我国家的観念と外来思想
明治天皇御製
よきを取り悪きを捨てゝ外国に
劣らぬ国となすよしもかな
国といふ国の鑑となるはかり
みかけますら雄やまと魂
我が国家的観念と外来思想
(一)序 論
我が大日本帝国は、建国の肇めより今日に至るまで、四たび外来思想の伝来を受け
て居る。即ち第一が儒教である、第二が仏教である、第三が基督教である、第四が
世人が称するところの所謂新思想なるものである、第一の儒教は現実的倫理的綱常の
道徳教であつて、我が国教を補助し、我が国元来の惟神道を実際条理的に補翼した
る功績は甚大なるものであるが、之れとても我國體に照して批判するときは全然一
致するものではない、有徳者の禅譲を称揚するが如き、湯武の放伐を是認するが如
き、経書を見ても之れを我が国民に講義をするだに甚だ不都合千番なものがある。
併し大体の道義が国民の遵守すべき教であるので、儒教伝来に就ては敢て騒擾を起
す様なことはなかつたのである。第二仏教に就ては周知の史実の如く、其当時上流
階級に於て為政間に紛擾を起したるは今茲に呶々を費すの必要もない、而して後世
に於て弘法大師の如き、或は日蓮大士の如き、或は親鸞上人の如き名僧が之れを我
が國體に結合せる如く言語に絶する熱誠努力を費された結果は、遂に日本の宗教と
して同化されたのである。第三の基督教渡来は禁制となり、殺戮となり、戦争討伐
となり、悲惨なる歴史を有して居るのであるが、明治の世に至り秩序を乱さゞる範
囲に於て信仰の自由も憲法に許されて有る故、之れも我が國體に包容して同化せね
ばならぬものである。第四が今日の新思想であるが、民衆主義とか、社会主義とか
共産主義とか、過激主義とか種々雑多の思想が就中世界大戦の紛乱中に起たのが、
世界思潮の滔々たる大勢に洩れず我が帝国にも伝播して来たのである、我が帝国が
世界の一国であり、我が国民が世界の一人である以上個人の思想は兵力を以て防圧
する事は出来ぬ、行政の力を以て形に顕はれぬものを全滅する訳には行かぬ。悪思
想の防禦は我が國體に根蔕を有する健全なる思想を以て防圧し、又我が國體に同化
して差支なきものは之れを善導する必要がある。現今に於ける第四回目の外来思想
は古来の思想伝播からすると非常に複雑して居るのみならず、実に極悪性のものも
あるに依り我が國體に照し絶対に之を排斥せねばならぬものもある。故に政府当局
者と云はず社会の指導者と云はず、我が健全なる国民は勿論其善導取捨に就ては実
に邦家の為め考慮を要すべき容易ならぬ時に際会したるを覚悟せねばならぬ。又此
五六年の間に我が国民の思想が非常に悪化したることは事実として明々白々である
吾人が自から揣らず我が国民の思想動揺に鑑み微衷を披瀝する所以のものは、実に
国家の為めに已むに已まれぬ事情が現存して居るからである。