本邦立憲政治の現状


善良なる政治の二条件……立憲制度の精神……立憲政治の完全に行はるゝに必要なる二条件……我国の現状……現時の政治に対する吾人の態度

 

      (一)

 (一)凡そ国家の政治其宜しきを得て四海安康国運振張の実を挙ぐると否とは専ら係りて次の二条件に在り。曰く治めらるゝ者(広く之を人民と云はん)が治むる者の適法なる施置に遵従する誠の厚きこと、曰く治むる者が政を行るに放縦ならず一定の道規に準拠して国家の目的を達するに務むること、是也。
 (二)夫れ国家は非常に多数なる人類の集合なるに拘らず能く儼然として纏まりたる一体を成す所以のものは、上に最高の主権者ありて下万民を統制し給へばなり。然れども上主権者が能く主権者たるを得るは、下万民に之を仰ぎ之を奉ずる忠誠の志あるに依るものなくんば非ず。果して然らば夫の万民を統一し之をして団体生活に集中せしむるの求心力は、主権其者なりと云はんよりは、寧ろ主権を主権として崇敬し之に対して絶対の服従を捧ぐる所の人民の忠誠に在りと云ふを適当なりとす。故に此忠誠の志の厚薄は、やがて団結張弛の因にして即ち国家強弱の岐るゝ所たらずんば非る也。
 (三)人民に忠誠の志厚ければとて、若し上に在りて政柄を握る者の施置其宜しきを得ざるときは亦国家の強大は期すべからず。国家の発達を期するの目的より云へば主権の発動を一定の道規に遵拠せしむるの必要あり、国家の目的理想より推論したる一定の理法を以て主権の行動を整ふるを必要とするなり。且つ治者の施設其宜しきを得ると否とは人民忠誠の志を冷熱高低せしむるに著大の効あるものなるが故に、治者の行動に適当にして鮮明なる規道あるは、独り政治の目的を達するを得るのみならず、また益々下忠誠の志を深からしむる所以也。
 (四)故に国家に善良の政治の行はれんことを欲せば、被治者に於いて顧る所なかるべからず、又治者に於いて顧る所なかるべからず。


     (二)

 (一)国家の到達すべき窮極の目的は如何と云ふ根本問題に対する哲学的解決は暫く之を避けん。最も卑近なる事実の観察に従へば一国の政治は先づ其国の生存発達を以て直接の目的とすることは些の疑を容れず。而して国家の生存発達は人民全体の精神的ならびに物質的平安進歩を謀ることに依りて達せらる。蓋し国家と人民とは元と利害を異にするものに非ず又異にすべき者に非ず(是れ国利民福と併称する所以)。政治上諸般の施設の効果は須らく常に人民の利益の上に在らしむるを要するもの也。故に国家の生存発達を以て主要なる目的とする所の政治は、必ずや人民全体の安寧進歩を以て念とせざるべからず。善良なる政治とは畢竟人民に安寧を供し其進歩を補(たす)くるに効ある政治を云ふに外ならず。是に於てか「主権の行動は人民全体の精神的物質的利益を保護進捗するを目的とすべし」と云ふことは、政治上動すべからざる大原則となれり。
 (二)此原則は善政を布きて国利民福を進めんと欲する治者の必ず採用せざるべからざる所なり。併し治者は法律上無限の権力を掌振する者なるが故に、治者の此原則を採用するはもと其義務に非ず、之に準拠するとせざるとは固より其自由なり。然らば此原則の採用−従つて国利民福の進捗−は賢明なる治者の在世に於てのみ之を望むべく、然らざる治者の下に於いては動もすれば専横下虐の弊を生ずるの憂なきにあらず。斯の如んば即ち政治の善悪国家の盛衰は一に治者たる自然人の賢愚明暗によりて左右せらる、ことゝなり、永遠に国家の発達を期するの望み甚だ少きに至るものと云はざるを得ず。是に於いて、治者の賢愚明暗に拘らず永遠に人民の利益を進捗するを得る(少くとも人民の利益を無視せざる)政治を為さゞるを得ざらしむる永久的の一制度を創設するの必要を生ず。
