議会から見た政局の波瀾

 議会があけたら政界にどう云ふ変動があるだらうか。暮から一月の未まではどの道休みだから何事もないとし て、開会後の政界の無事平穏が期待されぬ以上、一月も半ばを越したらそろ/\政機は動きはじめるのではない かと想はれる。
 現内閣の施設に対する痛烈なる批判は上下両院を通じてまぬがれまい。不急の事業に莫大の浪費をして居ると いふ非難はないとしても、是非為さねばならぬ急要事の更にかへり見られぬものが頗る多く、次年度の歳計予算 をみても現内閣施設のぼろくそなことはわかる。これが議会で問題とならぬ道理はない。議会が真に民衆の意志を代表するものなら政府糺弾の声はどんなに強くても構はない、場合に依つては斯んな内閣は辞めて貰つても いゝのである。そこに近き将来に於ける政界波瀾の素因がはらまれて居るのであるが議会そのものに果してその 元気があるかはまた疑なきを得ぬ。
 たとへば時局匡救費を三年に振当てたのは我党の警告を無視したものだなどと、面目論を楯に取つて政府に 喰つてかゝることはあらうが、同じやうな熱心を以て軍事費等に思切つた斧鉞を加へて、負担軽減をはかれとの 国民的要求を代弁して呉れるかどうかは疑はしい。今日の政党は単に政権争奪の選手として政府若くは他党と敵 対の関係に立つも、有産有閑階級の族類として一般……
[不明]……点に至つては彼も此も同一だ。 彼等は戦闘の武器として又は……[不明]……としてよく国民的利害を云々する、その……[不明]……して 政府の施設を攻撃することもあらう、而もその攻撃を徹底せしめて現実に国民の利福の擁護伸張をはかつた例は 曾て従来の歴史にない。今度だつてさうだらう。あんなぼろくその予算案をでツちあげ、自ら無能を天下に表白 した政府だが、その無能の故を以て辞職せねばならぬ破目に陥るやうなことは絶対になからう。議会に於ける論 難攻撃には成る程辛辣をきはむるものもあらうが、併しそは概して政党の面目擁護の為のものであり、又は政権 争奪の陰謀にあやつられるものに過ぎず、真に政策の是非得失の討論に依つて政府の立場の致命傷をうける気遣 ひは先づないやうに思はれる。
 国際聯盟に於ける雲行は可なり険悪のやうである、併し最悪の状況の場合に処する我国の態度は始めからきま つて居るといふ。その結果として将来に現はれる日本の立場の変化は案外重大の問題だと私共は心配して居るけ れども、我国政界の大勢は割合にこれを意に介して居ないやうだ。故に仮令我国が国際聯盟を脱するやうな事に なつても、そこから政府の重大な政治的責任問題の起るが如き憂は先づないとみていゝ。支那の問題にしても同 様だ。されば外交上の関係から云つても現内閣の運命は今のところ安泰である。
 強力内閣たるべく期待された現内閣は、その期待を裏切つた点に於て上層階級の間に評判がよくない、放漫な る財政計画の上に一般庶民階級の……
[不明]……点に於て、国民的には一層評判がわるい。それにも拘らず 存立の基礎は比較的安全だといふから不思議だ。たゞ茲に一つその存立を脅かす所の新野がすべからざる勢力が ある、いふまでもなく政友会だ。政友会の向背は蓋し今後の政界に於て最も注意を要するものであらう。

 政友会は議会に三百の同志を有つて居る、数に於てまことに空前の多数党である。然るにも拘はらず、去年五 月の犬養兇変に際し政権はする/\と彼れの手から脱け去つた。一時は呆然としたであらうが、だん/\時の経 つに従つて自ら心中不快の情をたかむるは当然である。元来政党者流は数を最後の勝利上するの信条を奉じて苦 労に苦労をかさねて来たのである。その間に頗る非難すべき罪業もあつたが、多数党になりさへすればいゝと一 意専心これを唯一の目標として努力奮闘して来たのである。多数党になりさへすれば天下は取れる、天下を取れ ば我儘も出来る。