376(1944・1・5)

新年の決意

 さき頃、長男が戦争から帰つて来ましたが、その心身の変りやうは、親の自分が驚歎の眼を瞠(みは)るほどです。
 身体も見るからにガッチリと逞しくなりましたが、特にその日常生活に対する心の持ち方の立派さには家族一同、日々教へられることばかりです。
 先づ帰つて来た日の喜びから、少々無理してご馳走しましたところ、今日は父母上の御心だから有難くいただきますが、戦地にゐる戦友のことを考へると咽喉(のど)につかへるから、今後は配給以外のものは決して作らないでくれ、とたしなめられました。
 それからの毎日、ともすると漏らす私達の不平を聞くたびに戦地の経験を語りながら、内地の生活は勿体なさ過ぎると申します。事実、本人は日夜感謝の日を送り、早朝祈願を欠かしたことがありません。
 お米がたりないと母がこぼすと、〃雑炊にしませう〃と進言し、炭がなくて寒いと娘たちが泣き言を漏らしますと、早速下着一枚になつて、〃ついてこい〃と駈け出します。
 いまでは、娘たちも寒いといふ前に、〃兄さん走りませう〃と誘ひ出すやうになりました。
 家庭や学校が二十年も教育して出来なかつたことを、軍隊は僅か数年でなし遂げたわけです。
 餅こそすくないが、今年の正月ほど、豊かな正月を迎へたことはありません。
 どんなに物が足りなくても、何とか工夫して日常生活に感謝し、職域に全力をあげて、戦争第三年目を勝ち抜かう、と家内一同が誓ひを新たにしました。
 (東京都小石川区 橘吉郎)

377(1944・1・12)
378(1944・1・19)

「国債貯金」について

 週報昨年十月二十七日号に、「国債・債権の割当の分まで国債貯金でやれば、別に国債も債権も買はなくてもよい」を繰返し書いてありましたが、私達の町役場では、国債が来てゐるから国債貯金の額を減らして国債を買へといつて来ました。
 国債を買ふ代りに国債貯金をしたのだから、国債は元へ返したらどうかといつても、それは出来ないとて応じません。これでは国債貯金創設の趣旨に反すると思ひますが、当局のお考へは如何ですか。

大蔵省の答 国債貯金制度は、国債や債権の現物の印刷、輸送並びに売出しの後における郵便局や勧業銀行の保管事務に伴ふ資材、労力、経費等を出来るだけ節約すると共に、皆様の貯蓄方法としての利便、国債・債権の隣保消化の場合における隣組組長等の割当事務の簡易化等をも考慮して、国債や債権の売出しに代はるものとして創設されたものです。
 従つて、特に隣保消化の場合には国債・債権を購入する代りに 、原則として全部国債貯金を利用していたゞくやう皆様にお願ひしてゐるのです。
 これを少し詳しく申しますと、貯蓄をされる皆様の方で、どうしても国債・債権の現物が欲しいとか、国債貯金を取扱ふ銀行、郵便局などが遠隔地にあつて、国債貯金の預入れや払出しに非常に不便だとかいふやうな場合にまで、無理に国債貯金をお奨めしようとは考へてゐません。
 このやうな場合には、ご希望により例外として国債・債権の現物を買つていたゞいても結構ですが、その他の場合はなるべく全部国債貯金を利用されたのです。
 そのために町村や町内会、部落会、隣組等で国債・債権の現物があまつても差支へありません。あまつたものは郵便局や勧業銀行で引取るやうに、郵便局や勧業銀行の方へもお願ひがしてあるのです。
 以上のことは、府県や市町村の方面でも十分理解されてゐる筈ですが、今後も一層徹底するやうに努めたいと思ひます。
 もつとも国債貯金をされる場合には、なるべく国債・債権の売出し期中、早目に銀行や信用組合、農業会、産業組合、郵便局などへ預け入れていたゞきたいのです。
 さうでないと、市町村や府県などで、その売出し期の分として、国債・債券購入の代りに、いくら国債貯金がされたかといふ実績を取纏めることが遅れて、その後の売出し期の計画を樹てる場合の支障となるばかりでなく、あまり遅れて、あまつた国債・債権の現物を郵便局や勧業銀行に返されると、郵便局や勧業銀行の方にもいろ/\迷惑をかけることになつてくるからです。

379(1944・1・26)
380(1944・2・2)

不平不満諸氏・諸嬢よ

 近頃は三人寄れば曰く「物がない」、「足りない」、「困つた」等である。何がないか、何が足りないか、また何故困るのか。
 私は昭和十三年夏から一昨年十月まで中北支、満洲と微力ながら御奉公してきたものであるが、私にはまだ何一つ不足を感じたことは一度もない。「肉が足りない」、「砂糖がない」は、今まであまり沢山費ひ過ぎてゐたためである。
 今でも食事の場合に四、五皿も女中に作らせて、なほ且つ人が言へば、一緒になつて同じやうに「ない」「足りない」といつてゐる人が幾らもある。
 前線では、殆んど食物らしい食物を口に入れてはゐないのだ。銃後にをりながら、現在、足りないとか、困るとかいふやうなことで、戦争に勝てるだらうか。
 或ひはいふ「私一人ぐらゐは・・・。」と。
 或ひはいふ「兵隊さんは世界一強いんだから、第一線は大丈夫だらう。内地は少々ぐらゐ・・」
 これは亡国の民である。パーマネントにするなと注意すると「この方が安い」といふ。高い安いは知らないが、国家が「してはならぬ」と法律で止めたことよりも、「なるべくしないやうに」といふことをしないのは、丁度第一線における殊勲甲と同じだといつたが分からないらしい。
 満天下の不平不満諸氏・諸嬢よ、私は多くをいはない。たゞ一言する。重慶政権下では君等と同年輩の男女が、敗戦国の人であるがために、どんな生活をしてゐるか。それでも分らないやうな人間は靖国神社にお詫をして死ね。さうすれば、後には殉忠の日本人だけが兵隊の行進のやうに、雑音なく整然と戦勝街道を驀進するであらう。 
 (帰還陸軍兵長)

381(1944・2・9)

単純生活の実行

 夜に日をついで来襲する敵機の爆撃下にあつて、寝る目もねずに、食ふや食はずに、敢然死守されてゐる第一線将兵の辛苦を切に思ふ。
 銃後の航空機生産部門の全産業戦士よ、今から七月までの半歳を公休日なしで働き続けようぢやないか。決戦下には、決戦にふさはしい労務行政があつて然るべき、生産命令があつて然るべきだ。三度の食を恙なく与へられ、安らけき五、六時間のねむりを許されてゐる。あゝこの身の幸、決戦のさ中に娯楽さへ戦前にあまり違はぬくらゐ恵まれてゐる。これでは申訳なさ過ぎる。
 今こそ一切の娯楽をも退け、ひたすら思ひ切つた単純生活を実行し、祖国のためにこの半ヶ年、全産業戦士が挙つて捧げようではないか。 (名古屋 村井達生)

自分の信条

 自分は印刷会社に勤めてゐるが、国家から「お前はどこの軍需工場へ行け」といふ命令が来るまでは、現在のところで一生懸命に働くつもりである。「何をやつても国のためだ」と思つて、第一線に敢闘する兵隊さんに負けぬように頑張るつもりである。
 現在の国内情勢は、すべて計画的になつてゐるはずであるから、自分は好きな会社へ勝手に勤めるといふことは、国民として大きな罪悪でなければならない。
 今の世の中で許されてゐる仕事で、戦力増強に役立つてゐないやうな仕事は、殆んどないと信じてゐる。要するにお召しがあれば兵隊に、或ひは徴用戦士に喜んでなれる収容と心構へが、すべての人達に最も必要なことであると思ふ。
 (豊島区 武智一夫)

中年者の覚醒を望む

 危急存亡の決戦生活には、全国民協力一致の精神が遺憾なく発揮されなければならない。即ち、国民道徳の昂揚の最も要請されてゐるのも今日であり、輸送緩和のため交通道徳の叫ばれるや切である。学生、生徒、一般青年は車内ではよく席を譲り、出札にも乗車にも順序を守つてゐる。
 しかるに国民の中堅たるべき中年者の一部には、未だに列車へ割り込んだりする不心得者が見受けられる。これらの人は、戦争が勝たうが負けやうが問題ではなく、自分さへよければそれでいゝといふふうに見える。かやうな人が一人でもある間は、真に協力一致の気持よい国民生活は望めない。戦力増強も、航空機の増産も、お互の協力一致の「和」によつてのみ達成されることを知らないのか。
(一応徴士)

