原内閣に対する要望
発表されたる顔触を見ると、純然たる政友会内閣である。枢密院に当りのよい所、貴族院の操縦に便宜な所二三枚を加ふべしと云ふやうな俗論を空吹く風と聞き流して居るやうな趣がある。斯くては表向きどんな事を云ふにしろ、枢・貴両院より常に同情ある援助を期する事は出来まい。窃かに相談を受けるだらうと予期して居つたものゝ当て外れの不平は姑く措くも、之で政党内閣の組織が段々堅まつては大変だといふ官僚系の内面的一大煩悶は、必ずや事毎に勃発すべきを疑ふことは出来ない。只之に対して原内閣は如何なる応酬を試るだらうか。巧みに敵の鋒茫を避くるに苦心するは妨げなきも、之に阿附談合して一時の苟安を貪るは純政党内閣の為めに取らざる所である。過渡期の事であるから幾多の困難はあらう。が、新傾向に乗じ、又新傾向に迎へられて起つた新内閣としては、何処までも新勢力に根拠を据ゆることの外に取るべき途が無いではないか。今は昔、第三共和国設立の始め、多数にして且つ因循なる王党と戦ふ為めに、生気に充ちた少数の共和党がどれ丈けの苦心とどれ丈けの発憤を示したかは原内閣の当さに学ぶべき所である。彼にあつては共和政体の確立、我にありては立憲帝政の確立、各々目標をこそ異にすれ、前途に横はる障擬の種類は略ぼ同様である。新内閣の閣僚諸公は、遠大なる理想と雄渾なる手腕に於て、大正のチエーたり、大正のガンベッタたるを得るや否や。
新らしき勢力に根拠を据ゆるとなれば、どうしても文字通りの意味に於ての善政主義で行くより外はない。寺内内閣のやうな旧勢力によつて立つものゝ善政主義を振り廻すは初めより無意義である。善政主義は政界の進行が正しき軌道に復つて後にいふべき問題である。今や原内閣は已に旧き勢力に拠らず、又旧き勢力に遠慮するの必要なしとすれば、彼等には何等かの口実を以て善政の看板を糊塗するの情実がない。斯くして一方に於ては真正なる善政主義を以て国民の良心に訴へ、他方は誠実なる政策を以て一部の官僚閥族の公平なる批判に訴へなければならない。寺内内閣に対して政友会の取つた所謂是々非々主義は、官僚対政党の根本関係から観て決して純正なる態度ではなかつたけれども、原内閣に対する枢密院貴族院等の態度としては是非共是々非々主義に依らしめなければならない。と云ふ意味は、是々非々主義を表面の口実として官僚一派が漫然原内閣を苦しめるやうな態度を許すといふ意味ではない。枢・貴両院の如きは、もと政党の争に対して一方に偏するの態度を取るべきではない。すべての政党に超然とし、是を是とし非を非とするの良心の判断の鋭敏なるべき所に彼等本来の使命がある。従来の官僚は此点に関して余りに不謹慎であつた。政党の名を避けて而も政党以上に政争に没頭して居つた嫌ひがないでもない。原内閣が真に民政の利害に立脚した善政を布き、官僚をして反対したくとも反対することが出来ないやうにするのが、一面に於て又我国政界の風潮を一新する所以にもなる。独り現内閣諸公の利害の為めばかりではない。
以上の見地からして新内閣に向つて予等は次の三点に特別の用意あらんことを繰り返して希望して置く。
