有島君の死に面して
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有島君が若し死に損つて再び我々の間に帰つて来たとしたら、僕は大に歓んで彼を迎へると共に、また大に彼を面責したに相違ない。彼には彼自身の弁解はあらう。僕はまた僕として徹頭徹尾彼のあゝした最後を是認することが出来ないからである。
併し之はたゞ有島君と僕とだけの事だ。僕は友人として言ひたい丈けのことを遺憾なく彼の前に言つて見たい気がするのだが、之を世間の公衆に告げる考は今のところ毛頭ない。仮令それが公益の為にならうとも、僕は余りに麗はしい印象を残して逝つた彼を、冷酷なる道義的批判の俎上に引き出すには忍びないのである。
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新聞で見ると、なにがしの博士は彼を日本一の大馬鹿野郎と罵倒した。又有名なる一貴族院議員は、財産といふ程にもない土地や金を投げ出して見たり、淫猥な小説に手を染めたり、とゞの詰り人妻と情死するなどは薄志弱行の現代不良児の好標本だとけなして居られる。成る程之れも一理はある。併し斯んな罵声悪評をきくと、僕はなんとなく我が肉親のわるくちを聞かさるゝ様の感がする。兎に角彼れはそれ程までに我々に取つては親しみのある友達であつた。彼の最後の一幕が如何に手厳しき批難に値するものであつても、彼を識る者は到底彼を惜しみ彼を慕ひ彼を懐かしまずには居れないと思ふ。
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有島君の死に就て彼の多くの友人は色々の感想を新聞紙上で述べて居る。而して其の殆んどすべては期せずして彼に無限の同情を表して居る。中には死そのものに非常に深い意義あるかの如くに説いて彼に偶像的讃仰を捧げんとして居る者すらある。冷静に考へれば之れ贔屓の引き倒しの甚しきものに相違ないが、併し之れ程までに多くの友人の聡明を鈍らした所に、生前に於ける彼の感化の温醇を認めねばならぬ。彼の一生は実に清華花の如く朗潤珠の如きものであつた。一度でも彼に接した程の者は、どうして一朝の過失に由て彼に背き去ることが出来やう。あれ程の大きな過失―
僕は敢て過失といふ ― をすら許さうとつとめしむる程、生前に於ける彼の交遊は今に於て尚ほ我々に取つていと貴い懐しいものなのである。
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が、どんなに彼を惜しみ彼を慕ふからとて、我々はまた理非の判断を全然顛倒してはならない。僕の立場からすれば死は如何なる場合に於ても積極的解決策たるの名誉を担ふことが出来ぬと思ふが、少くとも有島君の択んだ死に方は、断じて美でもなければ人情の真に徹したものでもない。有島君に於てうるはしかつたのは、たゞその一生の座臥行住だ。死に方そのものではない。別の言葉でいへば、あゝした不正な死に方に由てさへも傷けられない程の極めて美しかつた彼の一生である。
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繰り返していふ。僕は有島君の最後を甚だ遺憾に思ふ。けれども彼が我々の間に遺した温い思出は、どうしても彼を慕ひ彼を懐かしく思はしめずには置かぬ。無頼の不良児が偶々出征中戦死したとて一躍靖国神社に護国神と崇めらるゝと反対の意味で、一朝の過失に因て、我々は彼の残したうつくしい魂の輝を永久に棄てたくないものだと思ふ。(大正十二年七月十五日)
〔『文化生活の基礎』一九二三年八月〕