自警団暴行の心理 『中央公論』一九二三年二月「巻頭言」
震火災に伴ふ非常の大混乱に際し、民衆が夫れ/"\其の居る処に拠つて自発的に自ら護り又他に奉仕するに努めたのは、何と云つても今回の惨事に於ける一大美事に相違ない。而して之を一大美事と認むるに躊躇せざるだけ、夫れだけ吾人は其後諸方に頻発せる自警団の暴行なるものを耳にして甚だ之を遺憾とせざるを得ない。
無用の誰何、交通の妨碍、良民に対する過度の凌辱、果ては強窃盗、殺害等の甚しきに至る。聞くだに身の毛のよだつ様な暴行を数多き自警団が犯したと云ふは、仮令全体より見て其数甚だ少なかつたとはいへ、国民的面目の上よりしても到底許す可からざる事態ではないか。
主たる原因は何処に在るか。日が没して蝙蝠の跋扈するが如く混乱に乗じて兇暴なる煽動者の傍若無人に跳梁したことや、一般民衆の軽佻にして極めて乗ぜられ易きことなどは、先づ第一着に数へ挙げられねばならぬものであらう。之も吾人の省察を要すべき重大な問題であるが、其外先に一つ大に読者諸君と共に考へねばならぬ事がある。そは我が国民一般の通癖たる「カの玩弄」といふことである。詳しく云へば、我国の民衆には法律的に若くは社会的に何等かの権力を与へられると其の本旨に遵つて運用する代りに動もすれば無暗に之を振り廻し他の迷惑がるを寧ろ痛快がると云ふ悪癖のあることである。
ある夏の真盛り大道で撒水夫が二人で話をして居るのを開いた。向ふを派手に着飾つた若い婦人が通る。この事を黙つてその側へひき寄せいきなり水を出して泥しぶきを浴せてやらうぢやないかと一人が云ふ。可愛さうだ、そんな罪作りは止せ、人も見てるに!、と他が詰れば、なアに構ふもんか、東京市の御威光でやるんだもの、と彼は頑張る。公立病院の小使が患者を叱り飛ばしたり、三等郵便局の窓口で人民どもが散々こづき廻されたり、田舎者が議員になつて俄に肩で風を切つたりするのは、皆同類の現象と謂ていゝ。詰り彼等は俺れには之れ丈の権(ちから)があるんだぞと見せびらかしたいのである。俺の意に反しては何事も出来ないぞと威勢を見せたいのである。一言にしていへば自分の背後にある公力を恃んで自らよろこぶに急なのである。従つて他人の迷惑の如きは更に之を顧みるに遑がないのである。自警団の暴行の如き、畢竟斯う云ふ通癖のたま/\変に乗じて一部民衆の野性を駆り動せる類型的現象に過ぎない。従て之を一部民衆の過失なりとして我々と全然無関係の出来事と嘯(うそぶ)くものあらば、そは余りに短見であると思ふ。
然らばさうした通癖の基く所は更に何処に在るか。詳しい論明は別の機会に譲るとして、茲に吾人は一言我国在来の教育が服従道徳の涵養に偏執して創意的奉仕精神の訓練を欠如せるの一事を絶叫して置きたい。上の指示する所に従へとは教へる。自己の創意に基いて人の為にし世に仕うる真の機会は全く与へられない。政事に干(あずか)ることが罪悪なるかの如く教へられた青年が、如何にして校門を出でゝ公民としての与へられた権利を正しく使ひ得やう。服従道徳の動もすれば陥り易き著しい弊害は、上の専横と下の不満とである。不満は時として羨望に代る。是れ嫁として苦しみ抜いた者が姑として後にわが嫁を窘(くるし)めるに躊躇せざる所以。軍隊などでも新兵を虐使する下士は、とかく自分の新兵時代にひどく窘められた者に多いとやら。自己の深刻な経験が思ひ遣りの人情となりて将来の人格美を作る要素たるべき筈だのに、それが却てつねに反対の結果となるのは、畢竟初めに於て創意的奉仕精神の涵養を怠つたからではないか。
肴(さかな)屋の小僧ふだんは主人番頭にこき使はれる。一旦自警団に加つて竹鎗棍棒を与へられて町内の警備に当ると、少し位人を擲(なぐ)つても誰からも咎められない所から、自ら平素の枉屈(おうくつ)を伸ばすは此時だと云ふ気になる。斯くして面白半分に人の迷惑がる事を敢てする。之が嵩(こう)じて暴行となるのも亦怪むに足らない。而して斯うした心理
― 大小軽重の差こそあれ ― を我国青年の頭に深く植ゑつけたのが、在来の誤つた教育方針ではないか。
我国の今日程青年の創意を抑へる処はない。又我国の今日程青年の創意的活動を危険視する処もない。夫れでも時勢の進運は争はれぬもの、青年の頭は遠慮なく伸びて行く。さればこそ今度の災害に際しても、彼等の奉仕的活躍は所在に現はれて広く社会の感謝を博して居る。にも拘ず他の一面に於て悲しむべき幾多の罪悪を伴つた事に付ては、昨今遅ばせに報ぜらるゝ司直官憲の検挙所罰等に満足することなく、吾人はもつともつと深く考ふる所がなければならぬと思ふ。