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    『東京裁判』から


東條 VS キーナン



 問「まず東郷外相より野村大使に宛てた通信の第一節に注意を喚起する。『熟議に熟議を重ねた結果ここに政府、大本営一致の意見に基つき日米交渉対策を決定す。右は五日開催予定の御前会議において帝国の主要国策とともに確認をまつのみ。本交渉は最後の試みにしてわが対案は名実ともに最後案と御承知ありたく』とある。この文章を記憶しているか。」
 答「よく記憶しています。」
 問「私が聞きたいことは、この甲案、乙案が日本大使からアメリカ官辺に提出されたところの最後案であったのではなかったか。」
 答「外交上の最後案として使いましたろう。」
 問「私が言及しているところの二つの文責は一人の日本人から他の日本人に通知されたもので、その二人の日本人があなたのいう外交的な言葉を使っていたのでしょぅか。あるいは大まじめに話しておったのでしょうか。」
 答「それは大まじめに話していたのはわかりきった話。」
 問「その事実はこういうことを示すのではないか。すなわち連路会議は最後案としてこの案を採択し、日本の大使に対しこれが最後の案で、これ以上変更することはできないという訓令を与えたことを示すものではありませんか。」
 答「それはその通り示したであろう。しかしながら外交というものは相手があります。拍手の出方によってまたやる点というものは変更してくるんです。そこのゆとりはどこの国でももっておるんです。」
 問「その翌日(十一月五日)東郷外相は次のような電報を野村大使に送らなかったか。『右にて妥結不可能なる際は最後の局面打解策として乙案を指示するつもりなるゆえ、甲案に対する米国側の態度を大至急通報ありたし』。」
 答「よく知っています。」
 問「『第四節、今次訓令は帝国政府の最後案なり、前電に縷々申しのべたることにして事態すこぶる逼迫し絶対に遷延を許さざるものである。……』。」
 答「今日においても日本が日米交渉に非常に焦慮していたという感を新たにします。」
 問「この電報は東郷外相があなたの訓令に基づいて発せられたものであるか。」
 答「私の訓令でなくして東郷が政府の意思を伝えたものです。繰り返えして申上げますが、相手のあるのに対する構想の基礎になったものです。」
 問「これらの言葉が外交的な言葉であったか、あるいは字の通りの意味をもっていたか。」
 答「字の通りの意味をもち、また外交的な言葉でありました。およそ外交というものは法律のような死文ではありません。すなわち生きた言葉でありまして、そのときの事態によって変更することは当然であります。」
 問「二、三日前に一個の軍人であるといったと思うが、あなたはいま立場を変えて外交の専門家という立場をとるのですか。」
 答「この前に話したのは私の生い立ちを説明したのです。総理大臣としては政治家です。日本には政治家が軍人でなければならんという規則はありません。」
 問「この中に使ってある言葉は外交上の言葉であるか、あるいはその通りのことを意味しているものであるか。」
 答「その言葉通りです。しかし政治というものは死んではおりません。八千万の同胞の上に立っている政治家というものは生きております。」
 (ウ裁判長、本裁判でかかる言明をすることは審理の助けにならないと注意)
 東条「これは失礼しました。相手のあるものであることを承知してもらうため申上げたので、けっして裁判所に対して冒涜するような意思は毛頭ありません。」
 問「あなたは日本の艦隊が真珠湾を攻撃するために日本を出発した日を知っておるでしょう。」
 答「この裁判所で知りました。それは単冠汚を二十三日に出たということを知ったのです。」
 問「さてこの日本艦隊が日本を出発したのは東京においてハル・ノートが受領される前であったのは事実ではないか。」
 答「それは事実です。作戦準備行動です。」
 問「あなたは日本艦隊が真珠湾を攻撃せよという命令を受けて出発したのを、単に作戦の準備であったというのか。」
