軍閥の外交容嘴を難ず



 フリードリツヒ・ナウマンといへば牧師上りの政治家として、進歩国民党の領袖として、威風堂々たる熱烈なる大雄弁家として、又深遠なる評論を以て常に社会の指導を怠らざる稀なる操觚者として夙に独逸の政界に有名であるが、殊に最近は『中央欧羅巴』の著者として遠く我国にも其令名を馳せて居る。去年の十月九日彼が帝国議会に於て、独逸の帝国主義運動に関する質問演説は、啻に之を聴く者に深刻なる印象を与へたばかりでなく、躾て発表せられたる彼の演説の速記は一層大いなる感動を国の内外に与へたと言はれて居る。其演説は主として、彼の前海相テルピッチ等によつて創設せられたる祖国党を攻撃せるものであるが、其要点は、同党が帝国議会多数派の説、否国民多数の輿望を無視し、主戦説を標榜して国内に無遠慮に運動しつゝある事を攻撃せるものである。彼の云ふ所によると「……一九一四年以来独逸は実に同一の政府組織の中に互に相軋轢する二個の中心勢力を有つ事になつた。一つはビートマン・ホルウェックの政府で、一つはテルピッチの政府である。而して、此両派の乖離は官庁内にも軍隊内にも新聞界にも、否又実に全国民の間にも浸潤した……此二重政府制度の為めに政務の渋滞を来たし、どれ丈け国家の損失を招いたか分らない……彼の祖国党は、議会及び政府が最高軍事当局者の同意を得て一旦可決したる一九一七年七月十九日の講和決議に基く我外交政策に露骨に反対して居る。之れ実に、ビートマン・ホルウェック並びに其後任者の意思を無視するのみならず、又議会多数党否な国民多数の意嚮を蹂躙するものではないか。議会に於ける決議の権威を尊重するは我々の義務である。仮令自己一人が此決議に反対でも一旦決議の出来上つた以上は協力一致の義務に服せなければならない。此協力一致の傾向には近頃社会党ですら服して居るではないか……然るに祖国党は議会の決議が何であらうが、国民多数の希望が何であらうが一向頓着する所なく、自分の思ふが儘に行動して居るのは之れ実に国民の権威に対する挑戦ではないか」と言つて、更に祖国党が独り七月十九日の講和決議に反対するの行動に出でゝ居るばかりでなく、正式なる政府以外の一個独立の別天地を作り、軍権を背後に控へて自由勝手の行動に出でゝ居る事を最も痛烈に攻撃して居るのである。
 独逸の政府が議会より来る所謂文治派の意見と、軍閥より来る所謂武断派との意見との間に板挟みとなつて居る事は隠れもない事実である。去年の出兵以来、対露国政策に於ても独逸の国論が此両者の間に動揺した事は前号の出兵問題に関する論文の中にも之を説いた。而して軍閥の盲目的武断主義が動もすれば政府の外交方針を左右するといふ事実の昨今最も著しい事も隠れもない事実である。而して、ナウマンの演説は已に半年以前に於て此事実を喝破して居る点に於て我々の注意を惹くものである。然し予輩の茲に彼の演説を引き来りし所以のものは只之に依つて独逸政界の現状を瞥見するの料とせんが為めばかりではない。之に依つて又同時に日本今日の状態に省みて深く国民の反省を求めん事を欲するが為めである。何故なれば、事実の真偽如何は姑く論外として、政府以外の政府、外務省以外の外交方針策源地存在の説が我国に於ても夙に喧伝せられて居つたからである。
 我国に於ける対外政策の大方針が外務省に依つて決せられず、又内閣其物に依つて決せられずして、元老其他の政府以外の先輩政治家の採決を仰ぐを常として居る事は今更ら云ふ迄もない。之は全然政治上の経歴と見識とを欠く人に依つて決せらるゝのでないからまだしも我慢が出来るとして、若しも此外に我国の外交政策が全然政治上の経歴と見識とを欠く特殊の階級から幾分でも左右さるゝの事実ありといふが真ならば、我々は到底之を黙認する事は出来ない。而して陸海軍省並びに参謀本部の一角が此点に於て多年国民疑惑の焦点となつて居つた事は事実の真偽は兎も角も、我国の政界にとつて一大不祥事たるを失はないものである。
 単に最近に起つた二三の風説のみを列挙して見よう。支那第一革命の時には軍閥は少くとも革命勃発の当初之に対して外務省と正反対の行動を執つたと言はれて居る。大隈内閣の或意味に於ては失政の一に数へらるべき日支交渉の第五項の要求も、もと軍閥の強要にかゝるといふ説もあつた。而して大隈内閣失脚の一原因をなした満蒙問題の誤つたる解決策は、其責任の大部分は之を軍閥の献策に帰せねばならないと多数の国民は確信して居る。外交政策殊に対東亜政策に就いては対欧米外交とは異り、国が近い丈けに万一の場合に対する準備といふ事も考慮の中に入れて置かなければならないから、従つて軍閥と打合せをなすの必要に迫らるゝ事が少くない。それ丈け軍閥は又此種外交問題に容喙し得る事になるが、従来日本の対東亜政策の大部分は帝国の国防的見地から解決するを要する種類のものが多かつたゞけ、主として軍閥の意見に聴くべき必要が多かつた。それ丈け軍閥の意見は事実上外交政策の決定に重きをなす。之は事実上止むを得ない現象であるが、併し之は最近適当の度を超え、軍閥が余りに勝手な、軍事上の見地のみから立てた無謀な献策を政府に迫るので、いろ/\国家全体の上に苦痛と損失とを与へたといふ事実もないではない。斯くして外交問題の決定に対しては軍閥の干渉を抑へざるべからずとするの議論は最近に於ける国民一般の要求であつた。軍閥が果して斯くも横暴であつたかどうかの事実は姑く之を争はない。唯国民は何人か優に軍閥に対する威望を備ふるものが出て、一度彼を抑へて欲しいといふ事を熱望した事丈けは疑を容れない。之れ寺内内閣の出現がいろ/\の点に於て国民の不満を買つたに拘らず尚此意味に於て一部の人の其前途に多少の希望を繋げた所以である。而して寺内内閣が此点に就いて果して国民の希望に副ふたかどうかは一個の大いなる疑問である。最近にも対東亜策のいろ/\な問題に就て又国民中軍閥の外交権容喙を難ずるものゝあるのは之れ難ずるものゝ誤解に出づるものであらうか。
 軍閥が外交政策に関して横暴を振舞ふのは一面に於て外務当局の無能を意味しないではない。併し乍ら如何に外務当局に有為の才能を欠けばとて、世界の大勢に通ぜざる、殊に戦争を以て職業とする軍事当局が外交方針の決定に与る事は大いなる弊害といはんよりは寧ろ大いなる危険といはなければならない。天に二日なきが如く国家の政務は一定の系統ある組織の下に統一せられなければならない。偶々ナウマンの演説を読んで彼の独逸政界に加ふる所の批評が又我国の現状にも適切なるものあるを思ふて茲に之を仮つて国民の反省を促さんとしたのである。

                           〔『中央公論』一九一八年五月〕