近衛公の貴族院論を読む   〔『中央公論』一九二六年一月〕

 わが貴族院の採るべき態度 なる一篇を近衛文麿君は去冬数日に亙りて東京日日新聞に寄せられた。それ自身有益なる論策だが、同君の現に上院に占むる地位と照して観るとき、時節柄また格別の注目に値するものと思ふ。私の推測にして誤らずんば、この論文は或る意味に於て同君が加藤内閣に示して居る好意的態度の弁明であると観られ、同時にまた研究会内の大木伯一味の策動に対する抗議とも観られるやうだ。斯ういふ意図が若干織り込まれて居るとしても、そが貴族院の政治的任務に関する確信の宣明としての価値をば毫末も傷くるものではない。純粋なる学理的批判の見地より多少の異論を挿む余地はないではないが、立論の大綱は概して肯綮(こうけい)にあたり加ふるに其の真摯なる態度は十分に識者を納得せしむるものがあると思ふ。
 両院対立の当然の結果 は両院の衝突だといふのが近衛公の立論の出発点であるが、之に付ては少しく私の考を述べておきたい。近衛公の云はるゝ趣旨はよく了解出来る、従て敢て反対するのではないが、私はたゞ一学究として斯うした政治家の用語に学問上の注釈を施しておきたいと思ふのである。
 政治学理の問題として、両院対立の当然の結果は決して両者の衝突ではない。このことは上下両院が如何なる組織に成る場合でも同様である。然らば国法は何を求めて故らに両院を争はせるのか。換言すれば法律上対等の権限を有する上下両院をたてそれをして両々相譲らず独立の見地を主張せしむる。之に依りて一体国法は何ものを期待するのか。答へて、曰く、一層よき立場を発見せしめんことを期する即ち是のみと。
 凡て争ひといふものには自的を異にする二つの種類がある。一つは最終の目標を同一にし協力以て之を達成せんとするに当り其の手段方法につき相討論して最善の見地を発見せんとするもので、他は最終の目標を異にし他を排して専ら自己の立場を貫かんとするものである。而して両者の対立に依て当然衝突の予想さるゝはこの後者の場合に限る。前者に在ては如何に表面の争ひが激しくとも、同一目的に協力するといふ地位の自覚が失はれざる限り、必ず何等かの形に於て協調の途が開かるべきである。斯う云ふ立場から観れば、若し両院対立の結果事毎にその両者の衝突をのみ見るが如きことあらんか、そは両院構成分子そのもの、精神的堕落を表明するものと謂はなくてはならぬ。
 両院が各々誠意を以て事に当る以上、其の当然の結果は衝突でない筈だから、之を避くるの目的を以て強て妥協に努むるの必要は毛頭ない。寧ろ妥協に急がぬのが両院制度本当の精神なのである。何となれば両院をして少しでも多く反省せしめ出来るだけよりよき立場を発見せしむる為には、飽くまで其の観る所を執て争はしむるを可とするからである。故に誠意に基く争ひは幾ら激しくても差支はない。其処から何の危険も湧く道理がない、争ひが烈しい為に其処に何等かの危険を予想せねばならぬ場合ありとすれば、そは必ずや議員のうち国家奉仕の誠意を麻痺せしめた者の多い時でなければならない。一体に立憲制度といふものは、独り上下両院ばかりではない、色々な所に独立機関を対峠させて居る仕組なのである。是れこの制度がもと前代の専制政治の後を承けて其の反動として起つたといふ歴史から観ても首肯されることである。従て各機関牽制のぎごちなき運用から種々の不便が起り、時として其の根本改革の叫ばれたことも屡々あるのだが、それにも拘らず今に及んで依然其の仕組の棄てられないのは、要するに事に当る者の誠意に恃み以て支障なき運用を見得たからである。こゝに政治道徳といふ辞を使ふことを許さるゝなら、立憲制度は本
来上から下まで政治道徳の徹底して居る時に完全にその効能を発揮する制度であり、之が十分発達してゐないと、機械の狂つた文明の利器のやうに、到る処に故障を生じ、便利なやうで其実誠に始末に了へぬものなのである。