少しく度を逸して我儘をしたのが禍のもとだとはいへ、これを理由に突然政権撞守を阻止さる べしとは曾て夢にも思はなかつたらう。それが今軍部あたりの故障で多数党たる政友会の政権握手は許されない ことになつた。これを押し切る元気と能力とは不幸にして持合せてゐないやうだが、議会に於ける三百の勢容に は併しながら依然として変るところはない。三百の味方をうまく使へば政治季節に於て相当の波瀾を捲き起すこ とも出来る。所謂強力内閣がファッショの独裁的内閣にでも変らぬ限り、議会に絶対過半数を占むる政友会は矢張り政界の一主動勢力たるを失はないのである。彼れが長くこのまゝ雌伏するものに非るべきはまた誰れしも予 見するところであつた。
 犬養兇変後政権を政党の手からすべり落ちしめた原動力は軍部のうちに潜在して居る。これだけは間違ない。 たゞその正体の明確ならざるを遺憾とするも、その対策処理は軍部の正式の一代表者たる荒木陸相にまかすの外はない。世間には荒木陸相を以てこれ等の潜在勢力と一脈相通ずるものもあるかに言ひなすものもあるが、それは恐らく誣妄の評であらう。徹底的にその掃蕩をはからんとして平地に無用の波瀾を起すよりも、差当り妥協の途に出で、彼等の言ひ分の一半を容れて政党側にも自重反省を求め、徐(おもむ)ろに各方面の融和をはかるといふも一策であらう。その企図の適切なりや否やは別問題として、荒木陸相の政治的解決といふことを想像してみればそこに肯(うなず)かれぬ節もないことはない。してみれば政友会の政権阻止も畢竟は時期の問題であらう。軍部でもいつまでも政党の政権近接を邪魔するものではあるまい。
 政友会の多数が国民信望の帰するところ自然に集つたものではなく人為的に作つた多数であることは従来屡々述べた。さういふ性質の多数だから、何時までも政権から遠ざかつて居ると漸次党勢不振を馴致するに至るの恐れがある。三百も味方を擁して而も天下を掌握するの見込は立たないとは、あまりに意気地のない話でもある。そこで幹部の善後処置としては義理にも時々多数党の威力を誇示する必要に迫られるのである。是れ政友会が斎藤内閣の成立以来、民政党と少しく色彩を異にし、時に反噬(はんぜい)の態度を露示せし所以である。高橋蔵相の高踏的なるは山本内相よりも甚しく固より政友会を代表するといふに応はしくない、三土鉄相鳩山文相に至つては打算上政府にとゞまるに過ぎずして、常に心して片足を政党の埒内に置く点に民政党出身大臣と区別せらるべき異色がある。彼等が今までに内閣を飛び出すぞと脅かしたことは一再に止まらぬと聞いて居る。年の暮には所謂少壮強硬派なるもの屡々会合して政府絶縁の気勢をあげて居た。これは幹部の意に反してやつたものだとしても、世間の空気が政党内閣主義の再興に好調なりや否やを偵察するの役には立たう。明らさまに云へば、世間は政党内閣主義の再興による所謂憲政常道の復帰を欣び迎へんとして居るらしい、たゞその役をつとむる登場者の政友会なるにがつかりして、今急に現在の変態的政情に引き退がつて貰はうとも熱中しないのである、つまりどうでもいゝのである。併し現状に満足してゐるのでもないから政友会が出て来てもさうひどく顰蹙もせまい。そこを唯一の手掛りとして政友会は今後も時々独立の威力を示すに骨折るだらう。殊心今度の議会に於ては、大政党の面目としても相当強い態度に出ぬわけには往かぬだらうと思はれる。
 三百の味方を擁して居るのだから議会は政友会の意の儘である。それにしても幹部には恐らく政府と最後の決戦をするの考はないだらう、政府を倒しても政権は直に我に来ると限らないからである。併し騎虎の勢といふこともある、重大な問題で政府と立場を異にし、複雑な統制の樹立と巧妙な妥協的掛引とに失敗して遂に意外にして而も当然の結末に帰着せぬとも限らない。斯うした危険は今度の議会には大にある。その場合政界はまたどう変つて行くだらうか。

