明治天皇の御誓文
一、広く会議を起し万機公論に決すべし
一、上下心を一にし盛んに経綸を行ふべし
一、官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す
一、旧来の陋習を破り天地の公道に基づくべし
一、智識を世界に求め大に皇基を振起すべし
我が民本主義と「デモクラシイ」
絶て天地万物の目的は、其の人の見様如何に依て定つて来るのであるが、人生の目
的も同様である。人類であるからと云ふて共通の点はあるが必ずしも一様に律する
訳には行かぬ。国民の目的も其国民性の相違に依り、各々差違を生ずるは自然の道
理である。我が日本帝国国民の目的は我が國體を基礎として起らねばならぬ。又之
を伝統的に考察しなければならぬ。之れが第二の天性をなして居るからである。
我々帝国臣民及び個人は、我が偉大なる建国精神の下に発達したる偉大なる人格の
立場より宇宙の大精神即ち崇高至仁の天意を奉じて、皇祖皇宗の建立し給ひし国家
の最高道義を世界に光被せしむべき、皇国の使命を果す目的を以て存在して居るの
である。個人としては皇国の皇民たる天職を尽すを以て生存して居るのである。
日本臣民に前述の根本目的並に之れに起因する道義を遵法しなければならぬ。近頃
は世界思想の動揺に伴ひ、日本人にして日本人にあるまじき新異説を唱道し唯鵜呑
みにしたる民主主義や社会主義に共鳴するものがあり、又極端なる破壊主義同様の
議論をなす者もあるが、是等の人は最も奇異なる最も不秩序なる最も乱暴狼藉なる
新露国に付き、現在の状態を攻究し見たならば其の非なるを直ぐ悟るであらう。我が
日本の國體は絶対に斯る思想とは相容れぬことは勿論である。極端なる民主主義や
社会主義や共産主義の如きは言語同断であつて、之れは我が國體に対照して能く噛
み分けをなし、断乎として排斥しなければならぬ。
唯民本主義としての「デモクラシー」に関しては我が國體に鑑みて慎重に考慮を要す
べきものがある。
十八世紀以降の欧洲の歴史を通観するに君主政体と人民主権主義は何れの国として
も衝突紛擾を起さぬ国は一国としてないのであるが、之を融和し立憲政体の時代
となり、絶対の人民主権主義は共和政治となり、融和されたる君主専制主義は立憲
君主政体となつたのである。茲に申す迄もなきことながら我が日本の政体は欽定憲
法制定の上、君主立憲政体となつたのである。之れが又世界に比類なき立憲政体の
経路を有して居るのである。
先づ慎重に「デモクラシイ」なるものを考慮するに、古来全世界に流動する思想に二
大主義がある。一は権力は上より発するものである。即ち天佑を保有する君主あり
て一切の臣民之を補翼するものであり。一は権力は下から発せざるべからずと云ふ
にあつて人民主権主義である。一は帝国的傾向を二は民主的傾向の二つに分つこと
が出来る、又之を国家主義と民主々義との二つに分類することも出来るのである。
国家主義は国家の発展を理想とし国家は大なる自我である。此の大なる自我の為め
には小我は如何なるものも犠牲に供しなければならぬ。国家は個人の為めに存在す
るのであるけれども主として個人が国家の為めに生存して居るのであると云ふので
ある、又民主主義は「吾人が国を成し生存するには個人を完全なる人となし社会の
秩序を保ち人民の幸福を増進するにあるが之れが国家の理想であり目的である」と
云ふのである。
亜米利加などで唱道したる「リンカーン」の「デモクラシイ」に依れば「民主主義は人
民に依りて人民の行ふ人民の政治なり」と云ふ共和主義であり、或は「政治的理想
は個人生活に対する理想に基礎を置かざるべからず、為政家の考慮を要すべき対象
は社会を組成せる男女老幼にして是れ以外に何物も存することなし」と云ふ個人主
義である。
即ち国家主義は国家を本とし民主主義は人民を本位とするのである。英国の如き王
国であるが其の憲法は民主主義を以て成立して居る、之れには由来があるので、英
国の憲法制定発源の時代には其の王室は頗る乱脈のものであつて私生活を侵害す
る幾多の事を法律で実施したり、或は貨幣に鋳造したる金銀は王に属するものとし
発見次第奪ひ取りたる事などあるので、之れ等に対抗して起りたる王の権力制限を
人民より強制したる結果が自然と憲法を為したのである。故に英国の憲法は成文を
一時に立案したるものでなく、永い時代に漸次に王権を制限し、議会が強制して王
の詑び証文が憲法になつたと云ふても宜しいのである。而して実際に於て主権は人
民にあり議会に在りて、英国憲法の原則として「君主は君臨すれども統治せず」と
云ふのである。
嘗て或る国王が歴史の大家「ランケ」に問ふて曰く、「共和主義は既に英国の憲法中に
存在するや」と。「ランケ」答へて曰く「直ちに然りと云ふを得ず、勿論其中に共和
主義に進む道は開け居れり」と。過般来英国も愛蘭自治問題に苦悩して居る様
であつたが、今や自治問題は愛蘭共和国建設問題に進化して来たのを見て、転た
「ランケ」の卓見郎に敬服せざるを得ぬ。
抑も我が日本の民本主義は元来西洋「デモクラシイ」とは其の発源を異にして居る
のである。即ち國體的道徳の発露するところ 天皇の立場から御仁愛なる精神的に
