英雄民族日本の自覚  香椎浩平著   東京 第一書房   1940

 一体自分はほんたうに生きて居るのだらうか。天賦の強健な肉体を顧みる時、形骸は慥かに溌剌として生きて居ることを、自認するとは云ふものゝ、魂は果して如何かと、深き自問に耽ることが屡々ある。
 聖戦に両眼を失つた尊い勇士の姿に接して、己の目が明いて居るのに今更の如く気附いて目頭を熱くする刹那、実は明き盲では無いのかと、強く自からを反省せしめられる。
 面の当り演出せらるゝ欧州の涯(はて)しなき盛衰興亡と、東亜及び其の周囲の現実と将来とに対して、心眼を開く事の緊切なるは、改めて喋々するまでもない。要は、どんな風に心眼を開くかである。的を外れた焦躁は、結局のところ、走尸行肉(そうしかうにく)の亜流に過ぎない。
 二十数年前第一次欧州大戦に赫々の武功を樹てゝ仏国民の信望を一身に鍾(あつ)めた元帥ペタンが、今は一敗地に塗(まみ)れた故国の運命を弔ひつゝ、仏国民が斯くも無惨な責罰の鞭を当然甘受せねばならぬ原因を挙げ、余りに安逸を貪り、仕事に不熱心でありながら、自己を過信して居たと云ふが、夫れのみではない。他国に依頼して国防を忽にし、而かも思想は人民戦線に因つて攪乱され、英米財閥との悪因縁に国家の腐敗を一層甚だしくした事を、白日の下に晒した。勿論武士の情を以て之を見るべく、特に英国の、飽くまで利己的にして、危急に際し力闘を避け、同盟諸軍を敵火の中に置き去りにして、独り自軍の安全にのみ汲々たりし不信背徳は、之を認めるにしても、仏蘭人の不甲斐なさは、深く鑑みる処がなくてはならぬ。
 之に反して、勝ち誇つた独逸の雄姿を遙かに想見する時、過去の厳粛なる教訓が胸に迫る。抑も独逸は、ヒツトラーの力強き指導に由り、永年心の準備が出来て居た。永年とは云へ、ナチスの政権獲得後から数へれば、案外短少年月であるが、元来独逸の国民性が、規律節制を重んずる上に、三十年戦争や、七年戦争等、先祖累代から四面の勁敵に対して苦痛を凌ぎ来つた経験が、国民をして、如何なる難境に立つても、自発的に心を引き締める慣習を養はしめ、ヒツトラーの一身を犠牲とした雄叫びに響応して起たしめたのである。即ち独逸の心の準備は、数百年に亙るものであつた。英仏等も、過去長年月の間には、国難は屡々経て来たけれども、最近に於ける独逸人蹶起の動因とは比較にならぬ。
 他山の石以て玉を攻(みが)くべきである。併しながら如何に優秀に見える外国の制度を羨めばとて、己に心の準備なくしては、模倣の制度は、竟(つひ)に死物に終るのみならす、時には却て有害でさへあり得る。今や我国上下が、新秩序建設に深く思を致す此の秋、先づ一段と此の点に向つて遺憾なきを期せねばならぬ。
 世には往々人物払底を嘆ずる人があるけれども、大和民族そのものが総体として、英雄的資質を具備することが先決問題であり、日本の建国精神を貫徹する所以である。換言すれば、此の資質が即ち大和民族の天に稟(う)けたる使命を果たす基礎の力である。
 さて、力は之を発揮して始めて其の効用があり、而かも斉しく力を発揮するにも、一の力を十に発揮する者と、十の力を五は愚か二にも三にも発揮出来ぬ者とがある。爰に優勝劣敗の契機が潜む。
 物は死物である。心と雖も、之が発動しない間は、死物たることに於て、物と何じである。而して、物に、もの云はせて、其の力を発揮せしめるのは人である。さればこそ、修身、斉家、治国、平天下は古来数知れぬ著書に論議せられて居るが、今日の日本人の急務は、英雄民族たることを基調として、個人の修養、一家の整頓、世の為め人の為め、と云ふことに学なれねばならぬ。
 斯くて、日本民族が挙つて、英雄民族としての爆発的自覚と、之に伴ふ鉄の意志及び千里独往の実行力とを堅持して、始めて当面の急潮を乗切り、且つ更に永遠の未来に亙る民族の錬成を庶幾することが出来る。
 明治天皇御製を拝誦し奉る。
  思ふこといふべき時にいひてこそ
            人のこゝろもつらぬきにけれ

   皇紀二千六百年秋                     著者識す


目次
  序

英雄日本民族の自覚

真の英雄観

   英雄観
   英雄と姦雄
   真の英雄
   大義名分
   英雄と正直
   人生と闘争
   指導者としての英雄

英雄及び指導者の足跡を辿る

   アレクサンダー
   シーザー
   ピーター
   クロムウヱル
   ワシントン
   ナポレオン
   ビスマルク
   成吉思汗
   孔子と孫子
   諸葛孔明
   清朝観
   豊臣秀吉
   和気清磨
   坂上田村磨
   楠公と菊池氏
   英雄民族観

民族発展の要機を語る

   没我の精神
   日本哲学の真髄
   日本哲学大系の出現を待望す
   英雄民族素質の発見
     一 天祖の経営と神武創業
     二 対外戦争に現はれたる気魄と其の由来
     三 独創と外来文化無限の消化力
     四 明治維新の鮮かなる手際
     五 人物は古来続出した
   天然の条件
     一 気候風土
     二 衣食住
     三 人口問題
     四 軍事的政略上の関係
     五 再び眼を日本の国土に落す

思想の独立

   一切の外国依存根絶は魂から
   自由主義思想を警戒せよ
   神経戦
   我國體尊崇の無条件徹底
   日本精神と世界情勢
   法理至上主義の妄
   形式と精神
   教養の問題

内治外交の相関粘を睨む

   内治外交の関聯性
   生成発展と内外刷新
   文化の対外性
   外交の裏表と宣伝謀略
   国民外交

青年を鍛へる

   鍛へよ若人
   日出づる国の益荒男
   疾駆する悍馬
   悍馬に一言
   時の正体
   不平不満は人を活殺す
   公憤に生きよ
   修養道
   隠忍自重
   先づ一身を立てよ
   特立独行と七生報国
   親不知の嶮
   子に対する親の情
   日本民族の孝
   家族制度と敬神
   大義子を滅す
   機械文明は人間を小粒に砕くか
   新しき機械克服の道
   歓楽極まつて哀情多し
   三叉路に立つ若人

女性の覚悟
  
   天の傑作
   牝鶏晨を告げて、家運傾く
   母性愛の自粛

英雄日本民族の宣言