徴兵制度に就き軍事当局者に望む


     (一)

 一両月前から例年の通り徴兵検査が初まつて、予輩の知つて居る諸学校の学生卒業生中之を受けた者が沢山ある。而して之れまた今年に初まつた現象では無いが、是等の者の多くは ― 少くとも予輩の知れる限りに於ては ― 頗る健全なる体格を有し、格別の欠点有るべしとも思はれぬのに、不思議にも不合格の判定を受けて、就役を免除せられて居る。之をば彼等自身が非常な満足と為して居るは勿論、周囲の者も亦一様にこよなき幸福として之を祝つて居る。且つ免役せられた者が其免役を以て検査官の一種の恩恵的行為と視て居る事は言ふを俟たない。斯の現象に就て予輩は少しく当局者の注意を喚起したいと思ふ。
 最近軍事当局者が一方に徴兵忌避問題を矢釜敷く言ひ立てゝ居る事は公知の事実である。彼等当局者は、一部の道学先生と共に、近来青年の間に兵役義務を軽視するの風を生じ、甚しきは之を忌避せんとするが如き言語道断の弊風あるを慨歎し、之を取締るためには徴兵猶予の制度に改正を加ふるとか、其他種々の規則に厳重なる改革を加ふるとか、随分頭を悩まして居る。のみならず徴兵検査の遣り方に就ても、局外から見ては余りに苛酷に過ぎると思はれる程に厳重にして居る。去年何某といふ大学の優等卒業生が徴兵忌避の嫌疑を受けて一時世間を騒がしたのも、一面に於ては青年風紀の頽廃を語る現象ではあるが、他の一面に於ては又当局者が如何に苛酷なる検査方法を採つて居るかを明かに語るものである。斯く一方には厳重に過ぐる程に忌避を取締つて居るのに、他方にはどん/\高等の教育を受けた者を兵役義務から免除してやると疑はるゝのは、寔に不思議なる現象と言ふべきでは無いか。
 以上の事実から推して考ふると、徴兵問題に就て我々は少くとも次の四点を断言することが出来る。(一)当局者は徴兵忌避の弊風を憎み、之が絶滅を図る為めに非常に苦心して居る事。(二)之れにも拘はらず一般青年の間には、就中高等の教育を受けた者の間には、心中之れを忌避するもの頗る多い事(忌避の目的を達する為め、不法なる手段を弄すると否とは姑く之れを問はない)。(三)幸にして兵役を免かるゝを得ば、本人は勿論世間一般概して非常に之れを喜び、甚だしきは之を祝する者すら有る事。(四)而かも検査官中には無意識的に忌避の動機に同情し、陰に忌避の目的を達せしむるもの少からざる事。以上の四点は、当局者が何と之を弁解しても、実際上の事実たることは明白にして一点の疑を容れない。此眼前の事実に対して予輩は実に当局者の注意を喚起せんと欲するのである。
 但だ予輩は、当局者が予輩の斯く警告を敢てする趣旨を誤解して、単に当局者の職務上の失態を非難するに止まる者とせられざらん事を希望せざるを得ない。検査官中には忌避の動機に同情するが如き不届の者は無いなどゝ言ふ眼前の事実に目を被ふた白々しい弁解は、予輩の始めから聞くを欲せざる所である。予輩はまた当局者が、今後検査官を督励し、以て大に内部の取締りを厳重にせんことを要求する意味でもない。然らば何が故に斯くの如き不祥なる現象を態々明るみへ出すのかと云ふに、畢竟此明白なる眼前の事実を事実として許したる上、更に深く其の因て来る所の真原因を探究し、以て根本的に国家の為めにこの憂ふべさ弊竇を絶たんことを欲するからである。

      (二)

