浜口内閣の前途 『経済往来』一九二九年九月
七月末頃の或る東京の新聞に、浜口新内閣の人事行政が前内閣同様依然として情実に拘泥し過ぎて居るとの非難が昨今漸く貴族院内に高いと云ふ様な記事が出てゐた。よく読んで見ると、田中内閣を倒壊に導いたに付いては貴族院内にも沢山の功労者が居る、浜口首相が之等に酬えんが為めに格別の顧慮を払はず、宛かも自党の独力で天下を取つたやうな貌して専ら人を党内に採らんとするのは、情実に捉はるるの甚しきものであると云ふのだ。浜口内閣の人事行政が概して其当を得て居るか否かは知らない。今日の状勢の下に於て、主として人材を先づ党内に物色するは已むを得ずと許さざるを得ざるべく、貴族院内の所謂殊勲者に酬えざるの故を以て直に之を情実に拘泥すると難ずるは、見当違ひの感なきを得ぬ。否、私共は寧ろ功労に着眼して人事行政に多少でもその斟酌を加ふることをこそ、却て情実の非難に値するものと考へて居る。同じく党籍を有するものでも出来るだけ上院の人を後廻しにすると云ふが、憲政運用上の常則ではないか。況んや間接に政党を助けたに過ぎざる局外の人に於てをや。
斯う考へると、執れの立場がより多く情実に拘はるの難に当るのか分らなくなる。
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前内閣を倒すに功労のあつた人を厚く酬えねばならぬと云ふ理窟もない。廃屋の壊しの上手な者が必ずしも新邸の建築に巧みなりと限らず、土方と大工とは由来分業たるを本則とするが如く、新内閣の要所々々に何人を据へるかは、誰が最も有力に前内閣の倒壊の為に働いたかなどを全然顧慮せずして決定せらるべき問題である。今度に限つたことではないが、何や彼や愚にもつかぬ理窟を捏(こ)ねて猟官の目的を達せんとする者の案外貴族院に多きは、顰蹙に堪へざる所である。
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貴族院に猟官熱の強いことに付ては多少の拠る所が無いでもない。(一)其器に非ずして漫りに輝かしい地位を望むは俗人の常、而して之は独り上院議員に限つたことではない。(二)近時政党の発達するに従ひ下院議員に対しては相当に党の統制も付く様になつたが、上院の方は其成立上から云ても必ずしも下院同様に行かぬのは怪むに足らぬ。そこで政党はこの上院の操縦の必要上自らその議員に対しては特別の優遇を与ふるを余儀なくされる。その反動として田中内閣の如く表面全く貴族院を無視せるが如き形を装ふたものもあつたが、併し全体としては、政党内閣の段々に鞏(かた)まり行く過渡期の現象に過ぎぬのかも知れぬが、兎に角上院議員に過分の優待を提供すると云ふのが最近の一慣行である。是れ上院に議籍を有する走り使ひのまめな斗(とそう)の徒が屡々政府の要路に揚げられたる所以にして、同時にまた彼等が歴代の政府を甘く見て訳もなく顕著の地位をかち得べしと期待する所以である。(三)それに上院の所謂勅選議員の中には官吏の古手が多い。中には完全に政党の中に没入して居るものもあるが、否らざるも腕に覚えがあり而も無事に苦しむ所から、何れかの政党に間接の力を籍して他日何等かの報酬に与からんとする。之れだけの腕のあるのに此儘貴族院の隠居仕事で朽ち果てるのはと云ふは必ずしも自惚とのみ見ることは出来ない。之に政権慾と金銭慾とが手伝つて彼等の猟官熱が一層深刻となるのではあるまいか。我党の天下になつたからとて俄に騒ぎ出す下院の有象無象の猟官熱も無論烈しいには烈しい。但だ此方は畢竟一時の僥倖を夢想するに過ぎざるものであるが、貴族院のそれに至つては、年が年中痩せ浪人の胸裡に鬱結せるものの暴発するものだけに、騒ぎの叫びの大きくない割に深刻の程度は実に軽々に測り知るべからざるものがあるのである。
