変つた事情が自ら国民社会主義の叫びを喚び起した一の原因ではないかと私は思ふ。
 共産主義が無産運動界乃至年少読書階級を風靡して居つた頃は、右翼の人でも其主張を系統的に説明するに当つては先づ共産主義者の掲ぐる綱領を取り、其の多くのものは自分達の固より反対する所にあらずと為し、夫れから僅に一二の個条につさ断じて同意が出来ぬのだといふ風に議論を組立てるのが普通であつた。議論をする本人はさうでもないのであらうが、局外から観ると戦々兢々として余り強く共産主義に突き掛るまいと顧慮するかに見へた。所が共産主義に対する世間一般の人気が変つて来ると、之等の人々の態度も変つて来る。何時とはなしに共産主義対抗の態度が無遠慮になり勇気に充ちて来る、之と伴つてまた之を排撃する論点も殖へて来る。国民社会主義の提唱が斯うした事情に促されたと云つたら或は幾分の語弊があらう、併し之等の変情が該主義の提唱を便にし其の普及を扶けたことは疑のない事実である。
 従来左右両翼が対立の論点としたものは主ら独裁主義の是否であつた。プロレタリアをして政界に優位を占めしむべしとの主張には一致して居つたが、右翼は民主主義の原則に依り各種意見の自由競争を認め其競争の裡から自家の勝利を闘ひ取るべしとし又其可能を期待したのであるが、左翼は従来の経験を楯とし右の方針の実際上の不成功を断じ暴力に依て自派の独裁を確立すべく又近き将来に於ける其の成功の可能を主張し来つたのである。此点に於て右翼は一面に於て議会主義者と云はれ左翼は革命主義者と云はれたのでもあつた。而して左翼傾向の人達は革命の実行を回避する点に右翼の無能を罵倒して得々たるものがあつたのだが、昨今反動的傾向の擡頭に連れ共産系陣営の論鋒の鈍るや、右翼傾向の圏内には得たり賢しと勢に乗じて従来とは違つた種々の論点から駁撃を共産主義に加ふるものを生じたのである。共産主義の二大特色の一たる国際主義の排撃を目的とする国民社会主義の叫びも慥にその一であると私は考へる。
 国際主義といふ観点から云へば、従来は右翼は第二インタアナショナルに同情を寄せ左翼は第三インタアナショナルを支持すると云ふだけの差に過ぎなかつた。然るに右翼の一角から最近力強く叫ばるる非国際主義は、一面には従来と同様に第三インタアナショナル主義を排撃するに外ならざるも、他面に於て事々しく「国民」の二字を社会主義に冠せしめた所に新しい一特色を想像せしめるものがある。左翼従来の主張のやうに中心勢力の命令を奉じ各国が之に服従することに依りて統制ある国際的協働に参加するといふことは我々の固より肯じ得ざる所であるが、彼我の独立の立場を相互に尊重しつゝ一定の限界内に於て協働するといふのなら、右翼の従来同情を寄せてゐた第二インタアナショナルの立場と格別異る所はない。斯くして国民社会主義と云つた所で何も在来の社会民主主義と違つたことを主張するのではないと釈明につとめる人もある。併し乍ら傾向的に云ふならば、今日の国民社会主義提唱者は「一定の限界内に於ける国際的協働」といふ事に第二インタアナショナル主義者程の信用をすら置かず、動もすれば国際協働の困難なる方面を力説して寧ろ主力を民族主義に転向せしめんとするかに見へるのである。之が一歩を進めると、従来の社会主義綱領の重要条目の一とされた階級連帯論の大修正となり、更にまた一国内に於て階級的主張と民族的要求とを対立させるとなると場合に依ては唯物史観の抛棄となるの恐なしとせぬ。斯うなつては大変だといふのではない、私自身としては斯かる混乱に遭遇して社会主義の再吟味されることは寧ろ必要な事だと思ふのではあるが、一両年前まで到底無産運動陣営から一顧をも与へられまじく思はれた種々の修正が今日斯くも優勢に主張せられるのを観て、私はたゞ/\時勢の急速なる変遷に驚かざるを得ないのである。