挺身隊を法律化せよ

 熾烈なる決戦の現段階に処して、こゝに女子挺身隊の結成をみる。戦力増強に意を強くする次第であるが、一部報ぜられるところによると、その参加の不成績なること甚だしいと。我等はこれを何とみる。現下の情勢を深く認識せる女子にして然るか。
 否、一部上流家庭の親達の反対あるがためである。切にかゝる人々の協力を望むと共に、主旨は自発的、積極的なる参加にあるとするも、よろしくこれを法制化して、一般女子の熱意に応へるべきではなからうか。当局の断を望む。
 また挺身隊に対しては、責任ある管理をして父兄に安心感を与へ、家族の人達に工場を一応見学させることも必要ではなからうか。
(千葉県 一青年)

382(1944・2・16)

勝ち抜く間の消費節約

 決戦下にある私ども国民は一層消費を節約して、一粒の米、一銭のお金も戦争に振り向けねばなりません。私は貧しい一小農で、二人の男子の父親です。学資とて別に蓄へはありませんが、少しでもよい第二の国民としたい念願から、いづれも中学校へつうがくさせてゐます。
 かゝる矢先、毎月のやうに相当高価なる魚や魚類のほか、農村家庭には不要の佃煮のやうなものまで、いろ/\雑多の配給があり、これを受けないわけにもゆかず、無駄な金を使ふことになり、一方、その配給に要する時間もまた莫大なものです。
 これでは、国家の最も要請する食糧自給態勢の確立にも妨げとなりませう。酒などは、皇軍将兵の方々には差上げねばなりませんが、私ども銃後のものは、勝ち抜く間ぐらゐ我慢できないはずはありません。その他の配給品も、都市ならともかく、農村では豆類を始め根菜類を十分に栽培してゐますから、塩の配給だけあれば自給態勢は整へられると思ひます。
 そして一銭のお金でも多く戦費に振り向け、一方では寸暇をも利用して増産に努力できるといふものです。この点御熟考を煩はしたく存じます。
(岡山県 一農民)

梨などより重要食料へ

 只今のやうに食糧増産の肝要なときは、めつたにないことと存じます。私は常日頃、最も不適当なのは果樹園の中でも梨畑だと思ふのです。梨は食べても大して身体によいものでなく、そして人手の要ることは農繁期に最も多くかゝるし、薬剤なども高価なものを使用するし、しかもそれより最も大切なことは、元来、梨畑は平坦な相当優良な土地を利用してあるので、米麦とまではゆかなくても、芋類や豆類なら相当とれることと思ひます。
 只今のやうな大切な時局はめつたにないのですから、この際、国民の栄養のため、断然転作をさせては如何ですか。温情主義とか親心も結構ですが、時局は手ぬるいことをいってをられぬところへ来てゐるのではないかと思ひます。因みに、梨などは必要になれば、植ゑてからごく短年月で結果を始めるものですから差支へないことです。
(秋田県 駒里)

日曜を滅せよ

 われ/\中等学生は、一年の三分の一を勤労奉仕することになりましたが、学生の本分はどこまでも勉強にあると思ひます。ところで、一年の三分の一、学校の授業がなくなれば、どうしても学力の低下はまぬかれないから、私は次ぎのやうにしてはどうかと考へます。
 それは日曜を少くするのです。日曜日は一月に四、五回あるのを、これを二回位にします。出来れば新学期から実行に移していたゞきたいと思ひます。この考へは、私一人だけでなく全国の学生の声だと信じます。
(松本 二中生)

戦局を直視せよ

決戦だ、飛行機だ、増産だ
骨をけづり
肉をたゞらせる焦眉の急に
徒らに、たゞ徒らに
戦果を待つ非日本的の輩はゐないか。
クエゼリンも、ルオットも
われらの毛髪だ、爪だ。
火の子は降りそゝぐ
頭上に、足下に。
戦局を直視せよ
起て撃て、アッツ、タラワの仇
同胞よ、ゆけ工場へ
乗れ征戦の艦船に。
(巣鴨 江島)

383(1944・2・23)

わが焦慮

 「真に憂ふべきことは、決戦だ、決戦だ、と言はれてをりながら、すべてが、真に決戦即応の態勢になつてゐないことである」と言はれた老教授の講話の一節が、今もつて忘れられない。否、むしろひし/\とこの一言が身に沁みて来る。
 この秋までが勝敗の岐路だと言はれてゐるのに、なぜ航空機会社は平和時代のまゝになつてゐる工場法の規定による月二回の休日があるのだらうか。節電のためとは言はれないはずだ。
 電力が足りないとしたら、国民に電力献納をなさしめるべきであらう。六時からの点灯を七時からにしてもよく、さらに一週一日、早寝の日を設けて九時からは停電させても、飛行機生産部門への電力を供給しなければなるまいと思ふ。
 弱い者はいたはればよい。しかし丈夫な者は根(こん)限り働くべきだ。
 月二回公休が必要としたら年十二回として、休暇許可を上司による裁断とすべきであらう。
 工場法をも即時決戦的に改正して貰ひたい。あゝ、戦ひは日一日と熾烈になつてゆくといふのに!
(名古屋市 村井達生)

これでよいのか

 この間の日曜日、私は防空設備はどうであらうかと或る町の防空資材を見て廻つた。約三町程の商店街を見たところ、余りにいゝ加減なのに驚かされた。
 戸数約九十三軒もの商店街で、防空設備の完全に整つてゐるのは僅かに三軒であつた。あとの九十軒は皆不完全であつた。何と情ないことではないか。
 防火用水に水の満たされてゐないところ、氷の厚く張つてゐるところ、中には汚水のやうな不衛生の用水桶、また砂にしても、袋の縫い目からこぼれて雨ざらしになつてゐるところ、その他、火叩きや鳶口等のないところが多く、中には防空設備が全然できてゐないところも少くなかつた。
 私はうはべだけを、モンペやゲートルで飾るべきではないと思ふ。心にモンペ、ゲートルの緒を固く結びつけて、私達の一人一人が真剣に防空の万全な処置をもつて、敵の皇土空襲に備へようではないか。
(世田谷区 早川生)

眼の前に爆弾落下

 いまや職場は火と燃えて敢闘してゐる。二月九日号本欄の「単純生活の実行」は同感々々。
 いま欧州の地には、昼夜を分たず爆撃が続行され、あらゆる国といふ国の上には、もはや一寸の余裕も許されてゐないのだ。
 この気持、この緊張、この現況を考へるとき、いやしくも我が皇土に一弾たりとも許してなるものかと思ふも、「日本民族の地の一滴も余さじ」と豪語してゐる鬼畜米英のあることを忘れてはゐないだらうか。
 私は昨夏、東京都の東部国民勤労訓練所で一ヶ月の錬成を終つた者だが、この帰還に体得したこの気持を、夜おそくぶらつく人達や、別段用もないのに汽車に乗る連中や、未だママー呼びする有閑婦人たちに見せてやりたい。
 今日では、もう「我は日本臣民なり」を措いては他に何物もない。すでに爆弾は眼前に落ちてゐるのだ。
 (甲府 嵐生)

384(1944・3・1)

断乎神州を護持せん

 ルオット、クェゼリン島守備隊戦死の発表に、どうしようもない憤激を持て余してゐる夜、引続いて国内体制の決戦非常措置要綱が発表されたので、どうやら救はれた気持になつたのは、恐らく私一人ではないだらう。
 遂に皇土の一角に敵が侵寇してきたのだ。汚れなき神州の聖土が米夷の土足にかけられたのだ。
 三千年この神州を護持して来たわれ/\の祖先に何としてお詫びをすればよいか。
 やがて日本を背負ふわれ/\の子孫が、よき祖先を持つたとわれ/\のことを語つてくれるためには、どうすればよいか。
 祖先に、子孫にこたへる途はたゞ一つ。
 今こそわれ/\の持つすべての力を一日も速くたゞ敵撃滅の一点に結集することだ。
 遊びたい、美味いものが食ひたいなどの気持は一切合切この際サラリと捨てて、たゞ勝つためにのみ働き抜かう。
(東京都杉並区 島崎達雄)

食糧物資を愛護せよ

 駅や、港や、その他集積場へいつてみると、仲仕達が米麦その他の穀物類を荷役してゐるのを見受けますが、仲仕達は打鈎で取扱ふ瞬間、穀物(特に外米)が袋の打鈎の破れ目からボロ/\出てゐても、仲仕達はこれを平気で、乱暴に取扱つてゐるのです。
 決戦下、食糧増産の緊急を要する今日、仲仕諸君は勿論、監督の任にある人達も、今少しくこれが防止にご注意下さるのが、勝ち抜く生活の一翼ではないでせうか。
(長崎県 大宅)

385(1944・3・8)

銃後も戦線

 「戦争にゆくこと」だけが国家への御奉公と心得てゐるものが余りにも多い世の中ではないだらうか。「物資の尊重」、「節約」、「貯蓄」、「国債の購入」・・・等々、進んで実行するのが帝国の軍人である。
 「明日の命が分からぬ」、「来月入営」といつて、金銭の浪費、軍人家族の栄耀、子女の華美な服装等は大いに反省の要なきや。これを以て忠勇なる国民といひ得よう。
(一帰還兵)