 或人は徴兵を忌避するの弊風が、殊に昨今教育ある青年の間に著しく増長したと言ふが、果して増加したりと見るべきや否やは多少の疑がある。此説は、高等教育を受けつゝある壮丁の体格が近年段々悪くなるといふ説と共に、事情を精密に研究して見たならば案外に其論拠の薄弱なるものであるかも知れぬ。前にも述べた如く、高等教育を受けた青年が体格に何等欠点無くして、恩恵的に不合格と取扱はれる事実ありとすれば、漫然壮丁の合格不合格の割合を基として近年青年の体格は一般に悪くなつたなど、論断するのは正当でない。之と同じく、以前は高等教育を受けた者が大抵免除せられて居つたのに、此頃は段々検査方法が ― 少くとも一部分の方面には ― 頗る厳重になつた結果、為めに偶々忌避の疑を蒙る者もボツ/\見ゆるやうになつたのである。若し従前も検査が今日の様に凡て厳格であつたなら、今日と同様忌避の嫌疑を受けた場合が相当に多かつたらうと思ふ。故に「兵役」と言ふ国家に対して最も尊重すべき義務に関する観念が、近年特に青年の間に薄くなつたと一概に断定し去るは少しく誇張に失するの言であると思ふ。けれども兎に角今日の青年の大多数の者の間には、国家に対する此の大切なる義務を重んずるといふ念慮よりも、兵役に就く事に由つて直接に蒙る所の多大の犠牲を苦慮する方の考が先になつて、敢て不法の小策を弄して強て之を免かれんとたくまざるまでも、出来るならば之を免かるゝの僥倖に与りたいと希望して居る者の多いこと丈けは、疑を容れない事実である。斯く高等の教育を受け将来社会の中堅となる可き少壮有為の青年の間に、大切なる公共的義務を避けんとするの風あるは、当局者の憤慨憂慮を聞くまでもなく、実に国家に取つて由々敷き大問題である。
 然らば斯くの如き弊風の生ずる源は何に帰すべきかといふ問題が起る。一部の人は之を単純に青年間に於ける君国奉公の精神の欠如に帰し、全然之を道徳問題としてのみ取扱はんとして居る。無論之は一面に於て慥かに一個の道徳問題たるに相違ない。従つて一般国民殊に青年者流の道徳心を鼓舞作興する事に由つて、此難問の解決は大に容易くなる。然し予輩の見る所では、之れ丈けでは到底問題の全体を解決することは出来ぬと思ふ。此点に於て予輩は特に軍事当局者の深き注意を喚起せんと欲するものである。何故なれば予輩は、青年をして徴兵を忌避するに至らしめたに就いては、一般道徳の頽廃といふことも左る事ながら、又軍隊それ自身の方面にも大なる責任ありと信ずるからである。換言すれば、軍隊そのものが兵役を頗る厭ふべきものたらしめて居る事実が無いではないと信ずるからである。

      (三)

