政党の地盤政策を難ず


 九月下旬行はれた府県会議員の選挙は、政友、憲政、国民の三党各々其政党の名に於て鎬(しのぎ)を削り、各政党の幹部までが態々田舎を狂奔した事は人の知る所である。此事は今日我国の政党が如何に地方の問題に興味を有つて居るかを語るものであると共に、国会議員選挙の場合に於ける地盤の擁護乃至開拓と云ふ考がまた彼等をして大いに地方問題に浮身を窶(やつ)さしめて居ると云ふ事も掩ふ事は出来ない。国家の経綸 ― 従つて中央政界の問題に専ら没頭すべき筈の政党が地方の自治制に干与するの不可なるは云ふ迄もないが、殊に彼等が党勢拡張乃至地盤の擁護開拓の目的の為めに地方政治を紛乱して顧ざるに至つては、之れ立憲政治の本義に悖る一大罪悪と云はなければならない。

 立憲治下に於て守られねばならぬ数ある原則の中、其最も重要なるもの二つは、各国民の人格的独立の尊重である。之が為めにはすべての国民をして其政治上に於ける意思の決定を最も自由ならしめなければならない。而して所謂憲政創始の運動は其形式的自由を確立し、又は少くとも確立するの端緒を開いたのであるが、其実質的自由は今日尚未だ十分に確立されてゐない所がある。我国の如く未だ普通選挙の行はれてゐない所では、国民の自由が形式的にも完成してゐないが、せめて其与へられたる範囲内に於てでも其自由が本当の意味の自由であれかしとは我々の切に願ふ所である。即ち我々が現行選挙法の下に於て尚選挙権の行使につき、いろ/\の註文をするのは、現在の選挙権者が単に法律上の文面のみでなく、事実真から良心の命ずるが儘に自由の行動を執り得るやうにしたいと希ふからである。斯くの如きは啻に立憲政治の本義に協(かな)ふばかりでは無い。更に斯くして国家の文化を高め、国運の進歩を促すと云ふ道徳的効果もあるからである。蓋し選挙人が選挙権を行使するに方つて買収せらるるでなし、其他いろ/"\の利害によつて動かさるると云ふ事がなくなり、単純に自分のよしと信ずる所によつてのみ行動するといふ事になれば、政党の競争に於て勝敗の決定をなす者は即ち国民の偏する所なき良心の判断であるから、昔の政争のやうに殺伐陰険なる手段を運(めぐ)らすの余地はない。従つて政争を倫理化し、其結果また各政党をして互に切磋琢磨し、競うて良能を発揮せしめることが出来る。啻に之のみではない、各政党が各々其最もよきものを発揮して競争に勝たんと努むるの結果、国民其物も亦之によつて大いに発達を促さるゝ。即ち斯くして政党は他の政党と各々其能を競ひ、国民はまた政党と交互に其最執よきものを発揮せざるを得ざらしめる。之れみな国民の意思の自由を尊重することより生ずる賜物に外ならぬ。
 然るに不幸にして我国現今の政界に於ては、所謂国民の自由は其実質に於て大いに蹂躙されて居る。而して其中官憲の干渉とか候補者の買収請托とかは、人多く之を脱却し得ずして而かも之を非とするに誤らざるも、此外尚大いに国民の良心の自由を蹂躙する怖るべき弊根あるを気附かざるものが多い。そは何かと云へば、即ち政党の所謂地盤政策なるものである。

 天下の政党が地盤の開拓と称して或は府県、甚しきは郡市町村の政治にまで干与し又は種々の因縁を附して一地方の公民を党籍に列せしむると云ふ事は、西洋諸国に於て殆んど其例を見ざる所である。蓋し政党は天下国家の問題を以て争ふべきもの、地方政治の問題は原則として地方公民の自治に委し、直接政党の干与すべき者では
ない。若し夫れ地方の公民に至つては自ら中央政界の舞台に乗り出さんとするものにあらざる限り、各政党の理義の争に対し公平なる批判者たるべくして、争の当事者たるべきものではない。即ち彼等は今日の場合甲党を是と思はば甲に賛し、乙党を是と思はば乙に賛し、賛否の票決に於て毎に全然自由の立場に立つて居なければならない。斯くしてこそ初めて政治に公正あり、国家にも進歩あれ。然るに我国の如く政党が山間僻邑まで其毒手を伸ばし、よくもわるくも誰某は甲党に又は乙党に投票するものと予めきめて置くのでは、党争はつまり自分達の立場は国民多数良心の認受する所となれる結果として勝つのではなくして、つまり腐れ縁につながる家の子郎党の多寡によつて極まる訳になる。其結果どうなるかと云へば、各政党は平素色々の利益を提供して地方民を繋ぐのみならず、いざ選挙と云ふ場合には更に種々の不義の利益の提供によつて去就の曖昧なるものを寵絡する。斯くしていゝ事をしやうが、わるい事をしようが、何うでも自分達は勝てると云ふ意味で堅い地盤を築かんことに腐心する。之れ党あつて国なき連中にとつては極めて安全な方法であらう。けれども之によつて国民の道心を傷け、一国文化の進歩を妨ぐることの如何に大なるやは測り知るべからざるものがある。頑迷者流動もすれば政党の弊害を説くが、政党其物に斯くの如き本質的欠点ありと云ふ議論には固より賛成は出来ないが、少くとも我国今日の政党は此種の詰問に対して一言弁解の辞なかるべさは疑ない。

 以上述べたる意味に於て予輩は今日の政党の所謂地盤政策に多大の反感を感ずる。殊に此点に於て今日までの政友会の遣り方に最も遺憾とすべきものが多い。主義として政党内閣論者たる予輩にとつて、我国政党の今日の暴状は最も悲痛なる憂悶の種でなければならない。而して今日の政党は或は救ふべからざるも、地方多数の公民中には尚其良心の聡明をたゝくことによつて我々の立場の諒解を求るの望有ることを疑はない。是に於て我々は敢て地方の公民諸君に告ぐる。諸君は専門の職業的政治家で無い限り、籍を政党に列してはいけない。此点に於て断じて政党者流の甘言に耳傾けてはいけない。諸君は何処までも不偏不党の態度をもつて、其真価値に於て各政党の立場を比較し、最も公平に其角逐の勝敗を決すべき任務を忘れてはならない。国家の諸君に期待する所は忠実なる行司の役目である。政治家たる角力は行司までを東西に分つて先天的味方たらしめんと努むる。此誘惑の怖るべきに警戒して、何処までも良心の判断を自由に且つ鋭敏ならしめんことは、我国憲政の進歩の為めに予輩の切に冀ふ所である。

                             〔『中央公論』一九一九年二月〕