274(1942・1・7)
なし
275(1942・1・14)
感謝の祈念
宣戦の大詔渙発せられ、米英に向つて膺懲の火蓋はきられた。開戦劈頭、世界を震駭した彼の大戦果を見よ。吾人は今更ながら宇内に冠たる皇國に生を享けたる喜びと誇りとを感ずるとともに、第一線に活躍する我らの戦友に対して絶大なる感謝を捧げ、散華した護国の英霊に対し心から冥福を祈らざるを得ないのである。ラジオにかじりつき、戦果の偉大さに感激し、○機自爆、帰還せざるもの○機などのニュースに思はず合唱して瞼に熱きものを感ずる。かゝる時吾人の足の嚮ふところは何処か、社前に額きて戦捷と皇軍の武運長久を祈念するは日本人の心より迸る自然の心情ならずや。二重橋前に額く国民、三々伍々、玉砂利を踏んで祈願をこめる真摯なる態度を見よ。諸君、神に祈らう。そして大いに働かう。 (高知 ・山)
戦時防空と商人
隠忍に限りあり。遂に日米会談は破れ、今や大東亜戦争は世界人類の平和のために展開されつゝある。我が陸海軍の精鋭が敵基地を猛爆しつゝあるのに反し、我が国土は未だ敵機の空襲を受けてゐない。我等は自国の防備を信頼し、一段と防備を固めることは当然であるが、しかし、そのために自己の営業に障碍を生じてはならない。例へば防空のために店先を真暗にし、客に迷惑や不便を与へることは長期に亘るこの戦争には不適であり、また排除すべきものである。
我等はよろしく空襲に対する防備を完全にすると共に、また一面、いかなる場合においても、営業は続け行ひ、需用者に不便を与へぬやうに心掛けねばならぬ。いたづらに店を早く閉して、防空完全なりと考へることは恐怖と戦慄の中にある敵国民なら兎も角、我が日本商人の取るべき道ではない。完全なる意味での戦時防空を全国の商人諸氏に切望する。 (京都 柳川敏男)
276(1942・1・21)
国内の敵性的存在を一掃せよ
戦は始つた。政府は速かに国内の改新を断行せよ。今直ちに敵性的存在である自由主義、利潤追求の現在の経済体制を廃棄して、上は事業会社より下は小商工業に至るまで、国防国家建設に必要な物資の生産、生活必需品の販売及び職業に当らせ、適正利潤による皇道経済体制を確立せよ。最早逡巡の時ではない。道義的生活様式によつて、真の東亜の盟主足るの民風を培ひ、国外の敵を屠るに敢然たるのに呼応して、国内の敵性を断乎一掃せよ。 (大阪 田中清二)
戦勝祝賀に慰問袋を
難攻不落を誇る敵陣地も我が忠勇なる陸海軍将兵の勇猛果敢なる猛襲により次ぎ/\に壊滅されるを見る時、常勝国に生を享けた幸ひを心から感謝しなくてはならぬ。しかし、戦に勝つことは、一身を以て君國に捧げる尊い崇高なる犠牲的精神の現はれではないか。何で第一線同胞に感謝感激せずにをれよう。かゝる銃後国民の溢れ出づる感謝の端的なる一表現は慰問袋だ。華美な行事は一切取止めて、一つでも多くの慰問袋を作つて、どし/\戦地へ送らうではないか。 (名古屋 時・)
277(1942・1・28)
なし
278(1942・2・4)
買溜を一掃せよ
衣料類が切符制となつた今日、抜け目のない個人主義者は早くも日用品類の買溜を始めてゐる。
買溜--戦捷国日本の民として何たる恥づべき行為であらう。戦時に物資の不足するは当然のことで、この最少の資源こそ一億国民が力を合せて最大の活用に努力するのが戦時下銃後国民のとるべき道ではないか。自分だけが裕福に品物を持つてゐて、それで気持が良いのか。戦はまだ/\続く。今日のわずかな買溜がいつまで役に立つか。富める者、貧しき者、共に最低の生活をしなければならなぬ時だ。この際、断然買溜をやめて、前線の将兵の労苦を偲ばうではないか。 (名古屋 ・・)
退蔵衣の申告
衣料切符制度が二月一日から実施されたことは、生活全面に亘る単純かと一億国民の消費節約の物心両方面から戦争目的の遂行、必勝信念の認識を深める観点から極めて意義の深いことである
即ち、この制度の実施目標は、国民に最低の衣料を均等に供給し、銃後国民の活動上支障なきを期するにあることを国民一般は深く認識し、この施策に全幅の協力をせねばならぬ、飜つて各家庭で所持する衣料は、相当の数量であることであらう。
