穏健なる自由思想家




 警視庁近時の図書取締は随分苛酷である、否苛酷だとの意識があつて遣つてゐるのでは有るまい、盲滅法なのであらう。此儘で続かて行かうものなら世間も何とか云ひ出すであらう。新聞や雑誌にも之に関する諸名家の意見のやうなものが出る事であらうと思ふ。然し自分は或意味に於て警視庁の遺方を至当だとも痛快だとも思つて居る者である。
 佐藤紅緑氏の「三十八年」は知らぬが、九月号のホトヽギスに出た一宮瀧子氏の「をんな」が発売禁止の厄を惹き起したので明かなる如く、又新聞に伝へられた多くの禁止書目を見ても同様、当局近時取締方針は社会主義とか無政府主義とか云ふ特定の思想、若くは所謂風俗壊乱と称せらるる淫靡な文字を禁制しようとするのでは無くて、何でもかでも苟も自由思想と名の附くものは抑圧しようとするのである。曾て樋口龍峡氏が風俗壊乱の取締をのみして当局の手が自由思想そのものに及ばない事を「太陽」で論ぜられた事があつたが、当時自分は勿論氏の説を愚論なりとするに躊躇しなかつたけれども、当局の立場からはそれが至当だと思つた次第である。上に近時の警視庁の遣り口を以て至当なりと云つたのは此事である。警視庁が当然の論理を辿つて来たと思ふと云ふ程の意味である。
 従来気の宜い自称自由思想家や文士達は、社会主義や無政府主義が蒙りつゝあつた抑圧を対岸の火災視して、其或ものは自分の立場のそんな危険な極端なものと一つでない明りを立てようとした。彼等は其自由思想家たる点即ち文明史上に於ける位置に於て彼我同列に在る事を気附か頂かつたり、気附いても気附かぬ振りをして居つた。不明に非ずんば情けない根性である。然るに今や警視庁は其取締の歩調をロヂカルに進めて来て一網打尽的に自由思想を抑へようとするに至つた。彼等穏健中正を標榜する自称自由思想家も実際何とか戸籍面を明かにせねばならぬ。彼等が虞るる如く保守党と呼ばるる事が厭やならば徹底したる自由思想家となるか、それが出来ねば少くとも懐疑者の軒先を借りて又出直す工夫をせねばなるまい。
 今日のやうに自分免許の自由思想家から生温い説を聞かされては溜つたものでない。彼等は新思想の同情者であるとか、過渡時代の橋梁であるとか言つて、頼まれもせぬおせつかいをして、却て徹底的に行かむとする者を危いくと云つて後から抱き止める。まるで保守思想の廻し者見たやうなものである。彼等は旧思想を深く味はうた事無き故に之を飽くまで維持しようとする努力もなし得ず、新思想も生噛りであるが故に徹底的に主張する事もなし得ない。さればと云つて真面目に懐疑して新旧両思想を自己の人格の奥底に於て批評しようとの勇気も無い。要するに意識の浅弱と云ふことが彼等の病である、彼等に限つて旧思想が勢ひを恢復して来ると妥協説を吐き、新思想が歓迎せられて来ると物識顔をする。我等浅学の徒は彼等によつて色々新しい事を教へられる事もあるが、其態度は何時でも気障で生意気で片腹痛い事が多い。イプセンがどうのニイツエがどうのと云つて其糟粕だに嘗め得ざる蓄音機に過ぎぬでは無いか。彼等はたゞ「最近の最近」を追ふ浮気者である。放蕩息子が勘当すると威嚇されて女郎買を止めるが如く、此徒は当局の抑圧によつて改宗を宣言する不信者である、今に諸名家の意見と云ふものが新聞雑誌にでも出たら「若い内に有り勝の過ちだ」とか何とか伯父さん顔して取成しをする人がある事であらう。
