独逸の将来を判ずべき二つの観点



 独逸を論ずる場合に動もすると露西亜を引合ひに出す人がある。普通選挙反対論者などは、普選の実行は我国を陥れて露西亜や独逸の如くならしむるものであると口癖のやうに云ふ。成程革命に依つて国君を押退けたと云ふ点と、之を機として国内の秩序が旧の如くなるを得ずと云ふ点は同一だ。然しそれ丈けを以て露西亜と独逸とを等並みに論ずるのは大なる謬である。露西亜人がロマノフ家を残した理由と、独逸人がホーヘンツオルレルン家を押退けた事情とは余程趣を異にするのであるが、更に独逸を露国の如く不秩序を極めて居ると云ふのは、大なる見当違ひであらう。一体秩序が乱れて居ると云ふそれ丈けで非議すると云ふのが正しくない。外科の手術を為た当座暫くの間は、為ぬ前よりも為た後に於て却つて気分の悪いといふ事もある。気分の善い悪い丈けで健全不健全を説くのは間違つて居る。然し露西亜の当今の紛乱は健康を恢復する前の已むを得ざる悩みであるか否かは今の所熟(よ)く分らないとして、更に独逸が露西亜と同じやうに只徒らに紛乱を極めて居ると観るのは、余りに浅薄皮相の観察のやうに思ふ。露西亜の事は更に別の機会に於て之を説く場合があらう。今は独逸の将来を考へて見やうと云ふのであるが、之に就いて吾々は先づ露西亜と対照して考へるといふ通弊から脱却する事を必要と信ずる。
 独逸を露西亜と称じものだと観るの謬なるは前述の通りであるが、初めから之を別物と観て、其特色をば露西亜と対照して考へて観るといふ事は亦極めて便宜である。予輩の観る所では此両国の革命は、其精神乃至動機に於て同じくない。従つて革命といふ点から観ると、独逸は露西亜の如く十分徹底しなかつたといふ特色を有する、是が一つ。次に革命後の社会経営の方針が全然違つて居る事を見る。之れも畢竟は前項の結果に外ならない。即ち露西亜では革命が先づ徹底的に行はれたから、革命後の社会経営に於ては全然新しき試みが実行されて居る。之に反して独逸では多少新しき試みもあるが、又従来のやり方をも保存して居る。謂はゞ旧き物を維持して之に改造を加へて行くといふやうな所がある。夫(か)の復辟運動が起つたなどといふ事実の原因も、亦一つには茲に在ると思ふ。
 以上二つの相違は新独逸の研究を進むるに方つて、先づ第一に念頭に置かなければならない。