 答「そういう細かいことをお聞きになっても私は知りません。海軍の統帥部に関することですから、はたしてあなたのいうように当時真珠湾を攻撃せよという的確なる命令を出したかどうかわかりません。」
 問「あなたはこの艦隊が最も強力なる機動部隊の一つであったことを否定するか。」
 答「強力ということは何に比較しての話ですか、米国艦隊に対するものですか、あるいは抽象的なお尋ねですか。」
 問「私の尋ねているのは、有史以来海軍の任務によって派遣されたところの機動部隊として最も強力なるものの一つであったことを否定するかです。」
 答「有史以来と申しますと? −航空母艦のできたのは最近だと思います。日本艦隊の一部であることは肯定致します。」
 問「言葉のやり取りをしようとは思わないが、この艦隊が歴史上、一九四一年十一月二十六日までの間においては最も強力なる機動部隊ではなかったかと聞いている。」
 答「相当強力なものと思いますが、有史以来ということになると私は海軍ではありませんから明確には答はできません。」
 問「あなたは現在連合艦隊の作戦命令は十一月五日に発せられたことを知っているか。」
 答「知りません。作戦準備命令はその頃出たことをこの法廷で知りました。」
 問「これが発せられた十一月五日当時においては知らなかったというのですか。」
 答「知りません。」
 問「そうしてあなたは総理大臣としてこの艦隊が十一月二十三日にしろ二十六日にしろ日本を出発したことも知らなかったわけですね。」
 答「事実において知りません。」
 問「そうして真珠湾に対する攻撃が現に起ってしまうのちにいたるまで、これを攻撃する意思を見出すことができなかったと推定するか ― 。」
 答「それは違った推定です。」
 問「それではあなたはまず真珠湾を攻撃すべきであるということを、艦隊が真珠湾に向って進行中に知ったか。」
 答「それは艦隊の進行中知ったというよりも十二月一日の御前会議決定に基づいて当然攻撃開始に向って行動しつつあると想像しておりました。しかもその間において日米交渉が万一にでも打開できれば技術上許す範囲において何時でも作戦行動を停止するということで行動していたと承知している。(裁判長よりそれを知った日付を答えなさいと注意)昭和十六年十二月一日の御前会議において知りました。」
 問「あなたはこの御前会議において艦隊が真珠湾攻撃をするため進行中であったことを知ったか、然りとか否とか答えてください。」
 答「それは否と答えましょう。」
 問「それでは最初に知ったのはいつか。」
 答「イエスとかノーで答えるというのはツライです。御前会議においては真珠湾攻撃云々ということは出ていなかったのです。それを私は否と答えた。」
 問「それでは御前会議において作戦部隊が合衆国あるいはその領土を攻撃のため出動中であるといづことが明らかにされたか。」
 答「そういう作戦に関する具体的なことは御前会議、連絡会議において採り上げられませんでした。そういうことは統帥部から提案すべきものではないのです。」
  (裁判長、いつ最初に真珠湾が攻撃されることになっていることを知ったか、と質問)
 答「十六年十二月の一日か二日でしたか、日付ははっきりしませんがその辺のところです。」
 問「それでは誰があなたに対し真珠湾を攻撃することになっていると話したか。」
 答「陸軍大臣の資格において参謀総長から聞いたと記憶します。」
 問「それが十二月一日の御前会議において知らされた情報ですか。」
 答「違います。」
 問「あなたが参謀総長からこの情報を受けたとき、あなたのほかに誰がいたか。」
 答「誰もおりません。」
 問「あなたはこの情報を天皇に伝えたか。」
 答「伝えません。伝える責任をもちません。」
 問「それは誰の責任か。」
 答「当然に軍令部総長、参謀総長の責任です。」
 問「日本の総理として政府の首班としてこの情報を天皇に伝える義務はないと主張するのですか。」
 答「内閣総理大臣としてはありません。」
 問「日本の政府というものに対するあなたの観念によれば、こういう計画を天皇に知らせるべきであると考え
