精神界の大正維新

     (一) 独逸を引照す


 ビスマークは独逸の国家を偉大ならしめたれど其個人を縮小せりとは識者の論評なり、ドイツ統一の大業成りてより茲に殆んど五十年、今や独帝は世界の列強を相手に乾坤一擲の大戦争に従事中たり、国家としての現在の独逸は敵ながら偏へに感服の外なしと雖も独逸人個人としては多くは是れカイゼルの鼻息を伺ふに汲々たる利名に狂奔するの徒のみ、其学者中復たゴヱーテなく、シルレルなく、フイフテなく、其政治家中スタインなく、シヤーンホルストなく、ハルデンブルクなし、其学者と称するもの多くはカイゼルの命を奉じ国家の為めに其研究の結果を呈供せんとするに過ぎざるもの、其政治家なるものは即ち是れカイゼルの秘書役たるに外ならず、独逸人民は宛も一大軍隊の如く、唯だカイゼルの命の儘に其世界政策を奉行すれば能事了すとせば今日の独逸の国情は殆んど理想に近しと謂ふべきに似たり、真理の研究に専心し世間の木鐸たるべき学者にして多く曲学阿世を以て終らんとする如き決して国家の慶事に非ず、又た堂々たる帝国大宰相の身を以て国際の時変に順応すべき機会を捉ふること能はず、慢然強大の兵力を擁して列強を威嚇せんとし、終に今次の大戦乱を誘致するに至れるが如き決して其責任を解するものと謂ふ可らず、其他実業界に於ては造兵業に於けるクルツプの如き英才を出だし、総じて工芸の発達は世界其比を見ずとするも、独逸の人心は漸く唯物化し来りて殆んど崇高偉大の傾仰すべきもの地を掃はんとするに似たり、仮令今次大戦の結果独逸の敗屈に終らず寧ろ勝敗未決を以て互角引分けに帰するとするも其結果は決して独逸の為めに慶賀すべきことに非ず、況んや其敗辱に終るが如きに於てをや、其罪の帰する処独逸に一人の人物なく、カイゼルを諫めて今日の惨禍に至る途より救ふ能はざりしに在り、蓋し近代五六十年間独逸人民は頻りに国家的成功に酔ひ、皇帝を以て神に代へ、名利を以て正義に換へ、上下交々利名を征して其国危からんとするものに非ずや、最近の学者中に在りてもオイケン、ハルナツクの徒の如き好学の士と謂ふ可らざるに非ずと雖も彼等が軍国主義の独逸を以て世界文明の先達者と倣し之に刃向ふものを呼びて文明の賊と做すに至りては其愚実に笑ふに堪へたり、独仏戦争の前後の独逸は士気剛健、之を四隣の国風に比較するに同日に論ず可らざるものあり、殊に仏国がナポレオン三世の権謀に寵蓋せられ人情日に淫靡浮薄を極めたると対照せば、比公をして「我等独逸人は神を恐る、其他何ものをも恐れず」と云はしめしも誇張の言と云ふ可らず、実に五十年前の独仏戦争に際しては正義独逸に在りき、然れども今日の独逸人はカイゼルを畏る他に何物も此世に恐るものなしと云ふが如きの人情の下にあり、強大世界第一の陸軍を後援とするカイゼルの一命下ると共に挙国一致して軍務に服するの一事は頗る感心すべきに似たれども、蒙古人種が成吉汗の一令の下に水火を辞せず世界を横行せしと果して何の択ぶ処かあらん、其弊の及ぶ所、独逸に人物なく、カイゼルをして独り社稷を憂へしむるに至るの状察す可らずや、更に戦陣の事情に関し現在の独逸軍を以て七十年戦役のそれに比較せんに、兵数に於て今日は前日に十倍し且つ軍器の精鋭、軍隊組織の整頓等亦た遥に前日に優るものありと雖も軍人間士気の一点に至りては遥かに前日に及ばざるものあるに似たり、輓近の独逸軍隊が著るしく軍紀の弛廃せるものゝ如く、昨秋開戦以来各方面に於ける奪掠其他犯罪の頻繁なる殊にヴエルゾーン附近に於ける皇太子の内命を帯べりと称せらるゝ奪掠行為の如き頗る世界の識者を顰蹙せしむるものあり、之に反して前年の独仏役に際しては独人の節制比較的に称するに足るものあり、当時ヴエルサイユの旧王宮に滞在せる比公の如き其飲料の葡萄酒類を悉く本国より取寄せて敵の分捕品を消費せざるを誇りしことあり、又た直接士気の一斑として云ふには非ざるも、前回の役には遂に白耳義の中立を犯すに至らず能く中立国の権義を認めて国際条約の神聖を尊重したるも、今次の戦争に於ては其開戦第一の行為は即ち白耳義の中立を侵犯するに在りしことを記せざる可らず、世間一部の論者は英国が開戦を宣するに際し自耳義中立問題を以て宛も試験的事件と做し、独逸が其中立尊重を保証せざるを以て宣戦の主因となせしを怪しみ、寧ろ是れ一種の辞柄を構ふるに過ぎずと云ふものなきに非ざれども、国際条約の神聖は即ち国内に於て法律の神聖なるが如し、殊に列強に保証されたる小国の権利に至りて最も之を尊重せざる可らず、若しも之を尊重せず強国の必要の前には条約なく中立の権義なしと云ふに於ては是れ根本に文明立国の基礎を破壊するものに非ずして何ぞや、吾人は茲に至りて益々比公の深謀遠慮を称し現皇帝の驕気侮慢遂に公法の根本を犯して今日の惨禍を招くに至れるを歎ぜずんばあらず、是れ即ち多年の成功に酔ひ気随気儘を世界に立通ほさんとする心意の荒廃を示すものに非ずや、此等の数例を以てするも独逸魂の堕落歴々蔽ふ可らずと謂ふべし。

     (二) 我国情独逸に努発たり

 吾人が前段独逸を論ずるは他なし其興廃隆替の跡に就き最も例証に富めるを見ればなり、抑も独逸統一の大業成りしは宛も我が王政維新と相前後し其雲蒸竜変人材崛起の状亦た頗る相似たるものあり、而して我邦維新前後の人材を以て今日の所謂人物に比較するに其懸隔の遠きに独逸に於ける前後人材の対照よりも更に甚だしきものあり、独逸最近開戦当時の参謀総長モルトケ将軍を以て七十年役の老モルトケ大将に比較し宰相ベートマン・ホルウエツヒを以て比公に比較し巧慧多能の現皇帝を以て重厚円熟の維廉一世と比較すれば時代の推移自ら明なり、然れども我邦現在の所謂政治家を以て吉田松陰、坂本竜馬、木戸、大久保、西郷に比較せば如何、世界的知識を有するの一事に於ては今代の人物素より維新前後の人物に優るものあるべしと雖も、此一事を除きて外は、其胆気に於て其愛国の至誠に於て到底比較の限に非ず、過日尾崎行雄氏は木戸松菊の韻に和して述懐の詩を詠じ之を知友に示せりと聞けり、恐らく其詩の劣作なりしは其人物の木戸と比して甚だ劣作なると毫も択ぶ所なけん、若しも現在の人情時勢の間に橋本左内、高杉晋作の輩を投ぜしめば彼等果して多数党の首領たるを得べきや、恐らくは世間は彼等を狂人視して殆んど真面目に之を相手にするものなからん、近時維新志士の碑を立て其祭祀を行ふの風潮あるは頗る同情すべきことなり、乃木将軍に対する崇敬の如き亦た世道を稗益すること少なからざるを思はずんばあらず、然れども先輩の祭祀を行ひ其紀念に忠なるは必ずしも先輩の志を継ぐ所以に非ざるを記憶せざる可からず、士気頽廃せる末世に於ては却て先輩の偉業を紀念して誇らんとするの風あり、和蘭領なる南洋ジャワ島の首府バツテンブルクに於ては一のワートルルー紀念碑あり、其碑銘に依れば是れ和蘭の軍隊にして英軍を授けてナポレオンに最後の打撃を与へしものの為めに建てらるとあれど、実際ワートルルーにては和蘭兵は開戦前夜にブルツセル府に引揚げ、当日は一兵だも該歴史的戦場に形を露はさざりしと云へり、即ち或る場合には人は祖先の無実の勲蹟にも誇らんとするものなり、況んや有実の勲蹟に於てをや、然れども是れ真に祖先の精神に同情せるが故にはあらで寧ろ一種の虚栄心に駆られて遠きを追ふの形式を踏むに過ぎざる耳、又た或る一部に於ては偉人を視ること偶像を視る如く之を崇拝すれば宛も不可思議の神助にても与かるが如く思惟するものあり、而して彼等の精神は偉人の心と全然没交渉なり、若しも然らずして真に精神より偉人を崇拝するものとせば世間の風潮も現在の如くに唯物的に落ち且つ軽佻浮薄ならず尚ほ幾分当年の元気を残存すべき筈ならずや。
 独逸の統一が国家を偉大ならしめて個人を縮小せしが如く、我邦にても維新政府の基礎成りて中央集権の政策着々実行せらるゝに従ひ青年学生の志気漸く衰へ其規模は痛く萎縮せられたり、開国前後の我邦の志気は頗る蒙邁なるものにして、幾多敢行冒険の気分を含蓄し、殆んどエリザベス朝の英国を聯想せしむるものあり、当時幾多有為の青年は国禁を犯かし且つ僅かに風帆船の便を求め水夫の業務に服し洋行を企て、印度洋を渡り喜望峰を迂回し七八月の久しきを経て倫敦又は紐育に達したりき、当時一詩あり何人の作なりしか知らざるも汎く青年間に膾炙せらる、其詩に曰く

 海城寒析月生潮、波際連檣影動揺、従是二千三百里、北辰直下立銅標、

此詩の文義に拘泥して観れば宛も北極探険を詠ずるかの如く思はるれど、作者の真意は恐らく単に冒険遠征の情思を言はんと欲するに在るべく、以て開国当時に於ける青年有志輩の意気の壮大を察するに足れり、降りて明治七、八年に至れば征韓論の勃発するありて国内の志士は血湧き肉躍るの感に堪へざりしが、台湾征討の挙あり続いて西南の役あり僅かに鬱勃たる蛮気の一部分を発散するを得たるも、人心の動揺は容易に沈静せず国家変を思ふの情は自由民権の主張となりて発し国会請願の大運動となりて現はれ来れり、此不安の国情を鎮撫するは只だ国会を開設して一種の安全弁を設くるの外に策ある可らず、茲に於て明治十四年の詔勅により二十三年を以て国会の開設あるべきを宣せられたり、是より時の政府にては鋭意法治国の基礎を置くに努むると同時に憲法制定の為めに全力を注ぎ、明治十八年には始めて内閣制の創立ありて帝国の政治組織を一新し、此と前後して華族の五爵を置き位階勲等の規定を立て又た恩給の法を定めて官職を奉ずる者の名誉利禄を保証せり、是れ実に自由民権を唱説して動もすれば常規より離脱せんとする人情を調整して国家人心の統一を計るの方法として頗る効果ありしも、又た進んでは今日の理想なき唯物的征利的小成的風潮を促せる一大原因ともなれり、試みに思へ衆議院議員の如き固より人民の代表者にして行政府司法府に対しては常に監督者の位置に立つものなり、故に其身自ら官吏たるものとは職責の趣を異にするものありて、位階服を着し勲章を佩び得々たる官吏とは其撰を同ふせざるものなり、然るに代議士にして位階勲章を羨み中流官吏の対遇を得れば以て頗る満足の色あるが如きは不見識も亦た極まらずや、日露戦争の終りて後ち貴衆議院議員中叙勲を希望して頗る運動に努むる処ありしと聞きしが当時は軍国の政に参画したる稜に由り一般に勲四等を賜はりき、今次の大典に際し何の勲功と称すべきものもなきに係はらず又た叙勲の運動を為すものありしと云ふが如き誠に沙汰の限にして、議院の世間より尊重せられざる誠に故なしとせざるなり。