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また話を前に戻すが、田中内閣の倒壊に就ては誰れが倒したと人を定めて之を決めることは出来ないと思ふ。(一)貴族院は種々の方面から田中内閣に痛烈な痛手を負はした。けれども終に之を倒壊にまで持つて行き得なかつたのは民政党と同様である。(二)枢密院の態度に至つては言語道断と云ふの外はない。少くとも不戦条約問題に付ては、其頑迷固随の見に於て帝国の国際的信用を傷けて悔いず、而も其点を徹底的に主張するを避けて政友会内閣を不当に庇護せんとしたことは蔽ひ難い。(三)して見ると直接に田中内閣倒壊の原因を為すものは軍部と元老とであるが、之とても積極的に田中内閣に働き掛けたのではない。一たび田中総理大臣が元老西園寺の諒解の下に宮中に奏上したことが、後ち軍部の強圧に依て修正された新奏上の内容と著しく異るの結果、流石の田中内閣も遂に自ら我れと我が身を殺さねばならぬことになつたのだからである。
斯く考へて見ると、田中内閣を進んで倒したと云ふ人は誰も無いと云ふことになる。
但だ之れだけの事は云へる、若し田中内閣が多少の民望を収めぬまでも切(せ)めてあれ程不評判を極めて居なかつたら、その最期の模様は幾らか趣を異にしたかも知れぬと。何となれば仮令その効果が間接であるにしろ、内閣が国民の意志に因らず別個の伝統的勢力の為めに倒されると云ふことは由来主義として国民の堅く認めざらんとする所だからである。然り、国民の多数は多年この主義を頑強に主張して来た。にも拘らず我国特殊の歴史的事情は、種々の閥を跋扈せしめて動もすれば政権の順当なる推移を紛更せしめて来た。それだけに之等の伝統的勢力の跋扈に対しては、国民は平素可なり神経過敏であつた。然るに這般の田中内閣の没落に際して、国民が特に独り没落其事に狂喜して遡つて倒壊の理由を問はんとしなかつたのは、是れ思ふに元老軍閥の介入を寛過せるに非ず、その由来を問ふに遑あらざる程田中内閣の存続に忍び難しとしたからではなかつたか。故に或る意味に於ては、田中内閣は国民が見殺しにしたから斃れたのだと謂てもいゝと思ふ。救ひの手を延べたとて救ひ得たかは別問題だが、初めから国民の側に若干の同情があつたら、或はあゝ云ふ窮地に陥らざるを得たのかも判らない。田中内閣を倒したものは元老軍閥の誰れ彼れでない、つまり国民の極度の不信が彼れをして斃れざるを得ざらしめたのである。
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田中内閣を倒したものが国民それ自身なるが如く、其の代りに浜口内閣を迎へたものも国民それ自身なりや否やは、一言にして断じ難い。浜口首相の直接の形式的推薦者は西園寺公だが、世間でも能く云ふ如く、西園寺公は所謂憲政の常道に従て第二党の総裁を奏薦したるに過ぎぬのだから、謂はば公は常道に遵ふの名に於て国民の意図を代弁したものに外ならぬ。然らば浜口内閣を迎へたものは亦国民その者なりと云ひ得ぬこともない様だが、併し立憲国の常例として国民の意志は常に必ず議会に於て表示せらるることを要し、議会に由らざる国民の意志表示と云ふものは法律上認めないことになつて居る。斯る制度の下に在ては、所謂憲政の大道はあの場合、第二党首領の奏薦に始まり、やがて新に出来た内閣の信任が更めて議会の討議に上り其の形式上の信認を得るを以て完了せらると謂はねばならない。是れ新内閣の成立と共に世上に一時臨時議会召集論の盛であつた所以である。その立論の根拠に必ずしも満幅の賛同を表し得ぬが、代議士の一人たる清瀬博士が七月初め東京日日新聞に寄せた論文の如き、其中の最も有力なるものであつた。田中内閣の倒れた際、政権の民政党以外に持つて往かれることは到底憲政常道の許さざる所ではある。斯くして挙げられた浜口内閣は併し乍ら現に議会に於て過半数の確実なる後援を有せざる以上、一応信任を議会に問ふの手続を取らずしては、未だ以て国民の附託を得たりと自負し得ざるは勿論である。
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浜口内閣は組閣早々臨時議会を召集すべきだと云ふは併し乍ら憲政運用の定石だ。之を本則として尊重すべく而し故なく之に悖背すべからざるは言ふまでもないが、徹頭徹尾無条件に之に膠着せざるべからずと考ふるのは誤りである。特別の場合にはまた本則を一歩の先きに見詰めつゝやゝ之と相異る方策に出づるの已むを得ないこともある。