 ていなかったか。」
 答「それはこういうことを私が知らすことが適当なりと、こう考えたかというお尋ねですか。」
 問「あなたの日本政府に対する観念、すなわち一九四一年当時の政府運営の観念に於いてはこういう計画が実施される前に、天皇はこの通知をうける権利をもっておったと考えるか。」
 答「いまの純作戦のことでありましたならば政府としてはその責任はもちません。統帥部としてはある程度の大綱は申上げたろうと思います。」
 問「その計画というのはすなわち真珠湾を攻撃するという計画ですね。」
 答「もちろんです。」
 問「十二月一日か二日から七日の問に天皇に謁見したか。」
 答「度々謁見しました。」
 問「その際戦争の問題について話したか。」
 答「いま的確には記憶せぬが、当然お話があったと思う。」
 問「真珠湾攻撃について話したか。」
 答「しません。」
 問「それに触れなかったのは故意かあるいは遠慮したのか。」
 答「それを含んだもっと大きな戦争について話した…真珠湾攻撃は戦争の一部です。」
 問「真珠湾攻撃が天皇に話すに足りない、つまらないものだというのか。」
 答「そうとられると困る。小さいものとは思わぬが、戦争の全体からいえば何といっても一局です。」
 問「あなたが関東軍在勤中の経験について二、三の質問をしたいと思う。植田関東軍司令官が陸相に対し新中国建設に閑する基本要件というような提案を上申したのを知っているか。」
 答「はっきり記憶しておりません。」
 問(法廷書を見せる) 「この意見書作製に当ってあなたが参画したことを否定するか。」
 答「これが正しい大日記からとられたものであるなら否定しません。」
 問「これを引用します。『新興中国建設の指標 − 終局において北支新政府を建設し現地住民を作戦準備に資せしめ、現下緊迫せる対ソ準備に寄与せしめる……』この議論は一九三七年(昭和十二年) 六月九日付の電報に述べているところの論理的な発展ではないか。」
 答「こういう点については連鎖があります。すなわち関東軍はその任務上対ソ防衛ならびに満州治安維持とこの点を基礎としての思想から発したという点から連鎖がある。」
 問「その中の現地住民を作戦準備に資せしめるというのは関東軍において、その前の経験に基づいたところから出たものであるか。」
 答「あなたのいう結論は違います。」
 問「植田司令官ならびにあなたは満州国の資源を総務長官を通じ関東軍の軍事目的、すなわちソ連に対する防衛の目的に使用したのが事実ではないか。」
 答「満州国における資源はもっぱら満州国独自のために使いました。」
 問「あなたが満州におった間に戦略的鉄道がソ連の国境まで達したか。」
 答「戦略的鉄道というのは何を意味されるのか。」
 問「主として軍隊の移動ならぴに日本軍隊のための防備物資の輸送を目的とした鉄道。」
 答「産業開発が主とした目的であります。また他面において満州国の国防の観点からこれを利用したことはもちろんです。」
 問「満州にいた間、飛行場が作られたか。」
 答「作られた。交通文化政策の必要から作った。」
 問「あなたは一九三七、八年(昭和十二、三年)において満州国に軍事的目的のものを建設することに関し陸軍次官梅津とおおやけの通信を交換したか、そうして梅津はそれを支持したか。」
 答「梅津が支持したかどうか私は知りませんけれど、たくさんの軍事的処置はとりました。満州国における国防上の責任から…。」
 問「植田司令官およびあなたは協和会を指導したのではないか。」
 答「協和会の指導は満州国の指導によって行なわれた。」
 問「一九三八年(昭和十三年)協和会は三千の支部をもち百万の正会員をもっていたのを記憶しているか。」
 答「そういう細いことは覚えておりません。」
 問「一九三六年(昭和十一年)に協和会本部はその活動を白系露人にまで及ぼしロシア移民局という官庁に統合されたことを記憶しているか。」
 答「記憶しておりません。」
