本末の顛倒
当今史料編纂先生ありて歴史家なく、哲学史家ありて哲学者なく、教育学者ありて教育者なく、道学先生ありて徳行家なし。甚しい哉、本末の顛倒せらるゝ事や。
今の哲学
ソクラテース曰く、哲学は死に対するの道なりと。洵に是の究竟の安心を与へずむば、宇宙の知解、我れに於て何為(なんす)るものぞ。知らず、今の哲学、訓ふる所果して何の道ぞや。
自ら欺く無くんむば幸也
曾て倫理専門の新学士に告げて曰く、卿等百歳にして道義を説く、可也。昨日校舎を出でて今日人の子に教ふ、危からずや。人生の幽微、素(も)と文字の外にあり、読書万巻、自ら悟る無くむば畢竟死学のみ。卿等自ら欺く無くんむば幸也。
中心果して信ずる所ある乎
人生は事実也、空理に非ざる也。漫りに主義を標榜し学説を糊塗す、畢竟何の関する所ぞ。道学先生、好んで理を談ず、疑ふらくは中心果して信ずる所ありて然る乎。
学説と人格
知は易く信は難し、百知ありて一信なからむには、初めより学ばざるに如かじ。今の学者の為す所を見るに、漫りに先人を是非して折衷を事とする者多し、抑々何の呆癡ぞ。其人を知りて其説初めて解すべけむ。是の閨A何ぞ道学先生が皮相の是非を容れむや。
而して唯々同き者のみ同き者を解す。道学先生の解し得る人物は、道学先生自らに過ぎざるのみ。
人々自ら悟らざるべからず
喇嘛去り、モルモン来る。去来我れに於て何の関する所ぞ。今や、信仰は外にあらずして内にあり。人々遂に自ら悟らざるべからず。外にあるものは儀礼のみ、否(しから)ざれば職業のみ。世の宗教と謂ふもの即ち是れ。
空腹高心
己れ能く先人に若かむと欲せば、亦同く先人の学びたる所を学ばざるべからず。何ぞ今の青年輩の空腹にして高心なるや。
道義亡国
唱歌には公徳唱歌、菓子には教育菓子、遊戯には徳育遊戯、聖代の文物又燦然たりと謂ふべし。
夫れ邦の無道を以て仆るゝもの、尚ほ起すべし、道義に溺れて亡ぶるものに至つては、遂に救ふべからず。吾人潜かに以て憂と為す。
何ぞ思はざるの甚しき
嗚呼、天下好く書く者の多くして好く読む者の尠きや。情激する時、語逼らざるを得ず、理絶する時、理、明なるを得ず。機微言外にあり、囁として唇頭に上らず。人は即ち壮語を作して他を欺くものと為す。何ぞ思はざるの甚しき。
心に会するもの唯々是れ心
理の争ふべきもの、其事初めより争ふの要なき也。心に会するもの、唯々是れ心。要は人人自ら悟るにあり。腐儒席上の談の如き、吾れに於て風馬牛のみ。
何ぞ人の異を妨げむ
理の精しからざるを怪む勿れ。精ならざるは粗ならむが為のみ。吾れは唯々吾れに同きものを求む、何ぞ人の異を妨げむ。
千万言唯々意のまゝのみ
若し 438
吾は永く吾たらむ
十九世紀文明の王冠
笑はむ乎、狂せむ乎
吾をして詩人たらしめば
言論畢竟人物のみ
米と砂
其愚や及ばず
道学先生の世界
何ぞ一に煩瑣なる
口耳の学
罪は貧民に在り