軍部大臣文官任用論の根拠 中央公論』一九二六年五月「小題雑感」のうち
軍事機密費問題に関する鈴木新参謀総長の談なるものを三月末頃の新聞で見た。其中に彼はまた軍部大臣文官
任用制の得失をも論じて居る。彼の説を要約すれば斯うなる。(一)軍部大臣を文官任用に改めねばならぬ必要は
何処に在るか。(二)軍部の事は文官に分るか。
この説に対しては細密の点に亘りて議すべき点尠くないが、之等はしばらく別論として、只一言私の読者と共
に注意して置きたいのは、斯かる議論は畢克
(一) 軍部の事を軍部だけの見地から観るの論(換言すれば国家的立脚地を忘却せる考へ方)であり、且
(二) 軍部大臣も亦国務大臣だ(換言すれば単に用兵の技師ではない)といふことを忘れた論だ
といふことである。思ふに軍部の人々は一般にみなこの同じ謬想を抱いてゐるのではあるまいか。軍部大臣の更
迭の際などに所謂巨頭会議を開くが如きはその最も明白な証拠である。仮りに武官任用の現制を維持するとして
も、之を一に軍部内部の協議に決するは、軍務亦国家の公事たりとするの趣旨を根本的に蹂躙するものである。
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米国の碩学ロウエルの近著で私は斯んなことを読んだ。
上に公職の名義上の把持者ありて、名誉を享受し又責任を取る。下に技術的智識の供給者ありて、自らは表
其外ロウエルの本には、英国の政務官が決して政治上の目的に事務官を利用しないことなどを説いて居る。之
面に立たず実際に於て長官の行動を指示する。俗人たる長官と専門技術官たる属僚との協同関係は、英国政
治組織の全面にわたる特色である。
俗人たる長官の任務は何ぞ。施政をして社会の通念と一致せしむることである。官憲の濫恣又は因循、之等
より来る弊害を鋭敏に感ずるものは彼れだ。彼れは下僚たる専門家の意見を省量して、新に採用せらるべき
一般政策をきめる。彼に非んばこの事を能くしない。
専門家たる下僚の任務は何ぞ。日々起る所の問題につきて正確なる建策をなし長官の聡明をひらいて失錯に
陥らしめざることである。長官の決定を見ば次に後はその実行の任にあたる。
Lowell's Greater European Goverments
は英国の事の説明であるが、国務大臣の性質を説明せるものとして其儘我国にも適用し得ることは言ふまでもな
い。
この上軍部大臣文官任用制を疑ふものあらば、そは度す可(べか)らざる大馬鹿ものである。
〔『中央公論』一九二六年五月「小題雑感」のうち〕