実業家の打算的軍備制限運動
武藤山治氏を委員長とする大日本実業聯合会委員会が、大阪に於て軍備制限運動を開始したことは、或意味に於て我国将来の国防史の上に重要なる意味を有するものとなるかも知れない。
彼等の直接に目的とする所は、貴族院を動かして今次議会に提出せられた予算案を修正し、軍事費に大削減を加へんとするにある。而して其理由とする所は、一つには予算面に於ける歳入見積りの過大なることであり、又一つには軍事費支出の尨大に過ぐることである。軍備偏重の斯くの如き予算を此儘に認めては之を負担する国民が堪らない。国力の疲弊衰退を救はんが為めには是非とも所謂軍備制限を叫ばなければならないと云ふのである。
以上の理由の正否が何れにあれ、又其方法につき適否の論ありとするも、兎に角実業界に於て有力な地位を占むる此等の人々が、率先して軍備制限の声を挙ぐるに至つたのは大いに注目すべき現象である。殊に従来我国の実業家が動もすれば官憲の庇保により、其結果軍備拡張論の後援者であつたと云ふ従来の情勢と比較すると、茲に我々は何か知ら実業家達の間に思想なり打算なりの変化が暗示々の間に起つて居るのではないかを思ひ運らさゞるを得ない。
武藤氏一派が掲ぐる所の理由は、至つて簡単だ。併しながら我々は之によつて彼等が単に此理由のみによつて初めて此運動を起したと考へてはいけない。凡そ人は或る内部の要求に動かされていろ/\の運動を起すが、併し多くの場合に於て、其動因の何たるかを明白に意識しない。仮令意識しても其全部を数へ挙げない事があり、又其最も主要なるものを不思議に逸し去ることも少くない。甚しきに至つては知つて居つても故らに為めにする所あつて他の理由を挙ぐることすらある。何れにしても本人が斯く/\の理由によつてと言つたからとて、其人が真に其れ丈けの理由で動いたものと観るのは歴史家乃至社会評論家の最も戒むべき所である。斯う云ふ立場から予輩は武藤氏の挙ぐる所一々尤もとは思ふけれども、彼等をして彼が如き運動を開始せざるを得ざらしめた所以については、彼等の自ら云ふ所の外に、もつと深い何物かが存するのではないかと考へる。
翻つて思ふに、従来我国の実業家は、何れかと云へば、戦争を謳歌した。少くとも戦争を熱心に後援した事は争ひ難い。之れ一つには彼等が専ら官憲の保護によつて居つた為めでもあらが、又一つには戦争の結果が常に彼等の事業の発展と利益の膨脹を来たして居つたからであらう。戦争の起らんとするや政治家は軍費の調達を彼等に謀る。彼等は為めに経済界の蒙る至大の圧迫を挙げて誠に困ると愬へる。けれども結局彼等は軍事行動を援けた。戦捷と共に彼等は洩れなく巨大な利益を得た。斯くして彼等の間には戦争と云ふものはわるい商売ではないと云ふ信念が深く植ゑ附けられた。
けれども戦争は無条件に何時でも実業家に利益を齎らすものと限らない。否、事の性質から云へば戦争と経済とは寧ろ利害相容れざる筈のものである。されば西洋でも、経済を主たる着眼点とする人は多くの場合に於て非戦論に傾く傾向があるとさへいはれて居る。然るに独り日本に於て戦争の経済家を悦ばしめた所以は何か。之れ日本の従来の戦争は相手が支那であり或は露西亜であり、従つて戦捷は直ちに独占的勢力範囲の設定に便利であつたからであらう。即ち斯う云ふ特別の事情が日本在来の戦争をして経済的利益の拡張を伴はしめた所以である。斯う云ふ特別の事情がなければ経済家の戦争観が、従来のやうなものであり得ない事は云ふまでもない。
然るに戦争と云ふ事を念頭に置いて我国将来の国際的関係を考へるならどうなるか。従来の対手は支那であつた。又は露西亜であつた。而して此両者は今日の所最早や我国にとつて何等怖るべきものではない。若し今後我々が戦陣の間に見えねばならぬものがありとすれば、そは或は亜米利加であり、或は英吉利でなければならない。我々は固より近き将来に於ける対英米の戦争を予想するものではないけれども、強いて考れば此両国を仮想敵とでもする外に考へ様はないではないが。さて若し仮りに英米が対手であるとすると、我国の経済はどうなるか。戦争に勝てねば其結果の怖るべきは素より云ふを俟たないが、負けないとした所我国今日の経済界は英米との開戦にさへ堪え得るかどうか。経済的に徹頭徹尾英米に隷属してゐる我国の立場としては戦争と云ふ事を考ふるさへ戦慄に値する重大事である。元気のいゝ壮士的空論としては斯んな事に屈してはいけないなどゝ云つても見るが、実業家などの立場としては、此点について最も鋭敏に或は起り得べき結果を思ひ運らさずには居れぬだらう。利害の打算に鋭敏な丈け斯う云ふ点について最も早く彼等が眼を開くと云ふ事は怪むに足らない。
斯くして従来動もすれば戦争を喜んだ我国の実業家は、之からの新たなる時勢を前にして一転して非常に戦争を呪ふ態度を執るやうになつた。利害の打算と云へば品が悪く聞えるけれども、要するに今后我々は戦争と云ふものに対して如何なる態度を執るべきかは、いろ/\の方面から論ぜられねばならないので、実業家がまた其専門の打算的立場から、我々と同じ結論を取るに到ると云ふ事は決して尤(とが)むべきことではない。
実業家は今日の所恐らく未だ此辺の事情を十分に理解し意識してゐないかも知れない。従つて軍備制限論を唱ふるについても、彼れか此れかと考へていゝ加減な理屈を数へ立てるかも知れない。けれども彼等は今日兎に角動かす可からざる力に支配されて軍備拡張論者と反対の方向に趨らざるを得ざるやうになつて居る。彼等は今や軍閥者流と従来の永い提携を絶つて新たなる境涯に入らんとしつゝある。一葉落ちて天下の秋を知るべくんば我々は此一事に於て時勢の変を十二分に看取することが出来ると思ふ。
〔『中央公論』一九二一年四月〕