 国民社会主義の提唱をファシズムの一現象と説く人がある。其の提唱に伴ふ各方面の動きを通観しこの説に一応の理窟もあるやうに思ふが、社会主義実現の為に運動を先づ一国内に限らうとの方針それ自身には何等ファシズムの要素はない。たゞ之を提唱する人の間に同時に議会主義否認を重要綱目に算ふるものがあるので、意味の取り様によりては此事がファシズムの疑を受くる理由とならぬこともない。
 議会主義否認といふ代りに議会万能主義排斥といふ言葉を使ふ人がある。無産階級の運動が議会中心の政治運動に没頭し過ぎ労働組合の経済的培養を怠つたと思はれた時代に、この叫びは可なり重要な牽制的効果を現はした。之は議会政治の大改革を要求する意味で叫ばるる現制否認論と共に議会制度の根本的否認ではない。けれども若し議会は到底政党と財閥の独占する処だから絶対に此制度を打破せざるべからずと云ふことになれば、茲に始めてファシズムに転向する危険を恐れなければならぬ。何となれば議会主義は其本質に於ては各種の言論の自由を尊重しその道義的競争の結果として優者に政権を托する制度であり、又斯かる趣旨を実現せしむるものとしては考へ得べき殆んど唯一の制度だとされて居るから(勿論改善の余地は多々あるが)、之を絶対に否認することの当然の帰結はクーデターに依る政権争奪の公認でなければならぬからである。誰れがクーデターをやると期待するのか。プロレタリアがやるのであれば共産主義になる、共産主義を真正面の敵とする国民社会主義が若しクーデターに依る政権争奪を支持するのだとすれば、そは必然にファシズムにならなければならない。ついでに云ふが、先きに共産主義の独裁主義を排撃した社会民主主義が国民主義と衣物を換へて同じ独裁主義に転ずるのは変なやうだけれども、之は本来お互に主義としての独裁に反対するのではなく、自分だけ勝手に振舞ひたいと云ふのだから、他方の勝手に振舞ふを許し難いと云ふ意味で自家の独裁を要求するは当然である。而して自分が勝手に振舞はんとする以上事実に於て他者のまた同じく勝手に振舞はんとするを阻止し得べくもないから、客観的に云へば政権の移動は遂に無政府的混沌状態に投げ込まれざるを得ず、偶ゝ権力を聾断し得た一党の極度にして周到なる専制に依てのみ一時の小康が保たれるを常とするに至るのである。
 併し今日の国民社会主義の提唱者は一体どの程度の議会制度否認を考へて居るのか。今のところ此点未だ十分はツきりして居ない。

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 議会否認論を仲介として国民社会主義を主張する一派と反動的社会主義派並に軍部との間に一種の連絡が生れたといふ事実も我々の緊密なる注意に値する。斯うした連絡が出来た結果、社会民主主義者の一部が急に国民社会主義と看板を塗替へたのだといふ説もあるが之は穿ち過ぎた流言であらう。兎に角右様の連絡の実在は今日公然の秘密として各方面に伝へられて居る。
 反動的社会主義とは従来国家社会主義と呼ばれたものを指す。社会改造の方針として彼等は大体に於て一般社会主義の掲ぐる綱領を採用するが、肝腎の階級闘争並に国際連帯の戦術は拒否する。この点に於て純社会主義派からは裏切者と呪岨されて居たのであるが、歴史伝統を尊重すると云ふ名義の下に民族主義を高調し又階級闘争の華々しさに代ふるに急進的専制を力説する点に於て、幾分国民社会主義の先駆を為すの趣があつた。而して今日の国民社会主義がこの一派と多少の連絡を有つといふことは、同時に我々をして国民社会主義が国家社会主義と抱合するのではないかと疑はしめる。国家社会主義は取も直さず現在の国家をして社会主義の綱領を実行せしめんとするものである。現在の国家には斯んな能がないといふのが従来の社会主義の立場であつた。従て国家社会主義は所謂社会主義派よりは無産階級の陣営に属せざる反動的立場に在るものとして全然除外されて居つた。それが今度社会主義派の一角と提携せんとして居るのである。彼方が階級対立論に降参して来たのでないとすれば、或は国家権力の奪還を先決問題とする社会主義在来の立場が国民社会主義の出現に依て吹き飛ばされてしまうのではあるまいか。此点も亦深甚の注意の向けられねばならぬ所である。
