427(1945・1・3)
428(1945・1・10)
429(1945・1・17)
430(1945・1・24)
431(1945・1・31)
論より実行
最近往々目にすることだが、「大丈夫ですよ、戦争は必ず勝ちますよ、まあ今年一杯で終るでせう。敵も何しろ辛いですからね」、また「なあに必ず勝つとも、フィリピンだつてあれだけの戦果をあげてゐるんだからね、勝たないことはないさ」などといふのを聞く。戦争は必ず勝つ。しかしその前に昔から「論より実行」といふことがある。戦争は論ではなく実行である。国民が論ずるより先に、まづ実行に移ることを考へなくてはならない。挙つて一億国民身命を賭して闘ふこの戦争に、たゞ議論ばかりではなんの役にも立たない。まづ論より実行、われ/\銃後国民は生産特攻隊の意気をもつて一途に生産に励まねばならないのだ。 (一痛感者)
何でも出さう
二十四日の衆議院予算総会で八木技術院総裁が決戦兵器の出現も近いと言明せられたが、まことに旱天雲_を望むの感があつた。どんどん必死に非ずして必中の新兵器を造つて戴きたい。しかし我々は新兵器を造ることも考案することも出来得ない。そこでせめてその資材として使はれるもので、もし我々の手元にあるものであればそれでお役に立てたいと思ふ。白金は持合せがなかつたが、銀は家中を探して皆買上げて戴いた。兎に角あるものでお役に立ち得るものがあれば、我々は喜んで何んでも出さうではないか。
(東京・井坂生)
特攻隊に続け
一機命中、征きて帰らぬ攻撃行。決死隊は昔もあつた。しかし必死隊があつたであらうか。征けば必ず死す。それを承知で完爾と突込み、一機以て一艦を屠り、以て戦局に資し、国恩に報ぜんとする大精神。これこそ日本人のみが能くなし得る世界に誇るべき無我の大義に生きる姿である。しかし何故かくの如き春秋に富む有為の若者をしてかくせしめなければならなかつたのであらうか。省みればたゞ痛恨の至りである。何故非死必中の新兵器が出来得なかつたのか、もつと多量の飛行機が送り得なかつたか。それには種々の理由もあらう。しかし結局はまだ我々の努力が十分でないといふことに帰するのである。今こそ真に産業人も科学者も為政者も一億一丸となつて驕敵撃滅に総突撃あるのみである。 (朝鮮咸鏡北道明川郡・浜淵官治)
病弱者勤労場の設置
近くいはゆる強力政治により国民根こそぎ動員が行はれるものと思ふが、一人の戦争傍観者、一人の遊休者をもなくする趣旨に異論のあるべきはずはないが、断じて形式的劃一的考への弊を捨てて貰はねばならぬ。例へば病弱者はあくまで病弱者として扱ひ、病人はまず治療せしめ、弱者には弱者に適した仕事を与ふべきで、かやうな思慮を無視して強権により弱者も強者もごつちやにして、同じ条件の労働を強制しては、かへつて逆効果を招来するは火を睹るよりも瞭らかである。勿論こんなことは先刻ご承知とは思ふが、弱者専門の工業就労場を国営で至急設置してはどうかと思ふ。
(奈良市鴨川町・二塚隆治)
× ×
通風塔に寄せられる読者諸賢の投稿は毎日増加してをり、各職場、立場からそれぞれ貴重な体験や、意見を吐露せられ、全くその真剣さには敬服に堪へません。
これらの要望は内容や紙面の都合で遺憾ながら掲載できないことが多いのですが、しかし、それはいづれも真摯な諸賢の声として関係各方面の参考に供し、また編輯上の資料ともしてゐる次第ですから、この点ご諒解の上、どしどしご寄稿下さい。
432・433(1945・2・14)
女の立場を守れ