 自分は敢て自分一個の消極的自由思想家たる事を承認する。然し自分は徹底的に一個の新見地に立て之を主張せんとする積極的自由思想家でもなく、又穏健中正なる進歩的意見を持して常に折衷の道を知つてゐる穏和なる積極的自由思想家でもない。換言すれば自分は懐疑者である。さりとて又近頃自由思想が迫害せらるるに及んで急に懐疑者の軒を借りに行つた者でも無い。吾々は曾て然りし如く今も然るのである。吾々は未だ解決を主張した事は無い、無解決だと解決して了うた事も無い。願ふは懐疑の徹底せむことである。厭ふは意識の浅弱ならむ事である。今日に於て若し当局の威圧が盛んで思想家も文士も出版業者も五色の息を吐く様になれば、自由思想も徹底的に意識せられるであらうし、積極的徹底に先づ消極的徹底即ち真に自立の新見地を得るには先づ懐疑に於て徹底せねばならぬ事をも意識せらるるであらう。自分が当局近時の遣り口を痛快と云つたのはこゝである。只自称自由思想家や国民の指導者を以て任ずる識者の演出するカリカツールをのみ指したのでは無い。
 思ふに今日生温き自由思想家の横行するは鵺的革命たる明治維新の結果である。彼の革命に精力を消尽した改造的精神は王政復古の功業に慢心して、復新しく近世的なる改造的精神の深さを理解する能力を失つて了つた。我等は一等国の国民である。然し乍ら果して我等は近世的国家の住民であると云ひ得るであらうか。近世的国家に於ても社会主義や無政府主義は圧迫せられて居る。けれども個人の脳髄と心臓との働きはもつと尊重せられて居る筈である。去頃朝鮮から帰つた客の談話だと云つて、統監府下の束縛から脱して下関に帰つた時にはつくづく憲法国の治下に民たる有難さが分つたとあつたから、そんなものであるかと思つた事であつたが、日本の社会主義者が英国は勿論のことあの辛辣を以て鳴つてゐる独逸にでも行つたら朝鮮よりの帰客と同一の感じを懐かないであらうか。モリエールの喜劇を禁止した我が当局を有しても尚憲法治下の有難さに随喜する人がありとせば、近世的国家に於ける個人権の伸張は民衆の実力によつて獲得せられた者である事さへが分つて居らぬのである。彼等に在つては憲法は尚太政官の御布令たるに過ぎぬ。明治維新が如何に改造的精神の部分的満足を以て全部を盲目にしたかが分る。所謂「万機公論に決する」近世的 傾向は岩倉大久保等の専制主義に依て其萌芽を抜かれ、征韓論者の暴動や民権運動の如きも明治維新の浅薄を根柢から意識した運動でなかつた事は、征韓論者の暴動が寧ろ明治政府に不満なる旧驀の遺士に依て助けられ、君側の奸を払ふと云ふ事が口実であつたのでも分る。民権運動とても同様である、自由党当年の名士の現状が当時の民主的意識の浅瀬を最も雄弁に語つて居るではないか。此自由党を以て尚奇矯なりとして穏健中正を標榜して起つた改進党の首領大隈伯が今日寧ろ民衆の為に気を吐く代表者たる観あるに至つては之こそ憲法治下に於て一個のカリカツールでは無いか。
 西欧に於ける個人権の伸張には深い根拠があつた。長い歴史があつた。徹底したる改造的精神があつた。吾等は上辷りをして来たのである、鵜呑をして尚消化せざるに早くもニイツエを云ひイプセンを云ふ。下痢を起さずんば幸ひである。偶々当局の抑圧が健胃下腹丸たり得て、嚥下に先づ咀嚼の必要を感ぜしめたならば幸ひであらうと思ふ。「をんな」の如きは夫である。発売禁止は一女流作家を天下に紹介したやうな珍奇なる結果に終つたが、「をんな」は決して咀嚼せられたる自由思想ではない。其意識の不徹底は其作に何等のしみ/"\したるデリカシーを有しない事に依て反証せられて居る。要するに流行にかぶれたる嫌ひを免れぬ。さりながら自由思想は人類が自己をオーソリテイの束縛から開放せむとの数百千年来の努力の結果である。之が虚偽であるならば吾等は人文の歴史を疑はねばならぬ(人類が新しく自己といふオーソリテイを作つて自ら夫れに束縛せられつゝある事は今云ふを要せぬ)。元より新思想は犠牲を要する、犠牲は個人である。進むは思潮である。犠牲となつて一生を台なしにし自暴堕落の淵に沈まざらんと欲せば流行を追はざらん事である。意識の徹底を期せん事である。
                   (明治四十三年九月十六日)