 (三) 且つ近代の政治は極めて稀なる例外を除いては元首自ら政務の万機に亘りて之を独裁すると云ふことなし。近代政務の多端なるや如何に賢明の元首と雖も悪く之を親裁摂行するに堪えざるなり。是れ即ち各国悉く内閣の制を樹て各省大臣を最高の為政官として国務に与らしむる所以なり。されば或る意味より云へば近代の政治は内閣諸大臣の掌る所なりと云ひて可なり。法律上の主権者は別に存すれども、政治上主権の発動は内閣諸大臣の方針に出づるを以て也。而して内閣諸大臣が夫の原則を奉じて民利の進捗に務むるや否やの必し難きは、猶ほ君主が此原則を採用するや否やの必し難きが如し。動もすれば君主を擁蔽して自家階級の利益を専らとするの弊に陥ゐり易きことは古今の事例に炳焉(へいえん)たる所たり。是に於いて、内閣有司の行動を監視し、彼等をして夫の原則を無視するを得ざらしむるの永久的制度を創設するの必要を生ず。
 (四)立憲制度は実に之等の必要に応ぜんがために発生したるものなり。蓋し立憲制度の眼目とする所は、(一)国務に関する元首の命令は必ず大臣を経由せしめ以て君主の専横に流るゝを防ぎ、(二)民選代議士を以て議会を組織し以て政府の行動を監督し人民の利益を主張せしむるに在り、中にも民選議院を以て最も著しき特徴となす。但し斯くして組織せられたる議会は十分に人民の利益を主張するを得るか。思ふに人民全体の利益は人民自身最も能く之を知るべし。故に人民の意見は実際為政の局に当る者の必ず傾聴せざるべからざる所なり。然れども近代の国家に於ては人民の数極めて多きを以て事毎に一々其意見を徹し、之を概括して所謂輿論なるものを発見すること頗る困難なり。故に人民をして其代表者を推挙せしめ、此少数の代表者をして人民の意見を代り表せしむることゝなれり。斯くして選ばれたる代議士は実に人民の意見を代表するもの也。若し彼にして人民の利益を十分に主張せざらん乎、人民は自由に之を排斥し、他の適任者を推挙するを得べきを以てなり。故に民選議会は結局人民の選挙権に制せられて政府監督の大任に堪ゆるの理なり。之に依りて之を観れば所謂立憲制度とは、元首の行動は政府之を制し、政府の行動は議会之を監督し、議会の行動は人民之を監視するの制度にして、人民をして政治の得失に対する終極の判定をなさしめんとするものなり。換言すれば人民を以て確定的の政治勢力とするの制度なり。



     (三)

 (一)「主権の発動は人民全体の利益を保護進捗するを以て目的とすべし」といふ大原則を完うするに上に述べたる立憲制度は果して適当なりや否やの問題に対しては、更に多くの政治的経験を観察し一層精密なる考察を積める後に非れば軽々に之を答弁し去るを得ず。然れども現在に於て此立憲制度は、実行し得べき各種の考案中最善の制度なることに至つては何人も疑はざる所なるに似たり。而して予輩は先に只二つの仮定を許すならば此制度は夫の大原則を十分に完うするを得る理想的制度なりと云ふに躊躇せざる者なり。其二条件とは何ぞや。(一)選挙を為す者が善良なる代議士を選挙するの明あり且つ其行動を監視するの十分なる能力あること、及び(二)議会に政府を監督するの実力あること即ち政府は議会に対して政治上の責任を有すること、即ち是なり。茲に予輩は敢て代議士其人に於ける政治的能力の具備を挙げず。固より立憲政治運用の妙は代議士其人の人格如何に依ること極めて大なりと雖も、代議士の人格如何は畢竟選挙者其人の見識如何に是れ依るものなるを以て、既に選挙者の能力を以て一条件とせし以上は最早代議士の人格は問はずして可なり。如何に代議士たる者の智徳を糺すとも選挙者其人にして不見識ならば其用なしと信ずる也。