 ついでに云つて置くが、無産政党にも根拠の明ならざる対立反目がある様に、国家社会主義の主張者間にも数派に分れて暗闘を続けて居る事実がある。而して其の全部が今日の国民社会主義の動きに合流して居るのでないことは言ふまでもない。
 軍部と国民社会主義者との連絡の所由に就てはまだ厳秘に附されて居る部分が多く、流言蜚語を綜合して一応の描写を試み難からずとするもそはモ少し事情を明にした上で論評するを得策としよう。兎に角最近軍部の一角に、政治に多大の関心を寄せ更に其宿弊を打破し国家を頽廃より匡救するの目的を以て積極的行動に出でんとする一団を生じたことは周知の事実である。軍部は元来実際政治に関与せざるを特色として誇示して来た、この多年の伝統をすてて政界に我れから乗出さうと云ふのは能く/\の事である。何が軍部をして斯かる決意を為さしめたか。申すまでもなく政界の腐敗がそれである。尤も冷静に考へれば、明治時代の藩閥政治と大正以後の政党政治と何れが多く弊害を流したかは一個の疑問だと思ふけれども、世人が当初民衆本位の善政を期待して政党を迎へた丈け、彼等が国家を抛擲して党利党略に没頭するに極度の憤慨を寄するは怪むに足らぬ。而して軍部の人達は之等の点を多く無産階級の論議に聞いたものと見へ、政党と同じ程度の反感を財閥にも寄せて居る。つまり既成政党と財閥とが現に国家を毒して居るといふのである。併し茲までは軍部の人ならずとも、無産党方面は勿論の事、心ある国民の一般に抱懐する所の不満であり、軍部の人も国民の一人として此種不満の表明に参加すると云ふは考へ得られぬことではない。が一歩を歩めて単にこれ丈けの事情で積極的非常行動に出でようとまで決意したといふ段になると容易に首肯することは出来ぬ。之には何か外に直接軍部の利害に関係する重大な要素が伏在してゐたのではあるまいか。
 斯くして私は最近の軍縮会議を聯想する、又倫敦条約に関して起つた統帥権問題の紛争を聯想する。私は先きに軍部は永く政争に超然たることを誇りとしたと述べた。別天地の殊遇を受け専門に骨折つたお蔭で、我国の国防は今日現に見るが如き世界優秀なものに出来上つたのだ、この点我々は大に感謝するのであるが、同時にまた殊遇の地位に雄れて専恣横暴に失するの譏もなかつたのではないと思ふ。達観すれば功を功とし弊を弊として賞黜を明かにするは必要な事だけれども、不幸にして軍部の人達は概して大局を見るの明を欠くと云はれて居た。それはそれとして、自家の専恣を責むる相手方が政党者流であるとすれば、軍部の人達の承服を肯んぜざるにも無理がないといへる。突き詰めて考へたら軍縮其事には必ずしも反対でないのかも知れぬ、たゞ軍縮といふ大事が政党政治家の参加により、甚しきは其の主たる裁量に依て、決せらるるの危険に戦がざるを得ないのであらう。若し夫れ統帥権の問題に至ては、表向きの論議には左したる極端論もなかつたけれど、世上には其の不合理を説くものが尠くは無かつた。乃ち政界一般の空気は甚だ軍部に不利なのである。之を何とか始末せずんば国家は遂に安泰なるを得ずと思ひ込んだのではあるまいか。
 もう一つ彼等は政党政治に対する広汎なる国民的不満の事実より推して、彼等の積極的進出が必ずしも時勢の要求と矛盾するものに非るを信じたのではあるまいか。軍部の人達と雖も大衆の支持なくしては今日天下に大事を為し得ないことを知つて居る。既に精神的共鳴ありと考へて一種の決意を定め、一般大衆の支持を現実にせんとて無産政党の一角に渡りをつけたといふ者あるも強ち無稽の推測ではないやうに思はれる。
 国民社会主義と軍部と反動的国家社会主義との三派連携。之により近き将来に於て何事を期待せよと云ふのか。政治的には既成政党を打破する、経済的には大財閥を崩壊せしめる、新に強固なる権力を樹立してまがひもなき正真正銘の社会主義的政治を実行すると云ふ。プロレタリアの優位が引込んで代りにクーデターに依る政権獲得が登場する。果して然らば之は何の点でファシズムと区別さるべきものであらうか。