も将又為政上にも民を本とする御主旨が存するのである。即ち上御一人の御仁徳を
下に及すところの民本主義である。西洋のは個人を本とし権力は人民より起らざる
べからずと、下より上を侵すところの歴史的要素を持ちて居るのであるが、我れの
は上より下に及ぼし、彼れは下より上に及し、其中間には「デモクラシイ」の一致点
を見出す事も出来るが、之を合併して観察するには上中下の三方より審判せねばな
らぬ。乃ち知る上は元来我が国の特性的のもの、中は我が國體に同化し得べきもの、
下は即ち権力は人民にありと個人本位の理想なれば我國體照らし絶対に排斥すべ
きものである。斯く判断し来らば「デモクラシイ」の取捨も瞭然として了解し得らる
るであらうと信ずるのである。
是に於て根本的基礎たるの帝国の歴史的精神より之れを詳説すべき必要を認むるのである。
我が臣民が 欝配欝豪鮎那の影l鄭し、野獣が欝あ郡するはぷがポ郎
こ た しん かへy か †巾げづ 訂 牲うこ’ ほう
であつて、之れが食めには、一身も顧みず一家も拗ち、義男公に拳ずる野軒鵬粁舶
に ほ人みんぞく こ(みんせい とくちよう お上 くに れきし モのくに めいAや(
が日本民族の国民性の特赦である○凡そ固の歴史なるものは共同の命脈であつて、
tかんプくわうこく とと 瓜んらい けい九き い′ノ ー■でっモくか一ノモう 払 くん エ こくたい が‘りつ
就中豊固の如きは三千年凍の経歴を有し、皇租鼻条の遺訓に依阜拘膣を確立せられ
樽統的に其の精髄を樽へ、郎断軒肘の酢郎を肘掛し肝ほ新鮮郎朝の軒那に鮎へ郡山
†んとウてп@ モ せいずゐ つた
こ九 りウせい しか 亡 じん とう 九 つ な こくたい くわん じ抄んこ
之を隆盛ならしめ、而して吾人は統を垂れ線ぐペきを為し、固漁に閥しては醇乎と
じ抄ん モ せ小くわ 旺つ々う
して醇在る其の精華を蜃揚せねばなら沿のである0
しγ けんだい しんじん じし々っ も∂ こくき々うてつ モのくに 九きし ほうむ れきし たゞこエク
然るに現代の新人と自稗する老は、固境を赦せょ英国の歴史を葬れと歴史を唯台物
亡と かんが くわこ 、dと −ノー けどおl み ひつえう モ こ だい a 亡つ
の如く考へ、過去の革は央れ巷重く見る必要は在いとか、央れは舌代の遣物である
ちるひ きムし さう い これ けいし とくいぜん lの じつ わ
とか、或は嘗思想であるとか云ふて之を壌親して得意然煎る者もあるが、賓に我が
せいけう と とく だいへ’じ モ れきし モのこくじん けいとうてきどうりよく モのこく
世数の茶壱たるべき一大僻事である、央れ歴史は其国人の系統的動力にして、英国
9よく けんぎい し●うらい はつてん 抄ゐ えうモ すなほ モの九きし てきせいしん モのこく
カを現在にも牌凍にも敬展せしむべき唯】の要素である、即ち其歴史的精紳が其囲
みん†いしん こつずゐ エ モ♪せいしん もつ モのじだい じ沖んおう ごと しんし ラフ ほんベウ
民楕紳の骨髄であるに依カ、其精紳を以て其時代に順應する如く、新思想を列別し
入三
八田
またこれ どウくわ こんぼんき てう
又之を同位すべき叔本基調となさねば在らぬ。
わ に 払£ みんぼんし仲き くんみん たい こんたい いう 九つせい せう下−−く と・− わ たか
我が日本の民本主義は君民一倍に根帝を有し、列聖の詔勅にもある如く、我が民を
お浩ルたから しよう きみ たみ み せきし 亡と たみ きみ み じ しん ごと
大御資と稀せられ、君は民を洩る乙と赤子の如く、民は君を観る乙と慈親の如く、
モ 亡 じんとく 旺つろ れきし てきじ じツ こゝ ぜいげん えう ところ めいぢ てんわう
其の御仁徳の蜃露は歴史的串賀にして、滋に贅言を要せ氾所であるが、明治天皇の
э繧ケい はいし上り へいこ じりげり ごと ちきら
御製を挿話すれば柄乎として日月の如く明かである。
ちし旺ら くにとみ おも ちをひとぐさ たから
蕊原の国富3んと思ふにも奇人草そ箕夜負ける
て く各 お払 わ たみくさ うへ い か
照るにりけ曇るにつけて恩ふかな我が民事の上は如何にと
ち土方ブ たみ ともくたの たのし р
千萌の民と共々楽しむにます架みはあらじとぞ思ふ
き中ひ おけ おも ま お托 しブ ふせ々
桐火桶かきなでながら恩ふか夜すき間多かる賎か伏家を
‡ためいぢ てんわう ゐ しん さい てんち しんめい ちか でウ こ せいlん わきら
又明治天皇の維新に際し天地紳明に誓はれし、五ケ條の御誓文にも明かにされてあ
るが如く、為政者も同氏も随時順應の道を講じ、緋歎卦に零する研がなければな
ごと ゐ せいし々 こ′、みん ヂあじじゆんおう みち かう Lこ」ろ
すペ せい々う じ 上ク けんきう ち しき せ か√ も七 つい ・ノ・→ろlんだ♪ 亡と
ら沿0絶て西洋の事物を研究し、知識を世界に求むるに裁ても、思想問題の如きは
上 上 わ こくたい たい晋 モ々く しか の 上 宝 の こ 音くわ ●りと
能く能く我が国鰭に封照しこ岨噴し然る後ち書きは之を飲み込告浦佐すべく最も
しんちやつ かうり上 えう
慎重の考慮を要せねば夜ら氾0