 (二) 上述の如く立憲政治は、政治勢力の中心たるべき人民の、高明なる見識と健全なる判断とを前提す、人民にして斯の見識と斯の判断とを欠かば何を以てか能く議会を監視することを得んや。人民にして議会を監視するを得ずんば即ち立憲制度の効用は全然没却せられたるものと云はざるを得ざる也。然れども実際上人民の総てが這般の能力を具有するといふことは固より之を期し難し。故に「人民を政治勢力の中心とする」の主義に悖ら
ざる限りは人為的に能力陥欠の分子を排斥し健全なる部分のみを以て政治勢力を組織せしむるの必要あり。只如何なる標準を以て此両者を区劃すべきやに至りては人に依りて各々其見る所を異にすべし。詳しく云へばかの未成年者の如き、婦女子の如き、犯罪者の如きを政治圏外に排し去るべしとするの一点は何人も異論なきが如しと雖も更に此上に或標準に依りて淘汰の歩を進むべきや否やといふに至りては議論の分かるゝ所なり。併し此問題は其国々の人民の智徳の程度に基きて決せらるべき事実問題にして、既に一旦人為淘汰を認容せる以上は最早理論上斯くあるべしといふが如き問題にあらざる也。個人の平等自由と云ふが如き抽象的独断を以て普通選挙論を主張するものは此点を誤れる者なり。未成年者、婦女子、犯罪者等を除外しても猶ほ他に政治的能力の十分ならざる者多しとせば、更に適当なる標準を以て政治勢力の範囲を縮少するの必要あるや論を待たざる也。故に総ての人民が悪く政治能力を具有せざる今日の状態の下に於て立憲政治の美果を収めんと欲せば、(一)人民を教育して速かに這般の能力ある人物たらしむるに務むると共に(衆民教育の問題)、(二)適当なる標準を以て健全なる政治勢力を組織せざるべからず(選挙法立案の問題)。
 (三)政府が議会に対して責任を有せず、議会の決議を無視して其意思を遂行するを得るとせば、仮令前項の条件を具備すとも政治勢力の中心は人民に在らずして政府に在ることゝなり、政府の専横を防がんとする立憲制度の主意は没却せらる、ものと云はざるべからず。然らば政府と議会との関係は如何にあるべきものなりや、之れ大に識者の考察を要す。今議会と政府との関係に就き西洋先進国の実例を案ずるに、(一)英国の如く大体に於て政府は常に下院に於ける多数政党の占むる所にして、政府党が下院に多数を占むる間は政府は其地位を保ち、若し多数党たるの実を失ひ反対党却て多数となり、為めに議会の反対決議に遇ふときは、現政府即ち辞職して反対党に其席を譲るの制あり(政党内閣制といはん)、(二)仏国の如く必ず多数党を以て政府を組織すると云ふことはなけれども、議会の反対決議に遇へば現政府は必ず一部又は全部の更迭を為すの制あり(責任内閣制といはん)、(三)独国の如く政府は議会の反対決議に遇ふも敢て辞職せず、議会は政府に対して僅に或一部の国務に関して薄弱なる消極的監督権を有するに過ぎざるの制あり(超然内閣制といはん)。此三つの制度のうち何れか最も立憲主義の精神に適するや。
