好意の欠乏

 曰く、己れの人に為さるゝを喜ぶ所、己れ亦是れを人に為せ。曰く、己れの欲せざる所、是を人に施す勿れ。凡そ万般の道徳は、是の東西二聖の金言に含まれざるは無し。而して二聖の言、畢竟『好意』の二字に帰す。然れども最も悲むべきは、今の日本の社会に是の好意の欠乏せること也。古今東西に於けるあらゆる彜倫の根本たる好意の欠乏せること也。源泉既に濁れり、下流の清(す)まむことを望む亦難い哉。今の日本の社会に於て、己れの知らざる凡ての人は即ち己れの敵なり。道行く人は互に睥睨して過ぐるに非ずや。老者に譲らず、児女を扶けず、些の恩怨なき他人は時に盗賊として扱はる。人を見れば泥棒と思へとは、今も尚ほ依然として大多数の信条なる也。
 一国の名流も、人に呼び捨てにせられざるもの希(まれ)也。新聞雑誌の多くのものは、何の理由なくして紳士に侮辱的綽名を附するを以て日常の事とするに非ずや。島田三郎氏はシャべ郎と呼ばれ、田口卯吉氏はデモ蟇と呼ばれ、外山正一氏は天狗、井上哲次郎氏は井ノ哲と呼ばるゝに非ずや、是れ何の意ぞや。楠本正隆氏はマヌ男、犬養毅氏はチンカイ、竹越與三郎氏はヒヨコ参と呼ばるゝに非ずや。田口氏、己れの良心を屈せずして増税案を賛成するや、反対者はタヌキと嘲れり。武富時敏氏は紅木屋侯爵と呼ばれ、三浦梧楼氏はマヌ子と呼ばれ、松方正義氏は後入斎と呼ばれ、今井磯一郎氏はデレビス、徳富猪一郎氏は猪コ参と呼ばるゝに非ずや。是れ同人間の諧謔ならば知らず、日々の新聞紙上に公然唱呼せらるゝに至つては、好意の欠乏、無礼の横行、言語道断に非ずや。
 新聞紙の中には、如何なる人にも『氏』字を附せざるを以て自ら高ぶるものすらある也。英国にてはミストルを冠せずして紳士を呼ぶものあれば、是れ大なる無礼なり、社会の秩序は是の如き礼儀によりて立つ。礼儀畢竟好意の発表なれば也。
 利害以外に道徳を作るものは好意に外ならざる也。社会にイマ少しく好意あらしめよ。日常見る所の反目、猜疑、嫉妬、争鬩の大部分は、靄然たる和気の中に融解せられなむ。好意に充てる融合は趣味あり、平和あり、道徳あり、光栄ある社会也。

                                  (三十二年六月)

島田三郎 シャべ郎
田口卯吉 デモ蟇
外山正一 天狗
井上哲次郎 井ノ哲
楠本正隆 マヌ男
犬養毅 チンカイ
竹越與三郎 ヒヨコ参
武富時敏 紅木屋侯爵
三浦梧楼 マヌ子
松方正義 後入斎
今井磯一郎 デレビス
徳富猪一郎 猪コ参