     (三) 国家主義教育の弊

 然れども人心を鎮静して自由放慢の弊より救はんとする明治政府の政策上より観れば故森有礼子に由り行はれたる学制改革は最も著るしき効果を齎せり、森子は明治十八年の伊藤内閣に入り文部大臣として最も特色を発揮したる人なり、其主張は国家主義の下に教育制度の一統を謀るに在りて、彼は全国に向つて画一なる学制を施行し、当時異分子視せられし宗教学校を排斥せり、而して各学校の教授法なるものは主として口授に由り新智識を子弟の脳髄に注入せんとするに在り、想ふに注入法の教育は必ずしも森子により始めて主張せられたるに非ず、従来の儒教々育其物已に極端に注入的にして文字を記憶するに過当の重きを置けり、即ち注入教育法は我邦伝来の教育法にして、偶々西洋の教育制度を輸入するに当りても遂に旧弊を一掃して啓発的教授法を採用するの必要に着眼する能はざりしものなり、例せば小学より中学、高等学校を経て大学に至るまで十七、八年間に亙りて我青年子弟は偏に注入教育に由りて記憶力を浪費し且試験の関門多きが為めに精神を疲弊し、其終に業を了へて大学を出る頃には多くは其脳髄弾力を失し其元気消耗するを常とす、多くは是れ注入教育の罪に帰すべきなり、更に注入教育の弊は先例に拘み指導に服し、在学中は素より卒業後と雖も永久に柔順なる弟子たるを脱する能はざるに至る、自ら工夫発明し、先例をも破り師説をも翻へし以て学界の開拓者と為るが如きは到底注入教育の結果に待つべからざるなり。
 然れども我邦教育の弊は単に注入教育に止まらず所謂国家主義の下に行ひ来れる画一教育の弊亦た頗る甚だしきものあり、従来我文部省の目的は青年子弟の思想感情を一定の鋳型より打出さんとするに在りて各人に付き其自然独特の賦性傾向を参考とせず、其独創の見地を開拓せしめて自然の発達を為さしめず、却て其感ずべきことを示し其思ふべきことを教へ未来永劫師説の範囲を脱せしめざらんとするに在るが故に、何かの方法に由り其の元気を虚脱せしめて卒業後に於て自由に思索して進歩発展すること無からしめんことを要す、即ち注入教育、試験教育、利禄名誉の拘束、忠君愛国の服従要求等は遂に文部省の目的を達するに頗る効果ありしもの、如し、更に消極的方面に就て之を観るに政治と宗教を学校内に禁制したるは文部省型の教育をして一層活気なく、一層自発力なきものたらしめたり、抑も政治と宗教は明治十年の前後より殆んど併行して我邦に其勢力を増大し来りて、十八年の学制改革の頃に在りては当局の眼には最も危険なる異分子として映ぜしなる可し、全国各地に開設せられて頗る繁昌せる宣教師学校が一面自由思想の養成所と認められし如く、天下到る処に開催せられし政談演説会は謀反人の教唆所なりと思惟せられたり、故に政談聞く可らず、宗教は学校の門内に入るを許さずとは文部当局内規の方針なりしなり、如何にも学生として極端に政治に狂奔することの甚だ可ならざるが如く宗教に凝結して学事を忘却するも亦好ましきことに非ず、然れども宗教が人の性情を開発するに最も有効なるが如く、政治の修養は能く人をして其国家的社会的職分を理解せしむ、故に政談宗教を禁制したるは一応の理由なきに非ずして当時の状況に照らし当局の処置に対し其心事を諒とするに足れりとするも、同時に我各学校を卒業する青年をして