ほんたうの姿

 丙種といふ烙印の下に生きて二十年。俺はもう生涯兵隊には関係なしだ・・・と、一方には安逸、一方には物足らなさ、申訳なさを感じつゝ生きて来たことは否めない。それがどうだ!命令一下、教練をうけられる身となつた。
 想へば二十数年前、小学校で軍事教練の好きな一教師に、体操の時間に袴姿で銃をもたされたことよ。忘れることで人後に落ちない自分に「担へ銃」、それだけがどうやら身についてゐたのには驚いた。
 子無きを以て後継者と決めてゐた一人の弟は、海軍軍人としてソロモンで戦死した。その訓練服をそのまゝ着けて未熟ながら訓練を受け、そして昨日無事査閲を了つた。私は訓練の場にあつてつく/"\思つた---これがほんたうの姿だ。日本人はこゝにある、と。
(埼玉 )

暗い街に想ふ

 当市は、夜六時には全戸一斉に戸を閉め、路上は真暗になります。節電のためかといふと、室内は相当の明るさです。仕事といふ仕事は一切停止し、僅かに軍関係の工場のみが動いてゐるといふ有様です。
 従つて、人々は夜の慰安を求めて映画や芝居を見にゆくことになります。これでよいでせうか。各家庭に、せめて九時までは何とか戦力増強に役立つ仕事を与へたら如何でせう。
 今のまゝの真暗な、一斉に仕事を止めてしまつた街が続いてよいものでせうか。
(大分市 橋本)

一粒の米

 お米の配給を受けにゆく。いついつても量つて貰ふ所に沢山の米が散らばつて踏みにじられてゐる。
 私はこの勿体ない光景を見るたびに暗い気持になるのである。食糧自給が叫ばれ、一粒の米も粗末にならぬ時に、余りにも無関心な取扱に呆れるのである。粒々辛苦、お米を作り、供出してくれる農家の人達がこれを見たらどんな気持がするだらう。
 前線に数十日間も食を欠き戦つて下さる将兵を思ふにつけ、また食料飢饉、餓死者を報ずる重慶やインドの惨状を想像するとき、胸に湧くのは皇國民の有り難さである。農家の尊い汗の労苦である。安らかに銃後でこと欠かさずお米を戴ける勿体なさである。
 配給所の方々よ、一粒の米もみ国の力に、戦力の増強に代へなければならぬことに思ひを致されて、いま少しその粗末な取扱を慎んで戴きたい。そして配給を受けに来る人達に、一粒の米も粗末にしてはならぬのだといふ気持を抱かせて貰ひたいものである。
(勿体ない生)

386(1944・3・15)

発表されぬ大戦果

 「おい、聞いたか、スゴイ戦果だぞ」といふ友達の話を聞いてみますと、最近、大本営発表以外に、とても大きな戦果が挙つてゐるといふのです。
 「しかし、大戦果がある以上は、大本営から発表があるはずではないか」と申しますと、「いや、いま発表すると、国民が楽観的になるから発表しないのだ」と友達は真剣です。真相をお知らせ願ひたいと思ひます。
(板橋区 村岡生)

係より---ご承知のやうに、よかれ悪かれ、大本営では、戦局や戦果を率直に、ありのまゝに発表してをり、その正確さは敵米英でさえ認めてゐるほどです。
 お訊ねの「最近の大戦果」に当るものは、現在のところありません。最近のやうに戦局が緊迫化して来ますと、いろ/\デマも飛ぶやうです。その蔭には、わが国民を楽観させて戦意をにぶらせようとする謀略宣伝の魔手が動いてゐないとはいひきれません。よいにつけ、悪いにつけお互にデマに迷はされないやう注意したいものです。
 「大戦果」のデマを信じることは、やがては「大損害」のデマを信じることになります。
 どんなことにも動じない太い神経と必勝の信念こそ戦勝の要諦です。

お断り

国民合唱は、今後「写真週報」に掲載することになりました。次回「少年兵を送る歌」は、三月二十二日号に載せます。

387(1944・3・22)

入社希望者展望

 自分は人事係の者であるが、来る人も来る人もといつてよい位、「この会社は徴用は大丈夫でせうね」と尋ねられるんで、実際、情けなくなる。
 こんな人間ばかりで勝てるだらうかと考へることも、一度や二度ではない。勿論こんな種類の人物は採用しないことにしてゐる。
 もつとも最近は、金、金と二言目には給料のことをいふ人間が少くなつて来ただけ、時局認識が徹底してゐるといふこともいへるが、人事室からみた世相は、まだ/\決勝の年にはふさはしくない。少くともこんな部類の人間が我が国にはまだかなりゐると、残念ながら診断を下す次第だ。
(武智一夫)

食物のきりかへ

 まだ/\私の街の人達は、決戦生活に切替へてゐない。例へば商人同志、商人と農家との物々交換、闇取引等々、なるべく自分だけは、ひとよりうまい物をよけいに食ひたいといふ輩である。前線に苦闘する将士を思へば、かういふ奴は一時も早く死んだ方が日本のためによい。
 同じ物を同じやうに食べてゐるのなら、同病相憐むの譬へで、かへつて親密を増すが、隣りは配給以外の物を食べてゐるといふことが分れば、こちらも体面上、闇までして、家(うち)だつてこの位の物は金さへ出せば食へるといふことを、それとなく力んでみせる。近頃は着物より食物を余計に食つてゐると幅がきく。何と時局に反した輩であらうか。
 この際、思ひ切つていろ/\の行事をもつて簡素にしようではないか。
(埼玉 荒島美子)

388(1944・3・29)

小さな戦果

 日夜、南に北に挙る戦果の発表が、新聞にラジオに報道される。が、「○○基地発か、大本営ぢやないのか」と見逃し、聞き流し、大本営発表だけが戦果のやうに思つてゐる国民が多いのは歎かはしい。
 ○○基地発でも、大本営発表でも、皇軍将士の苦闘と忠勇には変りはないはずであり、どんな小さな戦果の陰にも、幾多将兵の血が流されてゐることを忘れてはならない。
 国民よ、挙げて小さな戦果にも感謝を以てのぞみ、たゞ一途、戦力増強に邁進しよう。
(日本造船 石井秀雄)

配給生活

 近頃、人が集まると食物(くひもの)の話で持切りである。都会生活者は、現在の配給量では生活してゆけない、といふのがその結論である。白米一升五円で手に入れた者がゐるとか、砂糖一貫三十円なら手に入るとか、むやみに闇値に興味をもち、さも物識り顔で喋りまくる。
 かういふものが、実際問題として、現在の配給量以外の食糧にどれほど依存してゐるだらうか。一ヶ一円もするといふ卵を果して一回なりと買つたことがあるだらうか。
 流行語のやうな闇値を聞いて、自分の配給生活が物足りなくなり、話の辻褄を合わせるのに得意がる憾みがないであらうか。不足勝ちな配給量を、たゞ足りない/\といつて、自分の仲間に吹きこむ愚は、この際、断然やめよう。
 配給量に創意工夫を生かして、銃後の生活戦線を固めよう。そして、なしとげたわれら一人一人の耐乏生活の成果を、今日から街の話題に提供してゆかうではないか。
(岐阜県 民岡生)

生活の戦力化

 われ/\の生活には物の消費が多い。物の消費即戦力の食ひ潰しである。これを思へば、当然配給物資のみの生活を確立しなければならない。
 如何にすれば配給だけの生活が実行できるか。それは意志と訓練である。何の改善工夫もなく、十年一日の如く惰性のまゝに暮してゐるのが、われ/\の生活の姿ではあるまいか。今以て節約の何たるかを解せず、何のための配給統制かをわきまへず、戦争を他人事のやうに思つてゐる人はないだらうか。
 銃後一億国民は、今こそ困苦欠乏に堪へる猛訓練を積み、生活を戦力化し、この大みいくさい勝ち抜かねばならぬ。
(静岡県 吉田)

389(1944・4・5)

これでよいのか

 予告なしの敵襲に備へ、先月帝都に予告なしの防空訓練が二日間に亘り、実践さながらに行はれた。その講評にもある通り、都民の多くは不意をうたれて随分まごついたらしい。率直にいつて、警報が発令になつたその時、その場で、心おきなく防空活動に従事できる状態にあつた者はほんの一部分であつたらう。殊に真夜中、空襲警報発令下で、完全に防空服装ができた者は果して幾人あつたらう。正直にいつて、自分の家族もすつかり落第してしまつた。
 こんな始末ではと、訓練の解除されたその夜、防空服の着装訓練をやり直してみて、常日頃の用意がいかに無責任なものか、戦争に体する覚悟のいかに甘いものであるかをしみ/"\感じた。
 訓練の都度、灯管が悪いとか、街の防空服装ができてゐないと注意される。一体こんなことでいゝのだらうか。或る新聞なども、防空服装でない方はお断りといふ貼紙を出した食堂に対し、それが珍風景であると心外な言辞を弄してゐた。真剣でないわれ/\の姿がこゝにもあるのだ。
 今日の戦争生活に対する不平不満を愚痴る前に、われ/\のなさなければならぬ責務をもう一度反省し、お互に銃後の守りを固めようではないか。
(京橋 松井生)

たゞ勝つことのみを

 この大戦下、国民のとるべき態度、覚悟はたゞ一つしかない。それは何か、たゞ勝つことだ。どうすれば勝つことが出来るか、それ以外に考へ行ふことは何物もない。
 一喜一憂といふ言葉があるが、さういふ心持すら持つてはならぬ。憂ふべきことがあるとすれば、どうすれば勝つことが出来るか、己の行為、態度を反省するときにだけ、それ以外に毫も考ふべきことではない。
 今日の三十代以下の青少年婦女子の中には、勝つことの信念は溢れてゐるけれども、憂ふべき考へなどみじんもない。年輩の人は篤と考へ、この際、戦争遂行のあらゆる面に後(おく)れをとつてはならぬと思ふ。
(花木三吉)

390(1944・4・12)

女性に告ぐ

 近頃、女性の防空服装が身についてきたことは真に喜ばしいことですが、履きちがへてゐるのではないかと思はれる、いはゆるアチラ式のダブ/\ズボンを真似たアチラ気取のズボン姿が多くなつたやうです。
 男子はズボンでもゲートルをつけてゐます。女性はせめてズボンの裾をきりりとくゝりしめたいものです。それでこそ昔からの大和撫子の凛々しさ、美しさが生れてくると思ひます。
いざといふ秋の防空服装が、モダンとか流行であつては戦争に勝てません。ズボンをくゝると同時に、ベニオシロイも捨てて、しつかりした身なりで働きませう。
(横浜市 神谷いさ子)

街に拾ふ

 近頃、都電の乗務員の仕事ぶりは、一人でも多くの客を乗せてゆくのでなく、客に逃げてゆかうとする節が目立つてきた。
 或る駅では、幾つもある改札口を、早朝のためか一つしか開かず、客にずらり列をつくらせて、それが当り前のやうな執務ぶりであつた。また殺到する荷物を処理する係員も、たゞ荷物に追つかけられ放しで、一向にその任務と取組んでゆくといふ気概がみえなかつた。
 あらゆるところに、戦争下だからといふわれ/\の横着な怠慢がある。今日、普通に働いてゐたんでは何事も解決されないのだ。われ/\は百歩踏みこみ、敵ベイエイに当る戦意を各々の職務に燃やし続けねばならない。
(東京都 大樹生)

係より---三月中、通風塔への投書数は約二百通で、そのうち掲載したのは十二通でありました。
 発表できなかつた分は、関係各方面へ配布し、参考に供してゐますから御了承下さい。
 なほ、建設的な御意見をなるべくハガキで、情報局週報課通風塔宛、ふるつて御寄稿下さい。

391(1944・4・19)

桜に寄せる

 君のため何か惜まん若桜と詠つて、真珠湾に散つた軍神の魂を偲ばせて、また今年も九段の御社の庭に桜がふくいくと咲き匂つてゐる。
 桜の花を見るたびに、私は嘗てワシントンに偉観を誇つて桜を連想する。しかしヤンキイ共は、この戦ひを仕掛けると同時に、この桜並木を叩つ伐つてしまつた。この行為が、奴等の徹底した敵愾心の現はれではないか。
 それにひきかへ、われ/\の銃後生活はどうであらうか。今日においてさへ、横文字ばかりの薬品だの化粧品がのさばつてゐる。これは卑近な例にすぎないが、これに類したベイエイ思想の残滓のいかに多いことか。
 われ/\は、箸の上げ下げにも敵愾心をたぎらせ、徹底した日本精神に還らねばならない。同胞よ、胸に手を当てて桜の花を仰ぎ見よ!
(大和国士)

滅私といふこと

 ほんたうに「私」の真意義を掴んでゐる人は、必ず真の「公」の道を歩ける人だと信ずる。「私はどうでもよい」と平気でいつてゐる人の「滅私」精神は疑はしい。
 弟の海軍合同葬のとき、鎮守府の人事部長から
 「兵隊さんは戦死したが、これ
 をもつて海軍と縁が切れたと
 思つてはならない。今後一家
 にどんなことがあつても、軍
 として出来る限り如何様に
 も骨を折るから相談していた
 だきたい。
 こんな意味のことを語られたが、今さらのやうにそれを思ひ合せ てみるのである。海軍と縁が切れたと思ふな・・・あゝその一句のありがたさ!
(埼玉県 高橋郁)

愛煙家の不行儀

 近頃、会議の席上などで、コーヒー茶碗などに灰を落としてゐる喫煙家をよくみる。また食堂にゆくと食べ残りの物にすひさしや灰が混つた汚ならしい皿をよく見受ける。
 灰皿がないから間に合せたといへば、それまでだが、煙草のみの不行儀として非難しないわけにはゆかない。
 男子の便所のあさがほの中に煙草の吸殻を捨てると、流下穴がつまつて故障を起すじことぐらゐは、もう常識となつてゐるのに、まだ捨てるものがある。喫煙家が戦力を殺ぐのは、ひとりその不注意によつて捨てた吸殻から火災を惹き起すことばかりではない。
(東京都 由河生)

次号は「戦時農園の手引」特輯の予定です

392(1944・4・26)
393(1944・5・3)

これでよいか

 ついにこの前行はれた防空訓練に、私も一女学生ではありますが、父と一緒に参加いたしました。そのとき近所の小母さん達が話してゐられたのに、
 「空襲はいつ来るのでせうか」「政府では今年こそ、今年こそ来るで毎年来ない」とか言つてゐます。
 どこに「何月何日の何時頃いくから」と断はつて来る敵がありませうか。
 また注水等でも笑ひながら、面白半分にしてゐる方も多数みられ、他の人が熱心にしてゐるのに対して、雪と泥との差があります。こんな事でどうして防空訓練をしてゐるといへませうか。訓練だからとか、今度も来ないだらうとか、来ぬを頼みにするやうで、どうして日本女性の強さ、雄々しさを表はしてゐるといへませう。
 もつと/\女性の方は、国家の非常に際して、自覚して戴きたいと思ひます。そして女学生の方もどし/\防空訓練に出て国土の空を、尊い空を護らうではありませんか。
(西条市 一女学生)

394(1944・5・10)

友達諸君に訴ふ!

 小生は片田舎の一中学五年生で、一週間諸君の働いてゐる○○製作所で建設作業に奉仕させて貰つた。その間、小生等は諸君等と共に朝に夕に汽車で通つたものだ。軍需工場へ!といふので小生等の張り切り方は非常なものであつた。
 しかるに第一日目で小生等のその張り切つた心持が激しい憤激に一変したのである。それは戦力増産の第一線をうけたまはる諸君等の一部の者の、余りにも腑甲斐ない態度を目のあたりに見せつけられたからである。執務中でも煙草を悠々とふかしたり、睹るに堪へぬふざけを女工員等に仕掛けたり、下卑な歌謡に打ち興じたりする。小生等はそんな場面にぶつかると眼を閉じた。
 諸君!諸君の中にさういふ者がもしもゐたらいつてくれ、「君等はいつまでさうしてゐるか!」と
(熊本県 坂田)

395(1944・5・17)

古賀提督に続け

 昭和十八年五月二十一日、山本提督の戦死が発表されてより約一年後の今日、第二の我等が司令長官、古賀峯一大将殉職の悲報が発表された。一億国民の復仇の信念は火と燃え上つた。今こそ我等は一致団結して仇敵米英撃ちてしやまむの闘魂もつて精進せねばならぬ。徒らに暖衣飽食を貪つてゐる時ではない。虚栄心を捨て、心眼を大きく開いて、突き進むべきである。そして我等は、山本、古賀両提督を始め、幾多の英霊の前に決死決戦を決意しようではないか。
(東京都本所区 向井正男)

