二重政府より二重日本へ
所謂軍閥外交に対する非難は今度の議会に於ても上下両院を通じ、開会の初めからいろいろの人によつて発せられた。軍事当局が多年其活動の範囲を不当に拡張して外交の圏内に干入し、而かも外務当局は之を奈何ともする能はざる状態に在ることは今や公知の事実である。政府当局の月並の答弁としては、そんな事はありませんと例によつて一言の下に否認し去るけれども、事実は之を争ふべくもなく、遠く亜米利加の方まで知れ渡つたと見えて、日本に於ける二重政府(ダブル・ガヴァメント)の説は、去年以来頻りに彼地の新聞に喧伝されて居る。ヴァンダーリップを初め、親日派を以て任ずる来朝の諸名士中にも我々に質すに此事を以てするもの頗る多い。不幸にして政府は、極東に於ける我が軍事的並に外交的行動に関し、赤裸々な詳報を許さない所から多数民衆の眼は、比較的事実の前に掩はれて居る。二重外交の事実についても我々国民が却つて案外に知る所が薄い感がある。それでも昨今之を難ずるの声が内外相応じて漸く高からんとするのは、一面に於て遺憾に堪へないが又一面に於て悦ぶべき現象と認むる。
つひ此間まで我が日本は諸外国から、徹頭徹尾侵略的軍国主義の国と観られて居つた。政府の名に於て海外に活動するものは素より、商人、労働者、果ては女、小児に至るまで、侵略的精神に浸み切つて居るものと観られて居つた。今でも支那の多数民衆は斯く観て居り、又稍特別の事情あるが、朝鮮人などは深く信じて之を疑はない。成程朝鮮満洲乃至西伯利などに於ける一部軍隊の行動には斯く観られても仕方がないものがあつた。而して日本内地に殆んど之を責むるの声を聴かざるのみならず、偶々外国より之を批判するものがあると、事実の有無は棚に上げて一向(ひたす)ら難者に逆襲すると云ふやうな態度を観ては、国民の全体が実に侵略的行動を後援して居るものと考ふるに至るのも無理はない。併しながら日本内地に此等の誤つたる行動を非難するの声を聴かざるは、之れ日本人の良心の鈍きに由るにあらず、不当なる言論自由の抑圧に依つて、全然事実の報道を与へられて居ないからである。此等の点は今更ら改めて論ずるまでもなからう。兎に角我々は永く事実を知らされてゐなかつたが、併し世界は案外に狭い。何時までも人の耳目を掩ふことの出来るものではない。軈て我々はいろ/\の方面から断片的に実際の出来事を伝聞した。初めは事の意外なるに其誤伝なるかを疑つたが、伝ふる所必ずしも虚構の誇張にあらざるを知つて大いに驚いた。此驚きは一転して悔恨羞辱の情となり、又憤激の情ともなつた。斯くして此一両年以来、国家の名を僭称する此等一部の野蛮的行動を国民の目前に曝け出し、一つには国民の反省を求め、又一つには国内の軍閥に対する新十字軍の道徳的戦争を起さんとするものが出て来た。之れ正に今日の情勢であるから、此上呶々しく之を説くの必要はなからう。而して斯くの如き新形勢は幸にして漸く米国などにも知られるやうになつたものと見え、先年まで日本を徹頭徹尾軍国主義なりと非難し来たのであつたが、此頃は必ずしもさうでない。日本が如何にも侵略的に見えるのは、一部の軍閥が外交に干渉するが為めである。国民的監督を受くる所謂政府の意の如くならざる所に外交権活用の一中心があるが為めである、と云ふ風に観て、所謂二重政府は、日本をして世界に誤り観られしむる原因を造つたのだと云ふやうに観るに至つた。外人の日本観が茲まで変つたのも大勢の上から観れば一つの進歩と見ていゝ。