 (四)超然内閣制は立憲政治の主意に反す。何となれば此制に於ては議会の政府に対する権力は消極的にして、而かも其監督のカを及ぼし得るは或一部の国務に限り、他の多くの重要なる国務に付ては政府は議会の決議を無視して其意思を遂行するを得るが故に、実際の国権発動の原動力は政府にあり。もし議会にして甚しく政府の意思に反く時は却て解散を以て脅かさるゝの恐あり。即ち政府が主にして議会が客たるの有様也。故に人民の勢力は制度上確定的に非ずして政府の専横は直接に之を防ぐことを得ず。然らば人民の政治勢力を確保するを目的とする立憲主義は十分に発揮せられざるものと云はざるべからざるを以てなり。但し(イ)政府に在る者非常に賢明にして、安んじて国務を托するを得るのみならず、(ロ)多数議員の智徳の度頗る低くして到底政府監督の任に堪えず寧ろ政府の施設を妨害するの恐あるが如き場合に於ては、一時已むを得ざるの必要として超然内閣を忍容するの理由なきに非ず。然れども永久の制度としては此制の採るべからざるや多く弁ずるを待たざるべし。蓋し(イ)政府在職者の賢明は永久に期し難く、時として過失なきを得ざるのみならず又往々其職を利用して私曲を営むもの、生ずるなきを保し難し。(ロ)議員の能不能はもと人民の明不明にかゝる。人民の智徳日に月に進歩するを以て大体の趨勢なりとせば、議員の見識も年と共に進むものと見ざるべからず、故に超然内閣の制は一時は之を忍ぶべきも、決して永久の制度に非ず。已むを得ざる必要として一時許されたる超然内閣は、寧ろ国家に対して衆民教育を盛にし一日も早く立憲主義の本旨に適ふ内閣制に移り得るやうに準備を怠るべからざるの義務を負担するものと云ふべき也。
 (五)予の信ずる所に依れば、立憲主義の真髄を得たるものは実に責任内閣の制度なり。此制に於ては議会の多数党と政府とは固より何等の交通なく従つて両者の意思は必ずしも一致するを必せずと雖も、若し両者其見る所を異にするときは、(イ)政府一歩を譲りて議会の主張に服従するか、(ロ)又は政府其職を辞し若しくは之を改造して議会と調和するに至るものあるを以て、議会を以て政府の監督者とするの主意最も明了に発揮せらる。蓋し立憲主義の本旨は人民の勢力を確定的政治中心とするに在るを以て、政府を抑へて議会を立て、之を主として彼を客とするを当然とするを以て也。故に苟くも立憲制を採用すといふ以上は必ず此責任内閣制に帰せざるべからざる也。
 (六)政党内閣制も実は責任内閣制の一変態にして固より立憲主義の精神に反するものに非ずと雖も、此制は或特別の条件を具へざれば行はれず、又其条件を具ふれば必ず行はるべさものにして、必ずしも之に非れば立憲制の本義を得ずといふが如きものに非ず。蓋し政党内閣制の行はるゝには、(一)議員が大体に於て二大党派に分れ、其何れかの一方が常に絶対的過半数を有せざるべからず。(イ)若し政府党が絶対的過半数を有せざるときは、政府の施設が悉く議会の賛助を得るに由なし、(ロ)政府党多数たるの実を失ひて辞職するに際し、反対党が絶対的過半数を有せざる時は、代りて政府を組織すべき政党なく従て政党内閣制は破ることゝなるべし。故に政党内閣制は常に二大党派の存することゝ其何れかの一方が必ず絶対的過半数を有することゝの二条件あるに非れば行はれざるものなり。之を我国の現状に比較するに最多数の議員を有する政友会すら議院に於ける勢力は百三十七名に過ぎずして全体の半数に及ばざること遠きを以て、我国に於ては政党内閣制は行はれ難しと云はざるを得ず。(二)且つ夫れ政府は国家最高の官府なり、之に当る者は国家最高の識量ある者ならざるべからず。されば政党内閣が好果を収めんには、国家有用の人材が悉く政党に集ることを必要とす、若し政府を組織するに堪ゆる程の人材が却つて多く政党以外に在るときは、政党内閣は決して望ましきものに非ず。故に仮令政党内閣の存在に必要なる条件を具備するとも、若し其政党にして適材を有せざるときは、政党内閣は寧ろ危険なる制度なりと云はざるべからず。思ふに立憲制度の憂患の一は議会と政府と無用の争論に精力を濫費し以て甚しく国務を渋滞せしむるに存す。併し此弊の由来を研究せず強て多数党を政府に立たしめ所謂多数専制の実を挙げんが為めに政党内閣制を利用するが如きは、実に国家の一大深憂と云はざるを得ず。