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 議会否認といふやうな説は実は我国無産論壇に於て新しいものではない。左翼の極端なる者は絶対的否認論をかざして一切の選挙に手を染めなかつた、否らざる者も議会を階級闘争の具に利用すると称し議会に出ても消極的に既成政党の仕事を妨害するに止むべしと主張して居つた。斯うした議論の幅を利かして居る中に、僅に右翼の社会民主主義者のみが孤塁を守つて議会協働の旗幟を推立ててゐた。始め右翼は単にこの理由だけで人気が無いのに焦慮したのであつたが、昨今は多年の経験の教ふる所に依り軽佻の空論を去り社会民主主義の下に健実なる結束を確立せんとするの傾向を示して居る。然るにこの一角からまた国民社会主義の提唱に連れて可なり徹底的な議会否認論が勃発しかけたのだから我々は驚いた。が考へて見れば、之にも実は相当の理由があるやうだ。
 主たる理由は最近の数次の選挙の結果だ。抑も無産政党の議会進出は昭和三年の総選挙から始まる。普選最初の選挙として世人は無産政党の前途を祝しつゝ猶未だ多くの収穫を期待しなかつた、従て挙げた結果には大抵満足の意を表し、更に一層の発展を次回の選挙に希望したのであつた。然るに昭和五年の総選挙は如何、更に翌六年の府県会議員の改選は如何。無産政党は何れも振はないが、中にも右翼の不成績は最も甚しい。局外の私共の立場から云へば之には種々の原因を挙ぐることが出来る。が右翼無産政党の指導者としては実際上天下に向つて最早義理にも議会政治結構でござるとは云へなくなつたのである。退いて彼等は一応考へたらしい、欠点は無産党自身にもある、主たる原因は政界財界の有力者が相結托して、或は法律的に或は警察的に巧妙なる方法を以て極力無産階級を伸びしめざらんとする点にある、如何に議会で堂々と争はんとしても出発点が斯んな風では手の下しやうがない。斯くして彼等は之等の不当取締乃至不当立法の排除に成功するまでを限り或る種の直接行動に出づるも已むを得ないと考ふるに至つた。議会で満足な協働をなし得るに至る迄の直接行動といふのではあるけれども、右翼穏健派の陣営内に直壊行動論の萌し始めたのは蓋し右の如き事情に基くものと考へる。
 議会否認論は昨今世界の流行だ、独り我国に於ける唱導を異とすべきでないと云ふ人がある。西洋の流行が我国に影響したと云ふ意味に於て此説は首肯される、が西洋に在て議会否認論を促したと同じ原因が我国にも活いて居るのだと考ふるものあらば、そは恐らく間違ひであらう。
 議会制度が立憲政治の精神を十分に発現し得ないと云ふ立場からの非難は昔からあつた。根本的に議会にその能がないと説くものもあつたが、多くは種々の改善を加ふることに依て理想に近付かしめ得べきを信じて居るやうだ。此意味の非難なら無論我国でも珍らしくない。たゞ西洋の場合と異るのは、彼に在ては実際政治家が卒先して改革の急を叫んで居るのに、我国では政治家の方は案外平気であり寧ろ改革をよろこばざるが多く、改善の論議は僅々一部の学者乃至操觚者に委されて居ることである。
 欧洲大戦後議会制度は彼方に於てまた別の意味に於て問題とされて居る。少し話は抽象的になるが、人事に於ては時として秩序を必要とすることあり又事功を急務とすることがある。一つの例を我が文官任用令に取らう。之が不純な猟官運動を封じ官界人事の移動に整然たる秩序を立つるの効あるは疑ない、けれども之は同時に適才を適処に配する為の自由簡抜を許さない、従て官界の空気を低迷せしめる恐れもある。各々一利一害あるが、平時に在ては秩序を大事にしても先づ大体に支障なく、たゞ一旦非常の時期に際会して事功を挙ぐる点に遺憾あるを認めねばならぬ。