元老官僚閥と党人との調和  『中央公論』一九一六年八月


 前項にも説いた通り、最近に於ける日本政界の最大の難関は、元老官僚閥と党人との不調和である。此不調和あるが故に、現に大隈内閣を倒してもつと有力なる内閣を作りたいと云ふ一般の希望があつても、それが容易に出来ないのである。大隈内閣を存続せしむべきや否やは、今予の問題とする所ではない。暫く之に代ふるに他のものを以てする必要ありとして、さて其必要に応ずることが出来ないとあつては、何と云つても国家の不幸である。党人は政界に於ける過半の実力を占めて居る。而かも貴族院や枢密院と云ふ辛うじて制度上の保護に活くる惰力的階級をば未だ十分に圧倒し得ない。又貴族院や枢密院に拠る所の所謂元老官僚閥は、言はゞ空名に誇るの徒で固より政界に何等確実なる根拠を有するものではないから、単独の力で天下を取ることは出来ない。一方が他方を圧倒吸収して仕舞はない以上、今日のところ両方を股に懸けて確実鞏固なる内閣を組織するといふ事は何人に取つても困難である。それも両者の結托が出来ればいゝが、今日の所では甚だ覚束ない。況んや政治的智見の進めば進む程、主義に於て根本的に相容れざる両者の結托は益々困難になるべきに於てをや。かくて此結托が出来ないとすれば、内閣の交替即ち政権の変転といふ事は、我国に於て常に政界の一大難問でなければならない。困難であるから、今の所、現に変るべくして変らずに過して居るが、それでも、どうでも斯うでも内閣が変らねばならぬと云ふ破目になつたなら如何するであらうか。仮りに大隈侯の一身に絶対に政務を執る能はざる事故が起つたとして、是非とも何人かを其後任に据ゑねばならぬといふ急迫な問題が起つたならどうするであらうか。急迫の場合だけに漫然として時を空過することを許さない。察する所此場合には後継者を定むる為めに例の如く先づ元老会議の開催を見るであらう。併し乍らかね/"\不評判の元老会議は、其会を重ぬるに従ひ、段々民間に対する権威を減ずべきは自明の理である。衆議院に於ける大多数の勢力も、何時までも/\其決議に盲従することは肯ぜまい。衆議院に於て兎も角も多数の後援を得る見込が立たなければ、仮令元老会議全体の推薦があつたとしても、誰が之に応じて内閣組織の大任を拝受するだらうか。斯うなれば遂には畏れ多いが宮中の御勢力を藉らなければ政局の紛糾を収拾することが出来ぬといふことになるかも知れない。斯くて一時を糊塗し得んも、国家永遠の立場から観て、不祥此上もないことは言ふをまたぬ。
 此際に政党嫌ひの人は人材内閣といふことを説く。然し人材内閣と云ふ事は、有力なる政党の存在して居る以上は決してあり得ざる制度である。尤も今度の戦争で、欧羅巴の諸国は普ねく各派第一流の人材を網羅して所謂挙国一致内閣を作つて居る。皮相の観察者中には之を見て今度の戦争は政党政治に終りを告げしめたと説き、政党内閣の如きは戦後には其跡を絶つだらうなどと予言するものがある。然し之は断じて誤りである。元来政争の題目は特に内政上の問題に多いものである。外戦の際には内政上特に争ふべき題目は極めて少い。且戦時非常の時機に際しては人皆固より小異を捨てゝ大同に合するの必要を意識して居るから、挙国一致内閣も特例として発生するを得るのである。只夫れ之は特例である。乱去らば再び常態に復りて旧の如く政党対抗の状態に戻るべきこと一点の疑はない。殊に戦後に於ては対内的経営といふ事が政界に於ける主要の問題たるべきが故に、それ丈け政党間の論争討議の題目が多くなる。政党対時の形勢は益(ますます)盛とならざるを得ない。若し戦争の結果として政党政治の上に何等かの影響を残すものありとせば、そは却て所謂無用の党争を事とするの愚を深く経験せしめ、大問題に就ては正々堂々と争ふといふ真面目なる態度を益々発揚せしむるといふことにあらねばならぬ。故に一
