後藤東京市長提案の否決 『中央公論』一九二二年四月「小題小言四則」
先き頃の新聞に、後藤東京市長の提案が折角の苦心にも拘らず市会でにべもなく排斥されたと云ふ様な記事があつたと記憶する。男爵の提案が何れ丈け良いものか、市会が何の見る所あつて之を拒んだか、細いことは知らない。又此噂に多少の誤伝なしとも限らない。が、之等の点はどうでもいゝとして、僕は此噂から図らずも次の様な事を連想した。
東京の市会議員が由来滅茶苦茶に市長を窘(くる)めるとは兼ねて噂に聞いて居た所だ。歴代の市長みな之が為に苦んだといふ。そこで少しでも落ち付いて経綸を行はんとせば心ならずも有象無象の御機嫌を取らねばならぬことになる。其結果は重立つた者の我儘増長を寛過し、果ては其間から幾多の腐敗事件をも起すことになる。之ではならぬと革新の斧鉞を取らんとすると、忽ち議員の包囲攻撃を受くる。斯くては到底帝国の首都として恥しからぬ経営の出来やう筈はないとて、特別市制を布かうとか都制にするとかの議論もあるのだが、之も已むを得ない話だとはいへ考へて見れば本邦自治制の汚辱といふべきではなからうか。
併し市制を今の儘にして全然改革の途はないのかと云ふにさうではない。僕等から云はせれば訳もない事なのだ。夫だのに従来此途を取らなかつたのは如何いふ訳かと云ふに面倒だからであつたと思ふ。どうせ政治といふものは面倒な仕事だ。日本の政治家は由来面倒であるべさ仕事を楽にやりたがる癖がある。之れが諸々の弊害を生ずる基だ。そんなら其の面倒な方法といふはどんな事かといふに、市民に訴ふる事に外ならぬ。即ち市長が其提案に自信あり市会議員の反対に理由なしと認めなば、之を堂々と市民に訴へて、市民をして議員を牽制せしめればいゝのだ。之を外にして自治制の許に於ける協動の目的を完全に到達する途はない。事は面倒だが成功は確実疑がない。故に僕は訳もない話だといふたのである。
後藤男は市長就任以来頻りに市民に接触することを力(つと)めて居るやうだ。蓋し声を大にして市民に訴ふるは、啻(ただ)に議員牽制の効あるのみならず、又市民其ものを教育する所以でもある。後藤男の最近の努力は主として後者の目的に出づるものであらうが、も少し露骨に具体的の実際問題に就ても市民の前に意見を公表されてはどうか。俄(にわか)にやり出したら一寸物議を醸すかも知れぬが、兎に角、公然市民に訴へ、市民を覚醒して議員を牽制せしむる外に窮通の道はなからうと思ふ。