中沢臨川君を悼む
八月九日中沢臨川君は逝かれた。予輩は読者と共に深く君の訃(ふ)を悼むものである。
個人として君は十数年来の良友、公人としては実に当代思想界に輝く明星であつた。中央公論は長い間君の思想的活動の舞台であつたのみならず、殊に晩年に於ては殆んど唯一の論談場であつただけ、読者は特別の親しみを君に対して有たれたであらう。君の訃は亦実に我々に取つても大なる損失である。
君の世間並の専門は電気工学である。工学土中沢重雄として君は曾て京浜電車の技師長であつた事もあり、近くは自ら社長として中沢電気化学株式会社を経営して居つた。此方面に於ける君の造詣と手腕とは不幸にして予輩之を詳にしない。唯ひそかに聞く所に依れば、自然科学の最近の進歩に由する二三の著書論文に於て、其道の人々は優に君の専門的智識の亦決して凡ならざるを認めると云ふ。併し此の方はどうであつても、臨川中沢の名は実に人道主義の勇敢なる闘将として既に大きく当代の論壇に輝いて居つた。君の天分は寧ろ人文の発展を指導する思想的先覚たるに在つたと謂つていゝだらう。
思想家として君に最も卓越せるは、其の態度の中正、健実、真撃、純清なことである。殊に人生に対する深厚熱烈なる同情は君の談論の全体に溢れて居つた。君の文章がまた之に相応しいものであつた事は、読者の既に知らるゝ所であらう。
人生に対する同情はまた君の人格をして温潤玉の如きものたらしめた。君の人格は実に其の思想文章よりも尚ほ貴い逸品であつたことは、知友の斉しく一致讃歎せる所である。予輩は人を信じ人を愛し又人を楽しんだこと君の如きを未だ多く見ない。斯かる人生観は君に於て想ふに生来のものであつたらう。君は科学者であつた。又或る意味に於ては哲学者であつた。が、君の人生観は君に於て其科学よりも其哲学よりも先きに在つたのである。君の人生観は其の科学其の哲学によりて豊富にされた事は言ふ迄もないが、其の科学其の哲学に依つて始めて得られたものではない。
そこで君と多少でも交際ある我々は、人道主義の不屈の闘将であつたといふ事よりも、人道主義其ものゝ権化であつたと云ふ事に、寧ろ君の本当の特色を発見せざるを得ない。君が昨今の時勢に棹(さおさ)して更に鼓勇一番したのも、畢竟この熱烈なる魂の衝動に促されたものに外ならぬ。尤も君が人道主義の為に奮闘された事は近頃に始つた事ではない。最近十年あまりの本誌を通じて静に君の述作を吟味するならば、l蓋し思い半ばに過ぐるものがあらう。而して戦後世界の思想界が旧套を脱して将に新粧を着けんとするの今日、君は素志将に成らんとするに多大の希望を前途の光明に繋げつゝ、更に勇躍禁じ能はざるものがあつた事は固より怪むに足らない。不幸にして不治の病魔に囚へられ、肉体は日に日に衰弱を増した。にも拘らず、君の勝ち誇つたる魂は、凱旋将軍の概を以て、最後まで活動を続けて熄まなかつたのである。
予輩はいろ/\の意味に於て君の訃を悼む。けれども君が勇躍奮進の光明裡に大往生を遂げられしを観てはまた多少慰むる所がないでも無い。否我々は寧ろ君の訃に依つて、君の活動の育める多くの魂と共に君の志を大成するの仕事に一層努力するの責任感をさへ強められる。願くは君の志の近き将来に成らんことを。
〔『中央公論』一九二〇年九月〕