 問「あなたが関東軍参謀長であったときに、ハルピンの特務枚閑は白系露人を組織しロシアとの間に戦闘行為が開始された場合には、これに使用する計画になっていたことを記憶しているか。」
 答「一部は記憶しています。白系露人は満州国人の一部です。従って満州国の一部として処置されていたのは記憶している。それに対してハルビソ特務機関なるものが関心をもっていたことも知っております。」
 問「あなたは白系露人の謀略部隊が訓練を受け、のちになってソ連軍の後方において破壊的行為あるいはシベリア鉄道を破壊するために訓練されたのを記憶しているか。」
 答「万一対ソ開戦になった場合における準備として満州国の一部隊が訓練されたことは承知しております。どこまでも計画の一部です。」
 問「その一部隊というのは白系露人部隊から成っておったのではないか。」
 答「満州国の一部であるところの白系露人部隊です。」
 問「ハルピンの特務機関は参謀本部、陸軍省から関東軍を通じて金銭を受取り、将来ソ連の不利のために使用される白系露人部隊に補助金を与えたのではないか。」
 答「複雑な質問ですから区切ってお答えしましェう。特務機関が陸軍省、参謀本部から関東軍を通じて経費を受取ったのは事実です。それから第二はソビエトの不利のためにという意味は何を意味するか私はわかりません。日ソ戦争でも起った場合においては日本が有利になり、敵が不利になるようにするのは当り前のことです。第三点、白系露人部隊に対してハルビソ特務機閑から金銭的援助をしたかどうか私はこれを否定いたします。満州国の軍隊の一部であるから満州国の経費をもって支弁するのが当然であります。終りッ。」
 問「あなたは本法廷において満州国皇帝の証言を聞いたでしょう。」
 答「聞きました。是認はしておりません。」
 問「一九四一年(昭和十六年) に彼を皇帝とする満州国を承認することを米国に要求した当時において、満州国皇帝はどのくらいの期間皇帝としての職についていたか。」
 答「米国に対して満州国の承認を要求したといわれましたが、ちょっと私その記憶がありません。それが第一の答、第二のお答はその期間は多分九年か十年になりましェう。」
 問「それでは一九四一年(昭和十六年)に行なわれた米国との交渉において日本側は満州国を一つの独立国家として認めてもらいたい、という要請をした事実に対する知識を否定するか。」
 答「あり得ると思います。しかしあなたは私の記憶を尋ねているのですからいま記憶しておらないというのです。」
 問「それでは日米交渉にあたって満州国承認問題に関して、どういう立場をとっていたかを想起するか。」
 答「イヤようやくわかりました。満州国を独立国家として認めてもらいたいという肚は、もちろんあったのです。強い希望です。」
 問「その国というのは本法廷に出廷して証言した人間を皇帝とする帝国であったのではないか。」
 答「帝国という姿でありました。しかしながら独立国ということは必ずしも帝政とかそういうことを意味するのじゃありません。一に住民の希望になるのです。」
 問「しかしあなたは満州国を中国から分離したところの一つの単位として承認することを強く主張していたのではないか。」
 答「私がですか…。」
 問「そうです。」
 答「中国から独立したのは満州国の住民の意思によってです。しかして日本帝国はそれを承認したのです。」
 問「そしてさらに日本は溥儀氏を満州国の正式の皇帝として認めたことも事実ではないか。」
 答「その住民の意思に基づいておったところの薄儀皇帝です。これを認めたことはたしかです。」
 問「その皇帝は日本に来訪し盛大に歓迎されもてなされたのは事実ではないか。」
 答「真から歓迎しました。心の底からもてなしました。しかし彼はこの法廷において裏切りました。(いかにも慨嘆する面持ち)」
 問「この法廷に証人として出廷する以前に、彼の性格は信用できないと聞いたことがあるか。」
 答「ありません。私は信用しておりました。誰よりも信用しておりました。私の不明でありましょう。」(外人記者たち盛んに笑う)
 問「日本人が満州国の政府各部局に重要な地位を占めていたという証言に対して何か意見があるか。」