 何を以て軍隊そのものが兵役を厭ふべきものたらしめたと言ふか。此事は少くとも二つの方面から之を論ずる事が出来ると思ふ。
 第一は軍隊の非常識と云ふ事である。軍隊の非常識といふ意味は、苟くも兵役に服する者の直接に接する所の上官が概して皆非常識なる事をいふのである。軍隊といふ所は全く常識を許さゞる所であると思はしむる程に、彼等は没常識であり、又一般の風気が、没常識を流行せしめて居る。従て多少教育を受けて常識の発達した者に取つては、軍隊は肉体的に苦痛の場所たるのみならず、精神的にも亦非常に苦痛なる場所とならざるを得ない。是れ一つには将校養成の教育が極めて狭隘に失するの結果、彼等は概して自分達の世界以外他に自由闊達なる世界の存することを知らざるの結果であらうけれども、又一つには軍隊精神若しくは軍紀なるもの、意義を誤解して居ることにも由ると思ふ。抑も軍隊に最も尊ぶものは命令服従の整然たる規律たることは固より言ふを俟たない。常識を楯として上官の命令を批判するが如きは、決して下級者に之を許す可きではない。けれども、真の服従は合理的の命令に対してのみ能く行はれ得るものたることを忘れてはならない。軍隊に尊ぶ所は命令服従の真の ― 実質上の ― 秩序である。本当の軍隊的精神は、表面上の形式的の命令服従関係に基かずして、実質上の即ち心からの命令服従関係に基くものでなければならぬ。それには服従を要求する所の命令そのものが、本来合理的なものでなければならない。少くとも常識に逸れたものであつては不可い。不合理な非常識な命令を発して、それでも上官の命令だから之を奉ぜよと迫り、由つて以て軍隊精神を養ひ得たりと言ふならば大なる誤りである。
此点に於て我国の軍隊の内部には慥に根本的の謬見が横行して居ると思ふ。是れ形式的の命令服従関係が能く行はれて居つて、而かも内心軍隊の非常識を呪ふもの多き所以ではないか。近頃一部軍人の間には、高等教育を受けた壮丁を呪つて、却て無教育なる者よりも成績が悪いと言ふ。焉んぞ知らん、是れ偶々軍隊の遣り方が、如何に教育ある青年の思想感情と一致せざるかを証明するものなることを。教育ある青年をも十分に心服せしめ得る様にならなければ、我が軍隊は未だ以て真の成功を誇ることは出来ない。軍事当局者が壮丁訓育の上に高等なる教育の素養を呪ふが如きは、寧ろ軍隊そのものゝ恥辱をさらけ出すものである。当局者自ら此点に覚醒するに非ずんば、到底我国の青年をして喜んで兵役に就く事西洋諸国の青年の如くならしむることは出来ないと思ふ。
 将校の中に非常識なる者の少らざる事は、既に徴兵検査の際にも現はれて居る。予輩の知人で、徴兵官から第何師団は何処に在るかとか、第何師団長は誰であるかといふが如き愚問を発せられ、偶々之に答へ得ざりしとて満座の中で非常な侮辱を与へられた者がある。教育勅語、戊申詔書、軍人に賜りたる御詔勅等を字句を謬らず暗誦し得ざりしとて、以ての外の不心得漢と口汚く叱責さるゝといふが如きも、決して稀有の例では無いさうだ。然しそれ位ならば未だ可い。甚だしきは性質(たち)の悪い病気に罹つて居つたからとて、公衆の面前で非常な叱責と侮辱とを与へたり、又は忌避の疑ありとて打擲(ちょうちゃく)を恣にするが如き者すらあるといふ事である。是等は皆検査の時から既に人民に促して軍隊に対する嫌厭の念を起さしむるものである。将校が兵卒に対して厳格なる態度を執るのは、軍隊内に在つて固より妨ぐる所無しと雖も、然し検査官としては、彼等は単に一個の官吏に過ぎず、従つて彼等の壮丁に対するは、普通官庁の役人が人民に対すると何の異なる所無かるべきである。官民其地位を異にするの外、彼等は全然対等の地位に立つものである。些細の事で大声を上げて怒鳴つたり、甚だしきは打擲を加ふるが如き権限は、決して彼等に許されて居ない。彼等が動もすれば、検査場に眼鏡を掛けて居つては不可いの、欠伸をしては不可いのと、勝手な拘束を加へるのも亦甚だ間違つて居る。検査官が、検査に際して普通の場合に見るを得ざる、窮屈極まる特別の拘束を壮丁に加ふるは、以て如何に彼等の非常識なるかを最も雄弁に語るものではあるまいか。若し我当局者にして、兵役の義務をして最も愉快なる義務たらしめ、軍隊をして最も有効なる国民精神の訓練場たらしめんと欲せば、先づ第一に検査官の非常識を改め、次いで根本から軍隊内部の非常識を一掃しなければならない。
