甘粕事件の論点  『改造』一九二三年一一月

 甘粕大尉の減刑運動及び之に応じた調印を犯罪行為だと僕が云つたと或る新聞に出たとて、いろ/\の人から詰問を受けて閉口してゐる。此の機会を利用してこの点を簡単に弁明さして貰ひたい。
 第一に減刑歎願書の調印は勿論罪とはならない。減刑運動そのものも単純なものは法の禁ずる所ではない。之等が一概に不法の所為であるかの如くに伝へたのは全く誤りだ。が、減刑運動も若し公衆を会して甘粕大尉を称揚する形で行なはるるなら、そは明白に治安警察法に触れる。その第九条第二項には、「集会二於テハ……犯罪人若ハ刑事被告人ヲ賞恤若ハ救護シ……コトヲ得ズ」とあり、続いて第二十四条には「第九条ニ違背シ……タルモノハ三月以下ノ軽禁錮又ハ十円以上五十円以下ノ罰金ニ処ス」とあるからである。


 して見れば甘粕大尉は尊敬すべき国士だ、此の人の為めに減刑を願ふ書面に調印しないのが間違だなどといつて、公園あたりで通行人を要撃するが如きは、明白に治安警察法の適用を受くべき行為である。之を為すものゝ誠意の有無は固より、甘粕大尉が果して尊敬すべき国士なりや否やも問ふ所ではない。然し僕が斯く説明するは斯して減刑運動者の処罰を官憲に促すの意とするものあらば、是れ亦僕の真意ではない。
 元来治安警察法は全体として随分批難の多い法律だ。前記第九条の如きも我々の仲間の定論としては、之れを不必要とするに一致して居るから、仮令一部の減刑運動が法規に触れるとしても、あまり矢釜しく云はないことを希望するのである。従つて当局が之等の減刑運動を看過したと云ふことに対して、吾々は毫もその怠慢を責めんとする考はない。それにも拘らず、此の点に関する当局の態度を吾々が全然不問に附することの出来ないのは、之に関聯して私かに当局の誠意を疑はねばならぬものがあるからである。
 元来治安警察法第九条の規定の如きは、之が常に誠実に行なはるゝものとすれば、有つても妨げのない規定である。有るは無きに優るとも云へぬこともない。然るに之れが識者の間に廃止を叫ばれる所以のものは、そが動もすれば濫用さるる虞れがあり、又現にしば/\濫用されても居たからである。即ち当局者の好悪に依つて適用を二三にさるゝのである。現に此の規定で労働運動者は頗る厳重にやられた。判決文などを見ると如何なる種類の運動にしろ此の法規に触るゝものは一歩も仮借しないといふ様な風が見えてゐる。而して此度の事件に対しては丸で相関知せざるものの如くである。この点その他いろ/\の事情とを綜合して我々は法の適用に偏頗なきやを当局に警告せんとするのである。之れ労働運動などの将来の発達を念とするからで、差し当りの減刑運動等に特殊の罰を与へんと望む考ではない。

 減刑運動を不問に附したといふ事を責むるのは、法の適用を二三にするといふ当局の不誠意を推定するからであつて、不問に附したといふ事それ自身を咎むる意でないことは、前述の通りである。然し乍ら僕の此の態度から軽卒な推論を下して、減刑運動の趣意を承認するものなるかの如くに見る者あらば、そは亦僕の甚だ迷惑とする所である。今迄の処僕は、減刑運動の趣意には不幸にして未だ一点の承認すべき理由を見出さない。他の言葉を以つて言へば、甘粕大尉の人物なり行動なりの上に減刑を乞ふに価する多くの事情を発見しないのである。それが若し上官の命令であつたのだといふのなら別だ。大尉が自己一人の責任でやつたとする以上、彼は何処までも平凡な一殺人犯人に過ぎない。然も情状の可成り重い犯人と云はなければならない。

