加藤内閣存立の根拠 『中央公論』一九二二年七月「巻頭言」
加藤内閣の出現を以て政界の常琴に非ずと為し、頻りに之を難ずる者がある。新総理加藤男爵は声望手腕に於て既に自他之を許すもの多く、閣僚の顔触れまた従来の内閣に比して左まで遜色はない。然るにも拘らず其の出現を難じ其の存立を呪ふは何の故ぞ。
曰く超然内閣なるが故に非也と。又曰く中間内閣なるが故に非也と。併し吾人の観る所を以てすれば、単に這般の論拠のみを以ては未だ新内閣存立の基礎を動かすには足らぬ。吾人は必しも新内閣を弁護せんとする者ではない。又固より之を理想的内閣なりと讃する者でもない。只之を難ずる世上の俗説の中に許す可らざる謬想の潜むを見て、敢て一言の弁妄を禁じ得ざる者である。
立憲政治の帰趨が政党内閣に在る事は之を争はない。従て一政党失脚の後を他政党承けて之を嗣ぐは憲政の常道である。政党に根拠なきものゝ台閣に立つが如きは力めて之を避くべきである。果して然らば加藤新内閣が所謂憲政常道論の形式的要求に合せざるは極めて明白と謂はねばならぬ。
然れども一歩退いて考ふるに、所謂憲政常道論は何に依て現代政界の通義となつて居るのか。そはいふまでもなくデモクラシーの徹底のためではないか。政党は民衆の意思の代表である。多数は欺く可らず、現時開明の世に在ては多数の正直に是(ぜ)とする所に真理は存在すると観る。之を予定して政党政治を最良の政治形式とするのだ。茲に憲政常道論の依て以て立つ所の道徳的根拠がある。この道徳的根拠に立脚する限りに於て而してその限りに於てのみ、憲政常道論は現代政界の不動の通義たり得るのである。
撃剣は最良の運動方法だとする。併し之は人の普通の健康を予定しての話だ。予定の根拠と離して、漫然第二義的の原則に拘泥すると、瀕死の病人にも撃剣を強いねばならぬことになる。我国には、兎角(とかく)西洋に行はれた原則を翻訳し、其の道徳的根拠と引き離して、漫然之を概念的に持て囃(はや)す弊がある。憲政常道論を以て今日の政界を支配せんとするが如きも、また稍其の嫌なきを得るだらうか。
政党は民意を表現すべきものであると云ふに何人(なんぴと)も異論はない。が、現今の政党は事実民意に根拠して居ると真面目顔に説く者あらば、誰か其の欺瞞に噴飯せざる者があらう。民意の開拓を謀らず、其の自由判断を恃まず、寧ろ民意を侮ることの方法に依て不正の投票を集めたるの点は、朝野両党を挙げて其の罪を一にするではないか。真に民衆の良心に連絡するものなきが故に、政党内閣の形式的通義を固執することは、実質的には必しも社会の文化に何等道徳的の関係はない。故に思ふ。憲政常道論の主張は、よし之に依て更に政界の弊を深くするの憂なしとするも、政界の真の進歩を促すべき何等積極的の力あるものではないことは言ふを待たないと。
実質的観察に依れば、真個民衆的良心と連絡なきの点に於て、今日の政党は貴族院の諸分派と其の性質を異にするものではない。名を政党と移するに眩惑して、之を特殊のものと見誤つてはならない。故に若し政友会の失脚後、政界の一勢力として相当の分野を占むるものに内閣組織の社会的権利ありとせば、此点に於て憲政会は貴族院諸派と同列に在るものだ。憲政会独り後継内閣組織に独特の権利を有するが如く呼号するは、滑稽なる僭称と謂はねばならぬ。初めから民意に根柢する政団なき以上、議院に相当の分野を占むる勢力をして、内閣の組織に当らしむるに甘んぜざる可らざるが故に、所謂政友会内閣が超然内閣でなかつたと同じ意味に於て、今度の内閣とても必しも超然内閣とは云へない。只政友会に次ぐの大政党たる憲政会を差し措いて他に持ち廻つたのが穏当の処置かどうかに、大に議論の余地はあるが、加藤新内閣の如きが、我国現時の政情の下に於ては其存立を認む可らざる底のものでないことだけは、明白に之を承知して置かねばならぬ。
吾人が斯かる異説を主張する所以は、加藤新内閣を特に弁護せんが為ではない。寧ろ斯かる内閣をも非認し能はざる我が国現時の政情に世上の反省を促さんと欲するが為である。内閣が変態なのではない。政情そのものが変態なのだ。而して其の主たる原因が実に今日の所謂政党共者に在るの事実は、深く吾人の戒心に値するものである。此点に於て在野党たりし憲政会の如き従来余りに放慢軽躁に過ぎなかつたか、若し夫れ政友会が天下を敵党の蹂躙に委(まか)して旧悪の暴露せらるゝを怖れ、所謂中間内閣の出現に狂奔せしの醜態に至ては、恥を千載に貽(のこ)すもの、識者の唾棄にも値せざるものである。
終りに新内閣に一言する。吾人は現今の政情の下に於て新内閣存立の合理的根拠を拒まない。が、また形式上最良の内閣とも思はない。従て其の前途には幾多の困難もあらう。が、望む所は、最良の政策を以て実質的に国運の進歩に貢献せられんことを。就中吾人の希望に堪へざるは、変態的政情の粛正に対しては最も意をとゞめられん事である。自家政権の永続に恋々として、変態的政情の粛正を怠るが如きあらば、是れこそ国家に背くの罪軽からざるものである。