 政友会が騎虎の勢ひ制し切れず政府不信任の行動に出でたとする。政府はこれに処して如何なる態度に出でるだらうか。
 対策は二つあり得る。一つは不信任決議成立に先ち議会を解散することである、他は先づ停会を命じ闕下に伏奏して骸骨を乞ふことである。尤も総辞職と大体の肚を事前にきめれば、政友会出身大臣の連袂(れんぺい)辞職を機とし議会の形勢に直接の関係なく早くこれを決行するかも分らない。政友出身大臣の連袂辞職も要するに不信任決議案提出の前提であるから、内閣の辞職は何れの時期に行はるるにしても結局議会に於ける両者正面衝突に基くことに違ひはない。
 斎藤内閣が早く政権を投げ出したと仮定する、次の内閣の組織者として何人が奏薦されるであらうか。不幸にして大命が政友会総裁に降下せまいことだけは疑を容れない。去年五月政権をして政友会の門前を素通りすべく余儀なからしめた客観的状勢は、半年あまりを過ぎた今日著しく緩和せられたとも思はれ也からである。最も可能性に富むのは斎藤子の再奏薦であらう。今日のやうな変態の局面を処理するには、今のところ斎藤子ほどの適材は他に見出し難いからである。併しその場合斎藤子の新しい立場は前とは比較にならぬ程困難なものであらう。前にはともかくも挙国一致といふ声に呼ばれて身を起したのだ、今度は政界の過半を掩領する政友会が正面の敵として現はれて居る。政党政治に偏せぬを標榜せる手前、政友会を相手取つた以上新に民政党を与党として従来以上の関係を続けるわけにも往くまい。新内閣は恐らく貴族院の人を入れて閣僚の欠を補充し、下院に対しては已むなく是々非々主義表看板とすることにならう。それだけ基礎の極めて薄弱なものとなるが、同時にまた政界の掛引に於て軍部の直接間接の援助に頼るの度を増すことも疑ない。何れにしても議会の形勢を顧慮しつゝ超然内閣を張り通さうといふのだから、寿命の到底永きを得ざるべきはまた想像に難くない。
 第二次斎藤内閣が倒れたらその後はどうなる。遠い将来の事でもないやうだが、斯ういふ変転時代の事だからその時の状勢の変化が予想されがたく頓(とん)と見当がつかない。外交軍事の方面に相当の安定を見せぬ以上政党内閣主義への復帰はまだ望まれぬかも分らない。さうすれば矢張り超然内閣だが、斎藤内閣に比しもう些し軍部的色彩のつよいものとなりはせまいか。併しさう云ふ内閣の成立は斎藤子が二度目の大命降下を拝辞したと仮定する場合にも想像し得る。いづれにしても政友会が挑戦して現内閣を倒した結果として生ずるものは、政党内閣でなくて軍部的色彩をつよめた超然内閣たるべきことに間違ひはないやうだ。
 斯くして生れた新内閣は一応は政友会に妥協を申込むだらう。けれども譲歩的条件などを持出すべき筈もないから、政友会のこれに応ぜざるべきは火を睹るよりも明かである。政友会が何の理由を掲げて斎藤現内閣にぶつかつたにしろ、今更一層反動的な新しい内閣と妥協する訳には行くまい。政友会は元来夫れほど反動的政治を嫌ふのではない、反動的素質の濃厚なる点に於ては彼此甲乙がないのだけれども、この際優勢なる敵を向ふに廻して政戦に勝を占めんには、どうしても民衆の後援を背景とせなくてはならない。民衆はまだ遺憾ながらた易く政党者流の欺瞞的煽動に乗り易い。この機微を捉へて戦線を布かねばならぬとすれば、反動的傾向の顕著なる超然内閣と妥協するが如き危道は十中八九採るまいと考へる。