般の抽象的原則として人材内閣説を唱ふるは恐らく戦後の事実に吻合しまいと思ふ。尤も政党の発達の後れて居る国に於ては、官僚系に属する人材が内閣を作り、巧に党人を操縦して政界の疏通を見ることはある。けれども如斯は十年前の日本はイザ知らず今後恐らくは再び来ることはあるまい。
 一体人材内閣などゝいふ説の起る一つの原因は、政党其の物が未だ十分に信用されて居ないと云ふ点にも存する。我国の諸政党は、概して之を言ふに、如何に贔屓眼に見ても、十分なる国民の尊敬信頼に値しない。之には固より種々の原因があり、言之を列挙するの遑がない。然し先に一つ疑のない点は、政党をして斯くの如き状態に陥らしめたについては、元老官僚閥も亦其責の一半を分たねばならぬと云ふことである。政党の醜穢なる腐敗は常に官僚閥の誘致操縦に基くといふことは、各国の歴史に通有なる現象である如く、又我国に於ても当て嵌まる事実である。加之仮りに一歩を譲り、此種の操縦誘致といふ事が幸にして我国になかつたとしても、元老官僚閥が従来其制度上の特権を利用し、政党者流に対して陰険にして而かも鋭烈なる反抗を試みた事は、如何に党人の良心を鈍らし、彼等の行動を不公明ならしめたか分らない。最近の一例を以て之を云はんに、選挙法改正の問題に関して多年拡張論を主張し来りし同志会が最近急に豹変して「拡張は我党の宿論に非ず」などゝ、変説したのは即ち之が為めではあるまいか。彼等は選挙権の拡張が到底枢密院貴族院辺の容るゝ所とならざるを知つて居る。彼等は貴族院枢密院の反対の陰密にして而かも極めて痛烈なることを知つてゐる。従つて彼等は之を選挙法改正案中より故(ことさ)らに除外せる内務省の方針を諒としたのである。若し貴枢両院の反対が公然と堂々と唱へらるゝものならば、彼等は何も変節の譏を受けてかねての宿論を撤回するの必要はない。自らまた堂々と国民に訴へて勝負の決を貴枢両院に決すればよい。この男らしい態度に出でぬのは、彼等の無気力といふよりも寧ろ貴枢両院の陰険なる反抗を恐れたる結果である。斯う云ふ例は外にも多い。現内閣も頻りに不真面目無責任の咎を以て随分世間の批難を受けて居るが、元を洗へば之れ亦貴族院枢密院辺の陰険なる反対に遠慮して其所信を貫徹し得ざるの結果である。所信に忠実ならずとして政府党人にも責むべきものあるは言ふを待たぬ。然し政府又は政党としては、年来の主張なればとて、更に其実現の見込なきに拘はらず漫りに之を曝け出したがらないのも又一面の理窟はある。
 政党政治を憲政に必然伴ふものとする論者に取つては、政党を何処までも改善して十分国民の尊敬信頼に値するものたらしむることは、何より大事な急務である。之が為には固より政党其物の側に反省を求むべさ点は少からずある。けれども又元老官僚閥に向つて希望すべき事も極めて多い。此点に関し当今我国の時勢に取つて予輩の最も必要とするもの三つある。
 第一は元老官僚のもつと謙遜なる態度を執られたきことである。彼等は一般に時勢の変遷に眼を開いて多数の意見を聴容するといふ謙譲の徳を欠いて居る。彼等はもと皆新日本の建設に尽力したる当年の志士である。彼等が死生の間に奔走するに依て得たる経験は、固より極めて尊いものである。然れども彼等の自ら識らざるべからざるは、即ち時勢に変遷のある事である。今日の世に処するに当つて彼等が仍ほ古き自己の経験に執着し、甚しきは之を以て他人へ強いんとするならば、是れ固陋迷の甚しきものである。誰しも自分の通つて成功して来た途が一番いゝと思ふものである。かの有名なるビスマルクですら、余りに自己の経験に執着して新時代の要求を十分に看取することを得なかつた。為めに若きカイゼルより弊履の如く捨てられた事は、今日顧みて我々の彼の為めに大に遺憾とする所である。