 翻つて復当局の態度を問題にする。減刑運動を不問に附したといふことが、僕の推定の如く法の適用を二三にしたものだとすれば、即ち同じく刑事被告人の賞恤でも社会運動家なら問題にする、然らざるものは放任するといふのでは、これ取りも直さず当局自から右傾的立場を採つて左傾的思想行動に挑戦するものではないか。当局がかく自ら近代の特徴たる社会的争議の渦中に投ずるといふことは実に重大な問題である。
 吾々の理想をいへば、当局としては何処迄も至公至平の超然的態度を執つて貰ひたかつたのだ。当局者が一個人として左右両方の立場の何れかに同情するやは問はないが、国権の執行者としては何処迄も偏執の私念を去らなければならない。不幸にして我国の官憲は、独り警察といはず、おしなべて此の点に就いては甚だ聡明を欠いて居る。現に見よ、社会運動家又は之に類する立場にあるものが、震災直後の混乱裡に如何に無意義の圧迫を受けたかを。
 之等の点に関しては枚挙に遑あらざる程の実例もあるが、今一々之を述べない。只疑なきは、平素でも社会運動に対して挑戦的態度に出で勝ちの官界が、変に乗じて一層その態度を鋭くしたと云ふことである。その結果更に一層嫌悪の風潮を将来に助長すべきは疑をいれない。之れ心あるもの、等しく深く憂ふる所である。
 単にこれ許りではない。斯うした挑戦的態度は、官界のそれに激せられて民間にも亦頗る著しくなつた様だ。単に社会主義者たるの故のみを以つて自警団や青年団の襲ふ所となつたものも、都鄙を通して少なくない。而かも官憲は多くの場合充分之れを取締り得なかつたといふに観れば、社会運動に対する民間の圧迫も亦頗る猛烈であつたといはなければならない。之れ亦社会の将来の為めに深く考えねばならぬ所である。

 官民を通じて挑戦的態度の猛烈になつたといふことは、甘粕大尉の擁護論の中に、大杉の様な悪る者を殺したつてかまはぬではないかといふ様な考が強く現はれて居ることにも分かる。社会主義は悪い、就中大杉は国家を蠧毒(とどく)する大逆人だ。之を殺したのだから甘粕は豪い、少なくとも甘粕に不都合なことをしたと責むる理由はないといふのだ。大杉が兇悪な人間であつたかどうかは知らない。只世間には、甘粕の行為を赦すべからずとする者の間にさへ、大杉の殺されたことに一種の痛快を感ずるものもあるとか。これ或は大杉の徳の至らざるの結果かも知れないが、然し兇悪な人間だから勝手に殺しても叶いと云ふ理窟はない。その上、大杉の兇悪なる所以を左傾派の一方の闘将たる所以に帰し、社会主義だから悪い、無政府主義だから悪い、その悪る者を勝手に殺したつて何故悪いかといふに到つては、これ正に左傾派に対する私刑の社会的公認で、社会の秩序を壊(やぶ)り、階級的反感を激成する、之より甚だしきはない。要之(ようするに)、悪人だから殺していゝと云ふ理窟はない。況んや左傾的傾向にある総てのものを悉く兇悪と断ずるに於ておや。
 世上の甘粕弁護論の中には、その理由を甘粕の人物又はその心事に置くものもある。これならまだ好い。然し多くの弁護論は専ら重きを彼が大杉を殺したといふ点に置く。大杉を殺したといふ事に国民的感謝に価する大きな意味があるといふ者さへある。斯くてはその考への赴く所遂に社会運動に対する直接行動の推賞とならざるを得ないではないか。

 直接行動は、如何なる場合にも、之を是認すべき道徳的根拠はない。否、直接行動はそれ自身道徳に対する反逆なのである。之でも、例へば彼の無産階級者の場合の如く、強敵に対して戦ふべき何等の武器を持たないものが止むを得ずして直接行動に出づるは尚ほ恕すべしとするも、凡ゆる権力と凡ゆる方便とを有する官憲が、弱者に臨むに這の態度を以つてするは、必要以上の暴虐にして、その弊亦頗る怖るべきものがある。斯く社会的影響の重大なるを思ふ時、甘粕事件は決して軽々に附すべき問題ではない。

 直接行動論に関聯して今一つ念頭に置かねばならぬことは、軍隊主義の横行といふことである。軍隊は元来非常の変に処すべく準備さるるものだ。故に敏活な統一的行動を必要とする所から、上下階級の命令服従関係は極めて厳しい。腕力の対抗に万一のソツがあつてはならないから、危険なもの、その疑ひあるものは、深く究めずして之れを芟除することが必要だ。此の流儀でいけば事も早く運び万一を怖るゝ懸念もない。其処で軍人なぞは、平時の仕事にまで、之れでいけば訳はないと考ふる様になる。国家的生活を或る狭い特殊の目的に限り、国民の教育向上といふ様なことを丸で抜きにして考へれば、軍隊の流儀は常に之れを適用するも妨げないかも知れない。然し人間は生き物だ。生活の範囲は無限である。一時非常の変に処する軍隊主義を、吾々の生活の一切に適用されては困る。軍隊主義の軽捷截切に随喜する者は軍人以外にも案外に多いが、斯ういふ考へ方からも、甘粕大尉の行為に一種の同情を表せしむるものゝ様に見える。吾々から見れば之も軍隊主義横行の一弊と見ていゝ。