世事に疎く時勢を解し得ざる偏頗者ならしめたるの責なき能はざるなり。
 之を要するに我邦の教育は、其長所を言はんと欲せば一朝一夕の能く尽すべき限に非ずと雖も、其弊や人心を萎疲し元気を消耗し、一切の雄渾偉大の気象を発生するの余地なからしめんとするに在り、若しも明治十八年に於ける森文相の教育政策を観て之を迂闊となし効果を見るの日を待つに懶しとせし人あらば、彼等は必ずや未だ二十年を出でざるに着々其効果の現はれたるに驚きしなるべし、当年の活気横溢して動もすれば放慢に流れ易かりし青年子弟は日露戦役前後に至りて其気風遂に一変し、最も柔順なる官吏候補者となり又は会社員志願者と為れり、若しも森子自身をして其学制の弊遂に先に及ぶを見せしめば恐らくは早く已に矯正の法を講ぜしなるべし、不幸子は憲法発布の当日を以て凶刃に係りて逝き、その後に文相たりしもの多くは凡庸の器にして画一政策の弊を認むること頗る遅きに失するの怨あり、近来に至り稍弊の甚だしきを暁(さと)れるが如きも今や病膏盲に入りて一大英材の出づるを待たざれば容易に改むること能はざらんとす、亦た歎息す可らずや。


     (四) 現代の精神的堕落

 之を要するに我国家は維新以来長足の進歩をなし我国勢は年と共に開展し、日清日露の両戦を経て既に韓満を奄有し、更に今次の世界争乱に際会するや一躍東洋の覇権を把捉するに至れるも、内に国民の精神状態を顧みれば其志漸く荒廃し苟安小成を希ひ、国家の偉大国民の縮小とは正に反比例を為すものの如し、現代の国民は国家をして今日の偉大を為さしめん為め維新の先輩が如何の苦辛を嘗め如何の蟻牲を払ひしかを忘却するものゝ如し、表面には頻りに其功勲を賞し崇仰の形を示すも其精神は日々益之に遠ざからんとするに似たり、勲章、年金、爵位、恩賜を目標として活動する処の現代人士が到底当時の誠忠にして犠牲的なる高崇雄大の精神を理解し得ベきよう無ければなり、而して犠牲献身の気魂なく高崇雄大の精神なき今日の縮小せる国民にして果して無難に先輩の遺業を継承し行くことを得べきや否や、是れ実に現代の有司、軍人、政客、学者、教育家、宗教家輩の正に自反再思して深く憂慮すべき処に非ずや、試みに一例を以て之を云はんに茲に徒手一代にして数百万の身代を作れる人ありと仮定せよ、彼若しその貧賤に生立ちしを恥じ其子女をして華奢の生活に慣れしめば一朝不諱の事あらんには果して其不肖児の代に至り其家依然として繁昌するを得べきか、今代の我邦人は之を維新前後の日本人に比較して果して不肖児に非ずと云ふことを得べきや否や、而して今に於て速に自反覚醒することなしとせば遂に能く維新の大業を継承進展し得べきや否や深く関心憂惧せざるを得ざるなり。
 今や我文部当局は学制問題の解決に没頭するものゝ如く吾人は其労を多しとせざるに非ずと雖も、学制の改革は必ずしも今の教育界を刷新すべき根本的手段に非ず、学制の改革素より必要なが、然れども教育方針の改革、学風の一新は寧ろ学制問題以上に重要なりと云はざる可らず、従来の注入教育に代ゆるに啓発教育を以てし、良民教育に代ゆるに偉大国民教育を以てし、自由雄渾の思想を鼓吹して以て下劣俗悪なる利己的感念により糜爛せる我国民の心腸を一洗するは実に今日焦眉の急ならずや、然れども凡庸なる当局に対して吾人は望を嘱するの愚を演ぜざる可し、天もし我邦に幸せば必ず近き将来に於て第二の森子を出だし巨人の手腕を借りて我学界の宿弊を一掃せしむることあらん。