我国の今日の場合、臨時議会召集論は取りも直さず解散論である。屁理窟を捏ねれば二者の間に必然の関係はないとも云へる。実際の状勢を云へば、野党の過半数に逐ひ捲(まく)られて政府は到底解散の外に局面転回の方途を見出せぬことになるであらう。故に直に臨時議会を開けと迫るは、成るべく早く議会を解散せよと云ふにひとしい。而して之が果して我国の現状に照して得策なりや否や。
早く臨時議会を開けと云ふのは、議会の少数党を以てして政権運用の衝に当ると云ふ不自然の状態を一刻も早く取り去つてしまひ度いからである。併し乍ら臨時議会を開き其結果解散となつて其処から政界の自然的状能に復するを期待する為めには、二つの前提要件を予定せなければならない。一は民意が総選挙の結果の上に正しく現はれることで、他は其結果に基いて政権がなだらかに移動することである。後者は我国に於ても略ぼ確実に守らるるとして、第一の点の頗る覚束なきは天下公知の事実ではないか。政友会の不評判の空前なりし近き過去より推し、総選挙の結果の恐らく民政党に有利なるべきは想像し難きに非ずとしても、之を信じてい、程不幸にして我が同胞は未だ選挙権の行使に付て真面目でない。真面目に恃み得るのなら、選挙の結果よしや田中内閣の復活を見るに至つたとて悔ゆるにも及ばないが、当今の人情は唯訳もなく、当分暫くは政友会に謹慎して居て貰ひたいと要求して居る様であり、従て又選挙の結果が不安なら急いで之をやらなくてもいゝとする感情も、相当強く漲つて居るらしく見へる。
何れにしても民意の確実に選挙の上に現れぬ国に於ては、選挙は要するに無駄の手数である。之れで民意の所在が分るのだと強く主張するだけの道徳的根拠が薄弱だからである。だから私は、例へば清瀬博士の所説を一応尤もと同意しつゝも、強いて之を政府に迫る程の熱を感ずることが出来ぬのである。併し選挙の結果を成るたけ民意に副ふ様にすることも主としては繰返して之を行ふの訓練に依る外はないのだから、兎に角斯の与へられた形式で民意を問うて見ようと試みることには異議はない。それが十分民意を現はして居るか否かは別として、選挙の結果に基いて政権の授受さるる形式的慣行の斯くして益々堅まるも亦好もしき事である。
故に私は政府が進んで臨時議会を開かうと云ふのなら敢て異議は申述べぬ。どうでも斯うでも之を開くべきだと迫る議論には姑く賛成を保留して置きたい。解散の時機を政府の選択にまかすは此際必ずしも理路の公明を欠くことにはならないと思ふ。
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誤解を避くる為めに言つて置くが、私とてもどうせやるなら早く議会に多準の根拠を作つて鞏固な基礎の上に新内閣の大に活躍せんことを冀望してやまざるものである。夫にも拘らず私が新政府に総選挙を急げと迫らざるは、国民の真意が必ずしも茲処に適確に現はれざるのみならず、早く選挙事務に忙殺されることに依て政府当面の急務の或は忘れられんことを恐るるからである。選挙に依て不自然の状態を矯めることも必要には相違ないが、夫れよりも大事な焦眉の急務が外に沢山あると思ふのである。先づ其方を先きに片附けることに専心すべきであらうと考へるのである。
然らば謂ふ所の当面の急務とは何か。政友会の悪政に依て歪められたる国民的利福の調整が是れだ。政友会の悪政に依て歪められた国民的利福とは何か。政友会罪悪史を説くのが此小論文の目的でないから今一々之を列挙するの煩を避くるが、時々新聞に現はれるもの以外、隠微の個処に此種のもの亦頗る根強く且広く伏在して居ることを一言しておく。兎に角取敢へず之を矯正し調整することが何よりの急務だ。田中内閣の後を承けた新政府としては先づ之れから手を付けて国民の期待に対する最初の応答を為すべきである。浜口内閣の今日までの成績がこの点に於て相当の賞讃を博するに足るものなりや否やは別として、斯う云ふ当面の急務を有するだけに、彼れが臨時議会を急いで開かぬことにも亦一面の道理あるを思ふものである。