 露西亜の革命の動機はロマノフ家の下に建てられたる凡ての制度を破壊せんとするにあつた。ロマノフ家を倒す許りではない、その建てた凡ての制度を排斥するのである。而して之を排斥し破壊せんとする所以は、単に今度の戦争に関する失敗の責任を質(ただ)すといふのではなくして、前々から、否、ずつと古い昔から積り積つた不平の爆発の結果に外ならない。其根柢極めて深く、決して一朝一夕の事ではない。従つて革命の精神は都会から田舎に至るまで、天下万民の脳裡に滲み込んで居つたから、一度革命の勃発を見るや、其勢恰かも燎原の火の如く天下に蔓つたのである。之に反して独逸の方は如何と云ふに、独逸国民の大多数はホーヘンツオルレルン家に対し決して現実の深い怨を有つては居ない。無論非常な尊敬も払つては居ない。ホーヘンツオルレルン家は根原(もと)の歴史を尋ぬれば固より成上り大名に過ぎず、制度の上から云つても皇帝は謂はゞ共和国の大統領のやうなものであつた。であるから之が廃立は東洋人の考べるやうな重大問題とは観て居ない。然らば何故に之が廃さるゝ事になつたかと云へば、単に戦争の遂行に関する責任の糺弾と云ふに過ぎない。戦争も段々行き詰つた、国民の苦痛は只増す許りである。そこで局面を転換して何とか窮通の道を見出さうとするには、皇帝並に之を囲繞する官僚では駄目だ。茲に於て革命が起つたのである。之に就いては固より露国革命の影響もあらう。而かもそれは根本的な原因ではない。而して其所謂根本的原因なるものも、施政に対する一時的不満に外ならないのである。故に革命の起るや現政府に不満なる民衆は一斉に起つて之に響応したけれども、稍々時の進むに従ひ露西亜の方はます/\勢を強むるに拘らず、独逸の方は熱の冷却を感ずるやうになつた。之れ独逸の革命が露西亜のそれに比し徹底を欠くものありと云ふ所以である。
 飜つて考へて見るに、独逸の革命が徹底を欠いたといふ事は別に怪しむに足らない。一つには両国国民性の相違にも由るだらうが、主としては現制に対する不満といふ点に於て、両国民の間に大に差があるからである。露西亜に於ては政府に対し所謂怨骨髄に徹する感を国民が有つて居つたけれども、独逸に於てはさうでない。事実上政府並に行政の当局者は悪い事をして居ない。形は保守専制のやうになつて居るけれども、実際独逸の官吏は手腕に於て品性に於て概して甚だ優秀である。であるから国民は予(か)ね/"\彼等に対して不平を有つて居ないのである。寧ろ一般民衆は喜んで彼等の指導を乞ひ、彼等の為す所に信頼しで居つた。田舎に於て殊に此風が強い。大都会はそれ程でもないが田舎などに行くと、官吏と牧師が村長教員と協力して隠然地方風教の中心となつて居る。独逸国民の堅実勤勉の美風は主としては茲で養はれて居る。斯う云ふ国民の頭に、而して官吏などの一般に悪政をしない所に、革命の精神を植ゑ付け之を蔓らせるといふ事は頗る困難である。無論欧羅巴の真中に位して居る国だから革命の議論が無いではない。議論は有るがそれは決して国民の真実の要求とは成り得なかつた。故に独逸が革命の一騒ぎをやつたとすれば、そは戦争で苦んだ余り一時不平を勃発せしめたまで、ある。革命的空論が偶々其隙に乗じて跋扈したに過ぎない。革命の精神は露西亜に於ては成程根柢深きものがあつたが、独逸に於ては稍一知半解に受取られた嫌がある。


 右述べたやうな事情の下に革命が行はれた結果として、露西亜では之が徹底的に行はれて動かない。が、独逸に於ては行く所まで行かずして、復た昔の経験に未練を残すといふ事になつた。言葉を換へて云へば、露西亜では今や全然新しい試みが行はれて居るのに、独逸は古い制度の根本的なものは殆ど一つも之を捨てゝ居ない。露西亜では前の時代の政治が余りに乱暴であつたから、今後如何なる政治をやつても前代よりも悪いといふ事は先づ無い。之れ新しき試みが著しき反抗なくして行はるるを許さるゝ所以である。独逸は之に反して前の時代に於て相応に善い政治をやつて居る。議論としてはいろ/\欠点を挙ぐる事は出来るけれども、政治の実質に於て国民に大した不平は無い。故に一時革命騒ぎの為めに施政上に一大変革を加へようと試みても、之は急に好い結果を挙ぐるものでも無いし、予期の通りにならないと直ぐに昔の方が良かつたと旧い制度に執着する。之が今日独逸が新旧二勢力の混沌として相闘ふの状態になれる所以である。