 答「時代によって違う。」
 問「そうすると換言すれば、ほとんど十年にもなんなんとする期間、全世界に向って満州国の皇帝として薄儀を支持したのちに、あなたの不明に気付いたということになりますね。」
 答(憮然として)「十年間私は総理大臣でありません。」
 問「さて一九四一年十二月、戦争を遂行するという問題に関する天皇の立場とあなた自身の立場の問題に移ります。あなたはすでに法廷に対して、日本の天皇は平和を愛するとあなた方に知らしめたといっていることは正しいか。」
 答「もちろん正しい。」
 問「そうしてまた日本臣民たる者は何人たるも天皇の命令に従わないということは考えられないといいました。それは正しいか。」
 答「それは私の国民としての感情を申上げていた。天皇の責任とは別の問題です。」
 問「しかしあなたは実際米英蘭に対して戦争したのではないか。」
 答「私の内閣において戦争を決意しました。」
 問「その戦争を行なわなければならない。行なえというのは裕仁天皇の意思であったか。」
 答「意思と反したかもしれませんが、とにかく私の進言、統帥部その他責任者の進言によってシプシブ御同意になったのが事実です。しかして平和御愛好の御精神は最後の一瞬にいたるまで陛下は御希望を持っておられました。戦争になっても然り、その御意思の明確になっておりますのは、昭和十六年十二月八日の御詔勅のうちに明確にその文句が加えられております。しかもそれは陛下の御希望によって政府の責任において入れた言葉です。それはまことに已むを得ざるものであり、朕の意思にあらずという意味の御言葉であります。」
 問「あなたは口供書で十一月二十六日付の米国国務長官より日本大使野村に宛てたメッセージに言及している。 (そのいわゆるハル・ノートの写しを見せる) それを見
 たことがあるか。」
 答(感慨深げにしばし見入る)「一生涯忘れませんッ。」
 問「あなたはこのメッセージを引用するに当って、日本に叩きつけられたという形容をしたことに鑑み十分その文書を調べていただきたい。」
 答「拝見しました。」
 問「さてこの文書はあなたの知っているかぎり、非常に威厳のあるやり方において米国国務長官より、みずから日本大使野村および来栖に手渡されたものである。そうですか。」
 答「形において然り。内容においては少しも互譲の精神のないものであります。」
 問「しかし実際問題としてこの文書は日本の大使が当時ワシソトソに在って最上の礼遇を受けて、もし自分で望むならばいつでも国務長官にも大統領にも面会ができる特権を与えられていた当時に手交された打は事実ではないか。」
 答「それは事実である。なんらこの内容とは関係ありません。」
 問「しかしあなたは大統領というものが米国の最高権威者であるということを知っていると思うが。」
 答「日本天皇が日本の最高権威者であるという同じような意味において知っています。」
 問「しかし米国においては、その国民は自由意思を発表することによって四か年毎にみずからの大統領を選ぶやり方をしているのに、反面日本においては少なくともそういうことがなかった。それを相違として認めるか。」
 (裁判長、その質問はどういう関連性があるかとただし、キーナン検事は米国においては最高権威者と直接交渉していたにもかかわらず日本においては漠然たる曖昧な権威者としか交渉できなかったことを示唆すると応じたが、それはあなたの意見である、ただちに別の問題に移るようにと質問を却下)
 問「その中に『米国政府およぴ日本政府は太平洋の平和を熱望しその政策は太平洋全域の恒久的平和に向けられ云々』とある。それにまちがったところがあるか。」
 答「異議あるところはない。これは日本の最も熱望するところです。」
 問「そうして領土的企図なく、とあるがこれに対して何か異議を申し立てるべき筋合があるか。」
 答「異議を申し立てる筋合はありませんヨ。」
 問「さらにまた隣国に対し攻勢的に兵力を与えるの意なきこととあるが、それに何か異議を申し立てるべきことがあるか。」