最近遺憾に感じてゐることは女の態度がいかにも粗暴になつたことである。一々例を挙げるまでもなく、窓口や売子など、いたるところで見受けられる。これは急に社会に出て働くやうになつたため、男のやうな口吻や、動作をとり、全体的に粗つぽくなつたのであらう。が、しかしそれでもよいものであらうか、たとひいかに男の職場にとつてかはつたとしても、女子が男子化することは禁物である。前世界大戦においてドイツが敗戦の運命を担はねばならなくなつた原因の一として女子の男子化があげられてゐるほどである。いかなる職場、いかなる立場にあつても、女らしいしとやかさと身嗜みとは失はぬやうに心掛くべきであらう。 (東京・南生)
事態を正視せよ
日々の新聞、ラジオ報道等、実に重大なる事態に直面してゐることを報じてゐる。しかし我々の周囲を見渡してみると実にしいことが多い。曰く配給が足りぬ。曰く衣料が不足だ。曰く闇等々・・・果してこれが決戦しつゝある皇國民の姿であらうか。もしこの期に及んで未だかゝる態度を改めないならば、皇國二千六百有余年の光輝あるこの歴史もつひに見失はるゝ如きこととなりはしないか。
事態の真に重大なることを正視せよ。国滅びて何があるのか。 (大阪・岡田正三)
農夫の立場
私は一農夫ですが、最近の事情を考へてみますとまことに容易ならぬ秋であります。殊に私共の立場として痛切に感じますのは近頃の食糧関係です。下世話に「腹が減つては戦さはできぬ」と申しますが、実にこの大戦争を遂行するには食糧問題こそ最も大きな問題であると思ひます。
しかし、増産々々といはれながら私の村の米の供出などをみますと、まことに寒心すべき状態です。そして「いくら作つても供出させられるから」とか、「野菜を作る方が得だ」とか、「他人に食べさせるより自分の腹だ」とかいふことを聞くのです。もちろん自分の腹が大切なことは感じないでもありませんが、しかし一億挙つてこの大決戦を遂行せねばならぬ秋、兵糧をあづかる私共の立場としてさういふことでは誠に相済まない次第だと考へるのです。手不足でもあり、肥料ももちろん不足です。しかし、私はどうしてもこの兵糧をあづかつてゐるといふ重大な責務を果たすことが私共の使命でなくてはならぬと思ひます。
(茨城・一農夫)
434(1945・2・21)
435・436(1945・3・7)
437・438(1945・3・21)
439・440(1945・4・4)
441・442(1945・4・18)
443(1945・4・25)
444・445(1945・ )
446(1945・6・6)
ガス漏れを防げ
遅きに失した憾があるとはいへ、最近帝都のあちこちに建物除却の槌音が、力強く響いてゐるのはまことに結構である。が、この除却に伴つて生起されてゐるガスの浪費だけは見逃すことが出来ない。どこの除却跡の傍を通つてもガスの臭が鼻をつく。
一年前、ガスの消費規制を行つた時、政府は国民になんと言つて呼びかけたか。ガス発生用の石炭を運ぶにどんな無理をしてゐるかよく呑み込んで呉れといひ、飛行機の増産には一立方米のガスも絶対無駄には出来ないのだと、一般家庭の台所のガス栓まで閉鎖したことを当路者はよも忘れてはゐない筈である。
こゝ半年や一年でガスの重要性がなくなつたとは言はせぬ。むしろその重要性は数倍、否数十倍にはね上つてゐることを確信する。
ところが、これほど大事なガスが春風のまにまに大空に徒らに発散してゐる。これは実に残念なことである。
そこで一言したいことは、ガスが大事だといふのだつたら当路者は徹夜しても修復に当らねばならず、また附近の人は一ヶ所でもガスの漏れてゐる所があつたら、直ちにガス会社に連絡、若し会社の手が廻らないなら周智を集めて直すやうに努めたらよいと思ふのである。