 以上述ぶる所に依つて予輩は、所謂新しき独逸は新しき露西亜の如く新しくはないと断ずる。露西亜が新し過ぎる程新しい事は云ふまでもないが、独逸の新しさは英吉利、仏蘭西の新しさと甚だしく其程度を異にするものではない。其事のいいかわるいかは自ら別問題である。人によつては独逸が露西亜の如くならざるを遺憾とする人もあらう、又之を大いに安心したと観る人も無いではあるまい。何れにしても独逸は露西亜よりも寧ろ英仏と同列に置くべきものである。只一旦革命を経た丈け、物の考へ方が幾分自由に、囚へられないといふ点はあらう。然し露西亜の如く古い伝説と慣習とが全然地を掃つたと云ふのではない。
 さうすると独逸の将来如何を判断するに必要な点は二つあることとなる。一つは恢復力の問題であり、又一つは対外方針の問題である。
 独逸の恢復力に就いては容易に言ひ難い、否、言ひ難きに非ず、あれ丈けの能力を有する国民だから恢復するには相違なからうが、何時になつたら昔のやうな勢を立つる事が出来るかが適確に言ひ難いのである。時期の言ひ難き事の外、彼が結局英仏等の諸国と歩調を合すことが出来ずして遂に土耳古や西班牙のやうな国に成らないだらうといふ事丈けは疑を容れない。然らば国力恢復の問題は単に時期の問題に過ぎないといふ事になる。此点は何人も予言し難い事であるが、只此事に関聯して吾々の念頭に置かなければならない事は、第一は目下非常に疲弊困憊して居る事である。戦争中随分無理をしたから戦争が済んで見ると、疲労の程度がまた予想以上に強い。第二は其割合に恢復は案外に早からうと断ずべき理由ある事である。そは単に臥薪嘗胆他日の雄飛の為めに民心が緊張するといふやうな想像に基いて云ふのではない。民心の緊張は何(ど)の途(みち)非常なものに相違ないが、茲に吾々の見遁してならない点は、戦後の独逸が莫大なる国防の準備より免かれて、国民的精力の不生産的費用が著しく減ずるといふ事実があるからである。第三に更に注意すべきは独逸の恢復力と云ふても、何の方面で独逸が伸びれば可いかの点である。一般に国力と云ふても、其内容が戦前と戦後に於て必ずしも同一ではない。戦前に於ては何を差措いても金力兵力に於て優れなければ国力の旺盛とは云はなかつた。戦後に於ても同じやうな状態にならなければ恢復を云々する事が出来ないとするなら、独逸の快復は或は永久に見られないかも知れない。けれども今後の世界に於て所謂国力の優劣を比較する時の標準は、恐らく戦前のやうなものではなからう。さういふ新しい意味に国力といふ文字を解釈するなら、独逸の恢復は更に吾々が昔流に考へるよりも一層早く来ると断じても可からう。然し此事は次の観点と関聯して考へる事が必要である。
 第二の観点即ち独逸の対外政策の方針は従来のやうなものであらうか何うか。独逸従来の政治は内政上に於ては形を保守専制にして、実質は相当に国利民福を親切に図つたものであつた。所謂善政主義の好模範であつたと云つて可い。然るに対外政策に至つては、名実共に侵略的帝国主義を以て一貫した。之が為めに国威は張る、商権は暢びる、幼穉なる国民のヴアニテーを満足するに十分であつた。国民も亦有頂天になつて喜んだ。内政に於ては自由を唱へるものも、外政に於ては政府のやり方に反対しなかつた。之れ独逸が一般に軍国主義なりと云はるる所以である。而して之は独り官僚軍閥者流の考へである許りでなく、国民全体が亦之を後援して恥ぢなかつた。そこで諸外国は独逸国民全体を嫌ふやうになつた。国威の海外に張るは嬉しい、商権の世界に暢びるのも結構だが、只之が為めに国際交通の平和を害してはいけないと云ふ事に、今日の独逸国民は深く反省して居るか何うか疑はしい。此点に反省しなかつたから今度の戦争が起つた。而して最後の失敗は即ち、軍国主義では世の中は渡れないぞといふ事をつく/"\教へ込んだのであるけれども、多数の民衆は果して之を諒得したか何うか、此処に問題が残る。而して予輩の今日まで観察した所に拠ると、此点に就いては丁度我日本と同じやうに、二つの相反する思想が大いに争つて居るやうである。今政権を取つて居る一派は何処までも国際協調主義で行かうとして居るやうであるが、国民の一般は未だ旧い夢に酔つて居り、而して之を利用して一仕事しようとする保守主義の一派もある。三月の反動革命は即ち其一端に過ぎないが、何う云ふ形で是から争はるゝにしろ、之が何方かに片着かない以上は、独逸の将来に容易に見極めを付ける事が出来ない。旧い思想が一時でも勝たんか、独逸はもう一度外国の圧迫に苦しまねばなるまい。然し結局に於て独逸は自由派が勝を占めて、再び文化の先進国として華々しく活躍する時があらう。

                              〔『中央公論』一九二〇年六月〕