悲報に思ふ

 古賀司令長官殉職せらる!痛恨の極みである。緒戦のはなばなしい勝利のあとをつがれ、雄渾な作戦をなさんにも、われ/\の航空機補給の生産能率これに伴はず等の諸態勢に掣肘せられ、血涙を呑み唇をかみしめての忍苦、守勢の局にあたられし御辛苦の如何ばかりだつたかを思ふとき、まことに申訳なく思ふ。
 航空機増産の刻下焦眉の急にこたへての、われ/\の努力が正しく米英撃滅の軌道にのつてゐなかつたのではなかつたかを思ひ、直接つくる者の責任を深く感じると共に、われ/\を率ゐてゆく諸幹部の至誠奉公の熱意に、一点反省するところなきかを思ふのである。
 責任を果し得ず腹を切る位は極端にいへば簡単である。が、しかしその責任を果し得ないまでにいたつたことによつて、祖国をして打つべき作戦の手を打ち得させない場合を仮りにも生じさせたといふことであつてみれば、一死を以てつぐなひ得ないものがあらう。生産責任者、生産担当者の刻下の戦局における責任は無限大である。その責任の重大なるを痛感されるとき、祈りの心が生れてくるではなからうか。
(名古屋市観音町 村井達生)

訂正 週報390号(四月十二日)十頁「海員養成所一覧表」中、第一短期高等海員養成所の卒業後の恩典のうち、(兵曹長)とあるは(上等兵曹)の誤りにつき訂正します。

396(1944・5・24)

大和撫子の心にかへれ

 近頃、あらゆる職場に女性の進出が目覚ましく、決戦下まことに喜ばしい。しかしこれ等諸嬢の中には親切心がないのか、高慢になつたのか、または仕事がいそがしくて気が立つてゐるのか、いはゆる無親切風景がところ/"\に見られる。
 某駅の急行券出札窓口で、紳士が切符の有無を尋ねたら、「今頃来ても無駄ですよ」と剣もほろゝのご挨拶、側にゐた二人連の少女が顔を見合せて、「あの女(ひと)ずゐぶん意地悪ね」となんの作意もなく非難の声をあげた。これを聞いた窓口嬢の見幕はもの凄いばかりで、二人の少女は遂に用件を切り出せないで帰つていつた。
 どうしても気の立ち勝ちな戦争下、女性までがかくなつては正しく明るく戦ひ抜けるであらうか。ねがはくば挺身女性よ、真の大和撫子の心にかへり、明るく親切にどこまでもやつて下さい。
(舞鶴 一市民寄)

お店の方々へ

 その昔「ウチハや日メクリ」を顧客に贈つて、「ドウカ私ノ店デ」と願つてゐた人があります。
 ところで私の家族は、毎日昼は造船所に、工場に、各々産業戦士として働きに出るため、夜間買物にゆかねばならない場合が多くなり勝ちですが、近頃「内は昼だけで夜間まで商売はしませんよとか、そんな物はありませんわ」と、店にも出ず錻力(ブリキ)で鼻を拭いたやうな冷淡な応答ぶりをしば/\味はされます。
 昔のやうに、ウチハや日メクリは呉れないでもよいから、ベイエイに勝ち抜くために、もつと/\産業戦士や一般人に便宜をはかつてほしいものです。
(三重 山本生)

397(1944・5・31)

増産と国民道徳

 折角苦心惨憺して作つたものを盗られてしまふ場合の失望落胆は言葉には表はせません。粒々辛苦の果実を漸く採取しようといふとき、奪ひ去られるといふことは、泣くに泣かれぬといふが、それ以上です。
 殊に今日では荒地や砂地や堤を汗と膏で畠にした所が多く、とても目がとゞきません。
 ですから、この際一般国民の間に他人の畠を絶対に荒さぬといふ心構へをもたせて戴かなくてはなりません。
 お互に畠を尊重し合ひ、作物を愛護し合ひ、苟も他人の作つたものは一籠といへども、これに手をふれぬことです。
 作つてはとられ、作つてはとられるのでは、結局作るよりもとる方が早道だといふ結果になります。
 全くこれは直前の重大な問題ですから、速かに各機関を動員して対策を講じていたゞきたいと存じます。
 また折角播きつけた所を、心ない人や子供達に荒され踏みつけられるとこです。これも是非時局下増産総進軍の秋、子供であらうとも注意せねばならないことと思ひます。
 各国民学校家庭保護者を通じ、かやうなことなきやう、篤と全児童に伝達していたゞきたいと存じます。
 以上申述べたところは、私一人の声でなく、全生産者の声です。増産の敵は害虫でも風水害でも何でもありません。
 かやうなわれ/\の身内の敵が一番恐ろしいものです。われわれの衷情をお汲み下され、ぜひ適当の御方策をおとり下さるやう幾重にもお願ひ申上げます。
(前橋市 長屋高清)

困つた犬猫

 心なき犬猫が、折角耕し、種を播いた直後を、ときには芽を擡げ始めたその上を悠々と闊歩したり、糞をするために、ひどく引掻きまはされて、全くやりばのないくらゐ残念な目を味ははされます。
 可愛い犬であり、猫であるなら、他人からも可愛い犬であり猫であるやう、もう少し面倒をみるわけにはいかないものでせうか。
(東京都 丘村)
 
398(1944・6・7)

自炊する男さへある

 日本人一億のうち五千万は女子だ。まだ職のないものは、直ちに工場へ入つて下さい。家事だけで忙しいといふのは利己主義だ。工場、会社に勤めつゝ自炊してゐる男子もあるのだ。家に安閑として、つまらぬ饒舌に過してゐるのは、伝統の家族主義の美風に反する。男子は戦場へ征くのが。女子も兵として第一線に立つ心組で工場にゆけ。聖戦必勝への努力に、女子も男子と変りあるはずがあらうか。
(航空機工場の若人)

断髪令を布け

 戦局の苛烈さを思ふとき、男子に対する断髪令の実施が痛感される。前線において果して髪の手入れなどをしながら作戦に従事し得るであらうか。「内地も戦場」とは只の標語であつてはならない。政府は本年、国民に昨年の倍以上もヒマの栽培を奨励してゐるが、このヒマからとれる油は全部航空機用として使用さるべきは勿論である。一部といへども調髪用などにしてゐる秋ではない。物量戦においては、すこしでも多くの物資を前線に送り届けるのが銃後我等の任務だ。政府は一日も速く断髪令を公布せよ。
(憂国生)

399(1944・6・14)

うれしい風景

 兵営に通じる街はづれの坂は、今日のやうな雨の日は頗る滑るのである。
 俵を満載した荷馬車は途中まで登つて、たうとうと歩を止めてしまつた。馬の吐く息は白く荒れてゐる。
 馬方は、よく見れば意外にも二十歳位の女であつた。その顔には当惑の色が現はれ、今にも泣き出しさうな表情である。
 折から演習帰りの四十名ほどの兵隊が軍歌も勇ましく登つてきた。引率する若い伍長は、気転の処置をとつて、荷馬車を無事坂の上まで押し上げた。
 そして、感謝する女馬子に軽く敬礼して、再び軍歌を歌ひながら行進を続け去つた。
 私は自分のひいてゐるリヤカーの重みを忘れ、喜びに胸をどらせ、心からうれしかつた。と同時に、日頃の自分を反省して恥かしく思つた。
(東京 池田)

400(1944・6・21)

祈祷と迷信

 この間、親友が戦死し、その葬ひの世話をするため、故郷に帰るべく東部電車に乗つたところ、いつもならちらりほらししか乗降客のない川俣駅(群馬県)が上を下への大混雑をしてゐる。どうしたわけだらうと不審に思つてゐると、乗客同士が
 「たいへんな盛り方だね」
 「けふは寅の日だからなんでせう。この間なんかも駅で困つてしまつて、駅長以下声をからして整理に汗ダクだつたですよ」
 「さうですか、祈祷料はいくら位なんです」
 「思召しだつていひますが、とても儲かるさうですね」
と、こんなことを話合つてゐる。どうもこれらの話を綜合してみると、こゝにある寺か社で何か祈祷があるに違ひなく、この揉み合つてゐる乗降客の大部分は、この祈祷を受けにゆく人であることだけは想像がついた。
 ところで、いよ/\故郷に帰ると、戦死した友人の宅で、この川俣の祈祷の話が出た。しかも親友の親達も、この祈祷を受けにいつたが、その效顕がなかつたといふことも分つた。
 祈祷の内容は、出征者の着物を七つに折つて、これを○○様にもつていつて拝んで貰ふと戦死をしないといふので、地元の群馬県はもとより、お隣の埼玉、栃木、茨城、或ひは福島県あたりぁらも受祈祷者が着物をもつて押寄せ、特に寅の日は「虎は千里を行つて千里を帰る」といふ迷信から特に流行るのだといふ。
 さて、この問題についてだが、もちろん小生は、夫や、可愛い息子の武運長久を祈ることがいけないと言はうといふのではない。たゞ、かうした一種迷信的なことで大事な輸送力がそがれ、農繁期の大事な時が潰されることを思ひ、同時に人心の弱みにつけ込んで、一時鳴りを静めてゐた淫祠邪教の類がまた/\跋扈することを恐れるのである。
 至誠神に通ずといふこともあれば、真心をもつて祈れば、出征者の武運長久の祈願は最寄の氏神様で十分ではないかと思ふのである。
(栃木 憂国生)

