歓楽を追はざる心
「歓楽を追ふ心」と題してYA君が先頃の本欄に論ぜられた所は自分の同感を以て読んだものである。YA君が世の論者の軽々しく歓楽を蔑視して自ら高しとして居るのに対して、歓楽を迫ふ心の彼等が思惟するが如き若く根柢のない者でない事を指摘されたのは尤もな説である。是に「歓楽を追ふ心」には深い/\嘆きがある。さり乍ら之を以て我等は自ら「歓楽を追ふ者」を以て居りたくない。恐らくYA君も歓楽を追ふ者を以て自ら居るまい。我等に「歓楽を追はざる心」がある。歓楽を追はざる誇がある。唯我等は此誇の故に歓楽を追ふ心の嘆きを解する能はざる者とは成りたくない、又成つてゐない積りである。此嘆きを知つて此誇を持するのは矛盾には違ひ無からうが両立し得ざる心の状態では無いと思ふ。
YA君は人皆の行く歓楽の中に人生の或意義或価値の存する事を否まれぬ様な気のする事、人生の此一面に与らずしては人生の経験の貧弱を感ぜざるを得ぬ事を説いた。自分もさう思ふ。之れ歓楽を追ふ心に同情せざるを得ぬ所以である。然し我等は此心に同情するのみで断然として之を追ふ者ではない。眺むる事を厭はずして投ずる事に躊躇して居る者である。我等は歓楽を夢の如くはかなしと説く人に尚躓いて居る下根の輩である。けれども又歓楽の巷が彷徨して惑溺せむには余に疑ひ深い者である。或人は之を臆病と云ふであらう。若し我等の此煮え切らぬ態度が常識の健全とする所に従うた結果ならば、甘んじて臆病とも云はれよう。幸ひにして我等は常識を軽蔑する事に於ては、彼の歓楽に惑溺して居る人よりは切実ならん事を期して居る者である。我等に臆病な所が全く無いとは云はぬ。然し純粋なる慎重と云ふ者の得難い我等に取ては多少の臆病も亦役なき者では無からうと思ふ。 歓楽を泡沫とする人々が歓楽に待つ無き内の充実を不断に有てるならば我等は其前に膝くであらう、若し膝く能はざれば我等は自ら々憐まうと思ふ。否自ら憐みたい。事実に我等は歓楽を厭離し得ざる憐むぺき者である。去乍ら心潜かに歓楽を希うて口に其泡沫を説く人よりは我等は自由を有てる者である、囚はれざる者である.内に熟せぬものを口に高調して自らを縛らん事は我等の堪へ難しとする所である。我等は自由ならん事を希ふ。此故に又我等は歓楽にも囚はれん事を欲しない。歓楽に惑溺して歓楽以外復生の意義も価値もなしとする者は一見自由にしてさうでは無い。彼等は人情の一面を限つて之に縛られんには尚余りに自愛の情の深き者である。
人皆の相牽きて行く歓楽とは如何なるものぞ。之を喜ぶ人の余りに多きが故に我等は之れ無き人生の如何ばかり落莫なるべきかを思ふ。「歓楽を追ふ心」を虚無と観ずるは我等の尚能はざる処である。然も歓楽に囚はれざらんとする自由の愛は「歓楽を追はざる心」を誇る。こんな事を云つたら嘸不徹底を嘲らるるであらう。人生の豊富なる経験に人間の意義を探らむと欲する者が岸に立つて傍観して居て何の「どん底」が分らう、歓楽に人生の深き一面ありと思はば何故に心酔しない、心酔は理解の奥義であると。我等は屡此説の為めに迷はんとした。傍観者の理解に浅きも事実である。然し心酔は一面の「どん底」に至り得るに過ぎぬ。若し沈んで再び浮び得なかつたならば竟に因はれたのではないか。人の子の罪と弱点とに最も親切なる同情を有した古来の聖者は自ら偸盗姦ようを経験した人であつたらうか。否彼等はたゞ其意識の深酷であつただけである。
かく云ふと尚説を為す者は云ふであらう。相容れざる二つの者に等しく心を率かるるは二重の束縛である。世に絶対の自由はない、束縛の意識なき所即ち自由である、故に自由は一つの者に心酔する事であると。我等はかくの如き、法王の権威に服従する事を以て安心の捷径とする自由論をも福音の如りに屡感ずる者である。恐らく亦徹底と云ひ自由と云ふものは此様な依つて立つ所の権威のある者であらう。然し権威は批評の後に立てられねばならぬ。我等今或は歓楽に惑溺しても或は之を侮辱しても尚没批評の態度である。是れ我等の安んぜざる所である。我等は今歓楽に対して不信者たらん事を欲しないと共に又歓楽の羅馬法王たらん事をも拒む者である。我等が取るべき批評の態度は「歓楽を追ふ心」の敷きと「歓楽を追はざる心」の誇りとを両立させる外はない。此二つの心の両立が、節制と云はるる生温きエキスターナルな道徳意識と同じ者で無い事は説くまでも無からう。而して此二つの心の両立、換言すれば心の分裂を、忍んで維持する事と最後の権威を樹て得ん事とは、人生を愛する意識の深さそのものに依て貫徹せらるる外はなからうと思ふ。
(明治四十三年十月六日)