 答「文句そのものには異存ありません。しかしながら事態は全然違います。すなわち英米は一方において軍事的、政治的の脅威を日本に対して実行しておりました。その事実はこの文句と違います。実行を伴わなければこの文句はなんら意味をなさないのです。総理大臣としてもっとも重要に考えたことは、実際の状況であります。それが緩和されるか否かということは最も重要なる関心事でありました。」
 問「両国間における一つの発表形式としてこの声明に異議があったかどうかを聞いているのです。」
 答「こういう大事なことを申し上げるのに、当時の状況を全然空にして申し上げても意味をなさないから私は申し上げているのです。」
 問「あなたに聞かんとする最後の質問は次のごとくである。あなたは当時日本の首相としてこの政策に対して異議があったか。」
 答「実行が伴えば異議はありません。伴わなければ異議があります。」
 問「あなたは政策と政策の実行という問に差をつけて考えているのですが、当時日本の首相としてあなたが一つの政策として公正なものであったか、健全なものであったと考えていたかを聞いているのです。」
 答「白紙のことだけなら異存はありません。しかしながら白紙の状態ではなく日米の間には緊迫した状態の上に掲げた通告であります。」
 問「さて証人、あなたは自分の見解をのべるのに十分な数日間をもらったのです。私が聞いているのは単にこれが一つの政策として公正な正しいものであったかどうかにつき引き出さんとしているのです。引き出すまであくまで頑張ります。いま読み上げた字句は国際政策の公正な正当なる発表形式であるか。」
 答「それは再三お答した通り。その字そのものはなんら異存のない字である。ただし政治というものはそんなものではありませんヨ、生きておるんです。日本としては死活の上に立っている。それを離れて文章は取扱えません。」
 問「一つの文章を調べるに当りまず最初にその中の字句を採り上げて分解し考慮しなければならない、それを拒絶するか。」
 答「私は誠心誠意あなたの質問にお答するよう努力しているんです。しかし誤るようなことを法廷に展開したくないのです。私もあなたの名誉を冒していうことは好みませんけれども、大事なことですから申し上げているのです。」
 問「その点については二人とも同意見である。あなたはハル・ノートの内容に対して異議をもっていたといったのではないか。」
 答「大いに異議あります。」
 問「ハル・ノートは長いものでないから、いまその異議はどこの点であるかを発見したいのです。さらに読み続けます。(省略)さて一つ、いっさいの国家の領土不可侵の厳守。」 
 答「それには(ママ)日本は尊重してきました。ただ申し上げておきますることは、これは九か国条約にもこの文句はあったと思います。しかしながら東亜の諸国がそれ自体の国においていろいろ分裂作用を起すということをこの中にはもちろん含まれて考えられないと思っておりました。たとえば満州国がその土地の住民の意思によって独立国家となるということほ、このうちには含まれておらないと解釈しておるのです。その意味において日本と米国の間に解釈の相違がありました。」
 問「二つ、各国の国内問題に対する不干与の原則、これは日本によって支持されたものか、されなかったものか。」
 答「原則は支持されました。しかしたとえば日華事変というところの特殊の事態が発生している。それに関連して影響している部分も出てきました。」
 問「第三の原則、商業上の機会、待遇の均等、これは日本の政策と反対であったか。」
 答「これは条件があります。すなわちこの政策が全世界に適応されるにおいては同感であります。すなわち日本のすべての商業などもこの趣旨において、全世界において締め出しを食っている現実のような事態にならないように、この原則の中に含まれることを希望しておりました。」
 問「ハル・ノートに含まれていたところの三原則はすべて一九二二年に署名された九か国条約に含まれていたのではないか。これは日本、中国およぴアメリカが全部締約国であった。」
 答「九か国条約にこの通りのものがあったかどうか記憶しませんが、こんなことがあったことを記憶します。」