401・402(1944・7・5)

携帯用急救箱の内容

 空襲必至の情勢下、万一の時を考へて、急救用の衛生材料を入れた救急箱か携帯鞄を用意しておかねばならないことは、もう常識です、問題はその内容です。人によつては、あれも入れておけ、これも入れておけといひますが、いつたいどの程度のものを入れておけばよいのでせうか、分り易く答へて下さい。
(東京 無智生)

答 慾を言へば限りがなく、出来れば次ぎのやうなものを揃へたいのですが、今ではなか/\手に入りませんから、ないものは代替品で間に合はせるやうに工夫して下さい。
絆創膏、ヨードチンキ又はマーキュロ、懐中電灯、癒創液(キンカン液)、火傷のときにぬる油、筆、ほうたい、三角巾、傷薬、脱脂綿、ガーゼ、ピンセット、ナイフ、はさみ、止血帯


403・404(1944・7・19)

405(1944・7・26)

土地なき農園生の希望

(問) 東京都内に家庭農園、或ひは隣組農園、また団体の共同耕作向きの土地を貸す施設はないものでせうか。
(東京都 農園生)

(答) 団体で都内に土地を求めるやうなときは東京都空地利用協会(省線有楽町駅下車・都庁経済局農務課内)が無料で土地の貸与をし、また種苗のお世話等を行つてゐます。直接お出でになつて(なるべく午前中)ご相談になれば、適当な土地を斡旋してくれます。
 また短期間の練成のため、都で戦時錬成農場を開いて、百坪ぐらゐづゝ区切つて無料で貸してゐます。これは現在、板橋区上板橋七丁目(東上線上板橋駅下車)と世田谷駒沢旧ゴルフ場内(玉電駒沢駅下車)の二ヶ所に開設し、すでに割当を終つてゐますが、他にも同様開設の準備を進めてゐますから、ご希望の方は最寄の錬成農場事務所に、団体で申込んで下されば、順次お貸しできることになると思ひます。
(回答 東京都)

情報局移転先お知らせ
麹町区霞ヶ関一ノ二内務省四・五階
電話(臨時)銀座(57)五、六一一番(内
務省交換台)
 週報課直通 銀座(57)九五二番

406(1944・8・2)
407(1944・8・9)
408(1944・8・16)

不平は起り得ない

 去る六月中頃、夫出征後、生後五ヶ月の赤ん坊を抱へ健気に職業補導所のお世話で働いて自活してゐる次男の嫁から、一通の手紙と一箇の小包が到着しました。手紙の中には
 『この手紙と一緒にミカン
 の罐詰をお送りします。主人
 の写真の前に一ヶ月置いて眺
 めてをりましたが、これを一
 人でいたゞくにはあまり勿体
 なくて手が出ません。お父様、
 お母様、和子様、お三人にて
 召上り下されば、罐詰も本望と
 思ひます』
 キャベツ二、三枚、葱二、三本づゝの配給と聞く東京生活は、真実かと疑ふほどですが、その中で懇意な人から贈られたと察せられるミカンの罐詰は実に貴い。惜しくて人にはやれぬといふのが人情であるのに、勿体なくて自分の手が出ない、どうぞ召上つて下さいとは、受けた私等にも勿体なさ過ぎる。
 物質は本来無心だが、用ひる人の情は物に溢れるものです。この有難い心のあるところに、不平は起り得ません。
(長野県 金井生)

409(1944・8・23)

職域再配置の断行

 決戦様相の深刻化せる今日、即刻合理的な職域の再配置を断行されんことを望みます。
 一例を申すと、私の村からはる/"\東京の鉄工所へいつてゐる青年があります。勤労動員署の命令で仕方なくいつた者です。近くに海軍工廠や火薬廠等があり、いづれも人手不足に困つてゐるといふのに、余りに不合理ではありませんか。かういふために起る運輸上、金銭上の無駄は大変なものだと思ひます。一方、友人は毎日、片道二時間の道を自転車で職場へ通つてをります。
 労務資源の逼迫が切実に叫ばれてゐる今日、こんな矛盾がざらにある現状を、当局は百も御承知のことと思ひます。職域再配置の断行あるのみ。
(荒賀八十二)

410(1944・8・30)

訓へられた

 あさり採りや、買出し部隊の
帰りもまじつて、ある日の千葉
線は非常な雑踏であつた。電車
の扉が開くと同時に雪崩込む乗
客。われ先にと座席に駈け寄る
光景は、写真週報の「覆面文芸」
の題材にもなりさうな場面だ。
 逸早く走り込んだ一人の娘が
あつたが、続いて入つた或る男
が腰を下さうとする瞬間、「こゝ
には来る人がありますよ」とい
つて座席に手を拡げてそれを阻
んだ。ところがその男は「来る
来ないが何だ」といつて座り込
んでしまつた。なる程その後か
ら同じやうな二人の娘がやつて
来たが、その気配をみて取るつて
「ふゝん、いゝさ」と頬をふくらま
せた。見てゐた私もその男の傲
然さに同情できなかつたが、暫
くして子を背負つた中年の女が
その男の前に立つたとき、何の
躊躇もなく「さあ、どうぞ」とい
つて、あつさり自分の席を譲つ
た。私はてれ臭さうな娘三人を
改めて見直したのだつた。
(東京本所・星)

二国の名称返上

 二国の念願が叶つて、今や堂々
第一線の醜の御楯として多数活
躍中であるが、今更ながらに
「みたみわれ」の感激を新たにす
るものである。
 この際、二国などといふ名称
は断然やめて戴きたい。第二の
国民兵とは余りに情ない。「二国
でも応召する」といふよりも、
「補充兵だから、予備兵だから
応召するのは当然だ」といふ観
念に切りかへて、第二予備兵と
か、第三補充兵と早急に改めて
貰ひたいものです。
(岐阜県加茂郡蜂屋村・振井生)

411(1944・9・6)

国敗れて何の学徒

 今回、中等学校低学年及び国
民学校高等科児童までが動員さ
れることになつた。
 それは戦局がいかに重大であ
るかを物語つてゐると同時に、
生産増強が急を要することを証
して余りがある。
 ところが、生産戦場での古強
者である勤労青年の一部が、定
時、勤務時間の一部を割いて夜
学に通つてゐるのは、昼間、学
徒がペンを捨てて勤労に挺身し
て来たのとは全く相反する現象
ではないか。
 彼等はもと/\勤労を本分と
してゐた者で、その技術も熟
練してゐるのに、その実力を百
パーセント発揮せずにゐるの
は、今日、実に惜しいことだ。
 かの伊能忠敬は、家のため好
きな学問に志すのが遅れたが、
われ/\勤労学徒は国家のため
に学を遅らすのを潔しとせねば
ならぬ。
 国敗れて何の学徒か。実にわ
れわれこそ生産日本を背負つて
立つてゐることを自覚せねばな
らない。
 夜間学生をも勤労動員するこ
とを文部省に提言する。
(京都市中京区 中北正一)

職場の女性へ

 私は某軍需工場に勤めてゐる
一女性です。女子の職場への進
出が著るしくなり、生産へ励む
ことは、戦ふ国の女性の義務で
あり、これこそ決戦下の女性の
姿だと信じます。
 ところが、彼女達の姿を見る
に、職場の空気によつて服装が
競争的に派手になり、厚い化粧
に身をやつすといつた有様で
す。これが職場で戦ふ日本女性
の姿かと残念に思ひます。かう
いつた傾向はあながち私達の工
場だけではないやうです。
 かうした服装のせいもありま
せうか、心のしまりも自然にゆ
るみ勝ちで、おしやべりが非常
に多く、防諜上、はッと思ふや
うなことも平気で口にしてゐる
者が相当あります。
 私達職場の女性は、この際、い
ま一段と職場での真剣味を発揮
し、働く意義をもう一度考へ直
してみたいものだと思ひます。
(京都府 一女性)

412(1944・9・13)

子供は国の宝

 朝晩の電車、自動車の混むと
きに、大した用もなく乗るとい
ふことは、いけないといはれな
くとも、常識として誰でも知つ
てゐることなのですが、どうし
て実行されないのでせう。
 去る十六日午後七時頃、親戚
の小父さんが横浜駅内で、つぶ
されさうになつた子供を助ける
ため、自分が押されて肋骨にひびが入り、それでも痛さをこらへて逗子駅まで帰つたさうですが、十時頃やつと迎へのリヤカーに乗り家まで帰りました。
 ところが、それがもとで十八日の朝亡くなりました。今年六十九歳、永年工場で働いてきたもので、いくらかでもお役にたてばと、一生懸命でしたのに、お気の毒なことをしました。
 世の中のお母さんお父さんはもうすこし時局を認識して、混雑する所へは絶対に子供さんをつれて出ないやうにして下さい。可愛い子供さんは御国の宝です。そして平気増産に励む方たちに迷惑にならないやうに気をつけませう。
(横浜・下谷本町 飯田静江)