                              〔以上、『新人』一九〇五年一月〕

     (四)

 (一)我国は明治二十三年以来、立憲主義を採用せりと云はる。併し立憲主義の政治が実際上良結果を収むるには、前項論明せる如く(a)選挙民の政治的能力の相当の程度に進めること、(b)責任内閣の制度の確立せられ居ること、の二条件の存在を必要とす。本邦現時の状態は果してこの二要件を具備するや否や。
 (二)選挙民の状態は如何。抑も議員公選の権利は臣民の政治的人格を公認せるに伴ふ必然の結果にして、臣民の政治的人格は其智徳の発達相当の程度に達せることを予想して公認する所也。是れ智徳の発達せざる者は以て公選の権利を行ふに堪えざればなり。然らば此公選の権利を臣民に附与するは実に国家がそれだけ臣民の智徳を尊重する所以に非ずや。臣民たる者当さに小心翼々として此貴重なる特権を善用し、以て国家の自己に対する尊重に孤負すべからざる也。不幸にして我が選挙民の多数には斯の念慮なし。是れ既に事実の語る所、夙に識者の認むる所、予輩の立証を待ちて始めて明なるに非る也。人或は曰く選挙権者中其権利を抛棄するもの我国に於ては英仏諸国よりも少し。見よ選挙権者百人に対し実際選挙の権利を行使する者英国に在りては五十六人、仏国にありては七十五人独国に在りては六十七人に過ぎざるに、我国に於ては独り八十七人の多きに達す。是れ我国に於て却て政治思想の普及せる確証に非ずやと。予輩以為らく然らず。(イ)先づ選挙権者の全人口に対する割合を見よ。我国に於ては全人口一千の中選挙権者の数僅かに二十一人に過ぎず。然るに英国は百六十五人、仏国は二百六十五人、独国は二百二十人にして三国を通じて之を平均すれば二百十人、即ち正さに我の十倍たり。然らば彼に在りて棄権者の多き固より深く怪むに足らず。況んや彼は概して普通選挙又は之に近き制度を採るが故に彼の選挙権者は下層階級の多数を含み、而かも棄権者は比較的之等下層の人民に多かるべきに於てをや。(ロ)今姑く西欧諸国との比照を離れて考ふるも、之等多数の選挙権行使者が如何の動念に導かれて其権利を実行するに至りしやは、頗る疑を容るゝの余地なきに非ず。之は市会議員選挙の話なるが去秋関東の某大都市に於て市会議員補欠選挙のありしとき、他に競争者なく某氏の一人舞台となりしかば、一般公民は為めに何の物質的利益をも得るに由なければとて棄権せしもの八割の多きに及びしと云へり。是れ只一例のみ。何の利益もなき時には棄権するを憚らざる臣民が、何故に国会議員の選挙の際にのみ挙りて選挙の権利を行使するや。我国の選挙権実行者の数西欧諸国よりも少しく多ければとて、直に之に依りて政治思想の普及を論結するは決して早計の談を免るゝを得ざるなり。
 (三) 臣民の智徳発達の程度頗る低きの結果は既に十有五年の政治史上に顕然明白たり。予は今一々其事例を摘挙するの煩を取らじ。只其事実を概括して次の如く云はんとす。曰く臣民は帝国議会に対して幾何の勢力をも有せず。況んや議員の国家的行動を督励するが如きは思ひも及ばざる所なり。偶々議員に迫る事あらばそは必ず地方的私利私益を目的とするの類たるのみ。故に議会は遂に清議公論の府たるを得ず。そも社会文明の進歩は日に月に浸々として暫くも熄まざるに帝国議会の醜雲は徒らに停滞して今に至り又将来に及ばんとす。去れば(イ)一方に於ては好悪なる政府の誘ふ所となりて小利小益の為めに天下の大節を屈し、益国家の禍害を深からしむ。蓋し監督機関と執政機関と黙契して国政を弄する、国患之より大なるはなし。(ロ)又他方に於ては議院自ら政府案に協賛を与ふるの報酬として自家の要請の採諾を政府に求む。政府之を容るゝは明かに私曲なり。之を容れずんば即ち議会は徒らに喧々擾々として必要なきに政府の行動を妨ぐるに至る。彼等の要求を容るゝも国の憂なり、之を容れざるも亦国の憂なり。斯くして国家の終に到達する所果して如何の地ぞ。
