何(いずれ)の点に講和特使の成敗を論ずべき


 西園寺侯の帰朝を迎へて、講和特使の巴里に於ける効績は之を成功と認むべきや将(は)た失敗と認むべきやの論、改めて朝野の間に矢釜しくなつた。
 西園寺侯を始め牧野男以下の一行の誰も彼もが、堂々たる帝国の代表者として毫も其使命を辱めなかつたといふなら、是れ余りに白々しき虚飾である。兎角当局者を悪し様に罵倒するのが日本人の通弊だとしても、特使委員達の醜態は、同じく巴里に遊んだ新聞通信員諸君等より之を聞く斗りでなく、西洋の人々の口からも可なり皮肉に説かれて居る。此意味に於て特使の一行が日本帝国の面目を傷けたるの見苦しき失態、最早如何にしても之を蔽ふことが出来ないと謂はねばならぬ。
 併し乍ら、モ少し訳の分つた人が往つたらモ少し多くのお土産があつたらうと云ふ意味に於て成敗を説くのなら、吾人はまた断じて之に与みしない。蓋し今次の講和会議は、単に利害の調節を協定するといふに止まらず、実に一理想的原理に依て指導さると云ふ点に於て、全然従来のと其面目を異にする。仮令細目の条項に就て所謂樽俎折衝の余地ありしとするも、其帰着すべき所の何かは、眼ある者には始から明白であつた。例へば南洋諸島の処分に就ても、将た人種案・山東案に就ても、本誌の夙に唱導せし所と実際の決定とを照合せば、思半に過ぐるものがあらう。故に大体の結着は、始から自ら走る所あり、特使の働に依つて之を左右することの出来るものではなかつた。
 条約に依つて日本の獲得せるものゝ分量を論点とせん乎、そは特使の成功でもなければ又失敗でもない。謂はゞ三越へ往つて物を買ふ様なもので、西園寺侯を遣つてもお花さんを遣つても、あれ丈けの物は間違なく獲られる。只問題は、正札のついた物を買ふの傍ら将来の商業取引の改善の事など論ぜる際に、日本の代表者の態度は相当に重きを為したか如何にある。改善の問題に就ては、全然之に理解と興味とを有せざるかに誤解せらるゝ程度の極度の沈黙を守り乍ら、物を買ふと云ふ段になると、まけろのひけのと散々番頭と傍観者との顰蹙を買ひつゝ結局正札通りに授けられて来たといふのが、一行の赤裸々の成績ではないか。斯んな頭の所有者だから、本人は何処までも成功の積で居るかも知れない。けれども吾々国民は人を更へたならモット獲物があつたらうなど、残念がる理由もない。

                            〔『中央公論』一九一九年九月〕