現場に即して

 事務の簡素化が叫ばれて、事務員を減少したことはいゝが、事務の処理法、整理法、手続法については、まだ旧来のまゝであり、ます/\繁忙を加へるばかりである。
 事務員が減つたのにまだ廻りくどいことをやらねばならない規則を定めておくことは、実際の仕事にブレーキをかけるばかりだから、事務上の手続を最高度まで簡単にして、実際の仕事に支障なく一刻も早く能率をあげるやうな改正規則にして貰ひたい。
 計画をする者は、すべて現地および現場を調査しての上、時機を逸しないやうな計画を決定されたい。
(宮城県塩釜 軍司新一)

413(1944・9・20)

葉書の表面利用

 私は最近諸事情から、官製葉書の表面をも通信欄に利用できる途を開かれんことを当局に提唱する。
 葉書の下方半分または三分の一を利用することによつて、今まで封書または封緘葉書を利用してゐたもののかなりの部分が、葉書で用が足りることになる。諸用紙の節約、郵便事務の輻輳緩和に併せて検閲の手数省略等となれば、正に一石三鳥ともいふべきであらう。
 なほこの際、上長に対し葉書にて挨拶または用件を済ますことを失礼なりとするが如き従来の観念をやめて、秘密を要する事項のほかは努めて葉書によるといふ運動を提唱すべきであらう。
(門司市畑田 新田生)

参考書類に飢ゆ

 今日、書店をのぞくと、未だ相当数のくだらない小説がある。それに反して、われ/\学生の望む参考書類は少しも顔を見せない。一体どうしたことでせうか。
 発行日を見ても、それらの小説は昭和十九年であるのに、参考書類は全く発行されてゐない。参考書のないのを淋しく思ふ学生は自分だけではなく、全国には同感の士がずゐぶん多いことと信じます。戦時下、不必要と思はれる小説は極力制限して、必要な参考書がもつと店頭に出るやう配慮して下さい。
(一中学生)

夜学生の立場

 週報第四一一号の通風塔「国敗れて何の学徒」について夜間学徒の立場から提言する。
 夜間学生を勤労動員せよといふ中北氏の提言は、一応、尤もなお言葉である。われ/\学徒も勤労動員に対し自覚するところ大なるものがあり、工場側の意見に副つてゐることをはつきり知つていたゞきたい。
 最近、夜間学徒の中には、欠課してゐる者が相当多く、その原因はすべて工場側の残業に従事し、なほ余れる寸暇をもつて学校に来るのであつて、放課前、一時間前頃に汗を流して登校する者も少くない。これ等の者が夕飯を犠牲にして職場に励み、学業にいそしむ姿こそ全く涙ぐましいものがある。
 たゞ夜間学徒のうち徴用のないのをいゝ幸ひにして、遊んでゐる者が相当あることを見逃してはならない。これ等は徹底的に取締るべきだ。われ/\は昼間の勤労時間等を照合して、学校の始業時間を遅らし、また授業時間も短縮した。われ/\はいま三十分を一時間とし、正味二時間勉強するのである。そして家に帰り、ほんたうに自分の身体になつて床に就くのは早くて十二時である。
 われ/\は勤労動員のため、始業時間を九時にしようと十時にしようと、あくまで寸暇を惜しんで学校にゆきたい。われ/\は三十分でも一時間でも、恩師と学友の顔さへ見れば元気が湧いて来る。昼間の勤労動員をいゝ名目にして、学校をずる欠席し、安易な娯楽に興ずるものもあるさうである。かういふ学生も徹底的に取締るべきだ。
(東京都西巣鴨 古川)

414(1944・9・27)

模型機製作上の創意

 模型機の設計図は非常に不備なものが多い。子供はこの設計図の上に、たゞ材料をのせて製作するだけである。
 このやうなことでは、製作の技術は進歩したとしても、製図を見る目が肥えては来ない。そこで教育者は、子供に製作の仕方を教へる傍ら、製図の見方など教へられては如何。また模型機材料を製造するところでは、設計図に縮尺を入れ、寸法や文字の記入も正確なものを作り、皇国少年の科学する心をいやが上にも増長させたい。
(長野市 一科学人)

ヒマ作りの精神

 「配給された。仕方なしに植付しよう」などといつて、垣の下草などと一緒に植付し、ロクな手入れもせず、秋になつて収穫したヒマを供出して下さいといふと「どうもヒマが巧く育ちませんで」などと逃げてゐる非国民的人間も少くない。
 今日これほど大切なヒマをなぜ大切に育てないのだらうか。巧く育たないのは、育てないからであつて、まづ精神の問題だと思う。白刃を振つて敵地に躍り込むだけが日本精神なのではない。撃滅の闘志に燃えてヒマ作りに精進するならば、これも立派な日本精神の具現化だ。全国民よ、精神を打込んだヒマを作り、人に負けない供出を期さうではないか。
(東北 岸里造次)

415(1944・10・4)

勝てる姿か

 総武線で○○作業場へ通勤する者だが、毎朝列車内に幾多の闇行商部隊が乗り込んでゐる。都の食糧不足につけこんで何十倍の闇値で売り込む彼等の仲間の中には、若い男、若い女が余りに多いことと、腐敗品の多いのに慄然とする。
 前日獲つた生魚を冷凍せず、そのまゝ風呂敷に包み、プーンと悪臭を放つてゐる品でも平気で売りつける彼等の亡国行為をなぜ当局は黙つてゐるのか。ユダヤ化せる彼等の行為を一刻も早く抹殺すべきだ。
(銚子市飯沼区新生 出口林太郎)

皆勤章の制定

 各工場・事業場に生産戦士として奮闘してをられる方の胸間に逓信隊員、応徴士の徽章が輝いてゐますが、さらに一層生産を増強する一法として、期間中皆勤した者に、厚生省あたりから皆勤章を贈るやうにでもなつたら青少年はどんなに張り切るか分りません。当局のご一考を願ひます。
(兵庫 一青年)

適性適職の実践

 露を踏んで家を出、星を仰いでわが家に急ぐ自分は、栄えある学徒勤労報国隊の一員として某工場に敢闘してゐる者だ。今日もまた材木運びだつた。明日だらう。これも勝つためなのだから死んでも頑張るつもりだ。
 しかしながら、毎日往復一時間半もかゝる分工場へ弁当運びだけは許して貰ひたい。それも学徒の分だけならばまだしも、社外工のものまでも運ばねばならず、つい「まるで弁当運びに出勤してゐるやうだね」と愚痴が出る。また、できることなら材木運びよりも自分たちの自信のもてるやうな職場に廻して貰へないものだらうか。
 自分たちは工業学校機械科学徒であるから、自分の有する腕で、量はよし少くても、精巧な兵器でも根限り造つたみたい。
(和歌山市 伏虎呑龍生)

指揮者の資格

 「うちの娘の嫁入りはモンペでやりますよ」といふ○○指導者の言に、流石は指導者だけあると感心し合つた。ところが、いざ当日となると、モンペはモンペでも羽二重のピカ/\した晴衣裳だつたのには度肝を抜かれた。今までの尊敬心は一時に吹つ飛んでしまつた。今日ほんたうに要望されてゐるのは言行一致の指導者である。
(浜松市相生町 高野)

416(1944・10・11)

職場は楽し

 徴用の命令を受けた。ときには、私のやうな弱い身体のものが、果してお役が勤まるだらうかと非常な不安を感じました。
 入社して一ヶ月間の訓練を終へ、他の工員と共に働いてみて、今までの自分の考へは、全然間違つてゐたことがはつきり分り、恥ぢ入つてゐます。
 応徴前までは、自家で気まゝ勝手な不規則生活をしてゐましたが、工場へ入つてみると極めて正しい生活となり、身体の調子も大変よくなりました。朝の早起き、元気のよい体操は私を健康にしてくれました。
 力がいるだらうと考へられてゐた工場の仕事も予想外で、立派に御奉公できる自信を得ました。
 職場では、係長はじめ熟練工や一少年工に至るまで涙の出るほど親切にしてくれます。「君はまだ何も知らないのだから」と言つて、自分の仕事を一生懸命で片づけて私達の方を手伝つてくれます。「初めの中は馴れないから、よく気をつけて怪我をしないやうに」と係長さんはたびたび温かい言葉をかけてくれます。工場の熟練工とか職長は、いつも口やかましく使ふものだと聞かされてゐたので、全く意外でした。
 応徴前までは一人でこつ/\と仕事をしてゐたので、鬱々とした日もありましたが、新職場では、大勢の工員が気合をかえ合つて働くので、仕事にも張合ができ、徴用といふ国家の命令を受けてゐる自分を誇りがましく感ずるやうになりました。応徴の名にかけて、きつと立派な兵器を増産します。
(西条市大町北之町 伊藤隆雄)