猶ほ政界の一部には、臨時議会を開かぬ代り通常議会の開期を繰り上げ少しでも解散の期を早めよと説くものがある。解散の早きが民政党の得策だとする考が自ら斯の説を流布せしめたものであらうが、解散の早きが果して得かどうか明かならず、仮令得だとしても、一ケ月早いと云ふことは要するに五十歩百歩の差に過ぎぬであらう。併し開会期を多少繰り上げると云ふ主張には、私は別の理由で賛成はする。
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民政党が少数を以て天下を掌握して居るのは何と謂ても憲政上の一変態たるを免れぬ。変態は速に適当に始末せらるるを要する。だから解散論の主張を見るわけだが、此際一概に常則に依り難きは前にも述べた通り、更に之を田中内閣没落の事情に照合して考へると、一層明白に其辺の理由は解るやうだ。
政友会は内閣投げ出し後新党倶楽部との合同に依て下院に過半数を占むるの優勢を確実にし以て今日に至れるも、没落の当時は第一党ではあるが絶対過半数を占むるまでには至らなかつた。併し乍ら相手の民政党から前後五十人足らずの脱党者を出させ、其等の者の大部分が結局に於て自派に合流し来るべきを期待し得る以上、兎も角も形式上議会に多数を制して居たと観て差支ない。而して其の多数を擁して居た政友会の内閣が、多数を擁した儘で倒れたのである。多数を制し得るものに天下をやらうと云ふ現代に在て多数を擁して倒れたのだから、田中内閣の倒壊は謂はば大金持の餓死とでも申すべき格好で、之れが抑も憲政運用上の一大変態なのである。然り、田中内閣が多数を擁し乍ら斃れたと云ふ事は、浜口内閣が少数を以て天下を授かつた事以上に変態なのである。
然らば斯かる変態を生じた根本の原因は何か。そは云ふまでもなく、田中内閣の擁する多数が実は無理に作り上げた空虚な多数で、畢竟国民の真の意向とは何の交渉もなかつたものだからに外ならない。之等の事は私の既に幾度となく論じた処だから再び繰り返さない。読者諸君の知らる、如く、政友会内閣に対しては、国民の多数は組閣の当初から既に厭き/\してゐたのだつた。而も無理に多数を作らんとしての暴状は日に増し募る、国民怨嗟の情が昂じて遂に最早一日も其の存続に堪へ難しとするに至れるも怪むに足らない。其の証拠には、彼れの不慮の窮地に対して天下誰れ一人同情を寄せるものがなかつたではないか。元来多数を要して倒れると云ふは変態中の変態であり、多くの場合その由て来る所を不純となし、国民は寧ろ倒れた内閣を支持するに傾くを常とするものである。今度の田中内閣にしても、彼れがモ少し人望ある内閣であつたら、或は軍部の強圧を攻撃し或は元老の干入を不可とするの声が相当に民間に高かつたかも知れない。理に於て大に論難すべき点あるに拘らず、之等を一切棚に揚げて国民が挙つて唯々内閣の没落を喜び合つたのは、以て如何に政友会内閣が民意を離れて居つたかを証するものである。
だから「新に民意を知る為」と云ふ解散論は為めに半分の根拠を失ふわけである。民意を問ふ当事者は差当り民政党と政友会であり、而して政友会に民意の支持なきは今日頗る明白だからである。但しさうかと云つて民政党が、だから国民の多数が我党を支持して居るのだと自負し得ざるも勿論である。甲乙二者の中一方を非とすれば他方を是とするの外はないが、政界の事は常に一々選挙と云ふ駄目を押すことを必要とし、之れで地歩をかためて取掛らねば仕事が安全に出来ないのである。たゞ此際は民意の所在の略ぼ明かなるよりして選挙の方はさう急がなくともよからうと云ふまでのことである。
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序に多数を擁して居る内閣が多数を喪ふことなくして而も倒壊を余儀なくさるることは、如何なる場合に可能なりやを考て見よう。私の考では之に関しては大体三つの場合を想像することが出来る。
