高価なる美譚


 人心の美は多く戦争中に於て顕はる。人生真に恨事あらば、是れ慥に其一なり。
 米西戦争は方に終りを告げぬ。幾多の美譚は、幾百万人の涙と血と生命とによりて購はれぬ。
試みに其二三を録せむ乎。
 西班牙の提督セルエラ将軍、米国水雷艇の、襲撃を果さずして遁逃せむとするを見るや、部下に令して撃沈する勿らしむ。曰く、勇士死を決して敗艦に近づく、我れ豈是れを殺すに忍びむやと。是と同一の例は米軍にもあり。テキサス号の艦長フヰリップ、西班牙巡洋艦オケンドの轟沈せられたるを望み、其の部下の歓乎を制して曰く、爾等歓ぶを休(や)めよ、可憐なる同胞は死につゝある也。
 米国新聞の一通信記者、マーシャル軍に従つて脊骨を撃たれ、出血混々として胴躯痙攣す。其の死、数分を出でざらむこと明なり。而かも尚ほ筆を執りて静に其の通信を草しき。
 嗚呼、是の如き美譚を製造せむが為に、世界は其の輿地図の彩色を変ぜざるべからざりしなり



                   (三十一年九月)