第一に大いに自重せられんことである。今や世間一般が原内閣の成立を何となく歓迎して居る事は疑ひない。併しながら此歓迎や原総裁其人や政友会其物に対する依頼の直接の反映と自惚れるならば大いなる誤である。之は政界の新展開を希望して居つた一般の民心が、計らず展開し来つた政局運行の新傾向を悦ぶの結果である。国民は従来已に久しく官僚軍閥の跋扈を厭つて居つた。寺内内閣がいよ/\失脚せねばならぬ破目に陥つた際、政界の枢機を握るものが尚元老の一派なることを見て居つた国民が、後継内閣に挙国一致主義の実現を要求したのも畢竟、此美名を仮りて新らしき内閣をもつと広き国民的基礎に作らしめんとする自然の魂胆に出づるものと見なければならない。然らざればあれ程熱心に挙国一致を要求した民心が、純然たる政党内閣の出現に対して、又同じ程度の熱心と感興とを以て之に対する意味が分らないからである。然らば国民の真に希望せるものは挙国一致にあらずして国民的基礎に立つ内閣であつた。此要望が即ち原内閣を出現せしめたものである。然らば原内閣は此勢を透観し、而して此期待に辜負(こふ)せざるの誠実なる覚悟がなければならない。従つて目前の小利害に齷齪すること無く、殊に官僚軍閥の勢力に対し、又憲政会其他の敵党に対しては小策を謹み、大局に立つて大政党に相応はしき行動に出でなければならない。
第二に右と関聯して予等は特に今日の政界に尚強大なる情勢的威力を有する官僚軍閥に過当の顧慮を与ふるなからんことである。無論徒らに之を敵とするの必要はない。けれども常に之を味方たらしめんとする事は決して正当なる心掛けではない。之を味方とするの必要があるならば政策を以て行くべく、断じて其他の方法を取るべきではない。若しそれ官僚軍閥が、是を是とし非を非としてあらゆる政争の上に超越して公平なる監督を為すの地位を自ら棄て、我から進んで政争一方の対手たり得べき独立の勢力たらん事を企つるが如きあらば、之れ老耄(おいぼ)れが向ふ鉢巻をして児童の喧嘩に飛び出すやうなもので、見つともない事甚だしきのみならず、又争を公平に収め且つ導く所以ではない。従来の政党は余りに官僚軍閥の勢力が強かつた為でもあらう、此点に関しては却つて弊害を助長した譏を免れない。此点に関する新内閣の施設は我々の最も注目すべき所である。若し夫れ一方に出兵反対論者として、露国の過激派に相当の理解ある人として知れた内田外相と、積極的膨脹主義の吹聴者であり、出兵論の張本人として知られた田中陸相とを同一内閣に列ねて、当面の東亜外交を如何に指導するかに至つては、無爵宰相の手腕の試金石として特に注目せんとする所である。
第三に、繰り返して云ふがどこまでも民衆の勢力に根拠を置けといふ事である。政界の大事を一から十まで民衆に計れとは云はない。多少の秘密はどんなデモクラシーの国にも免れない。只広く計るの態度を根本に於て失はざらんことは吾人の断じて新内閣に要望する所である。大事ある毎に一々元老に意見を求めるのは元勲尊重の意味に於て何等妨げなき所なりと雖も余りに之に掣肘されて時代の要求に遠ざかるは謹むべきことである。就中元老官僚等の目前の圧迫に余りに重きを置くが如きは国民の決して喜ぶ所ではない。又公平に考へても民衆の勢力などゝいふものは普段には更に現はれない。殊に日本の民衆は平素は極めて温順である。けれども一旦不満に燃え不平に勃発すれば、柔順なる小羊も狼の激しさに転じ、意外の局面を呈するの例は已に近く我々の経験した所ではないか。普段は柔順しい。小面倒な圧迫は元老や官僚や軍閥やから来るからとて、之と結んで不知不識の間に民衆の不満を醞醸するのは策の得たるものでない。而已ならず政友会が実の所今日まで広く天下の同情を繋いで居なかつたのは専ら之が為めではないか。然るにも拘らず国民は寛大にも過去を許して、政友会に先の罪を償ふの好機会を与へた。此好機をムザ/\利用しないのは迂愚不明の甚しきものたるのみならず、又大政党として国家に報ずるの所以でもない。民衆を友として民衆の幸福を計れ。斯くするは又同時に民衆を教養し、民衆を訓練し、上下心を一にして社稜の富強を計る所以でもある。
以上根本的要望の外に於て当面の具体的問題に関し更に希望する所数項を掲げて此論を結ぶ。