一、首相の死去 議会の多数党に天下を遣(や)ると云ふ所謂憲政の常道が段々鞏まりつゝあるとは云ひ、組閣の大命の法律的性質を解して君主より政党に賜はるものとする説明は、未だ公式には承認せられて居ない様だ。好ましからざる過去の伝統的謬想に基くものではあらうが、憲法は表面上依然として政党なるものを認めず、従て例へば浜口に組閣の大命の降れるをも、政党総裁たるが故に彼に大命が降つたのではない、政局燮理(しょうり)に堪能なりと認められたるが故に大命を賜はつたのだと説明する。尤も政党内閣の慣行のかたまるに連れ、事実上政党に根拠なきものは単にそれだけで政局燮理の能を欠くものとされるのは当然だ。従て政党総裁たることが其の資格を具備する明白なる一標徴に相違ない。けれども、強て政党総裁たるが故にと云はしめぬ所に古い政治思想の今猶ほ屏息し了(おわ)らざる痕跡を示して居る。斯くして我国では、首相は陛下の御信任に依て大宰相の印綬を帯び、一般閣僚は首相の推薦に依り換言すれば首相御信任の反映として台閣に列するものとされる。要するに君主との関係に於て内閣の存立する唯一の基礎は、首相其人に対する御信任である。政党は飽くまで表沙汰にされぬことになつて居るのだ。従て例へば閣僚の入れ換による改造と云ふことはあり得るも、首相だけは漫りに之を入れ換へることは出来ないとされる。首相が死んだ様な場合直に政党が後任総裁を決定しても、其人が其儘首相の地位に上り得るのではない。それは前任首相の御信任の基礎は直接には政党総裁たりしが故でないからである。現に加藤高明が死んだ時には閣僚は一旦総辞職をなし、後任総裁の若槻は改めて陛下の御依託を蒙り、其上で殆んど同一の顔触れを以て後継内閣を作つたのであつた。
右の様なわけで、首相の不慮の死は多数を擁して居るに拘らず一旦内閣の投げ出されねばならぬ一つの場合を作るものである。併し斯の場合には殆んど例外なく後継総裁が直に組閣の大命を拝すること若槻内閣の時の如くであらうことは亦疑ない。
二、局外勢力の圧迫 日本の政界が独逸や仏蘭西の如くだと話が頗る面倒になるが、幸か不幸か外観の形は英国の式に則つて居る、或はます/\英国式になりつゝあると云つた方が適当であるかも分らない。其処で政権争奪の土俵に上場するものは下院に根を張る政党に限られ、その以外の勢力のその間に干入し来るは、寧ろ政界を腐敗せしめ其の順当なる発達を阻碍するものとして呪はれる。この点は二大政党の闘争に由る英国式憲政運用をよろこばぬ人々の間に在ても同様だ。何となれば貴族院枢密院の跋扈は云ふも更なり、軍閥元老の干渉の如き亦総ての人の無条件に嫌忌してやまざる所だからである。たゞ併し乍ら我国に於ては、一つには歴史上又一つには制度の上にも相当の根拠があつて、之等局外勢力の干渉にはなか/\侮り難いものがある。詳しい説明や挙証は今之をする遑はない。その災禍に遭つて多数党内閣の倒された例も珍らしくないが、その危険を警戒すべき事情に至ては今後も相当永く続くであらうと思はれる。
局外勢力の圧迫に依て多数党内閣が倒れたとすれば、其後を承けた新内閣が速に国民の信任を問ふの措置に出づべきは当然である。何となれば前内閣の倒れたるは直接には国民の意志と何の関係なく、新に起つた政界の変転に関し民意の何れに加担するやは全然不明だからである。但し之に基いて起る総選挙は、(一)局外勢力の干入を是認すべきや否やと(二)前内閣と新内閣との孰れを信認すべきやと二つの問題に付て国民の意志が問はれるのである。国民の多数が依然として前内閣側に多分の好意を寄せるか又は之と新内閣との間に格別重大の差違を認めなかつたら、或は局外勢力の干入を否認する意味に於て前内閣派に多く投票するかも知れない。斯うした形式的問題に拘泥するを不急とし、何等か特殊の理由ありて新内閣を支持したとしても、そは必ずしも局外勢力に由て前内閣の倒されたことを是認すると限らぬは云ふまでもない。但我国に於て総選挙が右の理論通り進行するや否やは別問題である。