  そこで次は議会解散総選挙の幕となる。この段階に於て第一に念頭に浮ぶのは、昔のやうな憲政擁護運動や又は護憲運動の如きが今度も起るだらうかの問題である。私のみる所では、これを起すには今日の政党間に融和が足りず、就中軍用金が潤渇してゐる。憚る方面が多くて財界も資金を出し渋るらしい。それに大衆の頭も変つた、憲政常道もとより結構だが、今日の大衆はそれの再興確立から直接には何物をも獲られぬことを知つて居る。もつと手近の痛切の問題でなければ、今日の大衆は断じて跳(おど)るまいと思はれる。それでも仮りに政党者流だけで政府反対の野外運動を起したとする。大衆の盲動的支持を欠くだけ、それは自ら手段に於て深刻矯激にならざるを得ない。さうすると反動右傾諸団体の一層深刻矯激なる運動を挑発するの恐れがある。或る意味に於て此方こそ資金が豊富らしいと観るべき理由もある。既に政党打倒を名とする広汎なる運動をはじめてゐるものもあるではないか。これ等が総選挙に於て政府の干渉の手先に転換するは一挙手一投足の労だ。かくして私は考へる、政党の煽動に因る民衆運動は起らないだらうが、処によりて或は明治二十五年の総選挙の時のやうな不祥事が全然ないと限るまいと。
 総選挙がどんな風に戦はれるかは一つには新超然内閣が議会政治の形式にどれだけの値打を認めるかに依つて定まると思ふ。政党の空論などに一々耳傾けて居れぬ、非常時に対する最良の策としては機を見て純然たるファッショ的行動に出るに限るとの決意ならば、総選挙を政友民政等の相争ふにまかせて政府は極めて冷然たる態度を執つて居られる。併しそこまでの大決心がないとすれば、矢張り議会政治の形式に乗り何とかして多数の支持を見出さんことに骨折るだらう。政友会は敵に廻つたけれども、外に売らん哉(かな)の政党は数々ある。政党と名づくるに適しないかも知れないが斯うした変態期の要求に応じて総選挙のためのみの諸々の団体も出来るだらう。そして選挙戦線は可なり混乱するに違ひない。その中でも国民同盟とか国家社会党の如きがそこから如何なる躍進振りを示すかはまた別の意味に於て我々の興味をひく。
 それでも私の予想では、政府で露骨な且つ強力な大干渉を敢てせざる限り、大多数の投票はやはり政友民政の既成政党に持つて行かれるのではないかと思はれる。国民大衆は決して既成政党を積極的に支持せんとするものではないけれども、全体として歯痒い程政治に冷淡で、従来の例でも明かなるが如く常にブローカーに左右されて居る有様だ。今度だつてこの形勢に大した変りはあるまい。既成政党以外の新成群小団体も固より大衆をひきつける結構な政策をもつて居るのでなく、第一に長い経験に基く選挙戦の組織を欠くのだから、どんなに官憲の直接間接の保護があつたとて到底纏つた勢力となり得る見込はないやうだ。
 いづれにしても総選挙の結果は超然内閣の勝利に導かずして既成政党の勝利に帰するは略ぼ明かだ。たゞ政友会が一党を以て依然過半数を占めるやは大いに疑はしい。
 猶ほ以上述べた所は、現内閣が政友会の不信任決議案の提出に際して逸早く解散を命じた場合にも略ぼあてはまる。
 さて総選挙の結果が右の如しとせば、その後の政界はどう発展するか。超然内閣主義と政党内閣主義とは最早到底両立し得ない。普通には前者が敢然として××の一時的停止の挙に出づるか又は後者に道をゆづつて政党政治を復活せしむるかの二途しかあり得ないわけだが、併し不思議にも我が国にはもう一つの途が残されて居る。そは二者の互譲妥協による一時的苟安である。
 政友会もあれ程面目をつぶされた今日だ。軍部も主義として政党政治を真向から排撃した手前、いま更両者妥協など問題になるまいと考へられるので、私は前段までは妥協を不可能とみて議論をたてた。併し段々従来の経験に鑑みつゝ考へ直すと、必ずしもそは不可能とのみ言ひ切れぬやうにも思はれる。妥協不可能の前提の下に行末を考へれば、ファッショに行くか政党政治の復興になるか、どちらかに旗幟を鮮明ならしめねばならぬことになる。斯うなつた方が結局国のためにいゝのだけれども、由来我国の政治家には双方に怪我を出すまいとして、せつぱ詰ると不得要領に妥協してしまふ通癖がある。だが、私が妥協を有りそうだと断ずるのは、斯うした観点からだけの結論ではない、外にも斯く考へる重大な二三の理由があるのである。