第一は対露対支問題の根本的解決である。時の政府が何と説明しても、従来此方面に一貫の国策の無かつた事は争ひ難い。殊に最近に於ては支那並びに西伯利方面に於ける帝国官民の行動は支離滅裂を極むるものであつた。而して之が根本的解決は、只だ之れを一外交問題としてよく解決の出来る性質のものではない。更に溯つて考へれば、之れ実に一個の思想の問題である。目下内外両面の政界に清々として流れて居る世界的思想を的確に諒解し、尚且つ之れに忠実に順応するの態度を欠いては、如何にして対支対露の外交問題を解決することが出来るか。之れが根本的解決を新政府に求めて果して満足を得るや否やは別問題として、兎も角我々国民は如何なる新政府に向つても常に之れを繰り返して止まざるものである。
第二に又之れと同じ根本思想から内政上の各方面の改革をも希望して置きたい。寺内内閣は時勢の進運に応じて種々の改革事業の調査に骨折ると共に、他方に於ては神社局の設置に数万の国帑解を投ぜんとして居つた。之れによつて敬神の風を養ひ得べしとするのは已に時代錯誤である。言論自由の尊重ば勿論、社会の各方面に洽ねく生気を発動せしめ、溌剌たる新精神を以て一貫するやう各種の改革を希望するものである。殊に教育の刷新に就ては特殊の努力を希望するものである。一々個々の項目は挙げない。
第三に吾人の予ての主張たる選挙権拡張に就ては、又新内閣に対する要望の重大なる一項として之を掲げざるを得ない。政友会は先に一度普通選挙主義を衆議院に於て是認した。只之に党略以外幾何の誠意ありしやは大に疑なきを得ざるも、兎に角時勢の進運今日の如きものあるに際しては、少くとも之れに対して広汎なる且つ真率なる調査考究を為すの必要はあらう。小選挙区の問題以外、選挙法の根本義に重大なる変革を加ふるは政友会の希望せざる所と聞いて居るけれども、若し果して之れが為めに選挙権拡張問題の考究を等閑に附するが如きことあらば、之れ党略の為めに国務を疎かにするの譏は免れまい。
第四に経済政策の確定を要求したい。就中最も肝要なるは食料品問題、税制の整理並びに労働問題の解決であらう。目前の対策としては正貨収縮の問題もあるけれども、斯くの如きは少数富豪の反対を意とせざるの覚悟があらば訳も無く解決の出来る小問題である。更に大いなる決心を要するものは前掲の三点であらう。之れによつて国民の生活問題を根本的に解決するのでなければ、新内閣は充分に民衆の好意に酬い、国家の恩顧に報ずるものと云ふ事は出来ない。若し夫れ国家の経済政策の他の一面の重要問題として、対外貿易殊に原料品の輸入、加工品の輸出の問題に就いては、単に之れを経済問題として而已ならず、対外的交際と深き交渉を有する問題として考究するの必要がある。早い話が、対支対露の外交問題の処理が差し向き非常に重大な関係を我経済的発展の上に有つて居るではないか。こゝになると経済問題も亦一面に於て又思想問題を伴はざるを得ない。否、国民の品格によつて解決すべき問逼となる。新内閣に果してかゝる解決に就き適当に国民を指導するの教養ありや否や。
更に全体に通じて最後に一言して置きたいのは、如何なる方面の施設についても目前の事功を挙げることに余りに腐心せざらんことである。派手な一時的の空疎な題目には、已に前内閣時代に於て国民は食傷して居る。目前の事功を挙ぐるに急ぐの結果、国内に於ては多大の国帑を徒費し、国外にあつては小智小策を弄するものに任かせ過ぎて、どれ丈け帝国の信用を害して居るか分らない。此点を緊縮監督するは又新内閣の重要なる任務でなければならない。
〔『中央公論』一九一八年一〇月〕