三、偶然の過失 偶然の過失が内閣の運命に関するやうなことは滅多にない、唯事宮中に関する場合に稀に之を見る。今度の田中内閣の没落が正に之に当るものであらう。尤も之を偶然の過失と云ふのは当らないかも分らぬ。何れにしても深い根柢のある政策上の重大案件に関する失態でないことは明かだ。事件其ものが重大でなくとも、宮中関係と云ふ点に特別の重大性が加はつて内閣瓦解の原因を為すは我国特殊の国体上亦やむを得ぬ所である。而して此場合新内閣の如何なる措置に出づべきやはまた略ぼ(二)の場合と異る所はない。
要するに何れの場合にしても、多数を擁し乍ら倒壊を余儀なくされた内閣(又は政党)は、民間の輿情に対する関係に於ては本来立場の有利なるべき筈である。それだけに今日の政友会が一向国民の同情を惹き寄せ得ないのは一つの特例と云ふべきであらう。この形勢を転換することは蓋し政友会に取て容易なことではない。
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以上の論述は自らまた次の総選挙の結果をあらまし予想せしめぬでもない。単純なる党略として選挙は早きを政府の利とするや否や私には分らない。理に於ては必ずしも之を急がしむべきに非ずとすれば、そは大体政府の選択にまかして然るべき事柄と思ふ。選択にまかしたからとて其の決定に相当の理由あるを要するは申すまでもない。
選挙時期の定め方に依て損得の差があつたとしても、そは大した数ではなからう。選挙の結果朝野両党の形勢の如何に落付くべきやは、右の点を姑く度外しても考へ得ぬことはない。私の推測する所に依れば、大体判断の基礎を前回総選挙の結果に置き、之に時勢の変化と内閣更迭の事実とを斟酌すると斯うなる。(一)無産政党は若干其の員数を増すべく(一部の人の想像する如く著しく増すと云ふことはあるまい、多くもやツと倍数を超過する程度のところだらうと思ふ)、(二)中立と小会派は依然として−或は益々−不振なるべく、而して仮りに右の二つを約三十名とすれば、(三)残りの四百三十余名が幾分政府側の有利に分配されるのではあるまいか。前回の選挙で(イ)民政党は二百十七名を得た、今は百七十余に減じて居るけれども、原数より新党倶楽部を差引いた百九十位の所を現有の勢力と許してよからう。之に与党たるの地位が更に幾何を添加するかが問題である。私は之を約二十と算し、民政党の期待し得る最低減を二百十と観て居る。之に対して(ロ)政友会は今や新党倶楽部を加へて二百五十に近い。けれども野党たるの地位と最近の異常なる不人気とは選挙の上に著しき影響を示すべきを以て、私は多くも二百を超ゆることはあるまいと考へて居る。何れにしても、民政党が独力で過半数を制し得るやの頗る覚束なきを感ぜられるけれど、世人は一般に再び政友会に起たれてはと大に懼(おそ)れて居るのだから、この感情を具体化すべき非政友聯盟でも出来て結局何等かの形に於て現内閣の拠るべき基礎が作り揚げられるのではあるまいか。
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併し万に一つ選挙の結果政友会が多数を占めたらどうなる。所謂憲政の常道は必ずや再び政友会を立てるだらう。私は此際政友会の復活を喜ばぬものだけれども、(一)選挙に敗れた民政党内閣に居据はらせる理由は毛頭なく且つ(二)つい此間やめた斗(ばか)りの政友会を起たしむるのも変だなど理窟を捏ねて又しても中間内閣の主張さるるが如きことあらば、絶対に其の排撃を呼号したい。選挙の結果に従順なるも亦一つの大切な原則だから、さうした場合には遺憾ではあるが矢張り政友会を起たしむべきであると考へる。政友会としても再び起つた以上、豈(あに)敢(あえて)復(ふたた)び前の様な馬鹿を繰り返すこともあるまい。