 (四) 更に翻つて議会と政府との関係を見よ。思ふに立憲制度施行以来の我国の内閣制は大体に於いて超然内閣なりき。予輩は先きに超然内閣の制は明に立憲主義の大旨に背反し、一時已むことを得ざる経過的制度としては暫く其存在を許すを得べけんも、永久の制度としては不都合なることを述べたり。故に一時の経過的制度として其存在を忍容せられたる超然内閣は、深く超然内閣制の本来立憲主義に添ふものに非るを思ひ、鋭意健実なる政治思想の普及を助け国民智徳の上進を図り、以て速かに責任内閣制の樹立を見るに至る様準備を怠るべからざるの責務あり。此準備を怠らざればこそ超然内閣制は是認せらるゝを得るなれ。若し之を怠らん乎、超然内閣制は独り存在の理由を没却するのみならず、又実に立憲主義の敵なりと云はざるべからず。不幸にして我国の超然内閣は実に之を怠る者には非るか。思ふに是れ我国のみに限れるにあらじ。蓋し其由て来る所遠きものある也。乞ふ少しく之を説かん。
 (五)立憲制度はもと人民の要求に基きて発生せしものなり。今西洋に於ける沿革を観るに、彼国に於ては十四五世紀以前までは一般に専制の政治行はれ人民の政治的人格は普く認められざりしが、此頃よりして世運こゝに一大変転をなし、従来久しく閑却せられたりし個人そのもの、充実は漸く識者の注目を惹けり。加之ルーテル以来の基督教の発達は益個人それ自身の尊厳犯すべからざるを教へ愈々人民自身をして其自由を主張せしむるに至れり。然れども諸国の君主多くは暗愚にして依然として専制の過を改めず、其暗愚ならざるものと雖も、人民の自由を認むるは即ち事実上自家特権の減縮なりとなし、強いて個人の発達を抑圧し以て自由の大勢に無益の反抗をなせしかば、人民は遂に一大反動をなし、遂に自家の主張を政治上に貫徹するを得るの制度を確立せんと欲し、是に於て鉄血の惨害をも辞せずして立憲制度の発生を促すに至れる也。故に立憲制度の確立は実に主民主義的運動の結果なりと云はざるべからず。
 然り、立憲制度は主民主義的運動の結果として生ぜるものなり。然れどもこの主民主義的運動の結果として発生せる立憲制度の体様は固より一様に非ず。主民主義の最も極端に主張せられたる仏国の如きに在りては全く君権を顛覆して衆民共和の立憲制を確立したりと雖も、主民主義的運動の主張が只君権の行動に或制限を加ふるの
みを以て満足せる諸君主国に於ては、政治勢力の全部が全く人民に帰するに至らずして、君主と人民との間に猶政治勢力の掌握を争ふの余地を残したり。是に於て狡獪なる政治家は巧に人民を欺罔して政治勢力を廟堂に留め、下人民の勢力をして僅かに消極的容喙権に過ぎざるものたらしめぬ。独逸最近の政治史は実に其好適の事例に非ずや。而して我国の近時の事亦頗る之に似たるものある也。