二重政府の事実は我々も之を認むる。而して之が我国の外交をして最も混乱せしめて居る主要原因であることは疑ひない。よしんば実際の弊害がなかつたとしても、通説の容れざる憲法の解釈に基き、閣議決定の政務範囲外に置いた統率権の範囲を不当に拡張して、之も大権の作用だ、あれも大権の作用だと、内閣の毫末も与り知らざる行動を海外に縦(ほしいま)まにすると云ふ制度は、どう考へても許すべからざる且つ怖るべき悪制であると思ふ。而かも此等の行動によつて、国家は常に重大の責任を負担せねばならぬ。責任負担の問題になると、始末は常に内閣にさせられる。今日我国の内閣は自分の与り知らざる出来事についてどれ丈け面倒な責任を背負つて居るか分らない。殊に此点に於て我々は痛切に外務大臣の職責に同情を寄せるものである。要するに最近我国の慣行では、閣議の決定を経べき一般政務の外に、軍事統率権の作用として閣議を経ざる、否之を経べからずとせられたる特別の政務があつた。一部の人は之を特に防務と称へ、政務と相対する執念と観て居る。政務と防務と相併せて国権の行動は尽くる。国策といふ文字は、此両方を統轄する意義を表はす為めに作られた。国策の遂行は陛下之を統べ給ひ、而して其中政務は之を内閣に諮詢して行ひ、防務は之を大権独立の行動として親裁し給ふといふと、如何にも尤もらしい憲法論になるやうだけれども、よく考へて見ると、国権発動の実際の中心点を政府の外に、例へば防務会議と云つたやうな純粋な軍人のみの諮問機関と、此二つに置くものであつて、国家の統一を破る之より甚しきはない。此辺の事情について従来国民が余り之を意に留めなかつた。一つには又此問題の性質極めて微妙にして軽々手を下し難いといふ点もあつたらう。二月十八日貴族院に於て江木翼(たすく)氏が、大正七年十月より十二月にかけての一部撤兵は政府の政策として極めたのか、軍事統率の必要に基いてやつたのかを内田外相に問ひ、外相が閣議決定の結果なりと答ふに及び、其事の善悪は別として、斯くては従来の例を破り、政府が統率権の発動に干渉したものと認むと念を押したのは、此重要問題に触れた極めて興味ある質問応答であつたが、いゝ加減の所で有耶無耶に終つたのは甚だ遺憾の次第である。
何れにしても日本に於ける国権発動の中心点は今の所二つある。而して其中の軍閥系統のものは、容易に文官系統の政府の力を以て動かすことは出来ない。此処に帝国外交混乱の一つの理由が伏在する。更にも少し考へて観ると、政府は理論上少くとも議会の監督の下にある。議会も亦理論上民間輿論の掣肘を受くるから、政府を通してする国権の発動は少くとも理論上は民間の輿論と調和することが出来る。故に現在の政府が偶々軍閥と忸れ合つたとしても、政府が国権発動の唯一の中心なら制度としては先づ安心が出来る。然るに日本には全然民間輿論の手の及ばない第二の中心点がある。之が多くの禍の基だ。東洋に於ける外交は概して多く此処から指揮されて居る。けれども多数の国民夫自身は必しも之を後援するものでもなければ裏書きするものでもない。斯う云ふ所から二重政府の説は日本に対する無条件非難の勢を多少緩和して、幾分日本に同情ある議論を起らしむるやうにもなつたと思ふ。
