村芝居の子役

 ……子供時代の思出の中で、今でも時々憶ひ出してはフ丶ンと笑ひたくなる変つた経験が三ある。私の父親の友達で田舎で料理屋を営み傍ら芝居相撲等の興行物の勧進元をつとめる顔役があつた。ある時この男の建元(たてもと)で、舞台で役者は身振り丈けを演じ台詞は一切床の浄瑠璃に任せるといふ変つた青年一座が掛つた。当時之を「身振り芝居」と云つた様に記憶する。年の頃は孰れも廿歳前後でもあつたらうか。開場に先立つて一座は腕車に乗り、其の町は勿論、重なる近郷の市場を太鼓を先き立て、流し廻るのが土地の習慣であるが、其際子役の小童も一二加はると景気がいいといふので、父親に内証で私が借りられた。料理屋の御酌に使はれてゐた小娘も一人引つ張り出されたやうだが、男の児は私の外にもう一人ある。或る役者の膝の上にのせられて終日田舎の町々を流し廻つたことを今以て鮮かに記憶して居る。名もない役者であつたらうが、何かの縁で今時ひよツと遇ひでもしたら飛んだ大笑ひだらうと思ふ。夫から千代萩の御殿の亀千代に是非貸して呉れとて、一度料理屋の坐敷での稽古には引つ張り出されたが、父親の承諾を得べき見込もなかつた為であつたらう、之れ丈は実現しなかつた。……

                    〔『婦人公論』一九二三年一月〕