「……私は日本国天皇に申したい。あなたは何故に責任をとらないのか。とろうとしないのか。あなたが脳病であった父君に代った摂政時代から約数十年間というもの、一切合財の日本の政治が全く無知盲目の裡に行われたというのか。
 あなたも軍服を着ていた日本の軍隊において、「上官の命令は朕が命令と心得よ」という一条の言葉の故に、どれだけ無数の無理弾圧の悲劇があったろうことか。それらをすべて知らぬ存ぜぬ、責任はまったくないというのか。もし然りとするならば、この世のいっさいの道徳も責任もみな泡沫の如きものではないだろうか。
 諸外国のことはいざ知らず、少なくともわが国において、天皇あなたの無責任破廉恥が、戦後日本国民の道徳的無秩序退廃に寄与していることは絶大なりと、明治生れの私は確信している。いろいろな見方はあるであろう。しかし天皇、あなたより十歳以上も年長で、明治大正時代の道徳教育の洗礼を受けてきた自分には、あなたの無体不道徳の態度は許すことができない……。
 自分としては神あるいは神に近い存在であった大日本帝国天皇が、チヤンチヤンコを着た猿であったとは思えないし、思いたくない。なんら為す処なく、あの七、八歳の童子にすら及ぼない拙劣な裕仁という文字を署名し、判子をまったくみずからの意志に反して押したとは思えない。また思いたくないのである。そんな薄志弱行、非力無意義の存在であったとは思いたくない。もっともっと立派な人間であったと思いたいのだ。
 ABCD討つべし、大東亜共栄圏結構、天皇が本当に自分の意志でそう確信して開戦の詔勅を執筆し、判子を押したのであってもらいたいのだ。
 反対であったのだ。反対であったのだが仕組上どうにもならず……では、何百万か数知れぬ戦争犠牲者は浮ばれぬではないか……。
 私も最愛の息子をひとりあなたに捧げた。そのあなたに聞きたい。あなたは何故一番大事なことについて語らないのか。日本全国各地を歩き廻って、「あなたは何なの」「あそう」では馬鹿低能と言われても仕方ないではないか。私はあなたの味方なのだ。決して敵どころではない……。その証拠には、私の最愛の息子のいのちをあなたに捧ても悔いないのだから。
 ……国内法とか国際法とかの律するものではない。そんな屁のようなものよりも、人間誰しも持っている道徳心というものがある。その内心より照らすものから省みて、詫びて詫びて自らの命を断つべきであったのだ。
 ……天皇は今日の日本の道徳的退廃の象徴、根源とされても致し方ないように思う。それでは残念だ。自分のような老人には、明治に生れ、大正に育ち、昭和に生きてきた者にとっては、飽くまでも天皇を敵にしたくないのだ。心情において天皇にひいきしたいのだ。
 だけれど、若い者がどんなに無軌道に走ろうと、一天万乗の天子が身を以て範を垂れ給わなければ、でたらめ、インチキ、無責任、恥知らず、猿芝居、あらゆる罵詈雑言を受けても致し方ないではないか………」