この退蔵衣料は染め直したり、仕立替へしたりして利用できる者も多いことであらう。であるから、この際、業者の衣料手持数量の申告に止まらず、各家庭所有の衣料数量も申告させ、一定以上の所有者には、切符の交付点数を制限するの措置を講ずることが、望ましいと思ふ。 (三重 真鍋長治)
279(1942・2・11)
280(1942・2・18)
労務者と召集猶予
我々軍需工場に働く者にとつて、残念なことは戦時に際し召集猶予されることである。これは銃後の生産力を確保するためと思ふが、この申請は本人の意志に拘らずなされる。斯くては日本男子として戦線に立たんとする我等の熱情も空しく埋れ、国民皆兵の趣旨にも反するではないか。支那事変勃発以来、我々の職場から既に幾人か応召した。しかしこれによる生産力の低下は一時的のもので、寧ろ我等はこのために感激し、一層の奉公を期して奮闘すると共に、新入者に技術を伝へて生産力の低下を防ぐのみならず、従前に増した能率を挙げ得ることを体験してゐる。今や大東亜戦争酣なる時、我等若人の血潮はたぎり、胸は感激に高鳴つて、坐して戦局の推移を見守るに忍びない。我等もまた速かに応召の栄を得たいのである。 (無名の青年)
戦勝と祝賀
シンガポールが陥ちたら提灯行列、旗行列、などの話があるが、大東亜戦争の前途は長い。中途での戦勝祝賀会は止めるべきだ。米英に完勝したその時こそ、我々東亜十億のアジア人は大いに祝はう。それまでは、皇軍勇士の武運長久を心から祈るに止めようではないか。緒戦の勝利に酔つてはならない。「戦ひはこれから」であることを銘記すべきだ。 (広島 末盛生)
281(1942・2・25)
282(1942・3・4)
翼賛選挙
いよ/\この四月に大東亜戦下の総選挙が行はれる。今度こそわれ/\は真に銃後国民の熱意を反映しめ得る人物を議会に選び送らねばならない。われ/\はこの際新しい選挙に対する理念、議会に対する理念に目覚め、選ぶべきを選んで議会に送るべきである。このことは銃後国民の当然の責務であり、大政を翼賛し奉るものの負ふべき責任である。かくしてこそ、この未曾有の大戦を完遂し、大東亜を建設する強力な政治体制が構成され得るのである。
われ/\は政府の意のあるところを理解し、その方針に従つてこの銃後国民としての責任を果し、前線将士の労苦に応へようではないか。 (東京 垣内生)
大東亜戦と納税
無敵皇軍の進む所敵なく、ハワイ沖海戦の戦果を皮切とし、英国が世界に豪語せし東亜侵略の大要塞も遂に陥落した。而し国民はこれによつて得た南方諸国の物資にのみ目を奪はれてはならぬ。この戦争の完遂、南方諸地方占領地域の復興にはまだ/\重い任務があり、それには財政の増大するは勿論であり。税金は自己の財産を国家に取られると思ふは大変な違ひである。納税も国債を買ふも同じだ。国民の二大義務は何か、軍人は征戦に、銃後国民は納税に、これによつて完璧なる皇國は築かれるのだ。 (長岡 小林生)
お知らせ
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283(1942・3・11)
284(1942・3・18)
285(1942・3・25)
286(1942・4・1)
287(1942・4・8)
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291(1942・5・6)
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297(1942・6・17)
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299(1942・7・1)
300(1942・7・8)
301(1942・7・15)
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318(1942・11・11)
319(1942・11・18)
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324(1942・12・23)