 僕の論鋒は遂に飛んで軍隊共通の考へ方にまで向つた。此処に凡ゆる問題の起因があると考へるからである。現に甘粕事件についても、吾々の常識が承認する主たる被告は、甘粕大尉でなくして実は、軍界一般だ。精々狭く限つて憲兵隊全部が責任を脱るゝことは出来ないと考へる。大杉殺害の犯罪を実行する為に、憲兵隊の名も憲兵隊の有する幾多の公の機関も利用され、司令部内の一室で行なはれた犯罪が三日も放任された揚句外部から促されてやつと渋り乍ら事実の一部宛(ずつ)を曖昧に発表するなどは、決して公明正大なやり方ではない。詳しいことは略する。とにかく仮令法律上その責を免れ得るとしても、本事件の徳義上の責任は、殆んど全部憲兵隊にありといつていゝ。

 責任問題といふことに関聯して、政界の一隅に行はるゝ愚論を序で乍ら弁駁しておく。そは斯くの如き不始末を出した以上は憲兵司令官や戒厳司令官の更迭位でおさまるべきものではない、部下に斯かるものを出したといふ責任問題の帰着は、総理大臣以下の自決に待たなければならぬといふのである。政権に憧憬(あこが)るゝ政党者流の云ひさうなことであるが、国民は決して此の妄説に迷つてはいけない。
 尤も本件に関して政治的責任問題の起る余地が全くないとは云はない。政治上の問題としては、内閣の威力を充分に発揮して問題の真相を明かにし、法規の正確なる適用によつて処分の確実を期せなければならない。之れだけで沢山だ。部下に不都合のものを出したからとて、その度毎に辞職せねばならぬとあつては大変だ。若し此の問題に関して総理大臣などの辞職を必要とする時ありとせば、そは軍閥が部下を曲庇(きょくひ)するに急にして事件を曖昧に葬らんとし、内閣はそれを非として大に抗争せるも結局力及ばずして軍閥の意向が通つた場合に限る。之れを外にして、内閣に辞職を以て其の政治的責任を完ふするといふ様な場合はあり得ないと思ふ。

 然し我国に於て軍人の犯罪事件が極めて正確に処理さるゝといふ見込は遺憾ながら甚だ薄い。此の点に関し最も大きな禍を為すものは軍法会議の制度である。之れも数年前改められて余程よくなつたのであるが、それでも現に甘粕事件に見るが如く、裁判長は軍人で、その下の裁判官も法律専門家は只一人、外は皆素人の軍人ではないか。陪審制度に対してすらなか/\激しい反対論の唱えらるゝ我国に於て、判官そのものが殆んど全部素人にて組織さるゝを許すとは、驚く可きことである。歩哨勤務を怠つたとか、上官の命令に背いたとか、純然たる軍事上の犯罪ならまだ好いとしよう。殺人窃盗といふ様な普通の犯罪につき、単に犯人が軍人たるの故を以て特別の法廷を設ける必要が何処にあるか。軍法会議の管轄事項は、余りに広すぎる。而して又為めに曲庇隠蔽の弊なしとせぬ。要するに軍法会議の制度は更に大に改正を加ふるの必要を見る。

 甘粕問題に関して僕の言はんとする論点は大抵尽した棟だが、最後に之れに関して気付いた二つの点に触れて筆を欄くことにする。
 一つは此の事件に関して吾々は新聞雑誌に対する掲載禁止の理由がわからなくなつたことである。外交上に関することとか、犯罪捜査の邪魔になることゝかの理由で一時掲載を禁止さるゝことはわかるが、甘粕事件が久しく掲載を禁止せられたのはお上のボロを人民に見せたくないといふことの外何物があつたかを怪しむものである。今一つは、大杉と共に殺された少年宗一の国籍に関する問題である。彼は亜米利加で生れて米国に籍があるといふので、外国人を殺したといふ問題と見るものあるが之れは少しく見当が違ふ。成程彼は亜米利加に生れて米国の国籍を有する。けれども日本人を親とするが故に、彼れはまた立派な日本臣民でもある。領事館に届出でたか否かは問ふ所でない。従つて彼れは日本に来て居る以上、日本の法律から見れば完全な日本人だ。日本人だから憲兵が殺すに妨げないといふ理窟は勿論ないが、之れに依つて米国の国権を侵害したといふ問題は絶対に起らない。純然たる米国人を殺したとは全然問題が違ふ。米国大使館が抗議を申し込んで来たといふのは、事実の説明を求めて来たといふ事の誤伝だらう。若し夫れ誤つて米国人を殺し之れが国際問題となつて日本官憲の狼狽する所に一種の快味を覚ゆるといふが如き者あるに至つては、僕の聊か不快を感ずる所である。