社会改造の第一楷段としての普通選挙

 

 今度の議会で論ぜらるべき重要問題の一つは普通選挙案に相違ない。去年は不幸にして実際問題とならなかつた。而かも時勢は急転直下して今日は最早や該案の議題に上るは既定の事実たるのみならず、人多くは其通過すら疑はない。予も亦七分の望みを之に繋けて切に其成立を祈るものである。
 唯、いよ/\普通選挙となつた場合の利害得失如何の問題になると、世間に尚一種の悲観論者がある。尤も大多数の人には余りに其利を見て殆んど其弊に眼を掩はんとする傾あり、之も全然正しい見解ではないが、然し普通選挙になつても政治上碌な進歩はない、多大の望を之に繋けるのは誤りであると云ふ風な見方にも我々に多少の異議がないではない。而して此種の悲観論が往々社会的制度の外的改造を先決の急務とする立場を取る人々より発せらるるのは我々の些か奇とする所である。
 どう考へても普通選挙になれば今日よりも遥かによりよき社会を持ち来たすべきは疑を容れない。今日の不徹底な且つ弊害の多い立憲政治でも更に参政権の認められなかつた昔に比べて遥かに勝つたものであることは云ふを俟たない。之と同じ意味に於て選挙権の拡張は兎にも角にも一つの大いなる進歩であるといへる。が又普通選挙になつたからとてそれで我々の自由なり幸福なりが完全に保護され又伸張さるるとも限らない事は事実の上に明白である。已に普通選挙を採用して長い経験を積んで居る西洋の例が明白に此事を語つて居る。そこで西洋でも之丈けでは足りないと云ふので、或はもつと普通選挙の趣意を徹底することによつて、或は普通選挙と相並んで他にいろ/\な方法を案出することによつて従来の普通選挙主義の与へ得なかつたものを与へんとしていろ/\工夫して居る。普通選挙の趣意を徹底する為めと称していろ/\な工夫が案出されて居ると云ふ事は曾て一通り本誌二月号の論文にもも述べた事がある。其外之と相並んで施行すべきものとしては彼のレフェレンダムとかイニシアチーブとかの方法もある。併しながら最近此等の方法にも満足が出来ず更に普通選挙制が何故に十分人類の自由と幸福とを保護伸張するに足らざるやの根本原因を研究して、之によつて一挙に適当なる解決案を見出さんとするものを生ずるに至つた。此風潮は最近労働問題の勃興につれて益々甚だしくならんとしつゝある。
 或人は云ふ、普通選挙が如何に徹底しても、それが結局に於て夫自身完全なものでない事は、そが僅かに政治上に於ける形式的自由を眼中に置くのみであるからである。人類が実質的に完全なる自由を得るまでは決して問題は根本的に解決しないと。斯くして人間の自由を実質的に確立せんとするものは遂に普通選挙に諦めをつけて他の方面に活動の舞台を転じた。斯くして生れたのが社会問題乃至労働問題である。して見れば労働問題や社会問題は畢竟普通選挙問題の解決し得ざるものを解決せんとして起つたものに他ならない。而して此両者は本来相容れざるものではないのに一方は他方の為すなきを罵倒して自家の運動に勿体をつけ、為めに久しく反目の関係に立つたのは甚だ遺憾な事であつた。政治家は云ふ、労働問題の期する目的も実は我々の力で出来ると。労働者は云ふ、普通選挙などゝ云ふ政治問題に拘つて居つては何時迄経つても彼岸に達せられないと。斯くして労働運動家殊に社会主義者の一派などは政治運動を否認することによつて自家の目的を達し得べしとさへ考ふるに至つた。けれども此二者の論争は風邪を引いて居つたまゝで冷水浴をやつても躯はよくならない、先づ躯の目前の欠陥たる風邪を直すことが必要だからと云つて冷水浴の無用を説くが如きものである。普通選挙の如きは実に労働問題の解決を俟つて大いに其効用を発揮すべきものなのである。
 労働問題解決の急務を叫ぶものゝ中、其過激なるは政治否認の革命主義者となるが、それ程一本調子でないものは政治運動にも亦相当の価値を認める所からして此と彼との対立協力を説く折衷論者となつた。其最も著しきものは之までの国会の外に之と対立する生産組合会議(ギルドコングレス)を以てし、而して此双方より若干委員を出して作る所の聯合理事会に最高の権力を与へやうとする彼のギルド社会主義の一派の説である。之は畢竟政治と経済の関係に関するイリュージョンより生れたものに他ならないが、又一面に於て其両者の歩調の現代の社会に於て尚未だ適確に吻合せざるの事実を語るものである。
 此等の事に関する更に詳細なる論評は之を他日に譲るとして兎に角我々の先に見逃してならない事は現代の社会批評家の着眼は普通選挙の実行と云ふ段楷を通り越して更に遥かに其先きの社会改造を目標として居ることである。他の言葉を以ていへば我々は普通選挙を実行した所が、其先きにまだ/\問題があると云ふ事である。其先きの問題を眼中に置く所から普通選挙を実行したとて大した利益も無いと云ふやうな考も起るのであるが、併し普通選挙にならなければ結局の目的の達成は亦甚だ困難である。何れにしてもさう云ふ先きの問題を考へて見ると我国が今度やつと普通選挙の実行に入らうか入るまいかと争ふのは余りに時勢に後れたるの感なきを得ない。普通選挙を実行して先に久しきを経た西洋ですら議会の議論と民間の要求とは頗る懸け離れて居る。国民の極めて少なる一部の利害を代表するに過ぎざる我国の議会が我々国民の眼より観て丸で別世界の感あるは怪むに足りないが、せめて折角問題となつた普通選挙案丈けは是非共無事に通して貰ひたい。さうでも無ければ一般民衆は遂に議会を目して我々と何等の関係なき無用の長物とするの感を深うして改めないであらう。

〔『中央公論』1919年12月〕