我が家の家訓

一、今日唯今不平を言はず
一、今日唯今妄想せず
一、今日唯今正しく生きぬく
 私ども日本人同士で、非難し合つたり、不平を漏らし合つたりすることが余りに多いではないでせうか。これを聞いて一番喜ぶのはもちろん米英でせう。私どもは不平をいひ、他を非難する前に自分自身を反省しませう。日常生活から非決戦的な姿を、まづお互いが取り除かないで、どうして決戦に勝てませう。
(静岡県新居町 疋田高太郎)

現場に生活相談所を

 この大工場に応徴して、つく/"\感じたことがある。それは小工場のやうに社長の顔を見ることも殆んどなく、つまり事務所と現場が別々の活動をしてゐることである。家庭的の温かみなど全く欠けてゐる。仕事の上の指導は、伍長や組長がみてくれるが、生活方面の面倒はみてくれる者がいない。
 欠勤すると組長は叱る、仕事
の段取りが狂つたといふ。責める
ことだけが厳しくて、一歩進め
てなぜ休んだかといふ思ひやり
的な言葉は全く聞かない。私の
見るところでは、組長や伍長に
このことを要求するのは無理と
思ふ。平和産業で生活して来た
人間と、永い間工場の雰囲気に
馴れ切つた組長では、考へ方
も、見方も、相距たるものがあ
るのは当然だと思ふ。
 そこで私は徴用援護会の工場
進出をお願ひしたい。そして親
身になつて応徴者の身の上相談
に当つて貰ひたいのです。田舎
出の応徴者が問題がある度に労
務課や賃金掛や、広い事務所内
をおそる/\歩き廻り、貴重な
時間と感情をぺしやんこにしな
いやうにして下さい。すべての
不平不満、非能率はこゝから生
れるのです。どうか援護会の進
出によつて、労務課との連絡を
よくし、工員の味方ともなり、
激励者ともなつて欲しいので
す。
 私どもは工場、会社自体の雇
人でもなく、政府のもろ/\の有
難い施策が、ぢかに私どもに下
達され、また私どもの問題が上
通できるやうな機関に本当に飢
ゑてゐるのです。不安のない中
の労働が、能率を倍加させる位
のことは朝飯前です。
(兵庫県尼崎市・荒屋増三)

百姓の願ひ

 次の事項をご研究願ひま
す。
一、馬鈴薯を停車場へ出すの
に、馬車馬はたらず。手に入
るにしても、馬車代高く農家
は実に困る。
一、馬鈴薯を上中下の三段に分
けて検査をし、本道路まで出
れば、トラックが受けとつて
停車場へ出すやうになれば、
百姓は大喜びです。
(北海道空知・加藤昭助)

集配員の実感

 お互いに勝つ心構へを実践しよ
うではないか、といはれる今
日、葉書の書き方一つを例にと
つてみても、未だしの感や切で
ある。
 毎日手がける葉書は、相も変
らずお互いに健康であることを書
き、季節の暑さ寒さを述べ、さ
やうなら、と結んでゐる。われ
われは、健康と季節の交換役を
勤めさせられてゐるやうなもの
だ。通信文も決戦化すべきだと
思ふ。
(埼玉県北葛飾・後藤生)

417(1944・10・18)

神性を発揮せん

 噫!、大宮、テニヤン両島の
将兵すでにこの世に在らざる
か。一万五千五百の同胞つひに
亡きか。あゝ何等の恨事、何等
の悲痛!
 アッツ島以来幾多の神兵、同
胞が、このやうに玉と砕けし所
以のものは、何の為ぞ。
 吾人禽獣に非ず、須く神性を
発揮し、全力を尽して職場に敢
闘せざるべからず。一分一秒た
りとも無為に過すは不忠、一刻
も速く造るべし、送るべし、飛行
機、船、弾丸を。
(岐阜県 北島芳夫)

均しき温情を

 親と子の別れることの辛さ
は、家族制度のわが国では殊に
深刻なものがある。しかし何
としても勝たねばならないこの戦
争である。空襲下、足手纏ひと
なる学童を疎開させることは、
勝つための最も大事な一つの要
諦である。ところが、こゝに当
局として考へて貰はねばならな
い緊急事がある。縁故疎開児童
と集団疎開児童との取扱ひに関
し、妥当を欠いてゐる憾みがあ
ることである。
 両者はいづれも第二の国民と
して祖国を担ふ大切な宝であ
る。縁故疎開児童の方は当局の
要請に忠実ならうとして個人的
には種々の無理をし、経済的負
担も少からず払つて疎開させて
ゐるのである。とこ
ろが当局の処置は、
とかく集団疎開児童
にのみ厚いやうに受
けとられ勝ちであ
る。当局の善処を
望む。
(東京都 宮川幸之助)

前降り、後乗り

 電車、汽車の前部
を降り口とし、後部
を入口としない限り真ん中には
必ず深いな空きが出来る。「前
降り、後乗り」 この運動を、一列
運動と呼称した運動とするやう
工夫せられたい。
 自動車のやうに一口のもので
は、「右乗り、左降り」に徹せし
めて還通式にせよ。效果てき
と信ず。
(大分市 大山行夫)

生活の中に敵撃滅

 「物が乏しいのが、生活がきび
しいのが、日本人

418-00


418(1944・10・25)
419(1944・11・1)
420(1944・11・8)
421(1944・11・15)
422(1944・11・22)
423(1944・ 11・29)

現員徴用工員にも温かき報いを

 新規徴用工員の補助金引上げを機会に、私たち現員徴用工員に対し生活の温かき報いを考慮せられない当局の処置には欠くところがないか。君國を思ふ心に二つなく、流す汗に二つはない。
 骨をその職場に埋めんと志願して来た工員にも、その生活水準に変りはありません。
 私達の工場では新規徴用工員の方が日給も高い。まづ現実に痛感するのは、現員徴用工員の生活も保証し、温かき報いをしてほし。     (塩釜市 軍司新一)

時の浪費者たち

 この決戦下に今日なほ平然として、買漁り、買占めに、毎日商店街に進出する多くの婦人を見掛けるのは、何とも歎かはしい次第である。
 売切れるとか、無くなるといつて、有益な一日の時間を浪費して長蛇の列に加はつてゐることは慎むべきではないか。必需品であるといつても常に必勝の信念をもつてゐれば安閑として開店一、二時間も前から行列はしてゐられないわけである。 [・・・?]
 女子は家に在つて、留守を守り、家事に、防空に遺漏なきを期し、衣服や廃品の利用更生に工夫をこらし、勤労奉仕等に勇むべきではないか。留守中に生ずる事故は隣組に対する迷惑も一方ならず、ひいては戦力の低下を意味する。
 早朝出勤時、汽車の切符や葉書、洋品店の行列を見ると実に心の暗い思ひをする。
(横浜市・石井秀雄)

権利の観念をやめよう

 石油は戦時下最も貴重な軍需品である。田舎でランプを使用してゐる者が、雑談に夜をふかして、この貴重な石油を浪費してゐる者が多い。空襲下ではその危険性も多大である。この人達は、配給量を使用するのに何の遠慮がいるかといふ観念に基づいてゐるらしい。いはゞ権利と心得てゐるのである。敵米英の自由主義の祟りである。 決戦下の今日では貴重な軍需品は出来るだけ節約することが義務であるに違ひない。この義務観念を強調したい。これは石油に限つた問題ではない。その他の生活必需品に対しても、この義務観念に基づいて生活すれば、多大の軍需品が浮び上つて戦力増強に役立つこと請合である。要するに戦時下では、権利の観念は払拭して義務観念に生くべきものなりと信ずる。
(静岡県・北村不二三)

街路の清掃

 市街の舗装道路に面してゐると、毎日塵芥が風に吹き寄せられ溝道に堆積する量の多いことに気がつく。それは牛馬糞の乾いたもの、土砂芥類を含む夥しい一種の肥料ともいふべきものであるが、一度雨水の流出に遭へば下水道に放流される運命にあるもので、これを菜園に施し、苗作りに利用すれば増産に役立つし街の清掃とともに一石二鳥ではないか。お互いにこの際、街路に眼をそゝぎたい。それは決戦下、市民の床しい心構へであらう。しかしその清掃は主婦や幼児に全責任を負はすべきものではなく、家長、家族挙つて実践し生活の正課とするところに、戦時下とかく粗雑に陥りやすい人心の明朗闊達化が図られるのではなからうか。
(愛知県・三浦清)

424・425(1944・12・8)
426(1944・12・20)