故に経験練達の士にして尚国家の進運を妨げざらんとせば、ワシントンの如く国事を青年に托して全く隠遁するか、又は多数の意見に耳を傾けて動もすれば頑ならんとする自己の聡明を絶えず怠らずして開拓すべきである。日本の老人は、エライ人程傲慢になり、自分の肝煎つたものは、何時迄も我物顔をして世話を焼きたがる。其熱心は誠に敬服に堪えないけれども、国家は之によつて少からず進歩を妨げられる事がある。元老官僚の輩が自分の見識を以て党人のそれよりも著るしく優等なりとするの態度は我々から観て寧ろ滑稽に思はるゝ。
 第二に予輩は元老官僚に社会的奮闘を要求したい。彼等が多数の意見に対して起す所の不満を好んで洩らす場所は、常に必らず貴族院か枢密院かである。茲処で孤鼠々々(こそこそ)と文句をいふのみで、決して天下に向つて堂々と口舌文筆の論陣を張つたことはない。従て彼等の言動は一般社会とは殆んど没交渉である。之は社会の為めにもならず、又彼等自身の為めにも取らざる所である。固より彼等は制度の上に於て枢密院若くは貴族院に於て大に多数の意見又は政府の方針に反抗するの権能を与へられて居る。枢密院又は貴族院に於て痛激なる反対を多数の思想に加ふるといふ事は、必ずしも常に悪いとは云はぬが、唯徳義上彼等に反省して貰ひたい事は、法律上彼等に与へられたる地位は、自ら彼等二人の意見に附与するに天下万人の意見を覆し得るの効力を以てすることである。従て彼等は、一人の意見を以て他の一人に対するが如き単純なる考を以て軽々にその法律上の権能を行使すべきではない。反対の意見を述ぶるは毫も差支ないが、唯反対の権利を行使する事は実に非常なる道徳的責任を伴ふものなる事を覚悟して貰ひたいのである。我枢密院の諸卿は果して斯くの如き重大なる責任を感じつ、其権能を行使して居るだらうか。若し此覚悟を欠いてその権能を漫然として行使するならば、そは少くも道徳上特権の濫用である。故に予輩の考ふる所では、法律上の権能の問題は暫く之を措き、政治道徳の問題としては、反対の権利は容易に之を行使すべきものではない。仮令之を行使しても他の一方に於て必ず其所信を一般国民に訴ふるの何等かの手段をとり、即ち国民の輿論と云ふ舞台に上つて大に反対者と議論を闘はし、国民をして結局の判定をなさしむべきであると思ふ。曾つて特恵関税主義を取つて閣僚多数の同意を得ざりし老チエンバレーンは、断然冠を挂けて全国を行脚して所信を一般人民に訴へんと決心した。去年夏仏国観戦の途上に病没したロバーツ元帥の如きも亦、徴兵制度の論を以て国民の確信を動さんと欲し、南船北馬席の暖まるを知らなかつたといふ。斯くして初めて政界の長老は、社会に村し又其身に受くる所の特権に対し、道徳上完全に其職責を果たしたものといはるゝ事が出来る。此点に於て我国の元老は余りに君国の恩寵に狎れ、而かも之が為めに如何に政界の円満なる発展を妨げて居るかに気のつかないのは我々の甚だ遺憾とする所である。
 第三に予輩は第二の方法を採るを以て迂遠なりとするものに向つて、或は自ら発起して一党を樹て、或は政見の異同に従て既成政党に加入すべき事を勧めたい。国家の元勲の社会に対する勤めは、第一には国民一般の精神的指導者たるにある。此事は必ずしも政治に直接関係しなくとも出来る。然し若し進んで国家の運命を直接に支配するの活動をなさんと欲するならば、彼等は須らく憲政普通の政治系統に入るのが最も可い。之には政党に加はるの外に適当な途はない。元老貴族の一部の人が、自ら皇室の藩屏と称して政党に加入すべからざる特別の義務あるかの如くに考へて居るのは一般人民を以て君主に敵対する勢力なりと見たる昔の謬見に基くものである。
                            (『中央公論』一九一六年六月十五日)