 斯く論じ来れば、読者は両院対立の当然の結果は理論上決して両者の衝突でないことをよく了解さる、だらう。所が近衛公は両院の対立の当然の結果が其の衝突だと云つて居られる。併し能く玩味して見ると、之は決して其の本来の道理を誤られたのではなくして、同君が今日の我国の実状を指称されたものたることが明白にわかる。同君は主として貴族院に付て云つて居られるが、上院中には自家の立場の支持に目がくらみ、国家全体の利害を忘れ、徒らに下院に楯突かうと狂奔するものが少くないと云ふのだ。斯んな連中が跋扈する我国の政界に於て、法規上の両院対立論を固執しやうものなら、その当然の結果が謂れなき両院の衝突に了るや言を待たずして明白でないか。之を憂へて近衛公は之に処するの態度を僚友に諮り又ひろく国民に告げんとしたものであらう。同君の地位は自ら同君をして露骨に此点を言明せしめなかつたかも知れない。が心中一片憂憤の情を懐いて居られることは、言外に甚だ明瞭である。
 両院衝突の解決策 西洋諸国に於て両院の関係は大体都合よく運んで居る。併し長い歴史のうちには融和し難き衝突を見て大に政治家を悩ましたことも稀でない。英国に於ける這般の沿革を近衛公は要領よく説さ示して居られる。而してこの問題は、私の前段に述べた通り憲政の運用が理想通りに往つて居れば結局面倒はないのだが、常に理想通りに行はる、と限らず、殊に最近は下層階級の擡頭と共に具体的政治問題に付ても上下の見解の隔りが著くなり、両院衝突の勢が段々容易に疏通し難いものになつて来たので、之は何とか機械的に疏通する方法を講ぜねばなるまいと考へらる、に至つた。そこで色々の方法が各国に採用されて居るのだが、今近衛公の例示する所を分類すると次の二種になる。第一は憲法改正を待て始めて出来るもので、(甲)上院権限の縮少へ英国に行はる、やうな)と(乙)上院解散制(自耳義に行はるゝやうな)とが此中に入る。而して同君は此の両方法共に我国に採る可らずとして居るが、私は大体その精神には賛成だが、憲法改正に余りに臆病なる同君の態度には聊か解するに苦むものがある。理論としての主張に於て憲法に必要なる改正を加ふるは必ずしも避くるの必要はあるまい。併し之等は別問題だから深くは云はぬ。第二には憲法改正を要せずして行はるゝものを挙げて居るが、此中には(甲)新貴族の製造(英国のやうな)と(乙)貴族院の政党化とを説いて居る。(甲)の方法は我国に於て必しも不可能ではないが実際上問題となるまじきは言ふまでもなく、(乙)に就ては現にこの勢の上院に於ける侵蝕の事実を承認せざるを得ずとして、只之を助長すべきや抑制すべきやに就ては議論紛々たるものがある。近衛公は之に就ては明白に反対の意見を表示されて居る。併し同君の反対論の根拠は、貴族院の政党化は「政府与党の多数を占める衆議院と正面衝突をする可能性を多からしめるから」いけないと云ふに在かやうだ。併し此論は第一に現憲政会内閣の存立を前提とし、第二に貴族院の政党化は即ち研究会と政友本党合同組との連繋を意味すると頭から決めてかゝらないと首肯されぬ説だから、要するに近衛公の反対論は、我国政界の現状に即しての議論ではないかと思はれる。果して然らば同君が抽象的の理論として一体貴族院の政党化をどう観て居られるかはまだ十分明白ではないと謂はなければならぬ。後段貴族院の使命を説く所などより察するに、結局政党化否認論者であらうとは思はるゝが、現在の政党化的傾向に対するもツとはツきりした所見を聞くまでは一の疑として存しておくの外はない。猶ほ此問題に関する私一己の所見は、近く公にすべき拙著『現代政治講話』中に説いてあるから就て参照せられんことを希望する。
 両院疏通に関する近衛公の提案 を簡単な形に書き直すと斯うなる(成るたけ同君自身の用語に従ふ)。
 (一) 貴族院はいかなる政党の勢力をも利用せずまたこれに利用せられず、常に衆議院に対する批判牽制の位置を保つと同時に、一面民衆の輿論を指導し是正するの機能を有することに甘んずべきである。
 (二) 貴族院はその時の多数党及びこれを基礎とする政府をしてその志を遂げしめることを以て常道とし、両院対立の法的関係を不当に強調すべきものでない。
 (三) 貴族院が若し時の政府の意見を以て明に国民の輿論に副はずと認むる時は必ずしも之に譲るの必要はない。否敢然として反対を表明し政府をして衆議院解散の挙に出でしむべきである。
 (四) 解散の結果依然政府党多数なるときは、貴族院は直に譲つて政府をして其の所見を実行せしむべきである。