 問「これらの原則を日本に要求することによって何か理不尽なことを要求していたことになるのか。」
 答「そうは申し上げたくない。ただ東亜に起ったところの九か国条約締結以後の変化、これの認識が足りないので、それからすべての食い違いがくるんです。」
 問「その点では一九二二年効力を発生した九か国条約が、その後において根本的な齟齬を来したのであるならば、妥当なる手続きは関係諸国を一堂に会せしめ、そこで状況の再検討をさせて採らるべきところの手段変更を決定するのが妥当ではなかったか。」
 答「二つの方面から答えましょう。第一は九か国条約というものは、日本としては十歳の子供時代に着せられたところの着物が十八歳になってもまだ着ておったために綻びが切れるというような結果になったんです。綻びを縫おう縫おうと日本は考えました。しかし身体が大きくなるのでどうもそうはゆかないんです。」
 問「しかし着物の修繕する場合にはときどき針を刺すということ、つまりその時において改善すべきは改善し、改むべきは改めることをあなたは認めるか。」
 答「それはおさえのことですか、身体の育ちはもっと早く、親がなかなか縫ってくれないんです。」(裁判長、そんな簡単なことで譬喩を使うことは不必要だと注意)「それでは今度は事実問題を申しましェう。その後において九か国条約にはソビエトが入っておりません。これは日本としても中国としても重大なる関係をもっております。日華事変というものがそこに勃発し、これが事態を大きく変化させました。世界の経済関係は自由貿易からブロック貿易に転換しました。最も重要なるものを採り上げてもそこに九か国条約というものが変化をきたしているのです。そこで日本としては九か国条約の精神、目的、すなわち東亜の安定を確立する。ここに目的があるので、これに対してすなわち精神をとらえて九か国条約の実行をできるだけしようとしたのです。しかし九か国条約というものは期限のない条約です。第二のあなた(検事)の質問にお答えします。それでは関係国が集って相談したらいいじゃないかという問ですが、もちろんそれは十分日本も承知しておりました。しかしながら満州、日華両事変を通じ、殊に太平洋戦争前になってからは、九か国条約の中心国である英国、米国、これが日本としましては明らかに敵性を帯びてきた。事実上においてここになかなか困難な問題があるんです。しかしながら日本は日米交渉を通じ、すでにこの九か国条約の一部改訂問題に触れて交渉しております。すなわち新秩序の問題、もっと具体的にいうならば近衛声明、日華基本条約、日華共同宣言、これの承認を米国に求めております。」
 (休憩ののち午後三時再開、キーナソ検事の問に東条は、首相になって太平洋戦争開始にいたるまでの間、九か国条約に拘束されていたことを答えれば−キ氏質問を転じて)
 問「開戦の事前通告を数回も天皇から注意うれていたのではないか。」
 答「その通り、私は私の責任において連絡会議の構成員に申し伝えていた。」
 問「天皇は何回注意されたか。」
 答「私は当時は隔日に参内していた。陛下はしばしば御注意された。」
 問「それでは真珠湾無警告攻撃はあなたの同意なしに行なわれたのか。」
 答「私は意図したことはない。」
 問(ここでくるりと体を東条の正面に向け、声を改めてまっ向から−)「首相として戦争を起したことを道徳的にも法律的にもまちがったことをしていなかったと考えるのか、ここに被告としての心境をききたい。」
 答(左手を机上に突っ張り、胸を張ってキーナソ氏に向い)「まちがったことはない、正しいことをしたと思う。」(声高く言い切る)
 問「それでは無罪放免されたら、同僚とともに同じことを繰り返す用意があるのか。」
 (と追いかければ−)ブルウェット弁護人、すかさず発言台にかけ寄り「これは妥当な反対尋問ではない」と異議を申立て、ウエップ裁判長その異議を容認し、キーナン氏の質問を却下−。憤然たる面持のキーナン検事は、反対尋問を以上で終了するむね宣言、検事席にも坐らず、書類を抱えてさっさと退廷してしまった。