 (六)夫れ維新の鴻業を成し新日本建設の功を遂げたるものは疑もなく薩長の先覚を中心とせる壮士の団体なりき。而して明治国家の政治勢力は其勲功に依りて彼等の肩上に帰しぬ、思ふに彼等が維新の大業に参ずるや其始め固より一点の私心なかりしならん、新政府創立の当初彼等に政権を私せんとの意思なかりしことは元年三月の五ケ条勅諭に依りて炳乎たり。然れども功成り一旦政府の要路に立つに及んでや自ら我は日本帝国の主人公、国家は即ち我れの国家なりとの感を生ずることゝなり、茲に漸く政権を自家一味の間に壟断せんとの野望を起しぬ。而して此目的のためには自家の一味徒党の団結を更に緊密にするの必要あり、為めに彼等策を廻らして同を党し異を伐ち、先づ西郷を陥れ板垣大隈を排し、以て益残存功臣の密着を来し、遂に藩閥なる一派の政治的階級を作るに至れり。然れども世運の進展と共に主民主義の勢力また暫くにして我国の人心をも風靡し、やがて国会開設の請願となり、其運動頗る激烈を極めたりき。七年一月民選議院設立の建白に曰く、「臣等伏シテ方今政権ノ帰スル所ヲ察スルニ上帝室ニ在ラズ下人民ニアラズ、而シテ独り有司二帰ス(中略)。臣等愛国ノ情自ラ已ム能ハズ、乃チ之ヲ振救スルノ道ヲ講究スルニ唯天下ノ公議ヲ張ルニアルノミ、天下ノ公議ヲ張ルハ民選議院ヲ立ツルニアルノミ。則チ有司ノ権限ル所アリテ而シテ上下安全幸福ヲ受クルモノアラン」と。是豈当時の政治勢力の中心たる藩閥の一派に対する挑戦状に非ずや。藩閥が此運動を喜ばざるや情に於て当然なり。加之主民主義主張の中堅たるものは昔時の幕府方に多く、従つて其運動は専擅政治に対する反抗たることの外維新の功臣に対する旧敵の復讐とも見るべかりしを以て、両者の間には始めより悪感情の蟠(わだ)かまるものありし也。故に藩閥政府は二重の理由に依りて主民運動を喜ばざりき。然れども主民主義は既に世界の大勢なり。大勢には抗すべからずして遂に二十二年帝国憲法の発布を見るに至れるなり。之等の歴史は立憲制度を採用したる今日猶ほ臣民と藩閥との対抗てふ奇観を現出せしめたるものなりとす。而して彼等元老を中心とせる閥族の階級が如何に政治勢力の広く人民に帰するを妨げしかは、夫の議会と政府と意見を異にせる時に当り啻に自ら去就を決するの処置に出でざるのみならず、却て屡解散の処分を以て議員を圧迫せしの事実に依りて明なり。単に議会と政府と議合はざるの故を以て議会の解散せらるゝといふ事は丁抹のウエストリューブ内閣の時代を除きては西欧諸国に於ても多く其例を見ざる所、かの超然内閣制の張本人にして本邦政治家の模範視せる独のビスマークすら社会党鎮圧条例を否決せるが為め只一回解散を断行せしのみなりき(一八七六年)。然るに我国の内閣は議会を見ること恰も丁抹のウエストリューブの如くにして、解散の断行に付て左まで慎重の考慮を致さゞるに似たり。第五議会解散の際時の総理大臣伊藤博文氏曰く、「解散ハ大権ノ発動ニシテ閣臣苟クモ責ヲ取リ奏請奉行ス、必シモ一事一件ヲ以テ断案トスルヲ要セズ。然レドモ強テ断案ヲ求メバ今回ノ解散ハ博文衆議院ヲ以テ和協ニヨリテ大業ヲ翼賛スルノ望ナシト認メタルニ出ヅト断言スルヲ憚ラズ」と。之を公法学者の口より聞かば予はその堂々の明論に服せんも、之を立憲治下の宰相の口より開く、誰か専擅暴悖に驚かざらんや。
 今や我国の政権は斯の如き閥族の掌中に在り。それ超然内閣の制度は一時の経過的制度としては之を是認すべき理由あるが故に、政治勢力の大部分が一時閥族の掌中に在ることは其自身に於て深く憂ふるに足るものなしと雖も、現に政権を擁握する閥族が主義として政治勢力の広く人民に帰するを欲せず、力を尽して主民的運動の発達を阻害すとせば、是れ名を立憲主義にかりて実は階級政治に逆行するもの、誠に憲政の一大危機に非ずや。且
つ彼等は所謂華族の無智なるを利用し其間に非主民的思想を注入し、自らをして平民以上の特別階級たるの感を抱かしむ。華族は即ち皇室の藩屏にして人民の勢力に対抗して政府の専権を擁護するの先天的義務あるかの謬想に浸染せることの如何に深きやは貴族院の多数議員の思想と感情とに注意せし者の既に明に観取せる所たるや疑なし。この貴族一派とかの閥族一輩とは実に我が憲政の前途に横はれる一大難関たらずんば非る也。