 第二に軍隊が壮丁の境遇を顧みないといふ事も亦有力なる原因である。軍隊が殊に高等の教育を受けたる者若しくは受けつゝある壮丁に対して兵役の義務を命ずるに方り、殆んど全く彼等の特別なる境遇といふものを顧みてやらない。尤も高等の教育を受くる者に対しては一年志願の制度がある。併しながら、此一年志願の制度に就いても細かに調査して見ると、第一に此制度は高等教育を受けつゝある者の特種なる境遇に適合するやうに定められて居ない。のみならず是等壮丁が一年志願の服役を為す事より直接に蒙る所の凡ゆる不便に対して、何等の親切なる手段を講じても居ない。今一二の例を以て之を説明せんに、高等の諸学枚の学年は九月に始まつて七月に終る。然るに軍隊の役務は十二月に始まるが故に、仮令一年の服役でも、学年の中途に始まつて中途に終るが故に、結局二年を棒に振ることになる。且つ服役終了後時々召集せられる場合にも、例へば夏期休暇中に召集するといふが如き壮丁本位の便法を欠くが故に、之れが為めにまた一年を損することゝなる。して見れば一年志願の制度は高等教育を受くる者に取り、有難いには有難いが、制度の立て方が宜しきを得ないが為に、一年で済む所を二年も三年も懸ることになる。之れが一つ。次には斯くの如き不便あることの結果として、学生は大に学業の進歩に遅れ、又卒業生などは其職業を得るに非常な障礙に遭ふ。職業を得て居る者も、為めに之を失ふことが決して少く無い。其処で政府としては、兵役といふ重大な国家的義務を尽くす事によつて職業を失ふが如き不幸を見ないやうに、懇ろに方法を講じてやる可きである。然るに我国に於ては此点に於て何等の途が講ぜられて居ない。政府部中に職を奉ずる者ですら、現に兵役の為めに其職を失はしめられた者が沢山ある。之が為めに進級の遅れた者に至つては固よりいふ迄もない。政府自らが兵役義務の完了者を特に薄遇するとは、余りに甚だしき矛盾では無いか。政府既に然り。民間の諸会社の如きは更に一層甚しい。斯くては徴兵を忌避する者の発生するも亦已むを得ないでは無いか。其処で予輩は軍事当局者に望むのである。速に政府を動して、徴兵に応ずる為めに官吏が失職するが如き事の断じて無いやうに新に規則を設けて貰ひたい。否、兵役に就く者は之を現職の儘とするは勿論、其服役年限は其儘之を勤続年限に加算し、更に一歩を進め、特に優待して同階級者中の最上位に置くと言ふが如き方法をも講じて貰ひ度いと思ふ。尚又望蜀の希望ではあるが、之も極めて必要なりと思ふのは、私立の会社の被傭人の如きに就いても、兵役に就ける者をば特に優待するやう、出来るならば法律を以て、之が出来ねば便宜会社自身を動して、夫れ/"\適当なる方法を講じ、若くは講ぜしめて貰ひ度い事である。斯くまで親切なる途を講じなければ、徴兵忌避の弊風を一掃することは到底出来ないと信ずる。人によつては、職業を失つは自分も困り、又自分を便りにする家族も困ると言ふやうな境遇に居る者もある。斯ういふ者に取つては、
現在の如き制度の下に在つては徴兵を忌避せざらんとするも事実至難なるものと云はざるを得ない。兵役に就く方が却て利益であるといふ程までに優待しなくとも、兵役に就くが為めに特に損害を受くるが如き事のないといふやうにするは、絶対緊急の必要であると思ふ。
 猶一言すべきは、予輩の要求するが如き事は、何も日本に独り特例を聞くといふには非ずして、実は独逸などでは夙に実行して居る所である。独逸の軍国主義があれ丈けに成功して居る所以の根底は一面実に茲処に在ると思ふ。軍隊に於ける非常識の跋扈といふが如き事実の極めて少ない事も一つの原因であるが、軍隊が進んで国民一般の社会的生活と調和を取る事に努め、殊に高等教育を受くる者に対しては、其特種なる境遇を顧慮して種々の便益を与へて居るといふ点が、彼の国の壮丁をして喜んで兵役に赴かしむる所以であると思ふ。仮令何等の便益無くとも、よしんば多少の不便は有つても、苟くも徴兵の義務を忌避するとは怪しからんなどゝ憤慨するのみでは、今の時勢には何の役にも立たぬ。所謂実利的便益を掲げて奉公心を釣るといふことは、固より忌む可きであるけれども、併し旺(さかん)なるべき奉公心を故らに旺んならしめざるの障害は、速に之を取除かなければならぬではないか。道徳論としては、「如何なる障害有りとも之を切り拓いて奉公心を旺んにせよ」と言ふに何の妨もない。けれども政治家の経綸としては、奉公心の旺盛に煥発する前途を出来る丈け平坦にして、些の障害でも除き得るものは悉く之れを除いて置くのが当然の話である。前途の平坦といふ根柢が無ければ、奉公心の煥発を一般民衆に望むのは頗る困難である。此点に於て予輩は切に軍事当局者の反省を促し、其遠大なる経綸に訴へ度いと思ふのである。当局者が此点に覚醒し、此点に根本的改革を為さゞる以上は、如何に兵役義務の貴重なるを説いても、如何に青年風紀の頽廃を罵つて国家当面の危機を絶叫しても、恐らく大した効能は有るまい。道徳的に青年風紀の頽廃を責むるは自ら其人がある。軍事当局者が予輩の所謂其当然為す可きの途をば棚に上げて顧みず、唯他人の領分を冒して青年を責むるに専らならんか、其結果は却て反感を挑発するに止まるであらう。