然るに外人の日本観は昨今に至つて又変つた。彼等は云ふ、成程日本の政府は軍閥外交の露骨なる侵略的態度に苦しめられて居る。けれども、政府夫自身が夫れ程平和的、協同的かと云ふに必しもさうでない。詮じ詰めると、彼等も矢張り侵略的思想に汚染(にじ)み切つて居る、只些か軍閥者流より眼界が広い丈け露骨無遠慮な態度に出でないまでゝある。畢竟日本の所謂二重政府は、共に侵略的軍国主義の思想をも主流とするものであつて、只其間に軽重の別はあるが、畢竟するに五十歩百歩の差に過ぎない。故に我々は軍閥外交を他日抑ふるの日がありとしても、まだ日本の政府を信頼することが出来ない。只今日我々の最も欣幸に勝(た)えざるは民間青年の間に本当の平和思想なり国際的精神なりが燃え上つて居ることである。青年の勢力は現実の政界に於ては固より計算の数に入るものではない。が、近き将来に於て発現すべき潜勢力に至つては実に偉大なるものがある。茲に我々は光明ある希望を日本の前途に繋け得ると思ふと。斯くて彼等は今や日本は旧い日本と新らしい日本と、換言すれば老人の日本と青年の日本と二つに分けて考ふるの必要ありとする。是に於て彼等は最早や二重政府の言葉は余り使はない。転じて頻りに二重日本(ダブル・ジャパン)の文字を用ふるやうになつた。
此事は支那の青年の間にも段々分つて来たやうだ。けれども支那でも最も早く此点に着眼し初めたものは外人、殊に英米人であるやうだ。其為めであらう、昨今英米の本国からは固より支那在留の英米人にして這般の観察を目的として来朝するもの甚だ多いやうだ。従来日本を非難したものも、日本が徹頭徹尾侵略的であると云ふ事は彼等の最も苦とせる所であらう。図らず二重日本の説を聴いて彼等は来つて其調査研究に従事し、若し噂の如くんば日本に於て真に語るに足るの友を見出さんとするのである。斯う云ふ意味の来朝者の最近頗る多い事は読者の中にも已に気附かれて居る方があるだらうと思ふ。
只此際返す/"\も遺憾に堪へないのは、政府当局の神経過敏な無用の取締である。彼等が所謂国情偵察の為めに来たのを誤解して、軍事探偵に対すると同様の掣肘を加へたり、彼等が其抱く特殊の目的の点から、知名の政治家や実業家の月並な訪問を避け、政府当局の観て以て危険人物や注意人物となすものを頻繁に而も平然として往訪するのを見て、露西亜過激派の所謂世界宣伝の手先でないかと云やうな誤解から、往々不当の拘束を加へたり又種々不愉快な不便を与へたりするのは予輩の甚だ遺憾とする所である。此等の人は初めから政府や政商を談ずるに足らずとして居る。又此等の人との対談は従来の来朝者に尽きて居る。彼等は今や別個の新らしいプランに基いて大いなる同情を以て日本の真相を研究せんとするのだから、斯う云ふ人々にこそ調査研究の自由と便宜とを与ふべきではないか。日本が世界に誤解されて居るから其真相を紹介する為に、大いに対外的プロパガンダを遣らうなどゝ云つて居る際に、態々日本を見に来、又之を世界に紹介せんが為めに来たものに、故らに不便と不自由とを与ふるとは何事ぞ。只事にして彼等は初めから政府を当てにして居ない。政府側から不当の拘束を受ける丈け却つて日本に於ける新旧両思想の対立が鮮かに読まれて面白いと云つて居る。斯くして之から我日本は二重政府としてよりも二重日本として世界に紹介せらるゝことであらう。
徹頭徹尾軍国主義の国と云ふ評判から二重政府の尊称を受け、更に二重日本の美名を受くるに至つたことを考へて見ると、一つには斯う云ふ観方の変遷に応ずる丈けの発展を我々国民がなしつゝあるを悦ぶと共に、又一つには段々日本の真相が世界に有りの儘に知れて来るのを満足するものである。必ずしも世界の評判に拘泥するのではないが、兎に角斯く観らるゝの当然である以上、我々は更に之から努力して二重日本を単純な平和的協同的日本に築き直さなければならない。旧い日本の迫害が益々猛烈になるのは残念ながら覚悟せねばならぬが、我が日本を世界の舞台の上に、平和的な永遠の繁栄を得せしむる為めには、我々青年は万難を排して邁進するの決心を要する。
〔『中央公論』一九二一年三月〕