      (五)

 (一) 我国政界の現状や実に如上の如し。予輩は当に之に対して如何の態度を採らんとすべきか。抑も立憲政治の根蔕を為す者は実に一般人民なり。故に一般民衆を教育して之に憲政の運用に必要なる智識と道徳とを授くること先づ第一の急務なり。而して如何にして公民教育は達せらるべきやは別に特殊の大問題として攻究するの価値あるが故に予は更に他日を期して之を詳論するの光栄を有せんとす。
 (二) 公民教育の問題は云はゞ百年の大計なり。当面の急務としては先づ智徳ある者と之なき者とを分ち、其智徳ある者のみをして直接政治の事に関係せしむるを要す。此問題を具体的に云はゞ即ち選挙権の範囲を如何の標準により劃定すべきかの攻究なり。我国現行の選挙法は財産の多少を以て其標準とせり。思ふに国民中不健全部分は比較的下層社会に多く健全部分は比較的中産以上の階級に多かるべきを以て、財産の多少は固より好標準の一たるべし。然れども其標準たる財産の多少を如何の額と定むべきかは最も至難なる問題たり。且一旦財産の標準額を劃定せんか、一二特別の場合としては有資格者中に不良分子あるべく無資格者中に亦健全分子なきを保せず。是に於て更に有資格者中より不良分子を排し無資格者中より健全分子を拾取するの方法は亦大に講究せざるべからず。其他選挙権行使の上に於て選挙権者の敗徳を取締り其良心の自由を保護するに如何の方法を取るベきや等選挙法立案上の問題は大に吾人の研究を促すものある也。
 (三)事実上選挙民が議員の行動を監督するの実力を有せざる時は、議員の云為に対しては何人も牽束を加ふる者なきを以て最も放漫専恣に流れ易し。議員の放漫専恣に対しては選挙民の勢力の外は何物も之を制抑するを得ざる也。只已むなくんば選挙法上被選資格を如何に定むべきか又議員の行動を如何に取締るべきか等の問題につき僅に表面上の法規を以て満足せざるべからず。其他は専ら夫の公民教育の効果に待たざるを得ざる也。
 (四)内閣の制度に付ては速かに立憲主義の本旨たる責任内閣制に依るべきことを主張すべきか又は現今の超然内閣制の継続を許すべきか。此問題は議会が政府の行動に対して現に有し得る見識の程度と及び閥族の従来の行動とを彼此考要して決せざるべからず。吾人の所信を簡単に白状すれば、予は固より閥族従来の罪過を認めざるに非れども、議会の見識に就ては猶大に疑惧を抱くを以て、寧ろ猶未だ済々たる多士を網羅する閥族に一歩を譲り、暫く超然内閣制の継続を許さんと欲するも、彼等従来の態度は徒らに民論の自由を束縛して政治勢力の普及を妨げんとするものありしを如何せん。吾人は殆んど策の出づる所を知らざる也。責任内閣制とするも弊あり超然内閣制とするも弊あるを以て也。
 (五)是に於て吾人は姑く内閣制度に付て建策立言することを止め、力を移して(イ)藩閥一系の頑迷を諭し速かに兜を主民主義の軍門に脱せしめ、(ロ)又議員を警告して大に自重自愛する所あらしめ、併せて彼の啓蒙と此の悟達とに依り二者相待ちて責任内閣制に到達せしむるの態度に出でんことを欲す。斯くして吾人は我国政界の進歩に対して多少の貢献を為し得べきを確信するもの也。

本篇は去年十一月六日新人社講演会に於て「政治勢力の中心」と遺して述べたる演説の大綱を録せる者なり(吉野)
                                   〔以上、『新人』一九〇五年二月〕