斯ふ云ふ次第で、欧洲大戦並に戦後の非常時となつて議会制度は国に依て堪へ難き桎梏と感ぜられるに至つたのだ。いづれは大勢の安定すると共に(いつの事か判らぬながら)議会制度は ― 無論幾多の改善に面目を一新して ― 政界の中枢機関として其地位を恢復しよう、たゞ現在のところは特定の事功を挙ぐるに急にして迂遠なる議会制度に倚り難いとする事情があるのである。ファシズムやボルシェヴィズムの西洋先進国に於ける擡頭はみな此観点から説明さるべきものであらう。欧洲二三の国に於て独裁政治が起つたからとて、議会主義の前途を本質的に悲観すべしとするは当らない。但し独裁政治の行はれて居る処では勿論の事、然らざる国に於ても議会制度の機能を批難する声の昨今頗る高いことは事実だ。之が我国に於ける議会否認論の流行を助けたことも亦認めねばなるまい。而して彼方に在てそは非常時に処して特殊の事功を挙ぐるに急なるの結果なのだが、我に在ては腐敗し切つた政党財閥の手から政権を取上げようと云ふに出発点を有する。其の根底に積極的の強味がないのも当然である。

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 国民社会主義は一個のイズムとして今のところ未だ浮動状態に在る、之が結局どんな所に落ち付くかを判定するにはもう少し時間の経過を必要とするらしい。只疑のないのは、この提唱に依て従来の社会主義理論の根底が揺撼(ようかん)され、従て近く再吟味時代が来るだらうと云ふことである。国民社会主義の名に頼つて聯想される所謂三派連携の非常運動に至ては、私は不幸にして之に多くを期待し得ない。満洲事変に関連して、由来対外問題に昂奮し易き国民大衆が目下軍部礼讃に傾いて居るのは事実だが、彼等に果して之等の大衆を組織して有力なる支持団体に作り上げるの技能ありやは大に疑はしい。国家社会主義者は殆んど問題にならず、国民社会主義派と雖も実は無産運動右翼の陣営に於て主たる本流を為すものではない。満洲事変に関連して言論の自由を欠く無産団体は、自らまた国民社会主義の論駁に於ても陰忍鋭鋒を蔵めて居るかに見へるが、事実に於て国民社会主義がいろ/\の意味に於て無産陣営一般の同情に恵まれて居ないことは疑を容れぬ。一部の人はクーデターには主義として反対だが政界の腐敗が余りにひどいから一度軍部の力で洗掃して貰ふのも一案だと考へて居るとやら。或る有力な学者で今日まじめに国事を憂へて居るのは少数の有識志士と軍部の人達のみだから之等の人々の協力に依り一時の便法として非常手段を執るも已むを得まいと説いてゐる人もある。斯んな微温的な態度では心元ないが、下中弥三郎氏の新党樹立計画の如きは事に依つたら前掲種類の有志を組織せんとするものかも知れない。華々しい門出にケチつけては済まないが、私一己の意見としては今のところ其前途に多大の希望を繋げることは出来ない。
 此時に当り社会民衆党と労農大衆党との間に合同の機運の動いて居ることは大に注目に値する。去年の労働倶楽部の成立に端を発し、労農大衆党は分裂を賭して戦線統一主義を精算した。斯くして最早指導精神に於て社会民衆党と対立する理由はなくなつた。所が社会民衆党の方が其一角に国民社会主義の提唱を見、そは社会民主主義と別物ではないなどと理窟を捏ねるものもあつたが、実際上労農大衆党の追ひ縋る手を振り放して飛んでもない方向に逃去る形のないでもなかつた。之が去年の暮社会民衆党内部でも問題となり、種々協議の上、指導精神の不変を宣明し、新に労農大衆党を誘つて反共産主義の新党組織を提案すべきことを内定した。一月十九・二十の両日に開かれる党大会に於て結局如何の決定を見るか分らないが、大勢は既に明かだ。外に国民社会党の創立を見ても、之に依て従来の右翼陣営に格別の動揺あるべしとも思はれぬ。之等の点はなほ静かに今後の経過に徴しよう。

                          〔『国家学会雑誌』一九三二年二月〕