言論自由の社会的圧迫を排す

 言論の自由を尊重すべき事、之を妨ぐるものを断じて排除すべき事は国家の文化政策の上から観て極めて必要なる事は云ふを俟たない。而して言論の自由を圧迫するものに国家的なるものと、社会的なるものとの二種類ある。而して世人多くは政府を通して来る前種の圧追のみを観て、動もすれば民間の頑迷なる階級より来る後種のものを看過するのは予輩の常に遺憾とする所であつた。尤も言論圧迫の事実の最も普通に表はるゝのは其政府より来る場合である。殊に寺内内閣は此点に於て最も辛辣を極めて居つたから、予輩も屡々之と抗争したのであるが、然るに近時我国言論界の暗礁とも目すべき國體擁護の旗印の下に、第二種の言論圧迫が初まりつゝあるのを観て、先に寺内内閣の圧迫政策に反対の声を挙げたと同じ意味に於て、再び又此処に反対を絶叫せざるを得ざるを遺憾とするものである。
 事は大阪朝日新聞に関係する。同新聞の最近の論調が國體を冒漬し、朝憲を紊乱するものとなし、浪人会と称する一団が起つて盛んに攻撃の矢を放つて居る。朝日新聞の論調の何たるかは今暫く之を問題としない。日本国民の識者階級中、心から國體冒漬、朝憲紊乱を念とする者あるべからざるの疑なき以上、区々文字の末に拘泥して、之を論難攻撃するは別に其途がある。仮令(よし)んば真に彼の態度を以て憎むべしとするも、之を攻撃すべくんば甚だ大人気ないとは思ふが、彼の『新時代』の如く毎号青筋を立てゝ怒号するもよからう。或は現に問題となつて居るが如く法廷に之を訴ふるもよからう。併しながら一村山翁を途上に要して暴力を加ふるが如きは以ての外の曲事である。各新聞では余りの馬鹿気た事として黙殺して居るのではあるまいかと思ふが、此頃東京市中に於ても所謂浪人会の朝日新聞攻撃の演説会が開かれて居る。試に之を傍聴するに、言辞甚だ不穏を極め、極端なる暴力的制裁の続行を暗示するにあらずやと思はるゝ節もあつた。傍聴者中此等攻撃の動機に就き忌はしき風聞を耳語する者あつたけれども、予輩は弁士中教養ある知名の紳士が之に加つて居る事から推して之を信じない。けれども斯くの如き形で言論に一種の圧追を試みるのは決して喜ぶべき現象ではない。尤も当の朝日新聞の態度に関する評価如何に依つては、之に対して極端な手段を講ずるも或は恕すべき点ないでもなからう。故に絶対に之を非とすべからざる点もないではなからうが、唯教養ある紳士が斯の如き極端なる形で、自由なる言論の発表を圧追するのは、兎に角大正の今日の一大不祥事である。而して予輩は序に、何事にも神経過敏なる我警察官憲が、斯の如き不穏の言動の取締につき、余りに寛大なるを遺憾とする旨を一言して置く。
                      〔『中央公論』一九一八年一一月〕