隣組の人の中には、現にガス会社に勤めてゐる人もあれば、元ガス会社に勤めてゐたといふ人もある。この人達の智慧経験を藉りつのもよく、またガスに関係したことはなくとも漏洩ぐらゐ直せる器用な人も街には案外居るものであるから、ほんたうに、みんなでやらうと思へばガス漏れを止めるぐらゐ出来ないことはない筈である。
そして、これはひとりガスのみならず、同様のていたらくにある漏水にも同断のことが言はれるのだ。 (東京・疎開跡生)
447・448(1945・6・20)
449(1945・6・27)
450・451(1945・7・2)
中小都市総武装へ
大都市を大体焼野原と化せしめた毛唐機は、いよいよその暴爆の鉾先を中小都市にむけはじめるに至つた。
ともすれば大都市に比較して不徹底の憾があつた中小都市を見るにつけて、大都市における空襲体験者の一人として、我々の戦訓が直ちに市町村の防衛対策となつて活かされて、我々が初期に繰り返した失敗の惨さを二度とこの地においても繰り返さぬ様にと祈る気持で一杯であつた。だがそれは叶へられなかつた。しかしもう泣事はいふまい。狂人兇器を振り廻すに遭へばこれを避けるのが我々の常識である。それが狂人に勝つ姿でもある。毛唐に対しても同様、敵をさけるに徹するのが究極に勝つ所以である。市町村長は英断をもつて屈強な合宿生活に向く家屋を選び周囲を思ひ切つて三四粁取壊し、その空地には壕を作り、共同生活財の保管庫と待避壕とし、余材をもつて市町村郊外につゞく道の近くに同様点々蜿蜒都市の延長陣を布くことに躊躇すること勿れ。生活散兵陣なる線状の町村を作るに果敢な実行を切に祈つて止まぬ。 (名古屋 村井達生)
山を倉庫に
敵は戦術爆撃と戦略爆撃とを併用して盛んに無差別爆撃をやつて来た。物的精神的両面に向つてのわが戦力低下を狙つてゐるのだ。惨忍極まる敵機はやがて軍事施設も何もない町や村にも襲ひかゝるに違ひない。
軍需工場がないからとて、またこんな辺鄙な田舎だからといつて決して油断を禁物、現に十和田湖の山奥の炭小屋にまでも敵は投弾したのだ。
鬼畜米英の目的は日本の抹殺にある。何一つでも破壊し得るものは悉く彼等の破壊の目標とされるのだ。
家を焼かれ家財も焼かれ、無一文となつて却つてさつぱりしたといふ戦災者の声もしばしば聞く。これは決して一時的な感傷や自暴の心を表現するものであつてはならない。
思ひ切つた生活の切替へ、頭の切替へをして新らしい建設へ出直す熱意に燃え、飽くまで敵愾心、戦意に燃えるものであるべきだ。
しかし無一文の裸になつたまゝでは、いかに敵愾心に燃え頭の切り替へを行つてもどうにもならぬ。物量が如何に戦力の一大要素であるかは、今次戦争が我々に苦杯をなめさせてゐる。
今は単なる自己一人の家財ではない。国家の家財であり、戦力構成の要素なのだ。大切に保管し、利用の策を考究すべき秋である。
そこで私はこの際、地下工場、洞穴生活への急速な移行と共に、全国の山を家財の倉庫に利用することを提唱したい。幸ひわが国は各地方共山に恵まれてゐる。これを表面は食糧増産に、下は倉庫に利用すれば家財の確保と食糧の増産となり、大いに戦力増強に寄与し得ると思ふ。
これが実行については色々隘路もあるが、凡て特攻隊に続いたなら何でも出来ぬことはない。今は一億悉くが特攻隊だ。時機を失してはならぬ。即決即断を望むでやまない。
(長野県 一無名氏)
戦災金属の回収
戦災跡を見ると色々なる金属が未だに風雨に曝されてゐる。一たん焼けたといつても決して役に立たないわけではないのだから、一日も早くこれらを回収して戦力化しなければならぬのではないか。既に一部では勤労学徒が出動して回収に当つえtゐるところもあるが、それ位のことでは到底間に合はぬ。そこでいま各地に結成された義勇隊の最初の目論見としてこれをやつたらどうかと思ふが如何。 (東京 伊藤生)
452(1945・8・29)