新内閣に対する期待 『中央公論』一九二四年七月「巻頭言」
加藤内閣は成立早々馬鹿に人気がいゝ。高橋犬養両者の謙譲に依て三派聯合の陣立が整つたといふことも慥に其一因に相違ないが、主としては其の閣僚に有為の人材を集め自ら国民をして久しく停滞せる政界に一道の活路を開くべきを期待せしむるものあるからであらう。兎に角今度の内閣程強い頼み甲斐のある者として迎へられたものはない。
従来の内閣は或は枢密院に気兼し或は貴族院に遠慮し甚しきは軍閥司法閥と称するが如きの鼻息をさへ伺つたものだ。一々其の指図を受けたと云はぬまでも、之等特殊階級の何等かの要求を顧ることなくして組閣の事業を完うせるもの曾てあるか。此点に於て今度の内閣は如何。以上の特殊階級の勢力たるや固より一朝一夕の事でないから、全然之を無視することは到底出来ぬだらう。従て其間種々複雑微妙の関係を生ずるは必ずや免れまい。只吾人のひそかに想像する所は、今後或は主客顛倒して枢密院や貴族院や将(は)た軍閥やが寧ろ政府に遠慮し気兼することになりはしないだらうか。又事実斯うならなくては折角の護憲内閣出現の意義もゼロだ。
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加藤内閣の強みの根拠は何処に在るか。人は三派の協戮をいふ。又は有為の人材を集め得た点を見よと云ふ者もある。併し之れが強みの本当の源だと信ずるならば飛でもない誤である。人材を集めたといふ点だけを取るなら、震災後の山本内閣だつて大した遜色はない。而も政界策士の陰謀に一と溜りもなく没落を余儀なくせられたではないか。原内閣が下院に於ける絶対多数を擁し乍ら、枢府上院等の機嫌気づまを取て辛うじて政権を掌有するを得しに思ひ到らば、三派協調の如き果して何為るものぞといひたくなる。於是吾人はどうしても加藤内閣の強みの根拠を他の新しい何物かに求めなければならぬ。
然らば求むる所の新しい根拠は何だ。是れいふまでもなく民衆的信頼である。詳しくいへば政府側の陰陽両面よりする干渉圧迫ありしに拘らず、民衆の独立の判断が能く護憲三派を表面に出したといふ点にある。従来の多数は謂はゞ金で作つた多数に過ぎなかつた。金で作つたものはまた同じく金で崩し得る。是れ従来の多数が常に策士の陰謀に脅された所以たると共に、多数党が敢然として群議を排し自家の素懐宿論を提げて驀進する能はざりし所以でもある。然るに今度の多数は少しく之とは模様が違ふ。不十分ではあるが選挙に対する民衆良心の積極的活躍のあつた所に特色の著しきものがある。一度眼をひらき始めた以上、斯うした正しい傾向は今後は益々発展するあるのみだ。議会の多数に対する不動の基礎斯くして作られんとするを観るとき枢席上院軍閥の人々が遂に之を軽視し得ざるに至るも当然ではないか。
併し議員と選挙民との真の人格的関係はまだ/\十分でない。それでも其が議会を重からしむること如斯とせば其の関係の今後益々緊密濃厚を加ふることの結果や蓋し想像するに余りある。政界に重きを為すの皮相に倣つて専恣横暴に陥ることなく、其の重きを為す所以の真因に思を潜めて切に政客の自重を望まざるを得ない。
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国民として吾人は新内閣に何を希望すべきか。普選の断行か、之もいゝ。貴族院の改革か、之もわるくはない。綱紀の粛正財政の緊縮皆誠に結構だ。が、吾人は夫よりもモツト/\大きな使命を彼等に期待することを忘れてはならない。何ぞや。政界勢力の統一是である。一言にしていへば、枢府上院軍閥等に気兼し一々彼等の不当なる要求に耳傾け、少くとも彼等の掣肘を受け、結局時代の要求に応ずる何等新施設を為し得ざるに終る様では困る、之等の散漫したる諸勢力の姑息的妥協が政界の実勢を支配することが従来百弊の根元であつたのだから、之を打破するを最大の使命とするのでなくては新内閣の華々しく出現した意義はないと云ふことである。
枢府軍閥上下両院の多数派は従来いはゞ相聯絡して政権を独占壟断した特殊部落であつた。この部落に因縁なきものは断じて政権に有り附けなかつた。其処から色々の弊害は生れる。遂に醜状暴露拾収す可らざるに至り民衆の後援は期せずして圏外の護憲三派を送り出したのではないか。故に加藤内閣は其成立の由来から云つても民衆的新勢力に拠て壟断的旧勢力と戦はねばならぬ立場にある。之等の点に関しての新内閣に対する希望は別の機会に譲るとして、吾人はこの使命を達せしむる為に一日も長く加藤内閣を廟堂に立たしめて置きたいと思ふ。掲ぐる所の政策の実行に何れ丈の成績を示すやは第二の問題としていゝ。旧勢力に阿附妥協する惰容を示さゞる限り、吾人は極度の忍耐を以て加藤内閣の存続を許さうではないか。只恐る、加藤内閣果してこの吾人の期待に背くことなきや否やを。