 この提案には無条件に賛成する。世間には貴族院の反対の為に、単にそれ丈の理由で、衆議院を解散するのが可怪(おか)しいと云ふ人もあらんが、そは一顧の値もなき愚論である。実際問題として解散を断行すべきや否やは固より時に依て斟酌する所あるべしとはいへ、理論上右の如き場合に解散に由て更めて民意を問ふは決して不当の処置ではない。之と同時に若し政府党が少数に陥つたとき新なる政府は解散を促した上院が作るべきだなどいふのも、上院の職責を弁へざる妄論だ。選挙の結果新に多数を得た政党をして政府を作らしむべきは論を待たない。此場合その多数党がまた不幸にして貴族院と所見を同うせなくても致方はない。何れにしても近衛公の提案は、従来の政治家からは突飛な書生論として顰蹙されさうだが、吾々の立場から云へば近代精神の要求に通じた至当の明論であると思はる。
 両院対立の法的関係を強調せることに伴ふ危険 として最後に近衛公は一部野心家の陰謀を挙げて居る。曰く、「従来わが国には所謂官僚派と称せらる、政治家の一派の存在し……政党を忌み嫌ふこと蛇蝎の如く、延いて両院制度の精神を以て政党の抑圧にありとなせるものゝ如く、これがために貴族院によつて策動したやうな場合が見受けられる。しかしその策動の結果は両院制度本来の精神を越えて、貴族院をして政党に対抗する政治的陰謀の府たらしめた観がある。今やこの官僚は概ね凋落してしまつたけれども、この官僚の故智に学び、両院制度の尊重の美名の蔭に隠れて、貴族院によつて政府及び多数党に当らうとするものが出て来る虞はなほ明らかに看取される」と。之に由て観ると同君立論の本旨は表面上「よしその存在の理由を幾分薄弱ならしむる所はあつても両院衝突といふ事態は出来るだけこれを避け」たいと切(しき)りに貴族院の陰忍自制を奨めては居るものゝ寧ろ敵は本能寺にありで、少数者の陰謀より貴族院を救ひ、其の本来の使命に自覚せしめんとする所に結局の目標を置くものではなからうか。斯く見ると同君のこの一篇は、自制を説くといふよりも寧ろ自覚を促す為に書いたものと観るべきである。二荒芳徳君が近衛公のこの論に続いて其の批評を寄せて居るが、その中にも自制といふ字は当らない自律といふべきだと云つて居られる。是亦近衛公の立言の中には自制といふが如き消極的の言葉を以ては包み切れぬ大なる積極的気塊の躍動を認められたからであらう。
 も一つ私の近衛公に服するのは、同君が明らさまに時の政府に助力すると云ひ切つた点である。今日の研究会対政府の関係を念頭におき、研究会の重要幹部の地位にある一人として斯うした言葉は容易に吐けるものではない。軽々しく吐けば必ず自己弁解と取られる。ひとり近衛公に於て斯の如き感を吾人に抱かしめないのは、同君が為にする所あつて之を云ふに非るを推測し得るからである。従つて私共は他日内閣は代つても同君のこの態度には決して異変あるまじきを確信する。顧るに従来の研究会は時としては藩閥の爪牙(そうが)たり又時としては下院の或る政党と深い腐れ縁を結んで随分政界の腐敗を助長したものであつた。即ち政界特殊の勢力の傀儡となり其の頤使に甘んじて悔ゐなかつたのである。斯くては両院制度を設けた趣旨は何処にあるか。貴族院自身の立場から云つても自らその面目を汚す醜態たるを知らないか。是れ心ある者の決して忍び得る所ではない。近衛公もし茲処(ここ)に見る所あり、下院の政争より貴族院を超越せしめ、政界に対する牽制指導の任務を十分に尽しつゝ、常に時の政府をして其意を成さしむるやう貴族院の空気を一新するに意あるものなら、吾人は大に其の意気を壮とせざるを得ない。但し同君の宣言の如き、一片机上の空論としては言ひ易いが、責任ある人の実行の方針としては今後幾多の難関に遭遇するを覚悟せねばなるまい。早い話が近き将来に内閣が代つたらどうする。研究会を動かして加藤内閣に好意を持たせるにも骨が折れたらうが、次に来る何党の内閣にも同様の好意を持たせる様に之を導くことは、事実決して楽な仕事ではない。併し乍ら正々堂々と此の態度で押し通し結局之で貴族院を動かせるとすれば、同君の労は決して徒爾(とじ)に了らない。否之に依て貴族院の神聖は確かに保たれる。我国の政界も亦由て以て大に救はれる。何れにしても私は近衛公の言責を恃み其の奮闘を祈る。而して多大の期待を繋(か)けて今後の同君の前途を注視せんと欲するものである。