 転じて我宗教界を観るに名僧名識と称せらるるもの少なからずと雖も教界の寂寞未だ曾て今日の如きはあらず、今の俗化し腐敗せる人心に向ひ一人の新鮮なる福音恵報を伝ふるを聞かざるは何故ぞ、我邦幾万の教師僧侶中豈に一人自己の使命を自覚するものなきか、前古未曾有なる世界の大乱は彼等の道念に何等の刺激を与ふることなきか、我国民の危機は未だ彼等の麻酔せる眼瞼を開かしむるに足らざるか、近頃宗教的有志の会合なる帰一会に於て目下の我国民の精神状態に対し之を指導すべき宣言を発するの議ありと聞けるは聊か空谷の跫音たるの感あり、帰一会員諸氏は流石に今の時勢を以て太平無事憂慮を要せずとは思惟せざるものに似たり、然れども果して幾許の徹底したる考を以て世間を観察し居れるやは吾人夫の宣言に接して之を推測せんとする興味ある問題なり、但だし天下の革新は委員会の決議を以て成遂げ得べきものに非ずとはカーデナル・ニウマンの名言として世に伝へらるゝ処、帰一会の宣言可ならざるに非ずと雖も之に多くを依頼せば恐らく失望に終らん、大凡革新運動は徹底せる見識に基づき確実ある一大人物の心腸より湧出する唱説に由ることを要す、我邦に於ても法然あり親鸞ありて真宗の運動起り、日蓮出で、法華の宣伝となり、仁斎東涯ありて儒教の徳育起り、又た海外に於てもルウテル、カルウインありて新教的革新は開始せられ、朱晦庵王陽明ありて死せる儒教に両派の新生面を開きしが如し、吾人は帰一会の宣言以上精神界の刷新運動を期待するの情に堪へず、想ふに天下蒼生亦た大旱の雲霓を望むが如きものあらん。
 我政治界に対する大正維新の運動、即ち憲政擁護運動は、吾人が曾て屡々論じたるが如く全然失敗に帰したり、而して政界は全く中心力を失ひ混沌として其紛擾日に益々甚しからんとす、故に政界の刷新は有識者の最も心を労すべき問題たるは論を待たずして、吾人亦た機に触れ折に接して論説を怠らざるべし、然れども政界根本の刷新は国民の精神状態を一新するより起らざる可らずして、一種新清にして偉大なる理想の発現して我精神界を刷新するに至らば政界の事蓋し亦た見るに足るものあるに至らん、殊に多年独逸流の国家主義を実施したる結果、国民を軍隊視するの傾ありて、個人の自然的発育を害する少なからず、想ふに或る意味に於て独逸流の応用は富国強兵の政策を行ふに頗る便利なることあるは否定す可らず、現に独逸の今日ある又我邦が近年長足の進歩を成せる、組織的国家主義に負ふ所甚だ多きは睹易き道理なり、然れども現在の国難に際し英仏両国民が能く発憤輿起し克く其智力を尽して倦まざる状態を見れば個人主義亦た実に侮る可らざるを知らん、而して戦後の国情を予想せば吾人は勝敗の如何に関はらず英仏の状態が必ず大に独逸に優るものあるべきを信じて疑はず、真の偉大なる国家は個人の上に於ても亦た偉大なる国民たらざる可らず、是れ吾人が国家として偉大にして国民として縮小せる我国の現状に対し一大革新の必要を唱説する所以なり。
                     〔『中央公論』一九一六年一月〕