       (四)

 之を要するに、徴兵並に軍隊に関する今日の制度は決して完全ではない。今の儘のやうでは、仮令進んでこの大切なる義務を尽くさんと欲する者でも、動もすれば之を避けやうとする不心得を起すのは、甚だ慨はしいことではあるが又已むを得ない。是れ世間が不知不識忌避の動機に同情する所以であり、又検査官までが同じく無意識的に之に同情するに至る所以である。一方には忌避を矢釜敷く取締る陸軍当局あり、他方には其の下に使はるゝ官吏が知らずして忌避を庇護するの結果を生ずるに至るといふのは、豈皮肉なる矛盾では無いか。而して此現象は云ふ迄もなく実に国家の為め由々敷き大事である。
 世間一般が忌避の動機に同情する許りではなく、更に予輩が一歩を進めて軍事当局者の切実なる注意を喚起したいのは、国家の公共の機関までが事実上忌避を助くるに等しき行動を敢てして慣らない事である。官公立の学校が、特典を有する多くの私立学校と共に、徴兵猶予の特権を濫用するといふ公知の事実は其最も著るしき例である。曾て某省の官吏が、現に東京に居りながら、表面上外国駐在の命令を受けて如何にも海外に在るかの如くに取繕ひ、以てうま/\と徴兵を免かれたといふ事実を予輩は知つて居る。当該官省が全然此事実を与り知らずといふ事は出来ないから、言はゞ此事実は、官憲自ら其部下の官吏をして徴兵を忌避せしめたものと言はなければならない。是等の事実は必ずしも今日の軍隊の制度が悪いから起るとのみ言ふことは出来ぬだらう。けれども、少くとも制度がもつと良かつたならば、こんな不都合な事実はさう沢山は起らずに済んだらうと想像せらるゝのである。
 更に一歩を進めて多少極端に論ずるを許すならば、国家が自ら一部階級の徴兵忌避を黙過して居るといふことも出来る。何故なれば今日我国の法律は、満三十二歳まで外国に滞在する者に、服役義務を免除して居るからである。尤も此制度は他に相当の理由があつて設けられたものに相違ない。けれども今日此制度を最も多く利用して居るものは、必要無きに其子弟を海外に送り、以て徴兵忌避の目的を達せしめて居る我国の富有なる上流社会でないか。見よ、現に富豪の子弟にして貴重なる兵役の義務を尽せるもの何人あるかを。貴族の間には進んで軍人になるものも固より少からずあるが、其以外の者は、病弱初めより問題に入らぬ者は姑く措き、他は大抵外国の放浪によつて服役の義務を免かれた連中のみである。して見れば、此制度は其本来の目的如何に拘はらず、今日は兎に角徴兵忌避の目的の為めに盛に利用されて居ることは疑ない。故に若し政府が徴兵忌避を熱心に取締らんとならば、先づ以て此制度に大斧鉞を加へねばならぬ。而かも国家は此方面は全然顧みずして平然として貴族富豪の濫用に委してある。然らば国家は自ら一部階級の徴兵忌避を黙認して居ると責められても、恐らく一言弁解の辞は無からうではないか。而して斯れを此儘に放任して置くのは、実に一般の風教に害あるのみならず、又一面に於て甚だ不公平である。のみならず貴族富豪の階級に兵役を免れしむる結果として、一方には彼等に、此貴重なる義務の遂行に由つて得らるべき奉公心涵養の好機会を失はしめ、又他方には下層階級の者を促して、国家は我々の階級にのみ此血役を課して居るとの不平の念慮を養はしむるの大弊害がある。其他下層階級のみより専ら兵卒を徴募するの結果は、兵の素質を悪くするといふ事もある。兵そのものゝ素質が悪るければ、従て下士も将校も心から兵を愛撫するといふ精神を薄くするに至り、さらでも非常識になり易き軍隊を、益々非常識の跋扈に委する事を避け難い。
 以上論ずる所に拠つて、予輩が軍事当局者に希望せんとする趣旨は大体明瞭になつたと思ふ。けれども解り易くする為めに、更に之を約言するならば、予輩の希望は主として次の四点である。
 (一) 軍隊内部の生活並に訓錬方法を根本的に改良し、凡て常識の上に健全にして厳格なる規律を立つる事。
 (二) 軍隊と壮丁との関係を密接にし、殊に高等なる教育を受くる壮丁の各自の境遇は特に之を尊重し、積極的に又消極的に力めて其便宜を図る事。
 (三) 上流階級は国民一般の儀表なるが故に、制度上は勿論、事実上に於ても、彼等の兵役免除は出来る丈け之を制限する事。就中貴族の階級には原則として絶対に兵役を免除せざる方針を採る事。
 (四) 以上の諸点を十分改善したる上、徴兵検査官を戒飭して最も厳正公平なる裁定を為さしむる事。就中教育の有無によつて採否の決定に偏頗あらしむ可からざる事。

     〔『中央公論』一九一七年六月〕