唯政友会が選挙に勝つた場合一寸面倒な問題の起りそうなのは、田中総裁の進退如何に関してである。前にも述べた通り、我国の憲法上の形式的説明は何処までも政党と云ふものを眼中に置かぬ。其の実政友会に政権を託するのであるに拘らず、政党の事は知らない、田中義一其人を大政燮理の適任者と認めるのだと云ふ立場を執る。然るに先度の政変に於てその田中義一が傷を負うて身を退いた斗りなのである。そは議会に多数の根拠を失ふたからではない。実質的には散々の失政だけれども、形式的には何等政策上の重大案件の蹟きに依て骸骨を乞ふたのでもない。没落の当時政友会の人達は政策で倒れたのでないと云ふ点を誇りげに叫んで居られたが、それだけ再び田中を呼び出すと云ふに就て宮中の関係が難かしくなるのではあるまいか。政策で倒れたのなら、田中個人の傷ではない。さうでないとなると、宮中との関係に於て田中と云ふ個人の輔弼の方法をあやまつたと云ふことが辞職の原因と認められなければならない。然らば輔弼の能力に欠くる所ありと―仮令形式的であつても―決まつたものを、如何に憲政の常道に連れ立つとは云へ、オメ/\と復(ま)た奏薦の出来る訳はないのではあるまいか。そんな形式に拘泥するなと云ふのも一つの理窟には相違ないが、そんな事は元老奏薦など云ふ手続もなくなつた時に云ふべき事で、大命降下に関連する今日の複雑なる慣行を以て、犯すことを得ざる一つの秩序と観る以上、田中個人の問題は政友会の運命に至大の関係あるを許さずばなるまい。
そこで政友会としては、次の選挙に予定の勝利を占めて再び政権を自党に奪還せんと期する以上、総裁の入替へをせねばならぬ害だ。義理にも奏薦の出来ない代物を依然として総裁の地位に放置するのは、或は近く容易に政権の戻り来る見込のないことに諦めて居る為めかも分らない。尤も遡つて云へば、輔弼の職責を誤つたと云ふ点で辞職の余儀なきに至つた以上、彼れは総理大臣を辞すると同時に直に政友会総裁をも辞すべき筈であつた。之を辞せないのは被れの楽天的習性に因るのか、又徒らに地位に恋々たるが為めに然るのか、抑もまた俄に辞し難しとする党情の犠牲となつて忍び難きを忍んで居るのか。田中大将を据へ置くことの次期の政変に頗る不利なるを知りつゝ俄に之を換へ難しとするところに、また政友会の弱点があり又幹部の最も苦心する所があるのかも知れない。
併し総裁問題は何時までも放任して置ける問題ではない。
次ぎの選挙で幸に民政党が勝てばよし、若し政友会が勝つたとしたらどうなる。浜口内閣は辞職する。後継内閣につき仮りに西園寺公が御下問を蒙つたとしよう。公は所謂憲政の常道に従て総裁田中義一を奏薦するだらうか。一年足らずも前に、政治的に蹟いたのではない道徳的に蹟いたと云ふので自ら処決せしものを、再び奏薦して公は果して心中陛下の附託に忠ならざるの悔を感ぜずして居られるだらうか。いよ/\之が問題となつたら、我国憲政上従来に類例のない事件として、最も識者の注意をそゝるものがあらう。
尤も政党内閣主義の事実に於て認められて居る今日、政党が自ら選んで党首と仰げるものに、他からケチを附けられる理由はないとも云へる。田中総裁を適当と信ずる以上、何処までも之で押通すと云ふのも一ト理窟であるが、民政党の議会中心主義をさへ危険と罵つた政友会が、一転して政党内閣主義の極端なる固執に早変りし、我が選む所なるの故を以て強て再び敗軍の将を陛下に薦め奉るの勇ありやは、また私の大に疑ふ所でもある。
序にモ一つ空想を描いて見る。総選挙の結果政友会多数となつたが、総裁が依然田中なるが故に元老が一寸取捨に迷つて居るとする。斯う云ふ場合必ず念頭に思ひ出されるのは床次氏であるが、政友会内閣に難色あるを見越し、先達て新党倶楽部を挙げて政友会に投じたと同様の早業を以て、今度も矢張り一族を率ゐて政友会を脱したとすれば、彼れの一派と民政党との聯立を以て優に時局の安定は求め得られることになる。尤も民政党が浮萍(うきくさ)の如く昨日を今日と定め難き床次一派と結ぶ気になるか否かは問題だ。が、其の目論見の成否如何は別論として、少くとも床次氏は斯くして益々其の真面貌を発揮し又鮮かに其の終りを完うするものと云へよう。但し斯かる現象の発生に対して心ある国民の極度の侮蔑を寄すべきは説くまでもない。
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浜口内閣の前途を説くには、猶ほ枢密院並に貴族院との関係に付て語るべきものが沢山にある。余り永くなるから之は別の機会に譲らう。(八月六日)