 第一は軍部と政友会との間に本質的な利害の乖離がないといふことだ。政友会は軍部に強く楯突くほど庶民的利害の考察に親切ならず、また軍部が政党に反感を有つたのは、本分を忘れ私利にはしるといふ過誤に憤慨したからに他ならない。有産有閑階級を背景とする点に保守的傾向を有し、殊に政友会は保守的傾向の強固なる保有者たる点に於て最も軍部と同性質のものなのである。
 第二に軍部はあれ程つよく政党政治の排撃を声明した手前今更何の面目あつて政党と妥協するかと云ひたい位だが、最近までの軍部態度の変遷から推して、私は必ずしもその不可能に非るを考ふるに至つた。といふ意味は、軍部は当初政党政治一般の排撃を叫んだ。政党政治を排斥する以上当今の政界に於ては彼れに代るべき一切の経綸を有つて居なくてはならぬ。軍部は現に教育にも手を出して居る、財政経済についても深い研究をして居るといふから、政治の全面に亙つて発言権を取らんとするものかと思つた。さうなれば到底いままでのやうな不しだらな政党とは絶対に両立のしやうがない。けれども段々時の進むに連れて軍部の態度は緩和した。現に斎藤内閣に於ては政党出身閣僚と席を同うもしてゐるし、近来は満洲問題に関する限りに於ての外交と軍事事項とに絶対発言格の領分を限らんとする風さへ見える。その他の事項は専門の方々にまかせるといふのは、或る意味に於て批判の権利の抛棄であり、斯くしてその限内に於て政党と妥協することは苦にならぬわけになる。現に問題となつて居る軍事予算の民間に於ける不評判については可なり頭をなやまして居ると聞くが、更に自分と責任を連帯して既定の計画を将来に続けてくれる相棒があるなら、恐らく軍部は多少の不満は残ても妥協の用意をきめて居るだらうと思ふ。茲に政友軍部妥協の必然的行程が横はつて居ると私には思はれる。
 第三には政友会の歴史が妥協以外に活くる途を示して居ぬことを挙げたい。どんな屈辱を忍んでも権力にありついて党勢を張るといふのが自由党以来の基本信条だ。星亨は藩閥倒壊の素望を達するの目的を以て、無節操を笑はれながら藩閥の一角に寄寓を許されて秘かに党勢の拡張をはかつた余りに、藩閥の横暴が過ぎると提携を絶ち、新しくふとつた勢力で一層手づよく政府をおびやかす。その圧追に堪へずして政府が再び操縦の手を差し伸べると、星は翻然としてまた直にこれに応ずる。斯くして自由党は加速度的にその勢容を増大し得たのであつた。政友会となつては、星の衣鉢をついだと云つていゝかどうか知らぬが、原敬はまたこの方面に於ては一個の天才であつた。政友会はやがて元老の庇護により桂と交代ではあるが独立して天下を取るの力を備ふるに至つた。併しながら彼等が斯の優勝を占め得たのは、一として権力と結托した結果でないものはない。永く野に在つて臥薪嘗胆の苦になやんだなどいふは彼等の曾て経験せざるところである。第一次山本権兵衛内閣のときは世上の非難を冷視し党内の分裂を意に介せずして政府の誘に応じて提携した。大隈内閣のときは余儀なく始めて野党の苦杯をなめたが、その次ぎの寺内内閣とは矢張り提携したのである。最近の事は姑く略する。要するに政友会は節操面目に拘泥せず妥協提携に依り権力に近接して以て大を成すに慣れた政党である。政友会の歴史がさうであり又成り立ちがさうであり、而して現鈴木総裁はこの点に於て原敬と著しく違ふとも見えないから、軍部とのイザと云ふ間際の妥協提携は決して稀有の現象ではないと考へる。況んや鈴木総裁の砲持する思想傾向は安達国同盟首のそれと共に最も軍部と相近きものなるに於てをや。
 政友会と軍部と妥協すれば政界は一時の混乱から救はれる。殊に政友会のためには漸次政党内閣主義の途がひらかれるかも知れない。が、それに依りて政局の安定と国民利福の向上が期せられるかどうかは別問題だ。ことに軍部政友会の方面からもう少しまじめで具体的な政策経綸が示されぬ以上、政局の形式的安定が国民利福の上に何をもたらすかの見当も皆目つきかねると思ふのである。

 

  『中央公論』一九三三年一月